小説木幡記:20070602(土)休日はよいものだ
昨日は久しぶりに全力をだした。ただし心身60%稼働だった。
調整しながら、その範囲で全力を出す訓練を自らに課している。昔にくらべて上手になってきた。
昨日金曜の午後、倶楽部のことでいくつか話し合った。
年次ごとに人も変わる、環境もかわる、資質もかわる。それに合わせる時代もあれば、相互に矯正する時代もあり、また自ずからなる中庸の時代もある。
それぞれに意味がある。
ここ五年ほどの短期間に余は様々な事象に接してきた。葛野に隠居しながら、小さな組織、葛野図書倶楽部2001を前にして、この世、世間の大きな波のうねりを座して味わって来たという感が深い。
重ねて録する。
それぞれに意味がある。意味付けをするのもまた、人である。
永劫不変のものはない。無いということに永劫不変を味わうのも、人である。
パンタレイ・万物流転すると言ったのはだれだったか。
その後、余は授業準備に取り組んだ。
「情報図書館学」というものを、余一身の内奥で「厳密な学」としたいがためだ。如何にして難解な内容を、あまねく客観の目にさらし、妥当なものとするか。それが課題だ。
マイナな学問領域は、修飾と空疎な理論、砂上の楼閣を築くことに血道をあげる。
メジャな学問は本源を忘れ、世間体と形式装備に憂き身をやつす。
我が身一身のこととして、この年限、まともに対峙してみんとてするなり。
今朝は久しぶりに極早朝から勤行に励んだ。さすがにぐったりした。心身は依然として60%稼働だが、そういう状態もあるのが生。一直線、リニアな様態だけを良しとする愚とは、そろそろサイナラしようと思ってのことだ。苦痛も快楽も合わせて生。ならば、その限りにおいて全力を出そうとするのも生。
本日は、山積み図書の裏側から、蘇我氏関係の図書がでてきたので、これを読む。
MuBlog掲載予定の読書感想文や、TV感想文、KGR、UML、マシンその他の材料はいくつもあるが、とりあえず本日は、この木幡記とした。
さて、読書の前に、珈琲一杯。そのあと暫時睡眠。そのあとやっと読書。
さらに夕風呂。
人生、これ良きことなり。
追伸
昨年夏にまとめた保田與重郎の一節で、家持の「事立て(異立て)」についての想念が今、脳を走り回っている。今更察するに、余は「言葉」によって突き動かされてきた半生であった。よし!
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント