小説木幡記:2007/08/04(土)点字と暗号
今日は(そして明日も)大学キャンパスで、催しものがあった。
午後に、人混みが少なくなった頃、得難い経験をした。
余が待機する近所のコーナーで、点字ボランティアの学生達が「店」を開いていた。全盲の学生も中央に座っていた。なにげなく引き寄せられてのぞき込んでいたら、「点字、どうですか」と声をかけられたので、「客(普通は女子高生)」でもないのに座り込んでしまった。
学生が余にトランプや、サイコロを手渡してくれた。トランプは、ダイヤはダイヤの形に点字が打ってあった。他はまったくわからなかった。真ん中に座った彼女はすらすらと全部当てていった。すごいな、と思った。
サイコロは、一片2センチほどの大型だった。触ると、賽の目が飛び出していた。目をつぶってさわってみたが、1と3と4くらいしかわからなかった。5と6、2と3を間違えた。
余の父は、モウパイというのか、指先だけでマージャンの牌を読めた。父は、いわゆる北陸人で、冬場の楽しみ、マージャンの腕がセミプロ並だった。家計がおかしくなると、マージャン屋を始めたのが、いまだに笑えるほどの父の記憶だった。本来は、鉄道省は国鉄職員だったが、戦中から土建屋の社長になっていた。そしてマージャンは、困ったときの奥の手(笑)だったようだ。
彼女の差し出したサイコロをさわりながら、一瞬にして遠い昔の父のことを思い出していた。
余も十代でモウパイを練習したが、駄目だった。白と◎1(イーピン)程度しか判別できなかった。ただし、取った牌を組み込まず、上下を調えもせず、読み切るまでにはいたったが、……。
やおら、そばにいたボランティアの学生が、取っ手のついた小さな釘を渡してくれた。漢文(白文読み)練習の穴あき定規みたいなシートに紙を挟んで、彼女の指示通りに釘で穴をあけだした。見せたら、ボランティアの判定では「OK」だった。それで終わりかと思ったら、今度は本番のシールで同じ事をした。
右から左に穴をあけ、完成したらシールを外して裏返しに、左から右に読むようだ。
記念にケータイに張って、サイコロを貸してくれた学生に渡した。彼女は、さっと指を動かしただけで、余の名前を言った。大いに感動した。
彼女の話では、点字は昔、フランスの少年が考案したようだ。最初は暗号として扱われたらしい。日本には明治時代に入ってきた。
小さな5x10ミリ程度の長方形のマスに、3|3と、6つの穴があって、そのどの穴を押したかで文字が分かる。裏返しにするから、紙には突起がでるわけだ。
●○
●●
○●
点字は暗号だったのだ。
ただ。
ボランティアの人であれ、プロであれ、点字は結構指先に力を込めるものだと思った。長文だと大変だ。その為の機械もあるが、高価だ。
葛野の女子大学ではハンディを持つ学生も、本人と大学とがよく話し合って、入ってもらっている。
余の司書科目でも以前、強度弱視の学生と一緒に授業を構成したことがあった。いろいろな思い出がある。その時は、レジメを拡大コピーしたり、大型ディスプレイをつかったりしていた。佳い記憶が残っている。ハンディを乗り越える気力と知力があった。爽快だった。
教師をしていると、いろいろな学生と出会う。その一つ一つに、未だに驚愕する。今日の午後は、全盲の学生と、ボランティアの学生と、そして「点字」に感動した。
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