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2007年4月13日 (金)

小説木幡記:20070413(金)短期記憶の世界

(1)記憶がゆらめいて
 この10日間ほどの長期記憶がゆらめいていて、覚えがない。毎日持病の激痛で呻いたり、鎮痛剤で頭がぼんやりで、それでも一応責務をはたしたのだから、何事も年季、経験というのは役に立つと自笑。ピークは昨日12日と、11日(水)の深夜に思った。12日木曜の授業を休講にしようとさえ思った。

 3日に、昼食をとって大覚寺や佐野藤右衛門の桜をみてから、寒気がしてそれが引き金になったのだろう。4日に入学式があって、こういう式典は余のような気弱な人間には、人の百倍ほどの緊張をしいるので、こなした後、あっけなく心身倒れた。余は弱き人として生をうけたようだ、これも自覚しつつ、蒲柳の質と自笑。
 それからいろんな行事があったはず。よく覚えていない。

 月曜から授業が始まった。
 事情で、葛野図書倶楽部2001の手助けがあったので、余は飾り猫のようにぽつねんと座って、助勤(授業支援の優秀上級生ボランティア)たちの授業案内や演習説明を、横で授業参観父兄の顔して聞いていた。助勤たちがいなければ、この一週間の授業はすべて休講になっていたことだろう。

 休講は、それはそれでありえるのだが、全体のスケジュールがぎくしゃくとしてしまう。せめて最初の授業くらいは、担当教員がぽつねんであれ、妖しい人であれ、舎監であれ、なんらかのキャラを学生達に見せねばならない。もしこの一週間を休講にしていたなら、来週は余のロボット思考では、突然、衝撃的に、前振りなしで各科目に突入してしまう。ともかく、余は「蒲柳(ほりゅう)の質(しつ)」という古典的キャラ印象を与えたのかな。

 最初の授業は厖大な印刷物や、場合によっては、重いパソコンを離れた教室まで運ぶ必要がある。そう言うときに、人の手助けはありがたい。というわけで、右往左往した一週間、教室での助勤達の断片的な記憶は残っているのだが、自分が何を言って、研究室で何を考えていたのか、まるっきり記憶にない。

(2)桜
 というわけで。今年の桜狩は、昨年のように皆無とはならなかったが、思い半ばのものとなってしまった。今後掲載するのは、記事にして3つくらいしかない。飛鳥石舞台も、琵琶湖北辺の海津大崎も、近くの天神川も、嵐山も、御室も平野神社も、駄目だった。今頃、吉野の新聞記事を眺めると、失意はげしいな。

 しかし、人生1割打者と自覚しているので、3割思いが叶えば上々、写り具合など含めて気分の上では今年4割くらいの桜狩成果だったから、佳しとしましょう。週末から来週にかけて、残った記事をしこしこ造っていこう。

 そういえば食事、細川ラーメンも、薮そば天ザル、嵯峨野鳥なんば、ビフカツサンド、弁慶うどん、ちかごろとんとご無沙汰してしまった。大学での昼食は、ゆらめく記憶では、おにぎりとかサンドイッチだったようだ。安く上がったが、なにか生の充実感を根こそぎ剥奪された思いだけが残った。余は、こういう細々しい日常が破壊されると、余計に壊れていくようだ、と自笑。

(3)blogの進化
 ニフティー社のココログを、最近とても評価している。余はココログには毎月千円の使用料を払ってきた。なぜ有料のサービスを選んだかというと、いろいろ理由はあるが、お金で買えるものはお金を出すという気持があるからだ。そのあたりは複雑になるので、また深く考えると痛くなるので(余の持病は、脳を使うことへのブレーキだと確信している。そして、詳細はまた痛くなるので省くが、生命体の理(ことわり)として事実だ)、止めておく。

 結論は、毎月千円だしてきただけの値うちものになってきているという、安心感だ。
 現状では、10GBの容量を確保し、データのバックアップは責任をもってくれている(はずだ)。その他もろもろ。

  その1:カテゴリー
 数日前から、MuBlog記事は、記事を指定すると(コメントを読む状態などをさす。固定アドレスで見るとき)、当該記事のカテゴリーを持つ過去記事を、5件ばかり末尾にリンク付き表示する。ココログは、過去遡及に関して、一定の見解をもちだしたようだ。blogは当初日記主体だったから、過去にたいしては曖昧な全文検索か、日付指定くらいしか検索機能がなかった。
 当該記事に類縁の過去記事を扱えるのは、上々のサービスといえる脳。

 となると、困ったことになる。余はまさしく絵に描いたような紺屋の白袴男。過去記事千点すべてのカテゴリーをつけ直さないと、でてくる関連記事がメチャクチャ。これで情報学を標榜しているのじゃから、困った。
 結局、記事を自動分類する方法をつかうか、大量のアルバイトを雇うかしかないな。それとも隠居仕事でこつこつ自分でするか、いやそれが間違いのもと、余の思考は経年変化がはげしく、日々、時々、分々、秒々で変化し、一定の固定的カテゴライズには不向きなようだ、と自笑。自分でやれば、またまた、結果としてめちゃくちゃになる。マシンにさせるか、人にさせるか、前者は無料じゃが持病を誘発させる危険性、後者は楽だが資金が必要。うむむ。悩み多き後半生だった。

  その2:いろんなパーツ
 お気づきの読者もおられようが、最近MuBlogの右サイドバーに、時計がある。これは、ココログの新サービスで、好きなパーツをblogに一瞬にして貼り付けた結果だ。
 また、左下サイトバーには、ちっこい地図がある。これは使い方に慣れるまでは、分かりにくいが、非常に大きな可能性をもったパーツだ。アルプス社が提供している。投稿blog表示その他、まだまだ試験的なものだが、将来成長すると高次元の地図になっていくだろう、と先行投資。

 こういった高機能、優れたデザイン、いろいろなパーツが山のようにあって、好きな物をblogに貼り付けることができるようになった。他の無料blogでもあるだろうが、ココログ・ブランドの安心感と、設置の手軽さに感心した。

 ブロッグパーツガーデン(Blog Parts Garden)
 ココログ以外のblogでも利用できる。

(*)そんなわけで
 小説木幡記を書いていたら、少し楽になった。写真記事や技術記事や読書記事などは疲れるが、木幡記は楽になるみたいだ、と発見した。

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コメント

 お加減いかがですか?

 先日、テレビを見ていたら、還暦を過ぎた人が(僕は、あと20回しか桜が見られない・・。)とおっしゃっていました。桜は、年に一度しか咲かないので、そう考えると、お花見ができる回数と寿命とが同じになってくるんですよね。(限られた生があるから、桜もより愛おしいものとなって見えてくる。)と、その方はおっしゃっていました。
 私が見ている桜と、Muさんが見ている桜は、違っているんでしょうね。

 私も(桜だより)を書いていますが、幾つかの記事のうち、(1つだけ遠いところへ行こう。)とか(1つだけお金を使って行こう。)と思っています。
 昨年は、電車賃を使って(大和郡山城)。今年は、駐車場代を使って(又兵衛桜)。あとは、自転車でまわれる、無料のところばかりです。それでも、(咲きかけ)(満開)(散り際)といろいろ楽しめました。

 (少しずつ・・)でいいんですよ。
どうぞお身体を大切になさってください。

投稿: wd | 2007年4月13日 (金) 14時24分

やあWdさん、こんにちは。
 数日前にそちらの桜記事を眺めましたが、なかなかよい桜写真だと感心しておりました。
http://blog.livedoor.jp/ki_718_hokamo/archives/50328975.html

 この浮見堂、佳いですね。

 いま、アクセスしたらその前もその後もよい写真記事が目白押しです。(メジロが電線に並んで止まっている様子らしいですが、現代の学生さんや30代くらの人には、意味が通じないだろうな、と教師癖)
 風雪ふうてん一家も、それからさんも、写真が好きなようです。Muも相当に好きなんだと、過去記事をみていて思いました。

 桜の見方が異なる。
 いわれてみれば、多くのことで見方、感じ方、行動が少しずれています。三日間全速で走って、一ヶ月ほど、前後不覚で横たわるような生き方でした(と、自笑)。
 多様性の中の一パターン。

 MuBlogもそのうち、GWころには自薦記事を載せます。また、ご笑覧ください。

投稿: Mu→Wd | 2007年4月13日 (金) 15時17分

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