邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択
参考MuBlog:黒塚古墳・公園の現況写真
邪馬台国が日本のどこにあったのかという論争を、「歴史の選択(NHK)」で放映された。視聴者が携帯電話などで投票をする方式だった。結果は、九州説が約3万5千人、大和説が約2万1千人の回答で、九州説有利と日本人が考えている様子がわかった。おもしろいことに、九州地域の回答者は95%九州説なのに、近畿地域の人は、70%が大和説だった。九州住人は熱があるように思えた。それに投票は、まるで選挙みたいだ。もちろん番組では、沖縄説、四国説も紹介され、各地説も図上に出た。出雲、長野、なんと房総の千葉説まで含まれていた。
しかし、MuBlogご紹介・鯨統一郎さんの、トンデモなくまっとうな、正論は紹介されなかった(笑)。邪馬台国はどこですか? を紹介しないなんてねぇ。
さらにMuBlogご紹介・大和は邪馬台国である/高城修三、こういう図書も紹介されなかった。さらに、まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介、も。
沖縄説は、琉球大学名誉教授木村政昭という人が画面にでてきて、沖縄県北谷(ちゃたん)町沖の海底に、邪馬台国遺跡があると紹介されていて、興味を引いた。巨大な亀形石を王墓と推測し、また長い石段や宮殿跡らしい映像もみることが出来た。
番組進行の上で比較された所は、次の諸点だった。
卑弥呼が住んだ所: 吉野ヶ里(九州)か、纒向(まきむく)遺跡(大和)
卑弥呼の統治象徴: 鉄製武器(九州)か、銅鏡(大和)
卑弥呼の統治方法: 武力(九州)か、権威(大和)か
卑弥呼の墓: 平原(ひらばる)遺跡(九州福岡前原市)か、箸墓古墳(奈良県桜井市)
あとは、邪馬台国の南にあったと魏志倭人伝に記された狗奴国との関係。
松平定知さんが大和説の身代わりで、上田早苗さんが九州出身らしく邪馬台国九州説の身代わりをした。感想だが、上田さんは熱っぽかったが、松平さんは「ぼくには、関係ないよ」という態度がありありと出ていた。いつもの熱気がないのが、最初から結論が分かっているようで、笑けた。その通りの結果となった。
私は、教員なので、以前から九州の人を何人も見てきたが、たしかに熱心というか血が沸騰するような雰囲気の人が多くて、だから、上田さんの九州説には勝てないなぁ、と瞬間思った。九州で幼少期を過ごすと、邪馬台国が九州以外のどこにあるぅ! という雰囲気なのだ。つまり九州で初等教育を受けると、お日さまが東から上がるのと同じくらいに、邪馬台国九州説は当然の、天動説のようなものだ。
では、Mu説。
0.Mu前提
昔々の大昔、大和纒向に、出雲から素戔嗚尊(すさのおのみこと)眷属一党が移ってきた。そこに居住し、三輪山をあがめ、一大神帝国を営んでいた。
そこへ、九州からも神武一党が乗り込んできて、両派は婚姻関係を結び、神武は畝傍橿原で新建国し、ヤマトと呼ばれた。諸国が乱れたのは、神武一党の東征によるものが大きい。しかし畝傍・三輪の初期ヤマト領国は三輪山と畝傍山を結んだ局地的なもので、諸国での騒乱は続いた。
約100年の間に、畝傍橿原からは男系で歴代大王が立ち、三輪からは女系が立ち巫女として神を祀った。
後世崇神天皇と呼ばれた時代には、疫病も猛威を振るい、全国的に収拾がつかなくなり、ついに日巫女(ヒミコ)として、ヤマト・トトビ・モモソヒメが諸国に共立され、祭政一致、戦乱をおさめた。後世、魏志倭人伝の記述により、卑弥呼として人々に知られるようになった。
1.吉野ヶ里(九州)か、纒向(まきむく)遺跡(大和)か
女系・巫女の神聖憑依、よりつきで国がおさまったのだから、武力国家というよりも、権威国家、つまり平安京のようなものだな。吉野ヶ里は武張っている。他方、纒向は運河もあって文明が開けていた。女王の居住地としては、纒向からみた三輪山のイメージが神聖さをいやます。
2.卑弥呼の統治象徴: 鉄製武器(九州)か、銅鏡(大和)か &
卑弥呼の統治方法: 武力(九州)か、権威(大和)か
銅鏡を古墳に納めた様式からみて、前方後円墳もまた、墓の機能よりも、神聖な御山だったのだろう。相互に剣で攻めることに失敗したから、日巫女が立った。日巫女(ヒミコ)は外交によって魏から銅鏡をプレゼントされ、親魏倭王として、ヤマト代表と認められた。つまり、日巫女のシンボルは、剣ではなくて銅鏡だったのだから、銅鏡の多い大和説が妥当だろう。
3.平原(ひらばる)遺跡(九州福岡前原市)か、箸墓古墳(奈良県桜井市)
九州説だと居住地が吉野ヶ里で、御山・墓が前原市になるが、はて。
大和説だと居住地が三輪山近くの纒向(まきむく)で、その聖山三輪山の麓に日巫女の御山・箸墓があり、すべて一カ所にまとまっている。
九州説だと現・佐賀県の神埼市近郊に住み、40キロほど遠隔の現・福岡県前原市に墓を作るのが、分かりにくい。
狗奴国(くなこく)については、魏志倭人伝によると南にあったそうだから、九州なら熊本県、大和なら和歌山県あたりなのだろうか。ところが、魏志倭人伝の方位は、これは真に受けるのが間違いで、作者は伝聞らしいので、あてにはならない。一体、邪馬台国(ヤマト国)に叛旗をひるがえす強国狗奴国はどこなのだろう。邪馬台国大和説では、尾張とも以前耳にした。
以上、つらつら考えるに、昨夜のNHK「邪馬台国はどこですか」視聴者の多くは、Muとは違った考えをお持ちの九州人が、大挙して携帯電話で番組を乗っ取ったのじゃなかろうかと、いささか危惧の念、これあり。公器であるTV放送を、恣意に扱う悪い風潮には、困り果てる濃。九州の住人は、本当に濃い人が多い(笑)。
邪馬台国は、ヤマト国の中国風僻地訛り、これは卑弥呼も日巫女の中国風僻地訛り。いずれも、邪とか馬とか、卑とか、ふてぶてしいまでの悪字を他国に使う悪いクセ。
さすれば、答えは最初からでている。
ヤマト→大和、と。
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コメント
(大和人の意見)
昨夜は、この番組を家族で見ていました。
投票も(どっちにする?)と、みんなで言い合いながら、楽しんでいました。
魏志倭人伝の記述と、吉野ヶ里遺跡の建物が一致していると知ったときは、(大和説)→(九州説)に心が動きました。
でも、卑弥呼のお墓については、規模の大きさから考えてみて(やっぱり箸墓やなぁ~。)と思いました。
最終的には、九州説のように、武力で東征していって、大和朝廷を開いたと考えるよりも、邪馬台国は大和にあって、そこから勢力を広げていったと考える方が、ごく自然のように思いました。だから、(大和説)に3票!投票しました(笑)。
大和人は、あの番組を冷静に見ていましたよ。纒向(まきむく)遺跡を、吉野ヶ里遺跡のように復元したら、大和説も有力になるんじゃないでしょうか(笑)。
箸墓古墳を発掘したら、魏の皇帝からもらったという金印が出てきませんかねぇ~。
投稿: wd | 2007年3月15日 (木) 09時00分
WDさん、こんにちは。
多少歴史マニア風であるとは思っていましたが、一家あげて投票したようす。いや、感心。Muは、そういう細かな事が不得手で(携帯の画面みていると頭痛がします)、ただTVを見ておりました。
マキムク遺跡全域を、奈良県は大金だして復元するのが必要ですね。いや、国家としてやっておかないと、永遠に我ら日本人は、出所不明のルーツなしになってしまいます。
DNA的に如何にルーツが、やれツングース系の女真のと言われても(最近は、南米の古代巨人と同じ系列というTV番組:キャノン提供、をじっとながめておりました)、生物学的な根源論よりも、四季ある、うまし国ヤマトで、文明文化をはぐくんだその文明的なルーツは知っておきたいですよ。
吉野ヶ里は、90年代初頭に行ってきました。木組みの高楼に登って感心しました。ばかでかい住居あとは記憶にないので、まだ普請中だったんでしょうね。
ああいうモニュメントがあると、迫力あります。だから、マキムクにも運河開いて、丸木船通して、親魏倭王印饅頭をつくって、ツアーが組みやすくしないと、ね。
箸墓は宮内庁の管轄になっていますね。今城塚古墳みたいに、捨て置かれたら、自由になるのですが。しかし、Muの知る小説なんかでは、すでに箸墓のことは、全解明されておるようです。いえ、内田康夫先生の箸墓幻想だけではありません。
これは噂にすぎませんが、古代歴史社会とか、考古学世界では、九州説を唱える研究者は激減したようです。それをことさらMuが言わないのは、どうも日本の歴史社会は、時代によって、言うことなすことがまるで逆になるから、判断に苦しみますので。
では、MuBlogの初期記事に多かった邪馬台国関係記事、これからも少しずつまとめていきます。3年前のアクセスは、卑弥呼とか古墳とか銅鏡、ばかりでしたから。
投稿: Mu→Wd | 2007年3月15日 (木) 09時46分
日本はいいですね~~
その番組、ハノイでも衛星でやってくれないのかな~~?ハノイから投票しますで。
三国志の時代でしょう、日本は大和に連合政権は出来ていましたな~~。まだ、九州か大和かと議論してるのですか?とっくに決着はついてますで~~。
纒向(まきむく)から出土した土器には楼閣が描かれてましたで~~。確かに九州は大陸に近いから早く文明は開いた事は認めます。何回も大和を制圧した事もも認めます。
けど、大陸に統一王朝が出来たり、大きな政変と混乱で九州の人は安全な東の大和に移ったんでしょうね。神武東征神話はそれでしょうな~~。
投稿: jo | 2007年3月15日 (木) 13時32分
JOさん
ケーブルTVはベトナムに、直通じゃないようですね(笑)
こまりましたな。
先般スペシャル番組の蘇我の大化改新ものもご覧になっていないようですね。
さて。
Muも、邪馬台国論争は決着が付いていることなので、あんまり吼える必要もないと存じております。
今後、この手のテーマだと、素戔嗚尊、ニギハヤヒ、三輪山、橿原の神武建国と、ヒミコ、崇神天皇までの流れを、どうあつかうかでしょうね。
投稿: Mu→Jo | 2007年3月15日 (木) 16時24分
本日、ハノイでも衛星で番組が放映されました。
なるほど、こういう番組だったんですね。大衆を相手の視聴者参加番組として、邪馬台国はいい材料ですね。
けど、考古学でも歴史学の専門家でモ吉野ケ里ガ邪馬台国と言う学者は殆ど居ませんよ。邪馬台国を取り巻く国の一つという人はいますね。
どうも、番組の底が浅すぎましたね。珍しいですよ。
投稿: jo | 2007年3月16日 (金) 00時07分
JOさん
NHKの、解説記事アドレスを挙げておきます。
内容紹介欄で、吉野ヶ里遺跡と纒向遺跡と、箸墓については、解説がないですね。TVでは、これらを中心に進めたからでしょうか。
その時歴史が動いた、2007年3月放送分の解説
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_03.html#02
この邪馬台国問題は、視聴者参加形式としては、このあたりで進めざるをえないのかもしれません。
スペシャル番組では、別のスタッフが別の視点で掘り下げることでしょう。
投稿: Mu→Jo | 2007年3月16日 (金) 05時25分