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2007年5月12日 (土)

小説木幡記:20070512(土)すがすがしい朝

 午前3時起床、お茶を一杯飲んでさっそく「朝の勤行(ごんぎょう)」につとめた。気持を変えて、この勤行は火木土日の四日間にすることにした。この半年はずっと火木土だったが、今朝のすがすがしさが気分を変えた。

 GWを終えるころから心身が復調してきた。今は通常の90~100%になってきている。これが、夏期から秋期にかけては120%くらいに向上する。これまで、20代ころからの余のステップアップはいつも夏期から秋期にかけてだった。

 ステップアップしたと評価するのは余自身であって、また、心身調が120%と言うのも余自身である。こうして、絶え間ない自己評価、チェックによって、世間の激しさから安定を確保してきた。それが虚構であろうと、虚偽であろうと、ともかく余の安寧は「自己評価」によって確保されてきた。

 と、ちょっと捨て鉢な雰囲気になってきたが、なになに今朝はとても清々しい。4月のはじめから、ひさしぶりの気持のよい朝だった。

 ただ。
 最近小説葛野記が記せないのは理由がある。
 とにかく教務校務が今年もまた一段ときびしくなってきた、そのせいである。
 相変わらず、会議の間中、2時間も3時間も余は黙然としているが、脳は動いている。そして大抵の場合は「いかん。解がでない」となり、夕刻、夜半、研究室に戻るとぐったりし、30分から一時間は横臥してしまう。問題がどれもこれも急にわき上がってきたわけではない。
 加齢とともに、自分の発言や考えによって、比較的多くの人が影響される、ということに気がついてきたのが、疲れる一番大きな原因なのである。
 いつぞや、師匠すじにあたる先生がこう申されていた。「脳を動かす回路が違うから、最初は随分疲れた」と。先生が、教授から一挙に巨大大学の代表者になられた頃の話だった。

 余は、別にこの四月から身辺が変化したわけでもなく、表だってこの数年に変化はない。
 ただ、いろんな、同僚達との組み合わせの変化によって、それなりに余の意見が通りやすくなってきたのは事実である。と、本来はそうなると気楽なはずなのだが、そうではない逆の作用があらわれてきた。つまり、余が某教授、某某教授に、某事務トップに何か言えば、それが通りやすくなってきた、そういう事実に暗澹としてきたわけである。

 年甲斐もなく、自分の意見を通してアイデンティティを確立しようなどと、思ってもいない。
 身をようなきものとおもいなしてしまったなら、この世の多くのことは黄昏れてくる。有り体にもうさば「どうにでもしなさい。余は総てうけいれましょうぞ」となる。そういうことは大抵中年になるとうすうす感じてきて、ある年代をすぎれば当然のことになる。それを越えて脂ぎって意思を通そうとするのは、知る限りは企業オーナーとか、政治家など特殊な立場以外では、沙汰のほか。見苦しい。

 企業トップとか、政治家は年齢を7ガケくらいにすると分かりやすい。要するに、異様に気が「若い」のだろう。それで無ければ、推力がなくなり、飛行機なら墜落する。しかし一般人に、推力がありすぎると、月の裏側に飛んでいってしまう。「らしくあれ」という古色蒼然とした言葉の意味が、昨今、ことのほか身にしみる。
 となると、声がでなくなる。一種の失語症、なのに脳が動く、だから疲れる。

 いまだに相も変わらず教壇にたって教えている。
 これがまた今春、いつもに倍して疲れる。
 焼きがまわったとは思ってはいない。頭は冴え冴えとしてきている。授業で話すこと、教科書に書いてあること、多くのことが鮮明に見えてくる。そうなると、これまで思ってもいなかったことで、身をすくませるようになってしまった。

 そう。伝えること、教えること、実践させること、すべてが異様に難解なことと思えてきたのだ。
 息をすうように、キーボードをたたくように、マウスを動かすように、容易、平易、バカみたいに単純なことと、講義内容を思っていたのが、どうにも難しくなってしまったのだ。

 ああ、断っておくが、余は「教えることは既知のこと」と、分かっている。その内容は余の半生だったから。そうではない、その内容を伝えきることの難しさに直面しだしたのだ。FDとか、教え方とか、そんな米国流のはやりの視点じゃない。どうにも、難しいことを余も半生、経験してきたという、感慨からなのだ。
 「情報」そんなことを、一年や二年で、伝えきるなんて、嘘嘘しい。コンピュータ、そんなの、永遠に伝えきれない。そんな風に思い出した今春、授業は相変わらず楽しいのだが、脳の半分は苦渋に満ちている。

「君らに今、私が話していることは、ここまで経験した私と同じ立場に、君らが時を経て立っても、それでも分からないことで一杯なんだ」と。わからないことを、分かった振りして話すのが教員なのだろう。そういうことと、分かった振りをしてきた半生だった、と、そのことを鮮明に意識しだした今春だった。

 というわけで、今日は土曜日。
 ゆったりして、授業準備、会議準備に励みましょう。
 ああ、難しい。

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