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2007年8月10日 (金)

小説木幡記:2007/08/10(金)花火と葛野と帰路

 このごろ、小説葛野記がとんとなくて、木幡記ばかりになっている、と気付いた。理由を考えてみたが、簡単なことだった。つまり、葛野では葛野記を記す必要がないほど定番研究仕事雑務で毎日が過ぎていき、なにかしら変化を味わえるのは木幡の夜しかないということだった。

 今夜は8月10日。
 帰路、道路が停滞はげしかった。RSがガソリンを無駄なアイドリングに費やし、不憫だった。早朝や夜間なら45分程度ですむところが、正確に2時間かかった。

 停滞は葛野をでたとたんに始まった。1号線を南下したり横断する旅程なので、「帰省ラッシュか?」と判断した。途中で、滅多に通らない七条通りを東行し、気を許したとたんに大宮通りに入ってしまい、あわてて左折右折して、近鉄東寺駅横にでた。

 これで1号線の名神ICをやり過ごしたと安心したとたん、車がまたしても動かなくなった。
 カーナビのボタンを何度押しても「この先、停滞があります」とばかり繰り返す。それは解っているのだ。どうすれば停滞を抜け出られるのか、という思いでまたボタンを押した。
 「さらに、この先も停滞が続きます」
 「あほ!!!」
 と、ひとりで毒ずいた。カーナビは一番廉価なのを選んだのが仇になった。流行の高級カーナビなら「そこで左折して、どんつきまで行けば停滞を抜けられます」とか教えてくれるのだろうか。

 やっと竹田街道、24号線に入った。
 24号線が帰省ラッシュにひっかかるとしたら、名神南インターチェンジに抜ける一カ所程度なのだが、それを越えても動かなかった。
 ついに、桃山御陵の道に着いたとき、やっと、気がついた。
 宇治川の花火大会だった。(それと、五・十払い(ごとばらい))。
 疲れた。

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コメント

お疲れさま

 葛野から木幡まで2時間(!)ですか。
えらい遠いところにご勤務のようですね。

 アイドリング、1号線を南下、七条通りを東行、大宮通りに入ってしまい、近鉄東寺駅横、1号線の名神IC、竹田街道、24号線、桃山御陵、宇治川・・・。

 どれもこれも懐かしいようなキーワードばかり。
おかげさんで、若年期の(自動車部)というアホらしいクラブで時を過ごしていたころのイメージを思い出しました。

 もうすぐ大文字焼きですね。

投稿: ふうてん | 2007年8月10日 (金) 23時59分

ふうてんさん
 返事がおそくなりました。
 夏ばてというのでしょうか、極早朝から腹痛で七転八倒、ちかごろにない脱水状態になって、なにはともあれ熱い茶と正露丸をのんで、苦虫つぶして寝込んだら、寝入って、さっき目覚めました。
 でも、ぼんやりしてますね。食欲ゼロ。

 今日はうたた寝して過ごします。

 そうそう。
 昨日は午後あたりから、名神高速の京都近辺で、いくつもいくつも事故(6回程度?)があったようです。それが夜まで長引き、宇治の花火に、ごとばらい(関西の集金日、締め日)で大混乱。クーラーの効いた車中に2時間以上で、身体が参ったようですな。

 いつもいつも病弱話闘病記ばかりですみません。いやはや。

投稿: Mu→ふうてん | 2007年8月11日 (土) 11時14分

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