小説木幡記:2007/08/25(土)夏の過ごし方
この夏は、例年と同じところもあり、異なったところもある。
暑いようだ。先々週あたりは京都も37度前後、実質は40度前後あったようだ。先週末は夕方に豪雨があった。
とはいえ、実は温度変化は余に影響が少ない。葛野研はちっこいせいか28度cに設定するときっちりその温度を保っている。木幡研の夜は26度cで快適だ。
屯所の左京マシンは、毎朝見ているのだが、40度c前後を保っている。samurai-zの空冷ファンは確かなものだと毎朝感心している。以前の状態だと、64度cを越えてサーマルシャットダウンを繰り返すことだろう。
ご承知の、周知の、(誰もしらないか!)、涼夏2007PCにいたっては、アクリルケース内温度は30度cを動かない。温度計が壊れているのかと思ったが、毎朝オンする前は、朝の室温34度cと同じだから、動いている。室温が28度cになって、30度c稼働だから、これも余のケース内「風の道」作戦は成功のようだ。
さて夏期論文だが。これはいささか様相が異なってきた。
これまでは編年体の文学史、各章固有の文学史、超絶難解な家持の時代史、となんとかこなしてきたのだが。もちろん、三島由紀夫の長編小説は分析の技術としては一番解りやすく楽だったが。
今回は難渋している。
これがほぼ一ヶ月続いているのでいささか気鬱が強くなってきた。
どういうことなのか。
要するに、解りやすくいうと随想、エッセイなのだ。そして「日々のくらし」を描写したところが多い。KT2によるこれまでの分析は、小説ならば先頭5名ほどの登場人物、文学史ならば明確な対象書誌名、……。つまり、明確な名詞がきっちり現れたので、通時的であれ共時的であれ、分析が楽だったとも云える。これは、数年前に森博嗣先生の公開日記を分析したときもそうだった。明瞭な事項や人名があるテキストは、それだけ解りやすい。
ところが。
今回のテキストには人名も事項名も、総てがあるのだが。その出現頻度の散らばりが大きい。たとえば、「空海」、「法然」これだけ有名な人名が、昨日までの調査ではそれぞれ一回しかでてこない。
なかなか難しく、気鬱が深くなってきた。
さらに、別途2つの大きな責務がある。さらに他のことや倶楽部運営を合わせると、今夏は大行事は無くても、日夜やせ細る状態が続く。
すると、本を読めない、映画も見られない、RSを疾走させることもできない、日曜作家も最低水準しか力を出せない、MuBlogは日記ものばかり、……。
余は、よって、今夏は鬱が激しい。
静養しよう。
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