小説木幡記:2007/07/21(土)夢は枯野をかけめぐる
やっと痛みが和らいだので眠ろうとしたのだが。
と、冒頭に記すと途端に闘病記になってしまうので、迷う。
まことに、昔、時枝博士が申されたように、文章とは冒頭によってほぼ決定されることよ。
丁度三時間前に、腹を立てていた。痛みがますますつのるからだ。本来なら、すでに一週間経過しているのだから、緩解し、まして昨日金曜は木幡静養だったのだから、今日、極早朝から夕方まで葛野で成績管理(笑)なんて、軽い仕事をしたくらいで、ぶり返すはずはなかったのだが。木幡に帰還したとたん、玄関から奥まで膝行ってしまった。緊張が解けると、そうなるようだ。
うっすらと涙ぐみ、ついでに、向かっ腹を立てていた。
夢は枯野をかけめぐる。
痛みの中に、半生が走馬燈になって走っていった。
とはいうものの、現代若者などで走馬燈をみたり触ったりした人は、いるのだろうか?
Muは幼少期、見た。作ったような(疑似?)記憶さえある。
数週間、かつかつ葛野仕事をさばいてきた。明後日の月曜は午前一杯かけて成績以外の教務関係を仕上がる予定。
しかしその他は全く手に付かなくなった。
人間は生物なんだ。
痛みひとつで、余力が無くなってしまう。他愛ないものだ。
この間、脳はアイドリングに似て、稼働を停止寸前にまで持って行っている。稼働停止寸前で葛野仕事をするのだから、年季とは重宝なものだ。手が動く、プリンターが動く、チェックする、OK。
Muはやはり、仕事をしにこの世にうまれてきたのか。と、今日は終日思っていた。ジュース飲んで、珈琲二杯のんで、茶は数杯のんで、おかきをたべて、チョコを数粒。肝心のお昼は、半分のこした。マズイと言うより、食べるのがじゃまくさかった。丁度、いつもの12時間勤務。なにかしら、過ぎた。
Linuxの雑誌を一冊持ち帰り、さっき30分ほど読んだが、頭にはいらなかた。なんで涼夏2007PCはXPでがんがん走るのに、マルチブートでLinux動かす必要があるのじゃぁ! と、腹立たしくなった。自分の計画に悪態をつくのだから、精神的にも病んでおるのじゃろう(爆)。
膝行って居間にいってお茶をいれてもらって、飲んだら美味しかった。
そして部屋にもどって横臥したら、夢が枯野を駆けめぐった。
随分長く生きたものだ。
そして、だんだん少年期に先祖返りしていくような夢をみてしまった。
覚醒とまどろみが数分単位で入れ替わる、奇妙な状態だった。よほど、鎮痛剤が身体に合っておるのだろう。
で、起きだしてMuBlogをこうして書き出すと、夢がさり、いつものクリアな脳がぽわんと浮かんできた。
さて、読書して寝ましょう。邪馬台国はどこじゃ!
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