小説木幡記:2007/10/24(水)茶々・和央ようか・伏見桃山城
ねむれたまわぬままに~深夜突然、パカッと目が開いて天井を見つめた。
天井で思い出したが、授業で「メタ認知」という言葉を説明した。メタはメタフィジックス(形而上学)のメタ。上位かな? それで認知だから、天井からもう一人の自分を眺める、つまり自分自身を他人として見つめる、客観視すること。
これが結構うけて、授業回収カードの8割には「私は、自分のことをもっと客観視する必要があると思いました」とか、「メタ認知というの、もっと勉強したいです」とかいうメモで埋まっていた。そうか、今時の子らはそういうことが未経験なのかぁと、ちょっと驚いた。
Muなど、十代から二十代はそんな世界に埋没していた。それは、客観視というよりも、主観の多重層世界で、なかなか快適だったけど、つまりは客観視をよそおった妄想にはまってしまっていたね。
主体客体を制御するのは、難しい。
それに、実は、布団の上で寝ている自分を見つめたり、「豊饒の海/三島由紀夫」の夢日記のように、自分の死を眺めていたり、なかなか怖い話になるよね。それは不可解な深層心理になってくるから、授業では話さなかった。余も、精神科学には無知な普通の常識人だから。
で、なんで目覚めたかというと、昨日葛野図書倶楽部2001の次年度人事を早々と発令したからだろう。人事とは、詳細は省くが、歴史的に人類があみ出した最高級の「仕組み」である。これを曖昧にすると組織は腐敗し崩壊する。掃いて捨てるほど史上、悪しき人事の結末が渦巻いておる。
土方歳三は人事に血の粛清を以て臨んだ。家康家臣団の内部人事は神業に近い、……。諸葛孔明の人事は目の覚めるような成果をもたらした。難しい。清明であることが肝要。バランスが肝要、なれど、閥のバランスは不寛容を助長する。資質・性格のバランス。決定、不退転。
で、神経が尖り、深夜に目が覚めた。
やっと本題。
ねむれたまわぬままに、黒PCに火を通し、blogの「アクセス解析」をのぞいたら、異様な光景があった。「伏見桃山城」「黄金の茶室」こういうキーワード・アクセスで埋まっていた(笑)。特に全体サイトは写真へのアクセスも含まれるから、MuBlogにしては凄い量だった。
「何事ぞ?」とおもって、しばらく考えた。
分からない。
Googleに聞くよりしかたない。で、確かめてみたら、あはは、東映の映画が先頭に出た。
要するに、東映が伏見桃山城を京都市と相談して改修し、金のシャチホコもセットし、大坂城仕立てにして、夏の陣を撮影するとのことだった。
映画は「茶々」2008年の正月映画だそうだ。で、その次をみて再度目が見開かれた。おお、主演女優、茶々、すなわち淀君を演じるは、「和央ようか」じゃないか。倭王じゃなかった、和央といえば、余の好み女優の三本の一人。姿を消して、幾とせぞ(宝塚を2006年退団だったらしいが)。
雰囲気的に申せば、ガクト・景虎と、和央ようか、この二人は同種に属する。なんとなく浮世離れしているというか、宇宙人的というか、オーラの質が他の人達と異なる。
いわば異形。
となると、伏見桃山城の城下町である大手筋には、和央ようかが、蕎麦をたべにきたり、大中ラーメンを食したり、鳥せいに飲みに来たり、するかもしれない。うむ。スクープだな。ビデオ撮ってMuBlogを飾りたい脳。
……
というわけで、あれこれ夢想しだしたら、また眠くなってきた。授業も一時間目からあるし、午後は会議のてんこ盛りだから、そろそろまたねむるとしょう。風林火山といい、茶々といい、この世にたのしきおもしろき芸能はまだまだ種がつきない。
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コメント
あはははは、ガクト景虎と和央ようか
浮世離れした同種族っていうのは確かに当たってますね。
私はそれに女流指揮者 西本智実を加えます。
女ナポレオンと称される彼女も素晴らしいです。
自らが指揮するチャイコフスキーの新世界をバックに
スズキSX4のCMに登場するマエストロニシモトはほんとうに美しい・・・です。
投稿: 伽羅 | 2007年10月27日 (土) 11時36分
毎度、伽羅さん
(二度目のMuBlogご来訪でも、マイドです)
TVとか見ないので、世情にうとくもうしわけないです。西本智実さん、注意しておきます。
ガクト景虎・和央ようか、同根説に賛同いただけるとは、実にうれしいです。こういう説がよもや人のこころをとらえるとは、想像もしませんでした。
発端は、お二人とも、笑顔をあまり写真とかで見ていないのです。なにかしら、この世の終わりのような苦み走った顔して、こっちが、にらみつけられているようなのが多かったですよ。
そこから妄想が妄想を呼び、もしかして二人は姿形雰囲気脳内構造、全部まとめて、同根なのでしょうという、新説が生まれたわけです。
ようかさんに、ハードロックなんかしていただければ、ガクトの影武者になれるし、ようかさんが、謙信の鎧甲して、顔に紗でもかければ、ガクトさんと見分けが付かないでしょう。
今度の東映「茶々」も、実はガクトさんが演じているかもしれませんよぉ~、内股歩きの打ち掛け姿で(ぎょっー)
投稿: Mu→伽羅 | 2007年10月27日 (土) 15時10分