小説木幡記:2007/08/08(水)夏期のお楽しみと仕事
8月に入ると、いろんな内外のことも落ち着いてきて、やっと昔のMuに戻りだした。
昔のMuってなんのことかと言うと、つまり「のんびり」「せっせと」仕事すること。それがお楽しみというわけだ。それじゃ「仕事中毒」と言われかねないが、実は大きなトリックが秘められている。
それは。
ネタバレだな。
つまり「自分で決めて、自分ですること」
自分でするのだから、嫌いなことはしないから、全部、人生まるごと「お楽しみ」になる。単純なトリックだ。
読書
これは実は「仕事」なのだ。教員だから仕方ない。難しい図書だと、一週間から一ヶ月はかかる。フルタイムで。これを楽しみと思う人は、普通なら変人だね。しかし、Muは読みたい本しか読まないから、自動的に「お楽しみ」になる。たとえ見慣れない漢字の海であっても、気むずかしいお経であっても、読みたい物を読むならば、全部お楽しみ。
論文
これも実は「仕事」なのだ。教員だから仕方ない。毎日平均6時間かけて、二ヶ月かかって、やっと完成する。これを楽しみと思う人は、変人・変態そのものだね。しかし、Muは書きたいことしか、研究したいことしかしない。だから、自動的に「お楽しみ」になる。
情報整理整頓
これも実は「仕事」なのだ。情報図書館学の教員だから仕方ない。毎日論文書きながら、傍らのMacG5には、旧い8ミリビデオと、新しいディジタルビデオが並んでいて、難しい結線のあげく、旧い8ミリビデオ内容が、ディジタル変換されてMacG5の500GBハードディスクにどんどん吸い込まれていく。
現代のディジタルビデオ内容だけなら、IEEE1394の結線一本で、始まりも終わりも気にしなくてよい。自動的にしてくれる。しかし旧い世界のビデオだと、ときどき見てやらないと、延々と無信号がハードディスクに蓄積されていく。
しかし、もともと好きで撮った内容だから、これもお楽しみになってしまう。
葛野へ通うこと
これも実は「仕事」なのだ。宮仕えの教員だから仕方ない。毎朝7時前には着いている。それから12時間延々と研究室に居る。遊びにも行かない、映画にも旅行にもいかない。ただただ居着いている。無人に近いキャンパスを眺めていると、「もしかして、余は変人かな」と、恐怖に駆られることもあるが、すぐに落ち着く。
と、こういうことを自由にできるのが夏期の一時期。
だから、昔の少年期のように夏になるとうきうきしてくる。「さあ、やるぞ~」と毎朝かけ声がでる。
追伸
9月に入ると、またまた会議や合議や、授業や目一杯。課題もやまもり。課題は大抵一夜漬け(うけけ)。さあ、短い夏を楽しもう。生ある限り、楽しみなくして、なんの人生ぞ。みっちり仕事して、楽しもう。
そうだ。
Muに「遊ぶ」という言葉は無いようだ。全部遊びになってしまうから。それに今、気がついた。
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