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2007年6月 1日 (金)

前巷説百物語/京極夏彦 <御行師・又市の誕生秘話>

承前:邪魅の雫(じゃみのしずく)/京極夏彦

前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり)

前巷説百物語/京極夏彦 (カバー写真)
 巷説百物語シリーズはとても好ましい。いわゆる京極堂シリーズよりも、私は好みのようだ。京極堂が嫌いなわけじゃなくて、気持がはればれするのが、巷説シリーズだということだ。
 どうであれ、目にしたことのない読者には、こういう私の感想は「よまよいごと」「空気がつかめない」だろう。それもよし。小説の中の世界だもの。

 この図書の前に読んだのが『後巷説百物語(のちのこうせつひゃくものがたり)』で、明治十年ごろの世界だった。これは、読後、胸が締め付けられた。その前に、『巷説百物語』『続巷説百物語』の物語世界が確固としてあり、その後日談だったことにもよる。
 今回の『前巷説百物語』は、そのまた遠い発端篇となろうか。

 発端は、「又市」という若者だった。大阪で下手をして、江戸に逃げ込んだ。「小股潜りの又市」という異名があるように、一見して小技(こわざ)を使って世間を渡り歩く稼業。この篇では、損料屋という妖しい稼業の「ゑんま屋・お甲」にひろわれて、だんだん又市の仕掛けが独自のものとなっていく。
 小股潜りというのは、口先だけで仕事や事件の難儀を解決していく、高級な詐欺師のようなものか。ただ、又市の場合は、人の難儀を解消するために口先を使う。

 他方、又市をみこんだ損料屋というのは、普段は布団や茶碗を貸し出す、レンタル屋に相当する。ただ、貸すから代金を取ると言う考えよりも、貸せば布団がすり減り、茶碗が欠ける、その「損」をまかなう「料」という考えだ。だから、人の難儀も「損」と見なして、その「損」を引き受けましょう、その代金をいただきますよ、という稼業である。仕返し屋ではない。仕返しをするのではなくて、被害を受けた者の苦渋という「損」をひきうけて、その者がすっきり得するように持っていくわけである。
 そういう「損」を引き受けて、血も見ない人死にもない、正邪を裁くでなく八方まるく収める「仕掛け」の絵図を描ける者として、又市は「ゑんま屋・お甲」に見込まれ腕を上げていく。仲間も見付け、やがて「御行師(おんぎょうし)」になる。

 巷説シリーズは、この難しい口舌と仕掛けのネタに、「妖怪変化」や「神仏」を使う。そして集団的な心理操作も行う。お札や瓦版という独特のメディアを使う。噂をまく、世間や相手をその気にさせて大仕掛けをかける、結末は妖怪変化だから誰も責任を負えない、あるいは「神仏」のなされたことだから、しかたない、恨み辛みも向ける相手がいない、となり一件落着。ただし、又市が「ゆるせねぇ」と思った相手はそれなりに悲惨なことになり、「なんとかしなくちゃ」と思った相手は、それなりに胸がすっきりする。

 そういう才能をもった若い又市が、かくして白装束に身をつつみ、鈴(れい)をならし、「御行奉為(おんぎょう・したてまつる)」と決めぜりふをはく「御行師」になる、その誕生の物語だった。

なお。
 京極堂も又市も、口舌や物の解釈によって、捻れた事件や人心を解きほぐすのは、外見からはお祓いする点で同じと言える。拝んで直す、拝み屋の姿を見せる。
 違いはある。
 京極堂は主人公関口巽の捻れた泥沼のような心理を「理」で解きほぐすことに才がある。
 この又市は、世間には「妖怪変化退治」を思わせ、それを使った仕掛けで当事者達の心を解きほぐす。
 両方おもしろく、非常に高度に造られた物語なのだが、私は前者に疲れ、後者には快感が多い。一読者の性向によって、受け取り方が異なるものだ。

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