小説木幡記:2007/10/01(月)黎明期の人型ロボット・司書
今朝三時頃に目が覚めた。なにかしら緊張に似た感触があって起き上がってみた。
余がパソコン・オーナーになったのは、1980年前後のことだった。まさにパソコン黎明期、弥生時代あたりだった。機種は沖電気のIF-800で、本体にプリンターが付いていて、別途グリーンディスプレイ(モノクロ)と合わせて40万円ほどのローンを組んで買った。今から考えると凄まじい冒険だった。給料の三ヶ月分ほど高額だった。それを何に使うかというよりも、命がけで手にした最初のオーナー・マシンだった。
多少、発狂していたのかもしれない。
そこに至るまでに約10年弱、プログラミング言語(FORTRANとかPL/1)を仕事に使っていたし、数年前にも外国製のPCを仕事のことで使っていたから、ド素人ではなかったが、自前で決死の覚悟で手にしたとき、「もう、余の人生はこれしかない。文学は余を見捨てた。いや、余は文学を見捨てた」と、悲壮な顔をしていた。
笑っちゃいけない、若い(もう30代始めで、子供もおったのう)ということは、振り返ると幾分発狂しているようなものだ、脳。ただ、その後のことは、今は記さない。話は、そこへいくのじゃなくてぇ~。
緊張で目が覚めたのは、もしかしたら、いま2007年、これは人型ロボット(世間では、二足歩行ヒューマノイドロボットと言われている)の黎明期なのかもしれないという、昂揚した思いからであった。
パソコン黎明期に「生きた息した」余の人生は、そこで180度進路変更が為されていた。
しかし今回の黎明期は、もう余生のことだから、進路変更はあり得ない。だが、そうであっても余の脳の中は、これからどんどん再編成されていくのだろうと、重い予感におののき始めた。
集大成なんだろうな。余のこれまでの人生のいろんな知識や情感や技術の。それが人型ロボットに注ぎ込まれていくのだろう。最初の最初は、たとえペコリとお辞儀して、「ぼく、少年司書でぇ~す」と旗振るだけでも、生きている限り、その後に続く。
IF-800を自宅においてしばらくして、年上の理論物理学の先生夫婦が余の自宅に、それを見学に来られた(笑)。余と、その物理学博士(ホンモノですよ)とは、部屋を暗くして、グリーンのディスプレイに、OKI-Basicで円や双曲線を描いて、「ふむふむ、すごいな」と話していた。黎明期とは、そういうことなのだ。
ここで余のイメージ:弥生時代をへて、平安時代くらいに設定。
小型軽量高性能の人型ロボットを一杯作って、それを余自身や司書達の「式神」に育て上げる。各々はちっこくて力もないが、それぞれの特技を持っていて、場合に応じて集合したり、自律サービスをしたりする。余や司書は、まさしく安倍晴明クラスの陰陽師だね。
図書館で変な利用者ががなり立てたりしたならば、上級司書が「式、式を打てぇ~」と叫ぶと、チーフの少年司書ロボ0号がケースに応じた統合「式」を打つ。すると少年司書ロボ1号~10号くらいが、ややこしい利用者のそばにぱらぱらと集まり、その者の欲することを判断し、並行処理でかたづけていく。
~
そんなことを考えだしたせいか、もう眠られなくなった。
注記:映画では、安倍晴明が紙切れに呪文を書いて、ふっと息をかけると、紙切れが鳥になったり少女になったりして、安倍晴明の仕事を助ける。これを、「式を打つ」と言うらしい。つまり、式神を起動させるわけだね。少年司書ロボに対しても「何々をしなさい」と、言って上げないと、一日中無限のぺっこんぺっこん挨拶と、旗振りをしかねない。
してみると、今の時世だと「式神ロボの黎明期」とも言えるなぁ。
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