小説木幡記:2007/06/15(金)なんとなく
さっき抹茶ヨーグルトを作って食べながら、「ヨーグルトっていうのは、腹の足しになるのじゃろうか」という深い疑問に遭遇してしまった。
新聞を見たら今日は雨のち曇だが、木幡の空は爽やかに晴れていた。
「卑弥呼の墓」論争をまとめようとおもっていたが、なかなか一号記事を書けない。もっと気楽に構えよう。そしたら、最低でも50号記事までは書けそうだ。ついでに、墓と邪馬台国首都との関係も。たのしそう。
そういえば近くの山科(昔はこのあたりまで、宇治と呼んだらしいが)の西山とかいうところで、坂上田村麻呂さんの墓が確定された、という記事。平城京が十条まであったという、記事。昨年は、継体天皇の今城塚古墳がどうした、という記事。日本史(古代史より)の門脇禎二先生が亡くなられたという記事。古代関係で、余の気持を騒がすことが一杯あったというのに、一つもMuBlogに記録していない。なんとなく、肩に力が入ってしまう気になって、書く前から「疲労困憊」を想像してしまうようだ。
そういえば、年一自作PC記事が進展しない。実はパーツの殆どを通販でぽつぽつ申し込んでおいた。来週あたりから、ぽつぽつと波状的に、葛野に到着するだろう。全体構想がまるっきり新規新品なので、余も一度でパーツを選定出来なかった。
選定に一番悩んだのは、マザーボードだった。結局Gigabyte社のものにした。RAIDを主眼にえらんだが。京都の店頭にはなさそうだったので通販にした。メモリーはDDR3はやめて、DDR2に留め置いた。それで中庸、よいだろう。
RAIDは予定では、HDを3連装にしての、RAID5クラスでまずやってみることにした。みんな使っているRAID0は、如何に高速でも、ストライピング方式はデータ破壊時を想像すると、怖い。
傑作なのは、900円程度の、ケース前面の5インチベイにセットする4センチ2連装ファンだ。こんなちっこいファンで意味があるのかどうかはわからないが、余は5インチベイをDVDにしか使わないので、剰る。そこに、前面ファンをセットするわけだ。老いたりとはいえど、まだまだ、若輩者らには負けられない、オタク洗練度20%クラスの小技(こわざ)じゃな。
そういえば、近頃、日曜作家については全く触れていない。
それは、ようするに、止めているわけじゃなくて、文章を書くということは、時に、身命削るほどの苦痛に直面するということだ。そういう境地はまれなことなのだが、そのまれなことが、この数ヶ月続いておる。
完成は、やはり初夏になってしまう。書くのが苦痛なら、読むのも苦痛。簡単にもうすと、MS世界(これはマイクロソフト社のことじゃない:邪笑)は、しんどいことじゃ。
恒例の夏期論文勤行が終わったら、秋からは楽しい楽しい佐保シリーズに戻るぞぉ。
そういえば、今年になってから、RSのタコメータが3千回転以上まわったことがない。エンジンがなまってしまうのじゃなかろうか。高速道路でオーバードライブをカットしたら、法定速度内(微笑)で、レッドゾーンまで行けるかな。セカンダリーくらいに落とさないと無理かな。そろそろ、オイル交換しましょう。それにしても、ガソリン、現在で一リットルが140円じゃ。庶民は自動車にも乗れなくなるな。
うむ。
こうして、日々が過ぎていく。繰り返し。螺旋状に。上昇しているのか下降しているのか、それは解らない。なんとなく、螺旋状に、ちょっとずつ高さに変化があるのは解る。失意も昂揚も、停滞も、みんなあわせて余の余生也。
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コメント
(十条大路)
藤原京は十条大路まで、平安京は九条大路まで。
平城京も九条大路までと考えられていました。ところが、スーパー建設のために発掘したら、十条大路の跡が出てきました。そして、この道の南は(荒れ地)で、「町」と「荒野」の境目だったそうです。
平城京は、最初は藤原京を倣って都作りが行われたのですが、遣唐使が唐の長安城のプランを持ち帰り、計画変更がなされたのではないか、という説をTVで聞きました。
投稿: wd | 2007年6月15日 (金) 11時02分
wdさん
さすがに地元、詳しいですね。
710年平城京遷都いらいの話ですからね。
Muの持っている本は、どれも九条でおわってますね(笑)。
ただ、記事では、羅城門はやはり九条のままのような意味のことが載っておりました。
投稿: Mu→Wd | 2007年6月15日 (金) 12時16分