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2007年5月 5日 (土)

小説木幡記:20070505(土)秘花/瀬戸内寂聴と、世阿弥

 新潮社から、この5月15日前後に、瀬戸内寂聴『秘花』が出版されるようだ。
 瀬戸内さんは、現在84歳と記されていた。小説の内容は、晩年佐渡に流された能楽の大成者・世阿弥に関わるものらしい。

 私は、以前世阿弥とか、その息子の観世元雅(かんぜ・もとまさ)に随分引き込まれたことがある。ただの歴史上の有名人と思っていた人達が、どれほどの苦難の中で生きたのかということに、驚いたのだ。特に元雅が若くして殺害された事実を知って、そしてそれを嘆く世阿弥の姿をかいま見て、資料を読みながら涙ぐんだこともあった。

 世阿弥は、若くして時の最高権力者足利義満(あしかが・よしみつ:室町幕府三代将軍)の庇護をうけ、庶民から貴族にいたるまでの喝采をあび、時代を風靡した。その彼が、晩年長男を亡くし、次男も出家し、自らは佐渡に流されるという悲劇に直面した。

 瀬戸内さんは、その間の世阿弥をどんな風に描いたのか。ご本人は「最後の長編小説」とインタビューなどで答えているようだが、それはそれとして、新潮社のサイトを覗いてみたら、冒頭文が掲載されていた。
 リンクするだけでも良いのだが、いつ消えるかわからないカレント情報(最新情報)なので、一部引用しておくことにした。


 漆黒の闇の中で、鵺に襲われていた。
 恐怖と不気味さに息が詰り、総身に鳥肌が立っている。纏いつかれ、圧えつけられ、締めつけられ、身動きが出来ない。
 闇に夢が塗りつぶされている。夢かとわかってからが、もっと恐ろしい。初めての夢ではないからだ。渾身の力を振り搾って、鵺から逃れようとあがけばあがくほど、鵺の怪力がみしみしと躯に加ってくる。

~中略~
 能の大成者で能聖と崇められている世阿弥の晩年の謎に迫りたいと思ってから三年が過ぎている。
 世阿弥のおびただしい作能の中で、「鵺」ほど哀しい作はないと感じた時から、わたしは鵺こそ世阿弥の心の闇だと思いこみはじめていた。
  「秘花:冒頭文、新潮社

 ともあれ、『秘花』のことは以前から耳にしていたので、今回の出版が待ち遠しい。多分、幽玄(ゆうげん)という言葉が、単に能楽の世界に留まらず、日本の現代に甦るような想像をしている。幽玄という一種の芸術用語の解説ではない。まさに世阿弥の心の中の幽玄が分かってくるのだろう、とイメージしてみた。言葉の意味は、なかなか体感できないものだが、優れた小説では、味わえることを知っている。

 また、60歳定年の時代に、84歳の女性が迫力ある文章を描かれることに一種の安心感もある。人間は、死ぬまで生き抜けるのだという、検証もできる。北斎は90歳まで頑張った。もちろん、現役の作家にこういう言葉は失礼になるかも知れないが、瀬戸内さんは生死を眺める芸術家であり、仏につかえる身なのだから、言葉の綾を分かって下さることだろう。

 ともかく、今年の5月中頃までは、余も生き抜こう。これを読まないと、死んでも死にきれぬ。のう。

参考
  夢跡一紙(むせきいっし)・観世元雅の死(MuBlog)
  他に、『犬王舞う』もあげておきます(失笑)

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コメント

読まれる前にブログに書かれるというのは大変珍しいですね。それだけ思い入れがおありになるということでしょう。

先日瀬戸内さんがインタビューに答えておられるのを見て、鵺という作品と老いをどう扱われて小説に仕立てられたのか、そこに佐渡の情景がどのように織り込まれていくのか、興味は尽きません。15日の出版日が待ち遠しい。書店に並ぶのを心待ちにしておるところです。

投稿: namiko | 2007年5月 5日 (土) 11時31分

namikoさん、早速のコメントありがとう。
 速攻の反応には驚きましたが、考えてみればnamikoさんは能楽世界でウン十年の方ですから、『秘花』に興味を持たれていて当然と納得いたしました。

 こうして人からコメントいただくと、またしても世阿弥、元雅世界に沈み込んでいくのですが、これから無人の葛野で授業準備もありますので、思うところ二、三を補記するにとどめます。

 世阿弥晩年の佐渡の様子とか、あるいは世阿弥が生きて帰京したのかどうかとか、あるいは長子「元雅」について、小説がどこまで言及しているのかとか。

 あるいは世阿弥初期における、義満と藤若(世阿弥幼名)と関白・二条良基との交流など、どのように描かれているのか、回想形式なのか、……。と、興味は尽きません。

 ひたすら狂将軍・足利義教(よしのり)との確執を描くのか、……。おそらく、私はその一々がなくても、プロとしての作家瀬戸内寂聴がどういう方法で世阿弥を現代に蘇らせるのか、楽しみでなりません。

 次に、MuBlogでは、「地図の風景」と「地図の蠱惑:未踏地」という二つのカテゴリを用意していますが、実はMuBlog当初は文芸に関する感想文もこの、行って見たところ、まだ未踏地だが行ってみたいところ、のように、「実読」したものと「未読」のものとを区別したかったのです。

 しかし職業上一応はアカデミズムに属しますので、図書にかんしては未読のものや、もう忘れたものを、あやふやな風説や、うろ覚えで、一知半解に語ることを禁止しているわけです。

 図書や映画や漫画に関しては、原則、手にあるもの、ないし直近で観た物しか、評価はしないでおこうと、縛りをかけているのです。
 とはいうものの、例外のない原則は無いのでありまして、この『秘花』は、その例外中の例外として、MuBlogに未読掲載しました。

 とすれば、『秘花』はなにがなんでも読了し、なんらかの言及をこの六月ごろにはいたします。もし記事が出なければ、多分、難しくて読めなかったものと、お考え下さい(笑)。

 さて、実はここ数日内に、namikoさんの或る記事にトラックバックをする予定で、ここしばらくMuBlog記事を一つ書いております。事前予約も変なのですが、人様の記事にTBするのは、返礼TB以外はめったにすることではないので、あらかじめお断りしておきます。

では

投稿: Mu→Namiko | 2007年5月 5日 (土) 13時05分

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» 秘花/瀬戸内寂聴 著 <感想:世阿弥の佐渡島> [MuBlog]
秘花/瀬戸内寂聴  それで、さっき読み終わった。何も考えず、一息だった。世阿弥が最後に残そうとした能の台本名を知ったとき、私は破顔し天井を眺め、さらに末期の言葉を聞いたとき、複雑に深くうなずいた。巻措いて、大きめの活字で246頁、そして横尾忠則の装幀・題字、心の贅を尽くした図書だと微笑した。「文学」とはこうでなくては、... [続きを読む]

受信: 2007年5月19日 (土) 00時21分

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