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2007年10月25日 (木)

酒船石遺跡(さかふねいし・いせき)のベニバナ

承前:ベニバナ(紅花)と邪馬台国
承前:酒船石遺跡(1)亀形石造物

 本日(平成19・2007年10月25日木曜日)の各社新聞やインターネット情報によると、奈良県飛鳥の酒船石遺跡から大量のベニバナ花粉が発見されたようだ。関係研究者は奈良教育大学金原正明准教授で、この方は以前纒向遺跡で発見されたベニバナ花粉についても関与されていた。

 金原准教授の考えでは、亀形石造物での「禊ぎ」に使われたのではないかと、語っておられるよし。
 ニュースはそれだけである。
 (近所の飛鳥寺南方遺跡からもベニバナ花粉がでたようだが、省略)

酒船石遺跡:酒船石のやや北を指す。酒船石と、亀形石造物のある酒船石遺跡とは区別する。

 ベニバナの効果は、「ベニバナと邪馬台国」で触れたが、染色、薬効、防腐剤、鎮痛など多岐にわたる。これが亀形石造物から流れ出る水の溝に大量にあったようだ。もう、半分忘れたが当地の明日香民俗資料館で見たビデオでは、想像動画として、斉明天皇が亀形石造物の水で禊ぎしていた情景があったような~? 明日香村の関係者や、どなたか研究者がそのように、当時を、石造物の役割を考えたのだろう。
 ベニバナの染料の色としては紅を想像するが、asahi.comでみた同記事では富山大・黒崎直教授の話として、濃いオレンジ色とあった。自然、天然の染料は状況で色合いが異なるのだろう。

 従来、岡の酒船石も、この酒船石(北方)遺跡も、その使途は不明とされてきた。つまり、諸説入り乱れているので、不明と私が内心で決めているということだ。もちろん、考えはあるが、実証する方法も思いつかないので、それでよかろう。この酒船石関連については、松本清張の説で開眼したわけだが、酒船石(北方)遺跡は、清張が亡くなられた後に発見されたものだ。

 先頃の纒向(まきむく)遺跡のベニバナは3世紀と仮にしておく。今回のは7世紀と仮にしておく。纒向遺跡の真南約7キロの地に酒船石遺跡があって、時代は約400年の間隔があるので、両者は無関係と今夜はしておく。が、好奇心としてはいろいろうごめくものがあるなぁ(笑)。

 古代ベニバナをもっと調べないと何も言えない、書けない、心許ない、口惜しい。なにか、そこまで手がかりがあるのに、「無関係だよ」という顔をして見せる。うむむ。

 卑弥呼と斉明天皇のうっすらとした共通点は、巫女女王の可能性が高いということだろう。両者とも、想像だが高齢の時期にあたる。後者は高齢だったとほぼ確定できる。
 巫女女王を結ぶ線にベニバナがあるとすると、ああ、これ以上はもう書かない方がよい、ミステリの自己開示になってしまう。

 今夜はこれくらいにしておこう。また、いつか。

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コメント

(飛鳥資料館で講演会)

 11月10日に、飛鳥資料館において、明日香村教育委員会の相原先生による『両槻会をめぐる諸問題』という講演会が開かれます。

案内メールによりますと、
「今回の講演内容は、継続的な酒船石遺跡発掘調査の成果を、お話いただけるものと思っております。

その講演内容に即しましたように、昨日より大々的にニュースが流れております。
ニュースによりますと、酒船石遺跡の亀形石造物付近の溝から、大量の紅花の花粉が検出されました。
古代において紅花は、染色の原料として知られていますが、防腐・殺菌の効用も知られており、亀形石造物で行われた祭祀にも用いられたのではないかと報道されました。

このニュースは、酒船石遺跡の性格を知る上で、重要な発見であったかも知れません。
講演会では、このニュースのお話を、もう少し詳しくお聞きすることも出来そうです。・・」

参加申し込みはこちら
http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-5/yotei-5.html

私は出席できないのですが、この両槻会の活動後には、いつもとても詳しい活動報告がなされるので、今回もそれを楽しみにしようと思っています(笑)。

投稿: wd | 2007年10月26日 (金) 09時18分

wdさん、情報ありがとう。

 とても興味が湧きました。
 しかし、多分、おそらく、行かずに報告書を読むことでしょ。
 事情は単純そのもの、出歩くのが極端に苦痛というか恐怖を味わう質でして。
 
 こんな時こそ、今はメキシコで古代遺跡を探訪しているJo爺さんがそばにおったなら、と深い嘆息。
 人間いろいろで、何でも見てやろうというJoさんなんか典型ですね。Muのように、何も見たくない、どこにも行きたくない、知りたくない、……。こうなると、客観視すると、一種の病気のようです。

 いや、情報、本当にありがとう御座いました。

投稿: Mu→Wd | 2007年10月26日 (金) 09時41分

jo爺さんがメキシコからコメントです

 私がメキシコの遺跡を彷徨い歩いている間に、重要な発表があったんですね。今日も現在発掘中のAtzompa遺跡を探訪し責任者の考古学者が終始そばで説明をしてくれました。とのかく、山の頂上なのと空気が薄く、ゼイゼイです。

 今回の酒船石遺跡での紅花花粉の話は何なんでしょうね?謎は深まりますね、血の儀式としておきましょうかね。生け贄の儀式の進化版としておきます。何か、メキシコの影響でせうか。(笑)

 

投稿: jo | 2007年10月26日 (金) 11時30分

Joさん、メキシコは今、真夜中かな? 
 おちおち日本でblog書いておれない時代、世界中から目が光っていますなぁ。

 酒船石遺跡紅花花粉問題。
 これ、新聞には小さな記事でしたが、Muのように長く考えている人間からすると、うむ、です。

 マヤとかアステカの生け贄は、神さん、太陽に生け贄を捧げないと、翌日に顔を出してくれないという恐怖からだと、聞きました。
 また、生け贄さんの何割かは、名誉なことと思っていたところもあるようです。

 日本の古代は、纏足も宦官もないし、佛教がくる前から、肉食動物も少なかったろうから、ちょっと諸外国の常識が通用しないところがありますね。鳥や魚や貝は食べていたでしょうね。

 古墳の人柱ですが(埴輪生成の論理)、これ日本で、戦闘以外の死亡者を、まとめて生き埋めした事例は、出ているのでしょうか?
 つまり。日本みたいな四季折々穏やか山紫水明の国で、マヤ、アステカ、インカのような生け贄儀式とか、風習があったのかどうか。

 あんまり、なさそうですね。

ではまたね

投稿: Mu→Jo | 2007年10月26日 (金) 16時00分

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