小説葛野記:2007/11/15(木)戦いすんで日が暮れて
今日も一日、戦(いくさ)があったわけでもないが、ごく平穏な一日だったが、こうして日が暮れてくると「今日の戦が終わった」という感慨が身内を満たしてくる。
朝は二つ授業があって、共同演習の「中間発表」という行事だった。発表が終わると各班や、助勤二人、そして余が、どれかの班に札入れする。プレゼンテーションの優劣を判定する班や助勤もいるし、完成を見越しての先行投資もあるし、内容を理解した上で札入れする場合もある。
現実の図書館の活動は、理論家が理屈で言ったとおりにもならないし、かつまた衆愚政治でもあるまいし「たのしい、うれしい」だけのサービスで評価されるわけでもない。いつもゆれがあって、ほどよい所におちつくものだ。共同演習で各班ががんばっているプロジェクトも、余ひとりが「これこそ、理論にそった、すばらしい作品」と、言ったところで、利用者でもある司書卵学生がそっぽをむくかもしれない。現実の評価とは時間によっても変化する。今日のよいサービスが明日もよいとは限らない。
午後は重い会議が二つあった。ひとつは委員長。まずまず、終えた。
もう一つは、報告拝聴がほとんどだった。が、難しい問題が多い。
答えが出そうにない懸案事項がいっぱいある。
すべて終わった今、ぐったりしている。
そういうものなんだろう。
自分自身のこととしても、悪手をうたず、眺める・見つめる、客観視するという秘策をねるのだが、見えてこないことも多い。情報不足というよりも、やはり、近未来といえども、未来は見えないものだ。こうすれば、こうなると予測はたてても、そうはならず、思いもよらない道に迷ってしまう。
大学とは、何であるのか。教員とはどうあるべきなのか。
そういう原理原則を考えるいとまもなく、世間が動き、組織が動き、自分が動く。
ふむふむ、生きている限り、確信を持った生を歩むのは、難しいな。
ともかく、ここらで一眠りしましょう。
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