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2007年6月19日 (火)

小説木幡記:2007/06/19(火)オードリーとPCアクリル・ケース

息が詰まるような毎日だね
 夜になった。気持ちよく疲労が激しい。あとは風呂に入って、そのまま寝込みそうだ。
 昨夜もそうだった。夜間9:40ころにメルして、「返事がないなぁ」と思ったまま眠ったのか、早朝に携帯をみたら返事が入っていて、到着時間は送ってまなしの10:00だった。
 今日も、終日、息がつまった。
 しかたない。忙しいのだろう。

オードリーは天才だった
 午前、仕事しながらTVを聞いていた。オードリー・ヘップバーンの連載の一つだった、NHK。森英恵さんがゲストで、時々オードリーに関する逸話や、感想を話していた。
 オードリーは昨年の授業(共同演習)で、あるグループが彼女に関する厖大な情報をまとめ、優秀な作品に仕上げて、一席になった。それで記憶にあった。

 ジバンシーはオードリーについてこういった。
 「オードリーは、ジャガイモ袋をかぶっても、上品に見える女性だ」。
 「オードリーに出会って、新たなインスピレーションが生まれた」。
 こんなセリフをならべても、なかなか伝わらないので、余の理解した範囲で、オードリーについてまとめてみる。内容はNHKの話をもとにした。

 つまり、オードリーは「美の天才」だと思った。
 美しく見せるとか、装うとかの前に、オードリーは自らを、気持ちよく表現することを考え、行動し、結果として人びとを惹きつけた。

 オードリーは、それまでのハリウッド女優とは正反対の人だった。スレンダーで、ボーイッシュだった。グラマラスな正当派女優の視点からみると落第生だった。スレンダーとはやせっぽち、電信柱であり、ボーイッシュとは断髪女、おとこおんなと、言い換えることもできる。胸がちいさい、腰に丸みがない。それまでの女性美意識からみると、落ち込んでもおかしくない女優だった。

 たしかに顔立ちは今見ても美しい。しかし、古典的な日本女性の美からみると、やはり変なところもある。
 オードリーは、どうしたのか、どうだったのか。
 真っ黒の、運動着のようなシャツとパンツだった。そこに香りがあった、美が生まれた。
 真っ黒のパンツに、シルクのブラウス。当時の米国の色彩からはかけ離れていた。それはヨーロッパの光と影の世界だった。
 ジバンシーは、オードリーのために直線を選んだ。頭から袋をかぶるような、丸みのないドレスも作った。女性の曲線を排除したファッションだった。オードリーは直線の体型だった、だからそれを強調した。

 当時のハリウッド女優は、顔が勝負だから、サングラスも小さなものを好んだ。
 オードリーは顔が隠れるようなでっかいサングラスを選んだ。それに合わせて、でっかい帽子を好んだ。このことで、小さな顔が余計に魅力あふれる「小さな顔」として、個性となった。

 要するに。オードリーは世間に合わせたわけでもない、世間に反発したわけでもない。自分自身をよく知り、知った上でファッションも、行動も起こした。

 やはり、オードリーは「美」ということに関する、一人の天才だった。と、今朝のNHK番組を聞いていて、思った。
 だから、逆のことも言える。
 大柄な女性はそれを生かすファッションやメークを創り出せばよい。やせっぽちはそれなりに。和風は和風なりに。そう考えると、似合わない茶髪や、全員一色一辺倒のファッションやメークは、悲しい。

 そして、男達、余も。
 佐々木蔵之介(真田幸隆)や、内野聖陽(勘助)、千葉真一(板垣)だけが男じゃない(爆笑)。
 世間に合わせなくてもよい。世間に叛旗をふらなくてもよい。
 ちょっと、自分を見つめて、自分に一番似合った生き方を、選ぶ季節になってきた。
 余は、工夫して、木幡爺らしく、自分を見つめ直そう、ぞ。
 そこで、年一PC。

PCアクリル・ケースに忘我
 早朝から、午後まで、頭がパンクしそうになって、ついに三時すぎ、「ああ、やめた、やめた」と、精神的ちゃぶ台反し状況にはまった。
 すべてなげすて、ついに、手を付けた。年一PC。(年に一台しかPCの自作をしないから、年一PC)
 パーツはほとんどすべて月曜にそろっていた。
 
 おもむろに、白手袋をはめ、アクリルケースのネジを数十本外し、左右アクリル板を別置きした。
 ファンを合計3機、ハードディスクを合計3台。そして450Wの電源装填。DVDドライブ。
 今日はここまでだった。

 何を申したいか。
 ああ、余の本然の一つが、現代PCの自作だと思ったのだ。透明きわまりないケースの中に整然とならぶハードディスク3連装。3機のファンを、吸気、排気を考えながらセットする醍醐味。
 やがて、その一々がMuBlogを飾るであろう。
 つまり。
 世にようなきものとおもいなしたとき、パーツを選び、手技で丁寧にセットしていく。そこに命がこもる。
 慎重を要する。アクリルはひび割れる。しかしネジ留めを怠ると振動が発生し、接触が悪化し、正常さを失う。この手加減。
 ここにしか、余の個性はなさそうだ。
 自明。これしかない。

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コメント

 京都地下鉄烏丸線の広告で、某人材派遣会社と大丸のキャラクターとして、オードリー・ヘップバーンは今でもよく見かけるのです。古くなっていないですよね。日本人好みの顔なのかもしれません。

 カトリーヌ・ドヌーブの若い頃を見ても「古いなー」と思うのですが、オードリーはやはりファッション性が高かったのだと思います。

 完全な造形美よりは、何がしかの「人間的個性」を感じさせる「美」に人は引かれるということが、日本の歴代のスターたちを見ているとよく分かります。

 それに比べると、韓国のアイドルや女優は日本よりはやや画一的といえるかもしれません。みなさん背も高くて、非の打ち所のない美形だったりするのですが。むしろ演技力の高い女優が評価されているようです。


投稿: なったん3211 | 2007年6月23日 (土) 22時20分

なったん3211さん

 韓流は根強いファンが多いですから、物言いが難しいです(笑)。
 Muはチャングムにでていた多くの男優、女優が気に入りました。チャングムのオジサンのカンドック? でしたか。ものすご個性がつよくて、たじたじでした。
 チャングムも、ハンサングンも、憎々しいチェサングンも、クミョンも、皇后も、……。みんな、美形そろいだけど、強烈なところがあって、おもしろかったです。

 書きながら笑えてきました。韓流というよりも、実は、Muはチャングムのファンだったようです。

さて、オードリー。
 正確に記録すると、オードリーその人を知っているわけじゃなくて、情報記録集をこの一月に見て感心したのと、そして記事当日のNHKの放送構成が上手だったんでしょうね。

 つまり、オードリーは弱点を良く知った上で、その弱点を忌避したり、否定したりしたのではなくて、大事にした、と。そういうオードリー評価に感心したという話なのです。

 弱点をカバーするとか隠すこととも、異なりますね。弱点を逆手にとって生き抜いた、というところでしょうか。

投稿: Mu→なったん3211 | 2007年6月23日 (土) 22時46分

あー、チャングムのファンだったのですね!実は私も大ファンで、KBSのファンサイトの住人をしていたこともあったのです。
いま、「ホジュン」という、チャングムの前に作られた朝鮮の名医のドラマをDVDで見始めていて、サイトに記事まで載せたりしています。最初ちょっとかったるいですけど、徐々に楽しくなってきてます。「チャングム」と結構キャラも重なっているんですよ。

投稿: なったん3211 | 2007年6月25日 (月) 21時40分

追記。
その理屈でいくと由布姫も…ですね(笑)。
彼女の天然の「眉毛」。お嬢さんだなーって思います。私など中学生頃から、際の辺りがもう描かないとない状態でして、結局、自分の魅力など中坊には分からないものなんです…(涙)。オードリーは容姿もセンスも、やっぱり天才なのです。
韓流スターの「整形」については…それを扱った映画がいくつか出ているくらいで、これ以上いうと怖いのでやめますが、ようするに、「そうしなくても十分きれいなのに」と言いたい訳です。
ご存じないでしょうが、オ・ジョンへの一重まぶた。大変可愛いです。

投稿: なったん3211 | 2007年6月25日 (月) 23時38分

なったん3211
 まず驚きは、こういう数日前の古い記事によくぞ関心を持たれることですね。毎日が流れるように過ぎていくので昨日の記事も朧なんです。

 次に、ファンサイトの住人とか、韓流どっぷりとか、想像を絶する御生活なんですね。一体、生活軍資金はどこから飛んでくるので御座いましょう(爆笑)

 で、眉ぞりですか。
 昔のヤクザシリーズ映画(たしか、仁義なき戦い)で、ある俳優が1作目で好演し、死んだ。残念と思っていたら、数作後に今度は別の役柄で出ていた。その違いは、あはっは、眉をそっているだけなんですよ。後者は悪役でしたな。
 男性の眉ぞりは、ものすご悪役相になりますが、逆に女性の眉ぞりは、えもいえぬ雰囲気ですなぁ~。

 おあとがよろしいようで。

追伸
 昔、韓国映画、パンソリもので、風の丘を越えて、でしょうか。ヒロインが一重まぶただったのが、ものすごく印象深いものでした。切れ長・目の一重まぶたは、これまたえもいえぬものがあります。
 ちっこい面積の顔に、目鼻口耳眉があるだけで、その配置で千変万化する「人間」というものが、不思議です。

投稿: Mu→なったん3211 | 2007年6月26日 (火) 00時05分

なんかこのテーマに異常に執着してしまっていますね、私(笑)訪れたときに一番自分に「近い」記事を読んでいるからこうなるのです。
「風の丘を越えて」の主人公が、ご指摘の通りオ・ジョンへです。
私は、もっぱら休日にDVDでドラマや映画を見ているので、普段はちゃんと仕事してますよ(笑)ちょっと空いた時間を使うのがコツです…ネット上だとどうしても極端な人物像になるのかもしれませんが、ブログ上の私は「虚構」の人物です。なので、ご想像はご自由に。眉のない大河&韓流オタクで35歳で…もう想像を絶すると思います(爆)実際にお会いしたら楽しいでしょうね。

投稿: なったん3211 | 2007年6月26日 (火) 18時32分

なったん3211さん
 ふむふむ。
 このMuBlogの想定対象は第1にMuです。次にオジキ達。次になったん3211さんより半回り上の層。そして30代前後の卒業生(女性)、そして最後に20代前後の学生(女性)。
 数の上では学生関連が多いはずですが、最近は多分、まったく不特定、性別年齢未詳の人が多くなりました。
 来客者の殆どはNHKさんの番組感想文に集中しています。
 で、結論。
 わざわざ小説木幡記に通われて、「一番自分に「近い」記事」と、コメントを頂き、絶句。

 現今、ただいま2007/06/27ころは「涼夏2007PC」という、読者数超限定の記事に夢かうつつの状態です。

 しかし、なんですなぁ~「眉のない大河&韓流オタク」だなんて、心に深い恐怖と感動を味わいます。

追伸
 <オ・ジョンへ>、そういう名前の女優だったのですか。あれ以来、パンソリは心の故郷になりました。チャングムのテーマ曲もパンソリをアレンジしたものと知ったとき、あの番組に惹かれた遠因が解明されたのです。

投稿: Mu→なったん3211 | 2007年6月27日 (水) 01時45分

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