新連載『化石の村』小泉佐保は冒険家だったのかもしれない
今日から長編冒険小説『化石の村』の連載を始めました。
内容は、「探偵司書 小泉佐保の冒険 その3:鬼添里(きさな)篇」となりますので、これまでお読みになった読者には、大体想像がつくと思います。実は、その通りの内容です(笑)。
さて、今日は日曜作家として一つ記録しておきたいことがあって、書き出しました。
それは、当初この佐保シリーズは「長編ミステリ小説」と銘打ったり、人にも話してきたのですが、これは取り下げた方がよいと思いました。ミステリではないですね。むしろ、ソフトな冒険小説と云った方があたっていると、ようやく気がついたわけです。
小説読書歴として、この十年間読んできたのは、内田康夫、森博嗣、京極夏彦、島田荘司、綾辻行人さんたちのものが一番多かったので、私はてっきりミステリを書く運命に生まれたのかと思いこんだのですが、佐保シリーズも三作まで書いていると、なんだかそれが「おかしい」と思うようになったのです。
どうにも、脳の構造からして、きっちりしたトリック構築とか、はっきりしたキャラクター造形がとても苦手だと思ったのです。トリックもキャラクターも「どこにもないぞ!」と、絶叫するほどの気力がまったく生まれなかったのです。これは、ミステリ日曜作家としては恥ずべき事で、「やっぱり、ミステリじゃないぞ」と自覚しました。
じゃ、なんなのか。
なんなのかは、脳の構造からしてまだよくは解らないのですが、おだやかでソフトな冒険物語だとは思い始めました。前作の第二作『蛇神祭祀』あたりから意識しだしたのですが、作者は佐保や小沢トモコや谷崎先生といっしょに、未知の冒険にたっぷりひたって、日曜作家してきたのです。
もちろん、日曜評論家だと、「それは読者が決めること」と云うかも知れませんが、それとも少し考えが異なります。最近脱稿した『夜麻登志宇流波斯』で、はっきり自覚したのですが、その小説は純粋小説と自己規定しました。つまり、トリックも冒険も統一した異色のキャラクターも、なにも存在しません。ひたすら現実に存在するであろう分裂したとらえどころのない「人格」を表現しました。これは意識的意図的なものです。人生とは、夢も希望も無い儚いものとする作者の世界観ですね。こういう世界観を表現するには、純粋小説の手法以外、嘘嘘しいです。
でも、それだけが世界じゃない。
小泉佐保シリーズは、小さな挫折はあっても、危険はあっても、夢も希望も好奇心にも満ちあふれたもう一つの世界があるということを描いたものです。これは純粋小説ではなく、そしてミステリでもなくて、「冒険物語」だと、思うようになりました。
さて、佐保さん、今度はどんな冒険に出くわすのでしょうか。
一番わくわくしているのは、作者のようです。
連載サイト
1.au one ブロッグ
毎週「火木土日」に掲載。毎朝八時すぎまでには投稿予定ですが、締切は夜の十時とします。
http://blog.auone.jp/asajiharatakehiko/
↑au oneブロッグです。携帯とPCの両方で使える、老舗blogです(笑)
一回につき原稿用紙四枚分位なので、新聞小説みたいなものです。
通勤の友にご利用下さい。
2.ココログ
上記のau携帯分が章や節にまとまったとき、一括して掲載保管します。
http://asajihara.air-nifty.com/no3/
↑MuBlogの兄弟サイトになります。
3.「小説関連サイト」
MuBlogの左サイドバーに「小説関連サイト」があって、これまでの、そしてこれからの「小泉佐保シリーズ」が保管されていきます。
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