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2007年4月22日 (日)

花はさくら木/辻原登

花はさくら木/辻原登(朝日新聞社、2006.04)

花はさくら木/辻原登(表紙)
 いくらか風変わりな時代小説である。それは私にとって、と言った方が正確だろう。ただ、ずっと以前に辻原の『翔べ麒麟』を読んだときも「風変わりな」とおもったのだから、私にとって辻原はこれからもそういう作家なのだと思った。花はさくら木、と読めば次は、人は武士と自然に口ずさんでしまうが、その「武士」がだれなのかは、主人公「田沼意次(たぬま・おきつぐ)」であるとここで明かしておく。では、なぜ田沼意次が「武士」なのかは、それは読んだ人が考えれば良いだろう。意次は大局観を持った「武士」として描かれていた。そして、今思い返しても、辻原の作品が風変わりに思える理由は、依然としてわからない。言葉や背景に、雅俗が自然に融け合い、史実と伝奇もまた自在に並立しているからだろう、と推測はするのだが、「雰囲気」のことなので、うまく伝えられない。

 とはいうものの、物語のヒロインが光っていた。主な女性は三人登場している。智子内親王(さとこ:としこ?・ないしんのう)は、先の桜町天皇の二女にあたる。菊姫は飛脚業、運送業を商う「北風組」の娘だが、謎が多い。そして聡明な皇太后・青綺門院(せいきもんいん)。智子と菊姫は十代で、二人はうり二つ、美しく描かれている。皇太后は、朝廷と幕府との関係調停に力を尽くしている。いわば京都・朝廷世界に関係するこの三人が、どうして時の幕府権力者である田沼意次と関わりを持つのか。そのあたりから、物語は私を引きずり込んでしまった。

宝暦十一年(1761:江戸時代中期)ころの京都・大阪

宝暦十一年(1761:江戸時代中期)ころの京都・大阪
 江戸時代を扱った作品は、私の読んだ物では関ヶ原前後、家光、そして幕末まで飛び、その間が空白なので、この作品が描いた江戸時代中期(18世紀中頃)の世界は新鮮だった。地図で見てみると、伏見の南に巨大な巨椋池(おぐらいけ)がある。物語は、京都を中心にして、大阪と滋賀が舞台になるのだが、なんと言っても菊姫の父たち「北風組」の居る伏見港と巨椋池の位置だけは確認しないと話が進まない。丁度伏見を真ん中にして、北東の琵琶湖と、南西の大阪が水路で結ばれている。京都と伏見は高瀬川、伏見と大阪は淀川で、伏見と琵琶湖は宇治川なのだが、物語は淀川水域に重点が置かれている。

 ここで、いくつかの重要な項目を抜き出して、物語の広さ、明るさをイメージしておく。いずれも虚実混じっていて、なにが想像で、なにが事実に根拠をもつのかは分からない。そういう融け合った状態が心地良い。歴史の扱いは山田風太郎ほどのぶっ飛びとは異なるが、「はてな?」と感じ、気がつくと「そんなぁ~はずがない」と自然に思えるのだから、こう言うところに風変わりさを感じたのかも知れない。

人物
 田沼意次は実在。智子内親王も実在で、物語の後日に「後桜町天皇」として、日本史最後の女帝となる。皇太后・青綺門院も実在。しかし、菊姫の出自が解かれていくうちに、だんだんこそばゆくなる。しかし、あり得ない話ではない。菊姫にはモデルがいたのだろうか? さらに、終盤に田沼と小気味よく対峙する大阪の豪商鴻池当主は、実在だろう。しかし彼の盟友、北風荘次郎(菊姫の父)となると、北風という家はあったのだろうが、あまりに行跡が破天荒なので?
 文人(画)墨客も多数出演する。私の知るところでは、与謝野蕪村とか、上田秋成とか、円山主水(もんど)とか、大雅とか、伊藤若冲、不夜庵(炭太祇)、売茶翁(まいさおう)、ともかくそうそうたるメンバーがおもしろおかしく登場する。一応全員実在のはずだが、どこかで騙されているのか? 
 彼等が驚きを持って見守る北宋名画、至宝「清明上河図」とは一体何なのか?
  「清明上河図・スクリーンセーバ」のダウンロード後、右クリック「テスト」によって、横幅11mの長尺絵画を堪能できる。
  JoBlogに非常に重要な記事があります。JoBlog:コンテンツ時代(清明上河図) CDROMが以前富士通から刊行されて情報もあります。

事項
 智子内親王や皇太后・青綺門院の住まいする仙洞御所(せんとうごしょ)。これは17世紀、小堀遠州の作庭で、この物語の18世紀にはまだあったはず。そして現代は、京都御所の南東に、焼失後の庭園が残っている。
  仙洞御所・大宮御所

 北風組の裏飛脚達が活用する、京の高速道路「御土居(おどい)」。16世紀・豊臣秀吉が、京都をぐるりと囲む土塁を作った。高さは3m、幅が9m、当時の総延長23キロというから、7世紀・太宰府防衛の為の水城(みずき)と比較すると、後者は高さが13m、基底部幅が40mだから、それよりは小規模だ。だが、水城はおよそ1キロ程度しかなく、京都市をぐるりと取り巻いた御土居には及ばない。これは今でも部分的に残っている。しかし、北風組が重用したような痕跡があるのかどうかは、不明。
  史跡 御土居(おどい)を訪ねて

 伏見の閘門(こうもん)。これは高低差のある、京都市内からの高瀬川→伏見内の運河をへて宇治川に舟を入れるとき、宇治川の水位が低く、そのままでは上手に舟が通れない。だから、両側にドアのある閘門をつかって、中で水位を調整するわけである。それが閘門、英語でロックというらしい。この実物は今もあるのだが、それは昭和三年に造られた物だから、はて江戸時代中頃に、閘門があったのかどうか?
  三栖閘門資料館
  三栖閘門

 巨椋池。ここも主要な場面になるのだが、今私は近所に住んでいるが、見あたらない。本当にあったのだろうか。インターネットを探していると、格好の記事に出会った。これで、物語中の巨椋池は本当だったとわかる(笑)
  近くにあった大きな池:巨椋池の話(小倉小130年の歴史探検)

読後感想
 どういう物語であるかは、最近の私の方針により詳述しない。しかし、どこに感動したかは記録しておく。
 二つあって、ひとつは巻頭の章「ひいな遊び」。場所は仙洞御所。二人の少女、智子と菊姫が小舟を池にうかべて談笑している。明るく清らかな場面で、忘れられない馥郁とした情感を残した。
 もう一つは、前半の「醍醐の花見」。太閤秀吉の花見を擬したような大蕩尽を鴻池と北風組がもよおす。醍醐と、そして桜と、島原の花魁と、招かれた人達、朝鮮使節。その華やかさは目にくっきりと残った。物語りの喧噪、楽曲、おしゃべりまで耳に聞こえてきた。

 物語は、最後まで一気呵成に読み上げた。半日程度だったろうか。それにしても、不思議な、風変わりな歴史小説だった。 

追伸:帯情報

第三十三回 大佛(おさらぎ)次郎賞受賞
  江戸時代中期・宝暦十一年。
  京・大坂を舞台に、即位前の女性天皇・智子内親王(後桜町)、権謀術数の田沼意次が活躍する。
  人・歴史・地理があやなす華麗な恋と冒険のとびきりの長編小説!

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コメント

 おはよう 御無沙汰です

 懐かしい話がでてきましたね。清明上河図は以前記事にしました。
 http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/jo/2004/04/post_16.html

 台湾の故旧博物院と仕事をしていた頃が懐かしく思い出されました。

 巨椋池も身近な存在ですね、京都競馬場あたりは湿地帯でしたね、名残りでしょうね。

投稿: jo | 2007年4月23日 (月) 11時14分

Joさん、有り難う。

早速記事を追加しました。
トラックバックもかけたけど、すぐにはうけつけないようです。

投稿: Mu→Jo | 2007年4月23日 (月) 11時47分

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