小説木幡記:2007/09/13(木)木幡記が多いのは
このごろ小説木幡記が多い。それなりに理由があるのだろうと考えた。
1.出歩かない
心は愛車RSのハンドルを握って西へ東へ北へ南へ、高速道路をぶち切って疾走する自画像を思うのだが、思うのと実際は別なので、相変わらず葛野と木幡を往還するだけで、寄り道なし。これでは新鮮な、斬新な、目新しい記事など書けるわけがない。
今は夏期なので全国的に教員の責務たる授業が無いのだから、時間の手当はそれなりにできるし、高速道路とガソリン代くらいは如何に日々困窮していようとも、出して出せないわけはないのだが、相変わらず毎日10時間以上、葛野の小部屋の涼夏2007PCの前に終日すわっていた。
2.なぜ出歩かない
たしかに思い詰めて根詰めすぎて体調が悪化したこともあるが、それでもそれは二ヶ月のうち10日間ほどだった。
何故か。答えは簡単だった。
することが多すぎて、どれもこれも複雑怪奇で、いつ果てることもないと感じられるほどの重責が重なった。
ああ、論文が一番きつい仕事だが、これは「辞めた、今年は出さない」と、そう一言言えば、だれも止めはしないし、無責任とそしられることもない。誰の懐も痛まない、だれも悲嘆にくれない。
でも、そうしなかった。
今夕、ほぼ初稿95%完成したのだから、もう、辞めようがない。完成してから、出さないというのも方法だが、逆になんでそんなことするのか、と思うと、もう乗りかかった船、完成させるより仕方ない。
3.かくして人は責任の重さに耐えかねて
と、普通はなるのだが、余はならない。ならない理由は簡単だ。余は、のらりくらりと毎日やっているから、石の上にも三年ともうすか、今日やったことは明日の煉瓦の下積み方式。
逆にそれくらい単純な責務とも、客観的に云えないこともないのだが。
手が遅いから毎日歯を食いしばってちょっとづつする。体力がないから毎日顔洗うつもりでする。
4.というわけで、木幡記が増え続けるのだった
小説木幡記が多いのは、MuBlogを造る時間を、他の責務にあてているから余力がないから、結局、生きている証、判子を押すような気持で、毎夜木幡で文つづる。それを称して、小説木幡記という。
なぜなんかな。
対人対話がけっきょくへたくそ、言い負かされるという、勝負負けが多かったから、一文字づつ記すという実に原始的な静的な作業に、逃げているのだろう。しかしめぐりめぐって、すでに記事数だけでも、この記事は2004年の3月から数えて、1164件目になる。延々と、余は自分自身に向かって書いてきたようだ。
だから、錯綜する昼の世界の複雑さにも、耐えてきたのだろう。
そうなのだ。世の中、野球やプロレス観戦して息を吹き返す人も多い。すきな俳優のおっかけして生き返る人も多い。余は、せこせことキーボードを叩いていると、息を吹き返す質なのだろう。
だから、小説木幡記ばかりになる。
やっと、事情が飲み込めた。
ここまで書いて、謎がとけた(笑)
単純なことなのだ。
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