NHK風林火山(25)自縛の掟
自縛とタイトルにしたのは、甲州法度の末尾に、もし晴信が掟を破れば自らも裁かれるとあったからなのだが。むしろ父親の信虎の生き方が、今の晴信を締め付けているという思いが深かった。領主というのは、専制と疑心暗鬼の中に生きるものだ。
晴信のこのごろのセリフ廻しは実に板に付いている。不気味である。これは信虎の再来とさえ思わせる。
今夜は、由布姫の父と、晴信の妹との間に生まれた諏訪家の嫡男寅王丸を、今川家の雪斎に預け出家させるところが最初の山だった。
雪斎は、今川義元の母・寿桂尼とともに、寅王丸を受け入れることが得策と瞬時にさとったが、義元は勘助の提案を暗い根回しとして徹底的に嫌う。
しかし、もしも武田と今川とが不仲になれば、今川は寅王丸を大将にして諏訪に攻めることができる。諏訪は嫡男になびき、武田を見限るという考えだった。
義元はそういう画策を、勘助が己の欲のためにやっている、「主君の為と偽っている」とののしる。
さて。今期風林火山の見どころは、山本勘助がいわゆる「ダーティー・ヒーロー」として描かれるところだ。ダーティの主因は、板垣も勘助を叱ったように、勘助があまりに由布姫、四郎親子に気持を注ぎすぎだからである。
勘助や由布姫の視点では、あふれるほどの愛情だが、それを客観視するなら、武田の家の秩序を破ることになる。それは武田家嫡男太郎の母親・三条夫人の立場に立てばよくわかる。
まだまだこれから時がかかるが、四郎は諏訪家を継ぎ、さらに武田家を継ぐことになる。山本勘助の力でそうなったというのが、「風林火山」の基調であるから、えげつないほどの謀略があるのだろう。
課題というのもおかしいが、そのあたりのダーティーな謀略をドラマがどのように描き、そして勘助や由布姫がどのような光で照らされるのかが、興味深いところである。
今夜の由布姫はちょっと険しい顔をしていた。物語とはいえ、諏訪に置かれたまま、めったに晴信もおとずれないのだから、これはわかる。由布姫というより、「四郎が可愛くないのか」の思いが強い。そして、勘助は今川へ行っても、宿老にあっても、三条夫人にあっても、ことごとく「醜い男」という目で見られ。
軍師勘助が諏訪に常駐するというのも、遠ざけられた結果とも言える。必然として、勘助を頼りにしているのは、由布姫だけという状況になってきた。
Muは、そんな風に言いながら、雪斎の独特の陰謀顔や、晴信のきわめつけの腹芸顔に興味津々だった。由布姫や勘助の動きは大事だが、それとは別の楽しみもある。
ああ、ガクトは予告編にしかでてこなかった。それで、よかろう。
復習日本史:甲州法度
武田信玄(晴信)の生没年は1521-1573と言われているので、享年53歳であろうか。今夜の甲州法度(甲州法度之次第)は1547年ころの制定だから、27歳ころの法治事始めとなる。実際は、広がった領国内の地侍や家臣団の秩序を守るルール作りだった。さらに百姓の年貢や逃散(逃亡)についての厳しい掟だったのだろう。
そういうルールが、自分自身や、家族にどう作用したか。そういう見どころも今後あると思った。
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コメント
信玄53歳没ですか?
陣中で死んでいなければ、日本史は変わっていたかも知れませんね。家康を打ち破り、怒涛の陣が京都に攻めていれば、歴史は変わっていたかも、と思いますね。
その後の虎王丸はどうなったんでしょうか?殺されたのでしょうかね。お墓はあるようですね。
昨夜はついに、勘助が四郎に武田家を継がせると言いましたね。これが、この大河ドラマの背骨なんでしょうかね。
投稿: jo | 2007年6月25日 (月) 09時22分
義元や諸角のセリフは、実はこのドラマをよく説明していると思うのです。彼らに語らせなければ今回は本当に難しかったというか…原作のテーマが、「謀殺した姫の子に後継ぎをさせる」軍師の話、なのですが、原作にはあまり詳しく書かれていません。ので、脚本も演出も、このテーマを説明するのに苦労しているな~という感じがします。
唯一、役者陣の演技力でドラマを救っている感じがしました。内野さんもなかなか大変ですね(笑)
投稿: なったん3211 | 2007年6月25日 (月) 11時00分
Joさん、近来になく遅いメル返、どうも。
あれこれ、これかれ、ありまして。
で、信玄。
信長を歴史の中で見てしまったから、信玄は旧世代の人と思ってきました。
鉄砲なんかへの、先回の反応も、晴信、勘助、ともに否定的でした。
となると、なぜ、甲州にあって信玄はまだ神聖視される部分があるのか。
それをドラマの中で味わいたいです。
たしかに、信長が恐れたのは、信玄と謙信でした。
ここである視点。
信玄は、諏訪御寮人の存在が大きい。
謙信は、妻帯しなかった。
信長に側室はあったのですが、目立たない。
秀吉は●狂い。
家康に側室は沢山いたが、いずれも後家さん風で、目立たない。
なんとなく、いろいろパターンを考えますなぁ。
投稿: Mu→Jo | 2007年6月25日 (月) 20時48分
なったん3211 さん、ご愛顧ありがとう御座います。
さて、内野さんの「はあ~」といいながら、軽く頭を下げるのがよいですね。
ともかく、よってたかって、皆さんは勘助に罵声を浴びせる。それに口答えは、立場上できない。だから、ただ、「はあ~」と間延びした返事をして、うつむく。
いびる方も、のれんにうでおし、カエルの面になんとやら。
この鬱積が「四郎さまを武田宗家の跡継ぎにするぞぉ」という私怨に近い妄執に走らせた雰囲気濃厚です。
とはいうものの、由布姫の息子は我が息子という疑似なのか真なのか分からない親子関係、後見人関係、複雑といえば複雑ですね。
板垣が言ったように、守り役はやがて、去らねばならない。事実、板垣はすでに晴信から去っているわけですし。そういう禁欲的な気持がないと、駄目だという摂理に近いことと、勘助の妄執とのせめぎ合いですね。
それに輪をかけて晴信の権力への妄執。
煮詰まってきております。
謙信との戦で、負けを味わわないと、すっきりしないようです。
投稿: Mu→なったん3211 | 2007年6月25日 (月) 20時57分