NHK風林火山(29)武田晴信の「人は城」
承前:NHK風林火山(28)甘利の最期、板垣の最期
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(あだ)は敵なり」
この言葉は、諏訪法性という言葉とともに、以前から耳に残っている。私は少年期に毎年2ヶ月ばかり、山梨県に住んでいた両親のもとへ行っていたので、山梨、甲府、武田信玄とはなじみがある。
大井夫人が晴信を諫めて「領民は、そなたの信じるものを信じたいのだ」という意味の言葉があった。
お屋形さまと部下・領民が一体になって理想をともにしたならば、そういう集団、軍団、国の力は計り知れないものになるだろう。
実際の晴信治世は未知だが、一般論としてこういう言葉が残っているのは恐怖政治よりも、仁治世界を想像する。諏訪神号旗を掲げたのも、諏訪領民の信じる神を奉じて戦ったという点で、領民の信じるところと晴信の信じるところが合致したことになる。
今期、毎週つぎつぎとドラマの流れに引きずられ、じっくり考えることもできないが、どうも武田信玄というひとは、上杉謙信と同じく宗教色の濃い古典的人物のように思えてきた。諏訪の領民にとって諏訪の神がどれほどの影響を持っていたのかを、知りたくなった。そのことによって、信玄が由布姫(つまり、ある意味で諏訪明神のヨリシロ、巫女であり、神官である大祝(おおはふり)とは異なる)に傾斜し、将来その息子勝頼に実質的家督を譲った事の意味も明らかになるかもしれないと思い、実に興味深い。
晴信は負け戦の自信喪失と、両雄を同時に失ったことの意味、その天啓を肌で味わったのだろうか。
古来、特に民族間の戦争とは、互いに神かけて戦ったわけだから、勘助の機略で諏訪法性(すわほっしょう)の「印」を打ち立てた晴信は、いわば諏訪のご神体を掲げて戦ったのと同じであろう。法性とは仏教語だから真意は測りがたいが、「根源の現れたもの」と解釈しておくと、諏訪明神そのものと考えてよい。宗教戦争のおもむきをみせてきた。そういえば、家康は欣求浄土(ごんぐじょうど)厭離穢土(おんりえど)だったから、これも神仏加護である。多分、……、信長以外はみんな本気だったのだろう、神性佛性を信じることに。
今夜は晴信の懺悔に終始した。
戦いの機略よりも、晴信の板垣、大井夫人の甘利への追悼番組でもあった。
ただ、気がかりなのは小山田の美瑠(みる)姫への不思議な感覚だった。彼は必ず勘助に、由布姫の息災を尋ね、美瑠を思い出す。小山田の目には美瑠と由布とは、重なって見えるのだろうか。ともに美しい女性で、ともに略奪された運命下にあるが、ただ由布には「神性」が常につきまとう。女であって女でない属性がいつも声調や目で表現される。美瑠は女らしい女にみえるのだが、~。この謎は、伏線となって、やがて解かれるのだろう。
さて来週は、あはは、ガクト。もう降板したのかと思っていたが、とうとう出てくる。それに今川義元(今川焼きと関係あるのかな)とか、緒方拳(ガクトの軍師)とか、また多士済々。楽しみ。
追伸
ここずっと、耳を離れない音楽がある。風林火山紀行で背景に流れる、津軽三味線だ。なんとなく現代風にアレンジしたところを、三味の音が肺腑を突くように語りかけてくるのがたまらない。だれかれとなくiPodのイヤホンをぶらさげて、多くの人が音楽に耽溺している現代だが、Muもこういう三味線を聞いていると一日中、その中にひたりたくなる。
大昔、交響曲をレコードで聞くことに凝ったことがあった。高校生、受験期だったか。半睡しながらベートベンやモーツアルトに溶け込んでいた。しかし、それを否定した。厖大な時間が音楽の中に吸い込まれていくことに気付いたからだ。しかし、もはや受験も、お勉強もない(笑)。終日楽の音に身を添わせてみたくなった。
一時期、押井監督「イノセンス」で、川井憲次さんの、傀儡謡・怨恨みて散る、傀儡謡・新世に神集ひて、傀儡謡・陽炎は黄泉に待たむと、そんな音楽に深く静かに沈没していた。~。また、なにか出そうなので楽しみ。「スカイクロラ」はどんな音楽になるのだろう。
と、津軽三味線は、琴線にふれるどころか、かき鳴らす、気持ちよく。
| 固定リンク
「NHK風林火山」カテゴリの記事
- NHK風林火山:後日談→勘助、由布姫、ガクト(2007.12.28)
- NHK風林火山(50)川中島・山本勘助の最期(3):放映直後(2007.12.16)
- NHK風林火山(50)川中島・山本勘助の最期(3):最終回の放映前(2007.12.16)
- NHK風林火山(49)川中島・山本勘助の最期(2)(2007.12.09)
- NHK風林火山(48)川中島・山本勘助の最期(1)(2007.12.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
おはようございます。
前回の諏訪大明神の神号がこういう形で生かされてくるとは思いませんでした。
よく、大河は現代の社会問題をどこかでテーマにしている、ということが言われますが、この時代の「国」というのが今の国家と完全に違うということが、今回分かったような気がします。
由布姫と美瑠姫は、勘助にとってはどちらも思い入れのある人物なんですよね。
勘助の慕う女性は「手の届かない存在」のような気がします。
投稿: なったん3211 | 2007年7月23日 (月) 10時16分
なったん3211さん
遅くなりました。
いつも本当にありがとう。日頃は寒いMuBlogも、日曜月曜になると多少温暖化の様子です。
国や女性について、日頃は一家言Muなのですが、どうにも頭がぼんやり、ときどき疼くので、はかばかしくないです。
トチ狂った文章になりますが、男も女もコピーが沢山いれば、憎しみと、血で血を洗う戦も、すこし軽減されたかもしれません。
図書とかパソコン部品は、あるていど数がありますから、取り合いにはなりにくいです。しかし、由布姫や美瑠姫は、各一体限りですから、なにかと男達の目を血走らせるようですね(笑)
ちょっと、知らないのですが、最近、小山田と美瑠姫と、そして勘助。さらにぼんやりと晴信さん。この四者でなにか曰く因縁というか、事がおこりそうな予感がします。どうなんだろう。
ではまた来週。
来週ころには少しは頭も冴えてくることでしょう。今夜なんかのMu脳は無ですね。
投稿: Mu | 2007年7月23日 (月) 21時51分