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2007年9月12日 (水)

小説木幡記:2007/09/12(水)俗世のおごり

 安倍晋三首相が本日平成19年9月12に、内閣総理大臣を辞すると表明した。その手続きは知らないが、辞意を示した限り、辞めたことになるのだろう。任命権者は、国家元首の天皇陛下だから、ふと想像したのは陛下に辞表を出すのだろうかという、イメージだった。天皇が元首というと首を傾げる人もおるようだ。しかし国賓を待遇するのは天皇だし、それに象徴とは、元首以外になりえない。伝統芸の家元が日本国民の象徴にはなれないし、ましていわんや、ころころ変わる俗世の総理大臣が象徴ではけっしてない。大臣(おおおみ)とちゃんと書いてある。麻生さんの爺さんは昔「臣茂(しん・しげる)」と言って、世間を驚かせた。だから大臣(おおおみ)晋三さんは陛下に辞表をだすのかな、と論理的に想像した。不知。しかし、諸外国もそう思っているだろう。

 俗世のことで、突然の辞意に安倍さんへの毀誉褒貶、TVで賑わっている。明日の朝刊は一面、それに尽きるだろう。
 時局、時節、時事に意見らしい意見をもたない余だが、今日は一つ記録しておく。

 安倍さんは昔の岸信介首相の孫らしい。麻生さんは吉田茂の孫らしい。ともに優れて根性のある爺さんだったと、今にして思う。岸さんのことをネットで見たら、昭和の妖怪とあった。事実そうだったんだろう。吉田茂の方は、何かをみるまでもなく、「バカヤロー爺さん(実は:解散)」とか「伝家の宝刀・指揮権発動」とかいう文言が頭を横切っていく。

 歴代首相職は、俗世のことだから、おごり高ぶることもあるだろうし、失政もあるだろうし、人気低迷もあるだろう。しかしどんな政党から首相になっても、首相である間は、国民は礼を尽くすのがよいと考えている。先の小泉さんは有能な人だったらしい。辞めた安倍さんが無能とはまったく思っていない。貶しことばはさんざん聞いたが、首相であるあいだは首相に対する礼をつくす、それが余の考えだ。辞められたら、元首相としてそれなりに。

 簡単なことだ。旧帝國憲法下も現代も、政治とは足の引っ張り合い、スキャンダルの曝露合戦、識者もマスコミも国民もそれに加担しているように思う。
 聖王いずこ。
 余は、政治に機能を求めている。首相キラーの小沢さんが首相になっても、機能させようとする意志があるなら、是と思っている。俗世観とはことなり、余は今回の政変はまたしても首相キラー小沢さんの奸計による安倍討ち死にと考えている。そういう小沢さんが首相になる可能性はしらないが、なればなったで恐怖政治なしで、日本をまともに機能させようとするなら、是としよう。

 現代政治をそういう風に考えている。
 そして、欠けた点、失政部分は傷が大きくなる前に、次の首相に別の処方を預ければよかろう。ややこしい国とはちがって、首相を辞めたとたんに監禁され、名誉剥奪、財産没収などという荒っぽい風儀は日本にはないようだ。だから、首相になるも辞めるも、その時々に最適任者がなって、事を行えばよい。

 歴代内閣の最近の失点は。
 社会福祉、年金など、働けない人の生活保証が不完全。
 非常勤労働者が30%近いのは、国策として失政。
 国の、おおみ宝、百姓、農業政策が危機に瀕している。自前で食料を調達するということがどれほど大切かを、政府も国民も考え込んだ方がよいだろうな。

 備蓄石油など明治いらいのわが国エネルギー宿痾は、最近大阪大学の研究室で、太陽光を衛星軌道上で集めてレーザー光線として地上に送る実験があるようだ。全天候型太陽発電になる。衛星一機で原子炉一機分の電力がまかなえるとか。これがうまくいくと、自前のエネルギーも軌道にのるが、アニメみたいにレーザー砲に転用されたり、軍事国家に盗まれたり、無法な国から「貸せ」と強要されると、戦争になるな。

 儲けることと、普通に生きることと、心の錦を、バランスよく理解できる社会教育、学校教育が必要だろう。この60年間、日本に内戦も遠征もなかったが、企業がこれだけ世界化してもうけたのは、「戦争」があったのだろう。余には経済戦争も肉弾戦争も同じに見える。商売が、相手も、関係者も、それなりに満足するレベルなら戦争とは思わない。それは商売という人類の作ったシステムなんだろう。しかし、自国民の30%近くの労働者を結婚もできない状態で放置するのは、政治と企業と、「高給、高水準生活」だけを目的とする「持つ」国民の共同謀議による「悪の経済戦争」なのかもしれない。

 日本の給与水準が高すぎるという説がある。
 給与が低くても清潔で満ち足りた生活を送れるようなシステムが必要なんだろう。
 生きるということが、「あれがほしい、これがほしい、あの市場を席巻したい」という人間の欲望の後押し以外にはないのだろうか。
 バーチャルな株価操作で世の中が動くようにしてしまったのは誰のせいなのか。
 疑問はいくつも湧いてくるが、俗世のことだから、どうでもよいのかもしれない。
 そのうち、全員一律に差別なくお迎えが来る。棺おけの中にまで金銀財宝株券を詰め込んでも、無意味だな。

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