卑弥呼の墓(004)陸行水行/松本清張(小説)
承前:卑弥呼の墓(003)邪馬台国への道/安本美典
陸行水行/松本清張
掲載した理由は、松本清張については別途に古代史論全体の中で取り上げる予定だが、この短編小説「陸行水行」は当時世評もあり、邪馬台国ブームの一翼を担い、そして清張自身にとっても、後の古代史家のスタートとなる転機の小説だったからである。
短編小説の成功度としては、読者によっては意見も分かれると考える。一般的推理小説としてよむと、肩すかしを味わうかもしれない。ただ、平易な筆致で、ややこしい邪馬台国論争の腑分けをし、そして魏志倭人伝の一つの解釈の仕方を、納得させるだけの論理がある。
魏志倭人伝に振り回されるのは、当時も、そして現代も、ちょっと距離を置いてみると馬鹿馬鹿しい面がいくつかある。古代の外国の人が書いた異国見聞録にはおとぎ話のような事例もある。(西尾幹二『国民の歴史』ではその好例を挙げている)
魏志倭人伝の解釈を、ある時は誤字脱字、写し間違い、南は東の間違い、連続距離とみる、放射状到達距離とみる、陸上と水上とは連続とみる、並記とみる、……と自説に都合良く取り込むのは、邪馬台国論争の陥穽、宿痾のようなものだった。私は、最近ずっとこれを「おとぎ話、小説」として見ている。参考にはなるが、なんとでも解釈出来る「遊び」のある記録と考えている。記紀を扮飾、潤色、嘘呼ばわりするならば、魏志倭人伝はそれ以上に嘘嘘しい内容と考えてもよいだろう。
よって私などは、卑弥呼の墓が円墳だろうが、前方後円墳だろうが、どちらでもよいとしている。親魏倭王の金印や鏡があったかどうかさえ、時々は、「無くてもよろしい」と思うことがある。相手は、小説なのだから、熱心に考えすぎると森が見えなくなる。
だが、なんとなく頼りにするのは、他に日本の3世紀ころを記録したものが無い、ないし後世のものしかないからだろう。嘘嘘しくても、なにかしら3世紀頃の日本の姿がある、そんな程度に半眼でみていると間違わないと思った。事実、魏志倭人伝を使ったこの小説の結論が、なんとも云いようのない微妙な、幻想的な終わりを見せているのは、作家の強みだと思った。
で、短編小説「陸行水行」は、すでに1964年にそういうものの見方を、小説として提示しているところに興味が湧いた。これはいわば小説「新説・魏志倭人伝解釈」であり、清張の余力が見えた。もちろん清張がその後、本格的な邪馬台国論争で、どうふるまったかは今後、明らかにしておきたい。
以上のように、この作品は、MuBlogのシリーズの意図には合致しないが、邪馬台国というカテゴリとしては、ぜひ掲載しておきたかった。
最も興味を引いたのは、宇佐神宮が最初のテーマとなり、「大分県宇佐郡・安心院(あじむ)」(現代:大分県宇佐市安心院町妻垣か?)の風景があり、宇佐神宮の奥宮にあたる妻垣神社でのことが、印象に残る描写だったことである。私は結末よりも、この冒頭場面に感動した。
なお作品中では、邪馬台国の「邪」は「耶」を使い、耶馬台国と表示している。
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