小説木幡記:2007/08/29(水)一息、8月締め
今夜ようやくMuBlogを記す状態になった。病臥していたわけではなく、さまざまなことに専念し、息が詰まった状態、窒息寸前の数週間だった。実は、……、まだ終わっていないが。
すべてが未完だから、十全な充実感とかあるいは否定的な挫折感とか、そういう心象とは遠い。人間いつまでたっても、一杯一杯なにかかれか、手を動かし足をうごかし脳を活性化しなければならなくなるという、この世の定めにあらためて感心しておる状態で、一息。
お金がいつもないので、宝くじを継続的に買おうと思って話したら、木幡漫画博士からはにべもなく「ぼくは、そういうの嫌いです」と言われた。Joさんに話したら、「Muさん、そんなのやめて、株にしなさい」と言われた。ままならないものだ。
夏期論文は右往左往している。なにかしら苦行僧になった気持だな。我ながら、よくやるよと、感心している。たしかに自然言語処理世界で3万語くらいの抽出用語を操作するのは、児戯にひとしいことだ。が、ほとほと、もうもう、の地獄極楽巡りですなぁ。この道うん十年。うむ。
倶楽部。これも、なかなかくせ者だね。ここ何日も毎晩NHK新選組!!の総集編が頭を過ぎっていく。なにかを維持する、意義を見付ける、回転させていく、これは至難の技だ。歴代幹部が痩せるのも無理無い(笑)。組織原理と鉄の掟と血の涙、そして志。「近藤さん、私はあなたを同士としていままで付き合ってきた、私はあなたの臣下ではない。」これが永倉さんの忘れられないセリフだった。そして別の場面、近藤さんと土方歳三さん。近藤さんは言う「歳(とし)さん、私が法度を破ったら、それでも切腹を迫るのか」「そうです」「……」「そして、近藤さんが切腹したあと、私も腹を切る。それが新選組です」ああ、涙つきない場面が次々と走馬燈のように流れていく。
と考えながら、サンサーラ、エクスタシー、ジャータカ、ニルヴァーナ、世尊曰く、ほめたたえよゴータマ・シッダルタ、場面が変わった。
そして、……、そして、また、……。
過日、焼き鳥を食べながら、JOさんに誓った。「Joさん、ぼくはいまから、邪馬台国研究者になる」「ほお」「やはり、ヒミコさんは、あそこに眠っているはずだ」……、そして場面が変わった。
なかなか、忙しい毎日だ。
脳の中だけで百万の神々がうたい踊り、弥勒菩薩さまが56億光年のかなたから、余の枕辺にお立ちになった。ああ、余は、大丈夫なんだろうか? 京都の夏は暑かったようだ。人生は、楽しい。
余録
日曜作家、これは絶好調。よきかな、よきかな。
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コメント
先日は御馳走になりました
御多忙のところ、御蔵山まで来て頂きお世話になりました。ひと時の伏見での昼食と喫茶店での貴重な時間は心が鎮まりましたね。
鳥清は記憶にありましたね、懐かしい感じでした。邪馬台国の話は尽きませんね。
京都に帰ると又、古代史への憧れが増幅しました。
投稿: jo | 2007年8月30日 (木) 21時01分
「鳥清」→「鳥せい」ですよ。
邪馬台国は木幡だった話はおいておくとして、どうして桜井線JRや、近辺の近鉄は、纒向(まきむく)、三輪山に一大キャンペーンを張らないのだろうか。
奈良のお祭りも大切ですが、飛鳥も、そのずっと昔の纒向も、原点だからね。
Jo説による「これから宮殿だね」には大いに感動しました。これからは、箸墓だけじゃなくて、ヒミコ宮もしっかり考えていきます。
ではまた
投稿: Mu→Jo | 2007年8月30日 (木) 21時42分