小説木幡記:20070430(月)由布姫と無聊GW
今朝は木幡で早朝4時起床。ともかくNHK風林火山にトラックバックが一つあったので、公開し、お返しバックもすませておいた。
さて、どうしようと思ったとたんに目眩がしてきた。いつものMuなら怠け者の節句(節季)働きで、いそいそと葛野に出向き、あれこれするところだが、今朝はどうにもそういう気持にならなかった。することないと、陸(おか)に上がったカッパというのか、仕事中毒というよりも、スケジュル中毒というのか、なにかしていないと不安定になる、典型的な近代人、なんて思っていたはずなのに、「さて、何しましょう」と、ぽつり。
ぼんやり。
そこで、朝食をすませて新聞も読んで、シャワもつかって「4711 ポーチュガル オーデコロン」の香りをかいで、漫画博士の淹れてくれた珈琲飲んで、さて、とまたため息。目眩するような無聊。
いやはや、することは一杯、倉庫何棟も必要なくらいにあるのだが、なにかしら「したくない。何しても無駄」という、ほらほら、例の典型的な厭世観。
ああ、そうだ。KGRを試してみよう。しかしそんなことで半日も一日も使いたくない。そうだ、「由布姫」でためしてみよう。さっそくGoogleに言葉をいれてみた。二つ試みた。どちらも、「MuBlog: NHK風林火山(16)由布姫と自害」がヒットした。母数が25万件だから、なんだかさらに目眩がした。どうしてなのか。わからない。考え込むと、時間がなくなる。まあ、現実をみておくことにいたしましょう。
キーワード {由布姫} 15/254000*100000 → 5.91kgr(070430)
キーワード {由布姫 風林火山} 9/226000*100000 → 3.98kgr(070430)
両者ともランキングは、15位とか9位だから、堂々の一位ではないが、他のMuBlog記事からみると、KGR指標は高い。他の場合、一位とか二位の時に、こういう指標が得られた(昨日の実験)。とりあえず、先々週の「風林火山(16)」を他人の目で読んでみた。特徴がぼんやり分かった。
(1)タイトルに「由布姫」がある。だから、KGRが上がった。
(2)文章がほぼ画面一枚に収まり、短い。以前、学生の指摘があったのだが、授業内容なんかでもずらずらスクロールするMuの文章は、「誰も読まないですよ」と(爆笑)。それで、短く3割まで刈り込み、さらに箇条書きにしたら、「えっと、読んでるようです」とのこと。
(3)継続的である。NHK大河ドラマは新選組!!以来だから、固定客がいるのだろう。
(4)基本的にケチをつけない。良いところだけ褒めている。そういうおとなしい内容がこのまれるようだ。まあね、Muの人柄なんでしょう。うむうむ。
と、これ以上かくと頭痛もするし、手前味噌過ぎると大方の批判もうけそうなので、この件、やめる。
ただ、MuとNHKとは相性が良いようだ。若年時、NHKをさんざん馬鹿にしていたのが笑える。いまでも覚えている。「毒にも薬にもならん番組ばっかり作ってぇ」が、20代のMuの気持だった。今は、そういう風には思っていない。
無聊 (ぶりょう:つれづれなる様子。することがなくてヒマな様子)
長い休暇中、あれこれ計画はたててみたが、どうにも遂行される兆しはない。昨日日曜は、ひさしぶりに内田康夫先生の小説を読んでいた。あと3割ほどで終わり。いまさらながら、発見したのだが、Muは内田先生の影響を強く受けている。要は、Muは車に乗ってあちこち走ってみたいのだろう。単純と言えば実に単純な男じゃわい。内田康夫先生の作品は、A市からB市に行くにしても、ごく自然にその間の車窓の風景を描いておられる。昨日、ある場面で驚愕した。「シジミとりの小舟が浮かんでいた」と言う風な表現が、どこかにあったのだ(引用箇所は忘れた)。小舟ではなく、シジミとりの小舟と、さらりと表現してあった。そういう文章の積み重ねで、風景がふくらみをもってくることに気がついたのだ。読み過ごしてしまう。気にもならずに次の文章に移っていく。なのに、じわじわと浅見光彦がドライブをしている実感が身内にたまってくる。手練れの文章、小説とは、なにかしら「自然」なんだと、今朝、ぼんやり思い出していた。
無聊
というわけで。この記事書いていて、思った。今日の休日、小説をねっころがって読んでいよう。ああ、エドルン君達は、でかけるようだ。GW、無聊、無聊といいながら、ぼんやりするのもよいものだ。
さて。眼鏡。
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