NHK風林火山(32)山本勘助:景虎と宇佐美の思惑
承前:NHK風林火山(31)真田幸隆の謀略
砥石城(長野県上田市上野付近)
参考:Google地図では→リンク
内野・勘助はずっと気に入っている。
ところがここ数回、そう、それは由布姫の出番が無くなって、勘助がひとりぽっちになったころからだが、なにかしら勘助に生彩を感じなくなっていた。それは由布姫と勘助の葛藤があまりに激しくて、勘助はそこで燃え尽きたのかもしれない、と疑う毎週であった。あまつさえ、板垣と甘利の凄絶な死を前にして、勘助の影が薄れた、とMuはおもっていたのだろう、と振り返れば、自分の無意識を分析出来る。
山本勘助(内野聖陽)
しかし、今日、それが間違いだったと、はっきりわかった。
勘助はもはや弁舌で人を操る軍師ではなくなっていた。晴信や板垣や、そして由布姫を心で動かす軍師になっていたのだ。すると、セリフが口数少なくなり、生彩を無くしたとMuは誤解する。
今夜、勘助は奇妙な体験をした。
ガクト・景虎につれられて、まだ軍門にくだっていない緒方・宇佐美の琵琶島城におとずれ、景虎から宇佐美のもとに一ヶ月、身柄を預けられてしまった。一ヶ月後、景虎がふたたび宇佐美をおとずれたとき、軒猿(のきざる:スパイ)が晴信の砥石(城)崩れ(総敗退)の様子を知らせる。その場に宇佐美も、勘助もいた。その間、景虎は徹底的に武田晴信の悪口雑言をはき、嫌悪感をあらわにする。天罰が下ったとまで言う。
終始、勘助は一切気の利いたセリフをはかない。ただ、「はあ」とか、「うむ」とか、もらすだけ。
そう、そこに内野・勘助の役者としての絶妙さを味わった。よく考えてみれば、勘助は何も話せない、もちろん景虎にも宇佐美に対しても賢しらなセリフ一つ言える立場ではない。
ところが、今夜は大半がこの勘助「無セリフ時間」だった。
それが飽きなかった。それにじっくり見入ってしまった。
つまり、ことは簡単だ。
勘助は、みずからの苦しい立場を、言うに言えない、誤魔化しもきかない立場を、眼や表情やため息や身のこなし方だけで表現していたのだ。考えてみれば、この数週間ずっとそうだった。主役は何度も他の役者に移っていた。その間、勘助は軍師の深い海のような心底を、これまでにない演技でこなしていたのだ、と今夜気がついた。すばらしい。
武田晴信(市川亀治郎)
亀治郎・晴信もずっと気に入っている。
今夜思ったのは、彼は相当な美男子だということだ。ただし、現代的バタ臭い(これは古語かね)美形ではなくて、まるで絵に描いた聖徳太子、肖像画の明治大帝のような威厳のある美男子だと思った。つくづくそう思った。なにかしら、東洋の恰幅のよい丈高い人は、眼を細めるものなんだ、とも思った。団栗眼(どんぐりまなこ)を見開くのは怒った時の一瞬でよいのだと思った。薄目で人を射る。これは、現代には新しい趣向だ。
武田晴信、負け戦なのに威厳が残っていた。
景虎と宇佐美:ガクトと緒方
うむ、なかなか以上によい場面が続いた。緊張があって、あっという間に時間がたった。
景虎の欲を断つという禁欲僧的趣味は、これじゃ人類が成り立たなくなるから、あまりに過激にそればかり押し通すと番組が崩壊するなぁと、心配していたところ、宇佐美爺さんが上手にそれをいなした。
つまり、欲を断つという欲がある。
庶民の欲を(それは男が女を、女が男を欲することからはじまって、食欲、贅沢、安楽、どん欲、止まらない)、悲しい衆生の生きがいと、慈悲のこころで包みこまないと、人もついてこない、国も治まらないと言ったからだ。
俗世なくして聖もない。
ただし、俗世は歯止めが効かなくなる。だから、景虎のような人物が首領におっても間違いではない。ただ、行きすぎると、下に付く者らは、ただ景虎の欲断ちを満足させるためだけに生きなければならなくなる。そんなの、まっぴら、とまでは宇佐美はいわないが、仏の道はもっと広大無辺だよと、景虎をさとした。
こういう教訓じみた内容も、御大(おんたい)緒方と、超絶美形ガクトとが掛け合いすると、様になる。
なかなか、今夜の見どころは盛りだくさんだったが、この二人と、傍らの勘助の表情がよかった。
勘助の立場
難しい。
景虎ははじめから勘助を見破っていた。その勘助を宇佐美に預けた。ここにどのような伏線が生じるのか。
景虎は、宇佐美に武田の軍師を見せることにより、越後が結束しないと武田に敗れるというメッセージをだしたのだろうか。
景虎は宇佐美の真の力量も計りたかったのだろうか。もし宇佐美が勘助になんの感興も抱かなかったなら、宇佐美は唯野爺(ただのじじい)と見限る気持も少しあったのか。
景虎は、勘助に越後の手の内をさらしたことになる。しかし、勘助の生殺与奪は景虎が握っている。
その前に、最初に勘助を琵琶島城に伴ったとき、景虎は勘助に仕官を誘った。ただの鉄砲商人、クソ坊主を誘う雅量を見せたのか、ガクト。
来週が楽しみだ。
追伸
それにしても。ガクト。言うまいと思いながらも、いやはや衣裳に長髪、苦み走った顔で「不犯を誓う」と言われた日には、これが青年達の流行になれば、ちっとは現代世相風俗も変わるかも知れない(爆笑)。
噂では、ガクトはカリスマらしい。信者の数だけ、教祖ガクトのセリフを「祝詞や経」のようにとなれば、世界が変わるかも知れない、なぁ。
今夜の黒っぽい陰陽師すがた、良し!
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コメント
こんにちは~!
このドラマの主役は「軍師」という影の存在であり、表舞台には出ない人なんですよね。
他で書きましたが、ある脚本家が「時代劇の主人公にはあまり人格を与えずドラマを引っ張る役割だけ与えて、他のキャラクターに人格を与えた方が効果的」と言っていて、その通りだな~とこのドラマを見ていて思います。
勘助はヒーローではありません。腰が落ち着かないし破天荒で楽天的で、しかもしぶとい(笑)というキャラクターを内野さんは見事に演じきっていると思います。
今回は緒方拳さんの演技も見物でした。さすがです。
投稿: なったん3211 | 2007年8月13日 (月) 13時29分
なったんさん
お説の通りと思いました。
さて、しかしなぜ「時代劇では」なのか、そこをMuもちょっと考えて見ます。
主人公は、あるていど歴史の制約下にあるから個性が豊かだと、個性を生殺しにされた状態になるのかもしれませんね。
家康を個性豊かなキャラにしてしまうと、歴史的制約下にある家康のイメージが壊れてしまって、それこそ淀君にちょっかいをだしたり、「もう、隠居したのじゃから、千姫と一緒に、秀頼と仲良く大阪城で暮らす」なんてことになるかもしれません。
その点、脇役だと、なにをしようが、お構いなしですよね。
そんな風に思いました。
緒方拳さんは、TVの「仕掛け人梅安」というキャラで圧倒的なイメージがありますが、さすがに名優ですね。軍師ぶりが楽しみです。
投稿: Mu→なったん3211 | 2007年8月13日 (月) 14時44分