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2007年9月 3日 (月)

小説葛野記:2007/09/03(月)秋の曇り空もよいものだ

 今朝はすこしだけ歩行にさわりがあったので、エドルン君との昼食の約束をはずし、ともかく朝方に京都駅まで送った。

 葛野はほぼ無人だった。
 いや、人はいるのだが、終日話さなかった。マシンをさわるのもわずらわしくて、ずっと夏期論文テキストを再読していた。たしかに。その内容を人に伝えるのは難しい。今の言葉で、言葉の論理で伝えるのは難しい。だがしかし、読んでいる時はしみ入るように心で味わえた。そして、文章というものの「力」を味わった。この力とは、パワーとは訳せない。天神、鬼神をも揺り動かす、そういう力だ。

 名も知れない人たちの俳句や歌が、章の中にときどき引用されている。なんともいえない俳句や歌だった。それをそういう風に味わえるのが、とてもうれしいことと思えた。
 しかし、なぜその句や歌が心地よいのかは、私にはわからなかった。
 好悪ににているのかもしれない。こんな文言があった。直接あたらず私の脳に入った言葉で記す。
 
 <ある人の行いや心をみて、心底尊敬し、感心する。しかし、私はその人を好きにはなれない>

 これは難しいことだ。
 ただ、引用されている句や歌に感心したのを、上の文章にあてはめると、こんな風になろうか。

 <ぼくは、その人のことを全くしりません。獣か悪人か畸人か凡人か、それもわかりません。けれど、この句はよいですね。好きになりました>

 で、どうしても引用したくなったので、記しておく。

 「秋風の吹きくる方へ帰るなり」
 「月さすや沈みてありし水中花」

 両方とも好ましく思ったが、ことに月さすや、がものすごく気に入った。本当ははっきりしないのだが、月や水や水中花が目の前にばーんと、飛び出してきた。言葉というものの、「力」を感じた。

 そして夕方になった。
 やっとマシンを触る気分になって、この葛野記を記すなり。
 なにかしら、足のさわりも消えていた。不思議だ。

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