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2007年7月 9日 (月)

江戸東京博物館(えどとうきょうはくぶつかん)と、ほそ川の穴子天付そば

江戸東京博物館 3Fからの姿

江戸東京博物館 3Fからの姿
 江戸東京博物館(江戸博)は平成5年(1993)3月28日開館で、特徴は「5階と6階が吹き抜けになった、約9,000㎡の大きな展示室」(公式HP)にある。すると私が訪れた今年で、十数年経過している。入口は一階と三階なのだが、総武線両国駅からも、大江戸線両国駅からも、三階から入るのが自然な動線に思えた。私は、この日、宿所の六本木から大江戸線に乗って約20分の直通で着いた。

 三階にあがってみるとそこは巨大な広場だった。これまでこの広場がどういう風に使われてきたかは知らないが、端から端がかすむほどの広さだった。風雨の強い日などは人に辛い空間だと思った。
 建築物全体については、毀誉褒貶の渦のなかで、マイナス面がいくつも指摘されていた。実は、先夜「江戸博に行くのが江戸下向の最大の目的」と、畏友にもらしたところ、「行けば、気持が悪くなる」とにべもなかった。何度か訪れている案内役のえどるん君は、そういう印象を持っていなかった。

 実際に現場にきてみて、畏友が忌避した事情もわかった。たしかに良い風姿ではない。資金にあかせて妄想を形にしたという印象が強かった。おおざっぱな感じだった。建築家というのは、作品が比較的長く人の目にふれるものだから、その一瞬一瞬に、道を究める態度、我をすて対象物をイメージして、さらに訪れる人の心の動きが見えるまでペンを降ろしてはならないと、思った。

 事は簡単なのだ。公共、つまり私事ではないという単純な現実を造形すれば、収まりがよくなるのだろう。
 それと。私は最近も露骨に心性を顕しているのだが、透明感が好みのようだ。ブラックボックスを避ける傾向がある。外の形が機能を示すか、もし示し得ないならば、透明な方が快適と感じる質がある。この江戸博は、外から中が想像しにくく、そして見えない。

 だがしかし、えどるん君が総武線両国駅の方角から時間通り現れたとき、「さあ、見てみたい」という強烈なプラス志向になっていた。えどるん君は江戸文化が好みなので、ここには何度か来ている。卒業して以来ずっと江戸住まいをしている。江戸の水が合っているのだろう。私は現代博物館を体験するのが授業に役立ちはするが、そんな現実的要請の底には、博物館好みが渦巻いている。そして、江戸とか明治大正の東京を、想念にある歴史に結びつけるところに感興を味わう。だから、建築物のデザインは二の次となる。畏友と同じく気色悪く感じても、遺物や模型が内部でどんな風に扱われているかの方に、気持が傾く。

江戸博の地図

(1)江戸時代の江戸

中村座(芝居小屋)

中村座(芝居小屋)
助六の舞台(すけろくのぶたい)
助六の舞台(すけろくのぶたい)
 三階からエスカレーターに乗って着いたところが六階のようだ。入った途端に「来て良かった」と思った。五階と六階とが吹き抜けになっていて、床から天井までが相当に高かった。京都駅ほどではないが、模型飛行機を飛ばすのが可能なほど高く広かった。そこに日本橋があって対岸にかかっていた。
 その橋上から写したのが中村座となる。原寸大だから家屋の場合は模型という気がしない。中に役者がいて、外に客が出入りする幻視があった。この復元は日本橋人形町にあった文化四年~五年頃のものらしい。芝居小屋は火災に遭うことや、幕府の指示などで、転地を重ねた。
 
 「助六」舞台は、実は後で観たもので、中村座の裏にあった。肝心の助六は左端なので写真に入れなかった。花魁(おいらん)の揚巻(あげまき)や、悪人「髭の意休(いきゅう)」の人形が良くできていた。さすがに傾城(けいせい)と言われるだけあって、揚巻は極上の美しさだった。さらに悪漢意休の男ぶりや髭の美麗さにも感心した。実物模型で、これほど華やかなものはそうそう見られない。

三井越後屋江戸本店(みついえちごやえどほんてん)

三井越後屋江戸本店(みついえちごやえどほんてん)
 記事順番が以下不規則だが、目立った物やそれに似通ったものを集めてみた。実際はジャンルや年代別に展示物が並べてある。そんな中で三井越後屋を撮ったとき、それほど大きな期待があったわけではない。ただ、あとで写真を見てみると、お相撲さんらしき人が歩いているのを発見して、急に親しみを持った。江戸の商いの実態は時代小説などで知るくらいだが、これが「越後屋、お主も悪よのう」を彷彿とさせる幕府御用達商人の店(たな)と思うと、感無量だった。ところで、越後屋というなら、越後出身なのだろうか。詳細は知らない。

両国橋西詰(りょうごくばしにしづめ)

両国橋西詰(りょうごくばしにしづめ)
菱垣廻船(ひがきかいせん)
菱垣廻船(ひがきかいせん)
 賑わいを見せる両国橋西詰の広場と、菱垣廻船とはなんの関係もない。ただ、私の目には両者を船でくくると分かりやすかっただけだ。展示物として巨大な模型(縮尺1/30)の両国橋界隈全景と、そこに浮かぶ船は屋形船で時代は江戸後期。菱垣廻船(縮尺1/10)は水運業が目的だから両者は異なる。しかし双方とも江戸がとてもにぎわっていたイメージがつかめた。

 両国橋西詰は写真では、対岸に相当する。そこにムシロで覆った芝居小屋がいくつもあって、人だかりがしている。川にはたくさんの屋形船やチョキ船が浮いていて、ここでも当時を幻視してしまった。
 菱垣廻船は、実際の大きさがこの十倍なのだから、相当に大きい。大阪と江戸との定期便だったらしい。なぜ大阪に物があつまったのか、なぜそれを江戸に運んで消費したのか、このあたりのことは江戸を知る人たちに聞かないと、私が書くと不正確になる。そういう経済構造というのは、とても興味深い。貨幣が金と銀とに別れていたらしいから、ますます謎が深まる。

北斎の画室(ほくさいのがしつ)

北斎の画室(ほくさいのがしつ)
 ここに急に葛飾北斎がでてきた。両手で一抱えほどの空間が壁にあって、その中に模型が組み込まれていた。北斎が83歳ころのものだから、側にいる娘の阿英(おえい)はいくつくらいかなと勘定したが分からなかった。北斎の顔はしわしわで、娘の顔はそれこそ大年増そのものだった。北斎は以前から気に入っている。こういう人が江戸に住んでいて、ボロい家に娘と二人で住まいしてなにやら描いていた。しかも彼は90歳まで生きたのだから、たいしたものだ。そういう人物が生きながらえた江戸という時代も、たいしたものだと感心した。こういうミニチュア模型は、私の大好物と言ってよい。

(2)明治以降

朝野新聞社(ちょうや・しんぶんしゃ)

朝野新聞社(ちょうや・しんぶんしゃ)
銀座煉瓦街(ぎんざれんががい)
銀座煉瓦街(ぎんざれんががい)
鹿鳴館(ろくめいかん)
鹿鳴館(ろくめいかん)
ニコライ堂(にこらいどう)
ニコライ堂(にこらいどう)

動画→ニコライ堂の仕掛け (mpeg-4、4202.8K)

 新聞社も、煉瓦街も鹿鳴館も、ニコライ堂も、これぞ明治の東京という雰囲気が濃厚だった。これらについては記し出すと、典拠も多くなり、煩雑になるので「よかった」という感想にとどめておく。

凌雲閣(りょううんかく)通称:十二階

凌雲閣(りょううんかく)通称:十二階
自働電話
自働電話
 十二階と電話との取り合わせは、多分時代も異なるのだろう、正しい組み合わせではない。しかし、なんとなく縦に長い写真が二つ、並べてみると気に入った。十二階は小説などでも読んだが、こういうハイカラな建物が浅草にあったという、驚きとも言える。写真はちょっと傾いているのでピサの斜塔じみて、印象に残った。電話は、なぜこれを写したのか記憶にない。ただ、この廻りをうろうろしたのは事実だから、気になったのだろう。時代も調べないまま、掲載してしまった。

(3)カメラその他
 ここで写したカメラはすべて、au-AQUOS(200万画素)を用いた。館内が暗いせいもあるが、光量不足、ピントぼけ、手ぶれと、良いできではなかった。扱いに慣れていないこともあって、鹿鳴館や銀座煉瓦街の動画を保管するのに失敗した。

 いろんな事情で、ケータイカメラに頼ったわけだが、それでも記録は撮れた。ショップでカタログも二冊購入したので、撮った写真は失敗作だが、手元には美麗な図版がある。
 館内での撮影は、許可されているのが多かった。これは自由な感じがして心地よかった。全体の雰囲気も天井が高く、歩いていてもわくわくし通しだった。
 ただ、原寸の家屋模型は、中身が詰まっていないのが多かった。それは、明治村の方が、すべて現物だから一枚上手かもしれない。ただし、明治村には江戸のものがない(笑)。

 約90分、館内を歩いたら、疲れと空腹がつのって、「ああ、しんど」とため息がでた。博物館はどこもそうだが、特に江戸博のように展示場が広い時は、靴とか手物とか気をかけた方が快適に観覧できる。えどるん君は慣れた様子で快活に次次と見て回っていたが、私は時々椅子に座り込んでしまった。それで結局、全体の半分を見るにとどまったが、第1回目としてはそれでよいだろう。
 また、来てみたい、そういう印象が強く残った。なによりも、模型が緻密で、たくさんあるのが気に入った。武家屋敷や長屋もきっちり見て写したが、すべてぼけていた(笑)。小さなお人形(群衆表現)がよかった。

(4)現代の蕎麦処

穴子天付そば/江戸蕎麦ほそ川

穴子天付そば/江戸蕎麦ほそ川
 歩き疲れて空腹感もつのったので、連れのえどるん君に「お昼は、どこへ」と尋ねたら、両国界隈屈指の江戸蕎麦があると返事があった。聞いてみると大江戸線両国駅から道を渡ってすぐの所らしい。本当にすぐのところだった。しかし案内されて玄関に立ったときとまどってしまった。私のイメージする江戸蕎麦屋とは違ったからだ。どういう商いをしているのか、喫茶店なのか、瀟洒な民家なのか、レストランなのか、……。

 中はすっきりしていた。蕎麦伝統の持つ重い陰影を払拭していた。落ち着いた、ゆったりした喫茶店という感じだった。まず、ヱビスビールを飲んで、気持を落ち着けた。注文は、海老天がなかったので気落ちしたが、一度穴子を試してみようと決意した(決意するほどのことか?~)。
 うむ。
 上々、上の上だった。穴子がこれほどサクサクして味わいがじゅわと口中を満たすとは思ってもいなかった。
 さらに蕎麦。主にダシの味。これは? と思うほどに違和感がなかった。
 超異例だが、私は関東の地にて、その日蕎麦ダシを飲み干した。なかなかに、時代は変わったようだ。関東にも良き蕎麦処があるようだ。感心した。

 江戸蕎麦ほそ川(公式HP)

「ほそ川」地図

参考
  江戸東京博物館(公式HP)
  みてみよう江戸東京博物館/東京都江戸東京博物館.平成19年(13版) 200円(ショップ価格)
  模型でみる江戸・東京の世界/東京都江戸東京博物館学芸課展示営業係.平成16年改訂 1000円

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コメント

東京にいらっしゃってたんですね。一声かけてくださればよいものを。水臭いなぁ(と言ってみる)。お楽しみになれたようで幸い。

投稿: morio | 2007年7月 9日 (月) 15時44分

 もりおさんや、君とは都であえるじゃないか。わざわざお江戸で、マック話やミニクーパー話をするまでもない。
 こんど行くときは、ご予定をうかがいます(帰阪してたりしてね)。
再見

投稿: Mu→Morio | 2007年7月 9日 (月) 17時05分

Nice site!

投稿: Irene | 2007年7月14日 (土) 23時28分

Great work!

投稿: Christine | 2007年7月21日 (土) 07時41分

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