小説木幡記:2007/08/03(金)心の整理・仕事の整理
整理整頓が苦手のようだと今でははっきりわかっている。
しかし、学生達に教えている内容は、つまるところ「整理整頓しましょう」なのだ。情報図書館学だから、具体的には図書とか情報、ディジタルメディアの新たな組織法などと、賢しらなセリフをはいてはいるが、単純に言うと「なにがなにやらわからないから、綺麗にしましょう」と、なる。
心の整理や仕事の整理を、毎日、「今日こそは」と思って目覚めるのだが、いつまでたってもそのままになっている。
心の整理は、なにもどろどろした対人関係を綺麗さっぱりしましょうなんて、世間によくある話じゃなくて、あれもこれもと思う心を整理整頓して、重複は単純にし、無駄な考えは捨てて、思いのいくつかは捨て去って、ついでに人間関係も完全削除して、容量を大きくしましょう、とこうして書いていると、まるでテラバイト・ハードディスクのクリーンアップ作業にそっくりだ。
ここずっと方々のハードディスクを整理している。ハードディスク単位で申すなら、新旧Winマシンと新旧Macマシンとで合計16機ほどあって、総容量は3~4テラバイトになる。途中、壊れたのが3機あって、その中身は100GB程度だ。
一機目をショートさせて無くしたときは、MuBlogには記さなかったが、どこにも言っていないが、悄然とした。しかし、二機目、三機目になると「万物流転する。過去よ、さようなら~」と、さばさばした気分になった。
機械的には、すでに壊れかけていたのが、最後の電撃(スイッチ)が致命傷になったのだろう。
こうして、だいぶ整理整頓がハードディスク上では進んだ。
整理の要点は、捨てることなり、これは至言である。
Muの場合、ハードディスクの整理が心の整理であるという実に単純な話となる。
さて。
綺麗になったハードディスクに、どんな新しいものをいれましょうか、とわくわくする気持を今は止めている。新しいプロジェクト、企画はもうやめにしよう。そうすれば、余生の整理整頓が楽になる。
追伸
と言いながら、これから葛野に行って、後期授業のネタをせっせと再整理して、またしても空いた記憶スペースを詰める算段をする。
授業の整理とは。無駄な資料を捨てる。無駄な考えを捨てる。それを突き詰めていくと、人に教えたり、伝えたりする内容は、限りなくゼロに近くなる。ある閾値を過ぎたとき、仕事とか人生は、終わりにしたほうが佳いのだろう。その先には、輝く未来が待っている(と、またまた、ハードディスクを浪費する話)。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント