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2007年7月28日 (土)

卑弥呼の墓(001) 『邪馬台国への旅』

邪馬台国への旅/邪馬台国探検隊 編

邪馬台国への旅/邪馬台国探検隊 編
 いつだったか春先か、京都駅八条口南の書店で「日本全国・比定地トラベルガイド50」という案内に引きずられて買った図書だ。以前から、邪馬台国(ヤマト)とか卑弥呼(日巫女)に興味があって、それとなく読んでいた。遡れば二十代ころから始まった、いわゆる年一邪馬台国ファンである。
 邪馬台国とか卑弥呼という字面を見ていると、そのあくどいばかりの侮蔑文字に食傷して、感性の上で腹立たしいのだが、一応自説をきっちり立論できるまでは、この通りにしておく。

 さて。
 おもしろい本だ。目次を掲げると、作った人達「邪馬台国探検隊」になんとなく申し訳ない(ネタバレ)ので、気になったところだけ抄出し、話をまとめておく。なお、各比定地にはおすすめ度を五つ星であらわしてあった。

1.邪馬台国千葉説
 これが。実はMuBlog異変で、この言葉でしきりにアクセスがある。
 こういう説を掲載したわけではないのだが、NHKのTV番組「邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択」解説記事で、たった一文字「千葉説」と記しただけなのに、である。

もちろん番組では、沖縄説、四国説も紹介され、各地説も図上に出た。出雲、長野、なんと房総の千葉説まで含まれていた。

 逆にその反応に、Mu自身が感動して(笑)しきりに探してみたのだが、情報が古くて確固としたデータを見付けられなかった。
 で、この図書ではどうなのか。
 目次の分類では、「第3部 その他の地方」に入っていたので、邪馬台国論争の主流には位置しないようだ(笑)。と、笑ったがこれからは自戒しよう。邪馬台国論争に命をかけている人も多数いるのだから、笑い事ではすまされない。
 整理番号49「上総(かずさ)・安房(あわ)」と、もうひとつは50番の「下総・我孫子」だった。そして比定地本命度は、二つとも☆ひとつなので、探検隊はそれほど信じていないようだ。

 整理番号49「上総・安房」については、Muも地図を見ているとなんとなく☆が増えそうになってきた。結論を言うと、紀州と房総とが地形の上では似ているからだ。和歌山は神武さんが上陸したところだから、縁がありそうだ。(こういう論法を使う呆れたMu先生) そこから黒潮で往来があったかもしれないと想像して、ネットでみると、やはりそうだった。
 「黒潮交流(和歌山と千葉)事業について」つまり、我田引水だが、九州と和歌山と千葉は、つながっていたのかも知れない。

 さて、図書から引用しておく。

「二階堂学園顧問の鈴木正和(すずきまさかず)は、一九八一年に刊行した「邪馬台国に謎はない」(新人物往来社)で、安房=邪馬台国説を主張している。」と、あった。

 いつか読んでみたい。

 そうそう、肝心の卑弥呼の墓については、記述がなかった。記事量は2頁分しかないので、仕方ないか。

2.邪馬台国奈良県説
 さすがに。該当ページに「マキムクでほぼ決まりか!?」とあり、 なかなか優れた記事だのう。頁総数で、近辺の鍵・唐古まで含めて12頁を殆どカラーでさいていた。
 整理番号31「奈良盆地」の本命度は、☆☆☆☆☆、となっていた。五つ星はこの図書では、あと一つ九州にあるだけだから、如何に奈良県三輪山あたりを強くおしているかが分かる。九州説のどこが五つ星かは、ないしょにしておきます。著作者達にもうしわけないから(笑)。

 さて、卑弥呼の墓は以下の引用に記録しておく。

「戦前の笠井新也以来、その立地、築造年代、規模などから見て卑弥呼の墓ではないかと考える研究者は多いが、依然として真相は古墳の中に眠ったままだ。」と、いうことらしい。

 ともかく、卑弥呼・箸墓説の出発点は、このあたりにあるようだ。Muの長い旅がはじまりそうだな。

3.番外編 ジャワ・スマトラ、エジプト
 近所の滋賀県の三上山も邪馬台国比定地になっていた。☆☆だから、千葉県説よりも有力とみなされているようだな(爆)。
 しかし、それに驚いていては話が矮小化する。邪馬台国が海外にあったとは、以前から耳にしていたが、この図書ではジャワやエジプト説を「番外編」としてきっちりまとめてあった。良書じゃのう。

*.まとめ・結論
 全国を50カ所も調査して、発案図書や論文を記し、簡単な学説史もある。さらに写真・地図も多く、なかなか分かりやすい図書だった。関西からみて一番遠いところが、千葉県・上総・安房説と新潟県・栃尾説だから、妥当なところかもしれないが、以前記した『邪馬台国はどこですか』からみると、どうなんだろうな、という感も少しのこったが、これでよいのでしょう。

 卑弥呼の墓→奈良県桜井市「箸墓」
 その理由 →明確な論説はなかった。

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コメント

 Muの旦那 おはようさん

 実は私も最近、昔NHKから出版された”女王 卑弥呼の都するところ”という本を寝るときに読んでました。(笑)

 房総半島の歴史を昔、真面目に調べたことがあるのですが、忘れてしまいました。少なくとも阿波の海人族が大和王権の手先として房総半島に拠点を築き、埼玉あたりにいたケヌ族と対峙したようですね。

 そこで、鹿島神宮が重要になります。早い時点で是非鹿島神宮を訪問したいと考えています。

大和王権は関東の支配の為に伊勢神宮を築き、尾張の水軍を使い関東を開拓しようとした、その原動力は阿波の水軍であり、熊野の水軍ではなかったでしょうかね。

 

 

投稿: jo | 2007年7月28日 (土) 10時17分

Joさん、こんにちは

 阿波と書くと、阿波踊りの阿波にみえるけど、Joさんは、安房をさしているのでしょうね。南総里見八犬伝の世界ですよね?

 さて、話は変わって、倭建命も、相模あたりから房総に船で行かれたわけですね。朝廷の先兵だったんでしょうか。
 房総は、いろいろ見ていると、極楽みたいな所のようです。東京の人たちが大挙して千葉県南部に住まいを移していると、NHKで言うてました。
 暖かい太平洋ですからね。嘘か真か、東京で死にかけの人が、何人も転地療法効果で丈夫になったようです。

 まるで、常夏のヤマタイコクになってきました。
 では、続きは後日に。今度は、古代史学者の説をひろって記事にします。

投稿: Mu→Jo | 2007年7月28日 (土) 13時33分

阿波忌部氏の房総半島移住

 安房の名前の由来は、阿波忌部氏の古代における房総半島上陸と関係が深いそうですよ。昔、中臣氏と鹿島神宮の関係を調べる過程ででてきました。

 忌部氏も祭祀を司る氏族ですし、大いに興味ある伝承でした。

投稿: jo | 2007年7月28日 (土) 18時59分

JOさん

 浅学をさらしてしまった。
 そういうことだったのですか。
 そういえば、中臣鎌足が幼少期、安房から上京してきたイメージをTVで見ました。その中臣氏と、件の忌部氏は仲がわるくなりましたね。

 うむ。
 遠い世界の房総半島、なにやらすべてが霞んで見えます。
 

投稿: Mu→Jo | 2007年7月28日 (土) 20時20分

メモ
 今夜突然ひらめいた。
 「卑弥呼はキリストだった!」
 総ての謎は岩手県で解き明かされる。

 ~
 と、こういうテーマはどうなんだろう。
 既出かな。
 新説なら、楽しみが増える。

投稿: Mu | 2007年7月28日 (土) 21時32分

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箸墓古墳の被葬者  産経新聞「大和時空散歩 14(2007/05/09)」  和田萃(わだあつむ)は、日本書紀・崇神天皇の箇所でヤマト・トトビ・モモソヒメノミコトの墓と記された「箸墓」の実際の被葬者を推定している。モモソヒメではないらしい。   1.和田萃の考え  和田は、モモソヒメでもなく、また邪馬台国女王卑弥呼の墓でもないと続ける。結論は、卑弥呼の若い親族女性トヨと推定する。その根拠は、箸墓周... [続きを読む]

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