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2007年4月24日 (火)

木幡桜:20070406

承前:木幡の桜・平成18年4月
承前:目次・桜狩 (2005)   

木幡桜20070406-36

木幡桜20070406-36
 今春最後の桜が木幡桜となった。昨年が、承前の「木幡の桜・平成18年4月」写真一枚だけに終わったので、今年こそはと思って一杯計画を立てたが、四月初め大沢池の寒風にあたったせいか病に倒れ、つまるところ、身近な木幡桜で尽き果てた。

木幡桜20070406-40

木幡桜20070406-40
 人生一割打者と標榜してきたが、それでも今年桜は昨年桜にくらべて三割ほどは動いたので、満足。それに、しのごのもうしても、たちゆかなくなったとき、結局身近な天神川桜や木幡桜に慰めを得たというのは、これまた玄妙というか、現実というか、実相をあらわしちょる、脳。

 自宅に桜があったなら。そうだ、あったのだ。
 遠い昔、父は嵯峨の車折(くるまざき)近くに広い敷地をもっていた。わたしらはそこにすんでいた。どのくらいひろいかというと、南北二列で説明すると。

 北・東門→ 前庭 平屋(八畳、六畳、土間台所、六畳、六畳、八畳、廻り廊下) 後ろ庭
         東西間は広場。
 北・西門→ 前庭 三角屋根洋館(でっかい:一階は吹き抜け大ホール) 離れ(八畳、六畳、風呂台所) 後ろ庭

 いろいろな事情もあったのだが、言えることは、当時の土地代は想像を絶する気楽さだったようだ。これだけでおそらく、今の国産高級車ていどだった。父は最初借地借家だったが、工面して購入し、後日西門ラインを人に売った。だから、わたしが小学校上級生から高校くらいまでは、東門部分を自宅としていた。
 赤貧洗うがごとき中で、自宅と庭だけは、なんかぁ、お公家さんレベルだった。そういえば、森博嗣先生のVシリーズの瀬在丸紅子(せざいまる べにこ)さんも、そういう状態だったような(笑)。
 事実は小説より奇なり(ベタな表現じゃね)

 さて、その東門ラインの前庭に桜木があった。ところが、その記憶が「ああ、綺麗」じゃなくて、毛虫が一杯いて、葉っぱが虫食いだらけで、汚いと。その上、枝が細いから登るわけにもいかない。結局、満開の桜記憶がなくて、桜はきたない木としか覚えていない。前庭の北東隅にでっかい樫の木があって、わたしは小学校から中学、高校まではこの木と遊んでいた。2mほどの高さの所で、幹が二つにわかれて、そこに板きれ、縄、むしろをあげて、十年以上の長期間、遊んでいた。友を呼んだ記憶もあるが、大抵はその樹上の屋形で一人、星月を見て夢想していた。

 結論。
 わたしは幼き頃、桜の美しさに気がつかず、ただ、汚いと思っただけだった。
 その分、樫の木は頑丈で、虫もあまりいなくて、大好きだった。
 今は両方好きだ。

 これでお終い今年の桜話。又来年。
 ああ、そのうち、自薦桜2007も記してみよう。  

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桜2007」カテゴリの記事

コメント

たしかに、桜の木には毛虫がつきものですね。6月頃に桜並木の下を通るのは非常に勇気が要ります。いつ上から落ちてくるかと。

以前の我が家の隣家にも彼岸桜がありまして、サクランボの生る木でした。幼時、そのお裾分けが楽しみでした。

花より団子?

投稿: namiko | 2007年4月24日 (火) 10時18分

namikoさん、これはお珍しい。息災のようで。

さて、
「隣家の彼岸桜」というのが奥ゆかしい。
まるで落剥公家の風情(笑)

 サクランボは大好物ですが、どの桜から生まれるのかは、今にいたるもよう知りませんでした。そうか、彼岸桜だったのですか。すると、西欧には彼岸桜が一杯だったのだろうかと、また変な想像。
 後日、調べておきます。

投稿: Mu→namiko | 2007年4月24日 (火) 10時24分

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