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2007年5月 4日 (金)

小説木幡記:20070504(金)Googleで心の旅路

Googleのグーグルトランジット:木幡→国立

Googleのグーグルトランジット:木幡→国立
 昨日は夕方から読書していた。そのうち感想文をまとめたい。北九州の福岡県の志賀島で江戸時代に発掘された、国宝金印「漢委奴國王」が、ニセモノだと言うトンデモない話かと思って読みかけたら、どうも本当に贋作のような気がしてきた。困った。まあ、それは今夜完読予定。
 ←まず、写真をクリックされたし。ちょっとメモも入れときました。
 例によって午前五時起床(最近リズムが戻ってきた。毎晩10時ころには熟睡)。さて、とぼんやり。急にGoogleが気になりだした。Googleは余のお得意さん(主客逆転しているな)だが、毎日Google話では「センセ、またですかぁ」と、声が聞こえてきそう。特にGoogle と図書館関係の話は、もっとお好きな人が世の中にはいるようなので、おまかせして(未知の人:sushi-kuinee)。

 いや。Googleはものすごく沢山の無料サービスをしている。ざっとみても30近くの巨大なサービスやツールを、一カ所でサービスしている。余もGmail(メール)とかPicasa(画像整理)とか使っているが、うむ、と唸っている。いやそれぞれに唸る前に、そういうことが一カ所の玄関口(ポータルとかいうらしい)から使え、Googleブランドで、ともかく安心感を与えているのがよろしい(笑)。ネットやソフトと、分けの分からない、知らないことは大樹の下で雨露しのぐという人生観も、時によろしい。

 Docs & Spreadsheets(要するにネット上でのワープロや表計算ソフト)にいたっては、もう一昔も前から、パソコンはネットをハードディスク代わりにすればよい(いろんなソフトウェアを自分で持つ必要がない)と、言われてきたし、そういう超廉価なマシンが売られたこともあったのだが、そして今。

 Googleで実際に試してみると驚愕物である。以前の眉唾話も、夢物語も、すでに実現され始めた。

 数日前に、おもちゃ好きの教授と京都駅で夕食した。例によって、
「ゴリポンさんや、最近のSONYのUタイプマシンは、凄いで。30GBのフラッシュメモリで全部処理するから、WORDもパワーポイントも500gの掌サイズで、一瞬でっせ。講義も、マシン持参は、ポケットに入れるだけ!」と、そそのかした。
「ほぉ、欲しいなぁ。ナンボや」
「高い。いや、ゴリポンは高給取りやから、安いな。25万!」

 ここでゴリポン教授はなうてのオモチャ好きであると断っておく。若い頃から、彼の給料の大半はケッタイな小物に費やされてきた、……。まったく役に立たない代物ばかり。SONYのUタイプも、実は数年前に発売されたとたん、中古(というても発売一ヶ月後)を買ったようだが、遅くて使い物にならなくて、この数年倉に埋蔵されていて、忘れていたようだ。この事実を知ったときは、さすがに余も唖然とした。

 帰ろうとすると、
 「センセ、まだ新幹線駅前のソフマップ(パソコンショップ)、開いてるかな」
 「もう、閉まってる。帰ろうや」と、午後9時前。
 「いや、ちょっと」
 と、二人で、余は杖突きながら、ソフマップに行った次第。ありました。掌サイズのSONY:Uタイプマシンが。

 で、話をはしょると、ゴリポン教授はさっそく買ったのじゃなくて(フラッシュメモリタイプは、直販だからネットでしか買えない)、同容量の30GBハードディスクタイプの、容量を確認しだした(笑)

 「あかん、残量が10GB程度しかない。マイクロソフトのVistaシステムはばかでかいなぁ」
 「な、そやろ。いまどき、30GB程度じゃ、映画も入らん」
 「あ、外部メモリ継ぎ足したらどうやろ」
 「そうやな。Vistaは大容量のフラッシュメモリを上手に、内部メモリーみたいに扱うらしい」
 と、探したら、8GBで1万五千円。
 「センセ、これや。これ何本もあったら、10GBしか残量なくても、フィールド調査の動画も扱える、……」
 と、男というものは、なにがなんでも欲しくなると、理屈をこねる生物。だれも買うなとは言っていない。ただ、無駄なおもちゃでっせ、という顔をした。
 (余の数倍大きい手をした巨漢が、どうしてあんなオモチャみたいなキーボードを触れるというのや!)

 ただ。こういう、攻守は毎回逆転するのも、ゴリポン教授の名誉にかけて記しておこう。
 (余も、ある意味で、人がみたら「馬鹿か」と思うほど、わけのわからない記事を書いたり、アプリ・ソフトなんかに入れ込んでおる。ソフトウェアの更新料も安くはない。最近は、Delphi も一太郎全部セットも、毎回じゃなくて隔年で更新しだした(笑))

 さて、ようやく話がもとに戻ってきた。
 ここでいういろんなソフトも、なんのかんのも、すべて高速通信で宇宙からか、どっかからかサービスを提供されたら、30GBものフラッシュメモリがあれば、なんでも、どんなことでも、デスクトップ並に使える。そういう世界の先駆けを、Googleもすでに、やり出しているわけなんだろう。

 うむ。
 話が一体どこへ迷い込んだのか。そうだ、Google の「トランジット」乗り換え案内サービス。これを朝から試してみた。要するに、ときどき旧知にあったり、どこか旅にでたりしたくなるわけだ。実際には、一歩も木幡を出ない長期休暇なのだが、せめて心の旅路、Google で旅するくらいよろしかろう。

 たしかに、このトランジット、すごいしおもしろい。画面では、木幡→国立、という余には比較的分かりやすいモデルにしたが、内田康夫さんの作品にでてきた、「新郷村」なんて試したら、笑えてきた。
 そうそう、まだ、全国のバスなどの細かな路線情報はマバラなので、ときどき徒歩数時間という表示がでるが、これはバスとかタクシを使うと思えば、まあ、よいでしょう。そのうち完璧になるだろう。JRや私鉄レベルでは、こんな便利なものはないね(つまり、地図情報完備、玄関口として他のサービスと共通に使える点でも)。
 古いケータイでも使えたから、今度変えるauは、でっかいディスプレイタイプにしましょうぞ(と、Muの一種の軽い、オモチャ好き。しかし、携帯、もう3年も使っているのだから、無駄ではないだろう、と自分を騙す)

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コメント

金印偽造説

 最大の偽造の根拠は何ですか?江戸時代にはつまみが蛇のデザインは世界中で存在しなかったのではないですか?最近ですよね、蛇のデザインの印綬がもう一つ発見されたのは。

 偽造と言えば、昨日読んだ本では幕末に大阪城で幕府が贋金を製造した話がありました。小栗はんやね。

 榎本は贋金とは知らずに、軍艦で持ち帰り五稜郭に持ち込んだ話でした。当時、五稜郭の近くの海岸で座礁した榎本の軍艦から引き上げた金貨は贋金だったそうです。

 贋金、贋作という類の話は面白いです。

 

投稿: jo | 2007年5月 4日 (金) 14時07分

Joさん、ご無沙汰。
 JoBlog、木幡から読めません。というか、一回アクセスして、全部みられるのは20分後。もう、JoBlogは動画なみの巨大さですな(笑)。葛野でまた見ますよ。アンコール。

 さて、まだ某図書は途中で、いま昼寝を終えたので、読み出します。

 いままでのところでは、金印が「綺麗すぎる」と言うところでしょう。どういう状態で埋まっていたか分からないのが余計に、その説を本当らしく思わせます。金は柔いでしょう。崖みたいな土中に1500年以上埋まっていたにしては、傷がほとんど無い。

 発見当時の関係者が全員、当時、いわくありげな仲間、知り合いだった可能性が強い。このスジでの論考が、迫力ありますね。
 本当に、みんな深い親交、縁があった人達のようですよ。
 たとえば、要するに、

 親魏倭王・金印を、Muが三輪山の麓を歩いていたら、雨上がりの崖下で光っているのを見付けたと、知り合いの豪商Joさんに見せたとしましょう。

 豪商Joさんは「Muさんや、これは大切なものだから、大事にしなさい」と、一旦は言う。

 後日、Muが親魏倭王・金印を持っているという風説がネットで飛び交い、だんだん後ろ指さされだした。

 それでもって、Muは郡代のふうてん爺さんに、「これこれ、かくかく、しかじか。忙しかったので報告が遅れてすみません」と、報告書を出す。

 そのまま、ふうてん爺さんは、その印の解読を、どっか、明石の人麻呂さんに見せて、儒学者人麻呂は「おお、これぞ、まさしく、卑弥呼さんの印」と、お墨付きを与えた。

 よって、最後は、国立国会図書館に寄贈されて、地下の貴重品金庫に、秘蔵されて、再び数百年。

 その間、歴代の国立国会図書館長は、親魏倭王印については、はばかりあるのか、一切言及しなかった。
 
 さて、以上のようなことが起こったら、Muが見付けた「親魏倭王」金印がホンモノと、だれが思うでしょうか?

 漢委奴國王印も、まあ、当時の状態では、そういう雰囲気だったようですね。

 まあ、確定的贋作説は、今夜に分かります。おまちあれ。

 大坂城の贋金造りって、それは、まさか造幣局の話じゃないですよね。ところで、難波は当時、銀本位だったとおもっていたけど、金貨を作っていたのですか。分かりにくいです。

 贋作、偽作、偽書、なんとも言えない雰囲気ですよね。

投稿: Mu→Jo | 2007年5月 4日 (金) 16時23分

約2000年前の印綬か~

 重さは108グラムだとすると、30万円位の金価格やね。しかし、本物だと値段がつかないね。

ところで、大阪城での贋金作りの話ですが、江戸から材料を運び、鉄の塊の上に金メッキして見せ金を作り大阪商人から金を借りる算段に使用したそうです。

 手元に読んだ本がありませんが、幕末の幕府財政は破綻していたそうやね。勝海舟がいかに幕府が金が無いか書き物を残しているそうです。

 ベトナムでの我が家の財政も逼迫しております。

投稿: jo | 2007年5月 4日 (金) 18時30分

Joさん
 金印偽造事件のことは、小一時間前に読了しました。明朝には感想文を掲載します。
 内容は。ミステリーの一種とも言えるから、あんまりネタバレはできないな。

 ミステリーというのは、決めてになる物証がなかなか分かりにくくて、状況証拠はほぼ確定的に黒とでたのですが。
 歴史遺物の鑑定は難しいと思いました。
 福岡市立博物館にあるという、国宝金印をもう一度科学的検査にかけて、中国出土の類似金印もそうして、比較検討すると決め手になると思いますが。

 犯行に及んだ動機解明なんかは、最適でした。ホシも実名であがっておりました。

 なんとなく。著者言説にMuも引き込まれてね。あまりに金印の文字やバランスが、整いすぎているのが、妖しいと、思ってしまいました。この事情、可能性を、著者は突いていましたね。

 さて幕末。
 幕府が贋金造りをしていたとすると、現代の北某國と変わらないですね(笑)。
 食うや食わずの御家人旗本、諸国一般下級武士の総数を、農民たちが養いきれず、他方、商人は両替・為替をはじめとする近代商法でがんがん消費をうながして、結局、一切の生産をおこなわない武士階級が壊れたということでしょうか。
 現代資本主義のことも分からずに、幕末を想像すると、……、その程度がMuの限界ですね。

 武士階級は、全員用心棒でもして、稼ぐ必要があったんでしょうね。

投稿: Mu→Jo | 2007年5月 5日 (土) 00時10分

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