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2007年7月27日 (金)

小説木幡記:2007/07/27(金)12時間勤務の実態

 昨日あたりで、会議や授業が終了し、しばらく肌身(顔だ)をさらす公的勤務は終わる。ほっと一息ついたところだ。これで心身絶好調なら、遠出するか、焼肉&ビールでも飲みに行くところだが、そんなわけにはまいらぬ。
 八月上旬には土日を終日オープンキャンパスに費やす。
 そして、その直前には好例の倶楽部納涼会に参加する。今年は、先週に新人が3名も来てくれて、心強い。

 ところで。
 モノは考えようで、夏期以前に心身絶不調、猛烈な会議攻勢、苛烈極まる諸案件が発生したので、逆に夏期はそれらが沈静化すると希望的観測にしたがい、心は軽い。
 軽い中で、全期間・夏期論文!

1.夏期論文
 わずかに原稿で80枚程度の論文を書くのに、字句の通り「フルタイム」で2ヶ月を使うのは、これが遅いのか速いのか、人と比べたことはないのでよく分からない。ともかく葛野にきてから15年間そうしている。成否というよりも、そうしていることで精神の安定を得てきた。
 今年は保田與重郎先生の戦後初の長編評論『現代畸人傳』をテキストにする。準備は春頃からぽつぽつ初めてきた。方法論も変えない。

 この図書は十代末から二十代にかけて都合十数回読み直している。大体、多数の図書を読むタイプではなく、少数作品を舐めるようにして熟読再読するので、余にとっては異例ではない。がしかし、やはり突出した読書回数となる。
 それだけ読んで何か理解が深まったかというと、断定はできない。申せることは、保田先生の他の著作にくらべて、読みやすいとは言える。対象となった畸人とおぼしき人達が、鮮明に浮かんでくる。だから、小説を読むようにして読んできた、というのがあたっている。

 何度も読み返すのは、当時保田先生の置かれた立場の理不尽さに腹を立てていたふしもある。どう考えても、保田先生の書かれている内容は上質、そして光あふれるものだった。それが、当時はまともに論じられることも少なく、ただ「過去の人」扱いされることが多かった。
 その著作を一通り読めば、多くの秀才・文化人の書くことが、どれほど浅薄なものであるか一目で分かる。それが二十代の余の感慨だった。そして、今も毎年あれこれと読んでいるが、いずれも血肉となる内容である。

 知識ではない。
 ものの見方、さらに感じ方まで味わってきた。
 何故か。

 その何故かを知りたいから、保田先生のとった方法論や思考方とは対極の立場に立って、分析してきた。未だに答は出ない。出ないが、おぼろげな輪郭は分かってきた。

 三島由紀夫さんの『豊饒の海』全四巻を数年前に四年間かけて分析したときは、「分かった」と思えた。これは、三島由紀夫という人の思想性が分かったというのではない。その小説構造が見えたということである。余は日曜作家も兼業しているので、「小説」の方が理解しやすいのだろう。分析しているあいだ、往時の三島さんが笑いながら、皮肉を込めながら、意地悪く、優しく作品をせっせと書いておられた姿が、目に浮かんだ。それが、継承と断絶を含んだ全四巻の作品として、文学世界に残った。

 保田先生のことは。
 昨年、『萬葉集の精神』では苦労した。三十代の鬼才と憤怒と、そして感性と歴史観に圧倒された。
 今夏は、そういう意味での苦しみはないだろう。
 余も肩の力がぬけるかもしれない。ただし、二ヶ月フルタイム使えれば。

2.葛野図書倶楽部2001の新入隊員
 組織構成に従って、本日配属を決めた。

 一人を書記局補佐(隊内記録管理)とした。三年生日本文学。秋田県出身。
    一昨年の幹部に雰囲気が似ている。勾玉を畑でひろった~とか!
 一人を一番隊員(システム管理)とした。二年生心理学系。岡山県出身。
    現職幹部に雰囲気が似ている。ものすご元気そう、破竹!
 一人を二番隊員(蔵書管理)とした。二年生心理学系。鳥取県出身。
    無類の読書好き。なのに小野不由美を読んでいない!

 各員、自らの志をあたため発揚することを願うなり。卒業年次「新誠会」まで道は遠い。

3.MacとLinuxとWindowsXP

*FAT32の制限
 というわけで、本日も終日マシンを移動したり、ソフトをインストールしたり、ついでにネットで探したり、結局中身はなくて、外枠をただすのに終始した。午前6:45~午後7:00。かがみこむたびに一方は膝、一方は足首に激痛が走り悲鳴とため息をもらした一日だった。
 最終の夕方六時ころから始めた作業が成功したので、結局にんまりわらって葛野を出た。

 こういうことだ。
 以前から、PowerMacG5は動画専用マシンにしてきた。それを、涼夏2007PCと分担することに決めた。涼夏にはたとえ中級品でも圧倒的な力をもつGeForce8600GTがある。ここ数日、そのグラフィック描画力はさすがと思った。

 それで、二台は近くにあるので、右手でマック、左手で涼夏を操って気分良くしていたが、ファイル総量制限を思い出した。要するに、windowsのNTFS様式ハードディスクでは、総量分のファイル長が可能だが、MACはそれを読めても書き直せない。逆にWindowsはMACのファイルなんて受け付けもしない(読めない)。NTFSは業界では特殊なフォーマットなのだろう。Win世界の最近バージョンでしか通用しない。
 ただ、MacもWinもあつかえるFAT32(windowsの旧来ファイル)様式は、総量はテラバイトまでいけるが、ファイル容量は4GBが限界なのだ。DVD映画が4.7GB程度あるから、それに満たない。

 つまり、12GBのファイルは、お得意の外付け裸ハードディスクでは移せない。
 今更ながら、二台を制限突破させるには通信しかない。

 二台をLAN経由で結び、Macから涼夏の共用フォルダに転送したら、これが成功した。12GBの動画だから、これが成功したときの夕方の喜びはひとしおだった。
 なぜいままでそうしなかったのか。
 涼夏の先代頃はイーサネットのハブが100mbpsで、はじめから時間を想像して諦めていたにすぎない。この春、ハブを1000mbpsにした。今度の涼夏は当然同じ規格だし、Macにいたっては購入当初から1000mbps通信転送が当たり前だった。

*高速LAN
 1000mbps(1ギガ・ビット/秒)というと、8で割って、128MB(メガバイト)、つまり先代マシン(Grenn)のハードディク転送速度と同じになる。速い。以前と今では十倍の速度差だ。だから、実験してみた。それでも、実効速度は他の要因で大きく下がるから、20分弱かかった。にしても、12GBの動画をこれまでのマシン間で操作すると、気が遠くなる世界である。

*MacのX11
 さて、うまくいったようないかないような、Linux問題。
 これは、今日はMacに終始したので、Macが最初から持っているX11ウィンドウシステムをちょこちょこと、小一時間触っていた。これで、UNIXやLinux世界が持つ厖大な資産を借りてきて、再コンパイルして微調整すれば、すばらしい世界ができるだろうが~。月一プログラマーにはそれは無理のようだ。
 うむと考え込んだ。
 それが自由にできれば、Macほどお徳用なマシンはない。

 また、書店で、「猿でもわかるMacのX11早わかり」というような雰囲気の図書を見付けて数度読んで試せば、できるだろうが。来年だね。

*JudeのUML
 そうそう、Jude(昔、竹という名称だったような)のUMLをダウンロードした。これはすごい、分かりやすい。やはり、国産品は使いやすそうだ。すごいすごい。

4.明日は日曜作家か
 疲れが少しずつとれてきた。
 日曜作家に入る前に、新書を一冊よんでおきたい。歴史学者(多分、日本中世か)の書いた近江の世界だ。ものすごく楽しみにしている。書くよりも、読む方が楽しいのは、日曜作家の限界なのだろう。
 ああ。
 二十世紀少年が、いつのまにやら、二十一世紀少年(上)になっていた。そうか、時代が変わったンだぁ!
 今夜は遅い。日曜にでも読んで、早く返さなくては。葛野のマンガ友達は、新旧・たくさん持っているので、ありがたい。

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