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2007年3月31日 (土)

MuBlog千番記念記事:伏見港柳と長建寺糸桜

MuBlog1000番記念記事

伏見港界隈長建寺(京都市伏見区東柳町)地図

柳と酒蔵(京都市伏見港、平成十九年春)

柳と酒蔵(京都市伏見港、2007春)
 土曜の夕方ひと眠りして、ようやく千番記事のお題が決まった。つまるところ、月並、年並の伏見港にしたわけだ。いま書きながらもほっとしている。20代のころならこの気持は想像できなかっただろう。いつも伏見をぶらつき、今日も突然足が向いていた。そして桜の季節なのに相も変わらず伏見港の柳を撮ってしまう。その月並さに、自らがほっとする。くり返し毎年同じ事をする、こういう気持に今は自然なのだ。新奇性を求めようともしない、けれど足は動き指はシャッターを押す。華々しく、千番歌合わせのような記事趣向をとも思ったが、やはり本日土曜の午後の伏見港にとどめをさしたわけである。
 MuBlog千番合わせ記事は、かくして伏見港の柳と酒蔵に、あいなった次第(笑)。

長建寺の糸桜

長建寺の糸桜
糸桜爛漫
長建寺の糸桜爛漫
 江戸時代に、中書島の遊女たちの信仰篤かった弁才天をお祭りするこのお寺には、もう一つ有名な糸桜がある。「京の桜博士、佐野藤右衛門」と記された糸のような枝垂れ桜が境内にある。この糸桜を観ていると、桜と柳は同類なのかもしれないと、ふと今年も思ってしまう。桜木の下には句碑があって、「花人の落合ふ駅や中書島 虚子」と読めた。桜花の派手さはないが、虚子もこの寺を花の駅と考えたのだろうか。いや、昔あった中書島の遊郭、遊女たちを花と詠んだのか、想像だ。

参考
 MuBlog「ふしみこうのやなぎ:伏見港の柳
 MuBlog「ちょうけんじ:長建寺の糸桜

注記
 1000番記事の今日、2007年三月31日(土)21:50頃の、アクセス累計は以下。
 サイト全体→ 累計アクセス数: 517799 1日当たりの平均: 466.91
 MuBlog単独→累計アクセス数: 325909 1日当たりの平均: 293.88
 開始が2004年三月7日なので、約37ヶ月目の記録となる。

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2007年3月30日 (金)

京桜たより:20070330 地蔵禅院・嵐山・広沢・佐野藤右衛門邸

この記事は、MuBlog999番目です。

 今年の桜は早いと聞いていましたが、京都はなかなか。平年と変わりはないように思えます。ただ、昨年体調が悪くて一つも桜狩ができず、今年こそと桜のことでやきもきしていますので、こういう感想はあてになりません。
 矢も楯もたまらずに、今朝は南山城の地蔵禅寺(見頃)、嵐山(まだまだ)、大覚寺・広沢池(まだまだ)、そしてそろそろ見頃の佐野藤右衛門邸を見て回りました。
 一つ一つのまとめは後日として、とりあえず京桜20070330としてレビューしておきます。これは今年と言うよりも来年の桜狩・開花情報に重宝するかもしれません。

地蔵禅院20070330(地蔵院)

地蔵禅寺20070330(地蔵院)
 詳細は後日として、ここの枝垂れ桜は初めて眺める佳い桜でした。祇園円山公園垂れ桜とは縁戚関係で、この話は以前未知の方からコメントをいただきました(まさしくネット縁です)。それにしても、例年三月一杯が見頃とかで、ぎりぎり間に合ったわけです。場所は南山城と言っていいわけですが、正確には京都府の井手町です。地蔵禅寺、地蔵禅院、地蔵院とか名称がまだ私の中では定まらないのですが、詳細は後日。なによりも、木津川沿いの山城国を遠望できるのが佳かったですね。邪馬台国はこのあたりという説もあるのです。(後日に(笑))

嵐山20070330

嵐山20070330
 いつもの見慣れた嵐山と、渡月橋遠望写真です。桜はまだまだですね。ただ、嵐山の桜や紅葉季節は自動車が動かなくなるので、ここを熱心に眺めるには、それこそ遠隔地へ行くのと同じで、宇治木幡を午前五時(いつものことですが)起床出発でないと、無理です。ことし、それをするかどうかは、はてな? それにしても、天下の名勝嵐山といわれるだけの景観です。私はこの近辺で育ち、20数年住まいして、いまも近所に勤めているのですから、今後も大切にしていきます。

広沢池畔20070330

広沢池畔20070330
 嵐山を通過して、大覚寺・大沢池・広沢池と眺めてみたのですが、桜はまだまだ。これからですね。過去MuBlog記録では大抵四月に入って、なんのきなしにぶらりと行って、カメラを向けておりました。そうですね。来週の入学式前後は忙しい訳ですが、授業はまだないので、こっそり夕方なんかに行って参ります。このあたりは嵯峨野にならんで、私の少年期・青年期の散歩道ですから、まあ、気楽に。

佐野藤右衛門邸桜20070330

佐野藤右衛門邸桜20070330
 さて。さても佐野家の桜。実は今日出かけたのも、ともかく佐野藤右衛門邸をみないことには、どうにもお尻がぞわぞわして仕事になりません。MuBlogのアクセスを見ても、この一ヶ月、この一週間ねてもさめても古い桜記事にアクセスがあって、「もしかしたら、全国の、世界の佐野桜ファンが、Mu記事をまっているのじゃなかろうか!」と、妄想に追われてしまって、……。

解析対象期間: 2007年3月23日(金) ~ 2007年3月29日(木)
アクセス数: 5,511
訪問者数: 4,127
             訪問者・アクセス数
1 MuBlog: トップページ 164 289 4.0% 5.2%
2 MuBlog: 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 136 242 3.3% 4.4%
3 MuBlog: ti voglio bene : リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ 58 103 1.4% 1.9%
4 MuBlog: 地図の風景 71 91 1.7% 1.7%
5 MuBlog: NHK風林火山(12)晴信、板垣、勘助の心・桜 77 89 1.9% 1.6%
6 MuBlog: さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年 47 86 1.1% 1.6%

 さすがの風林火山も、グルメ記事も、佐野藤右衛門邸桜記事には、完全に負けております。これだけ佐野桜ファンが多いのならば、今年もなんとかしなくっちゃ、という思いで、午後行って参りました。そうですね。曇り空に独特の桜麗姿がありました。例年とはひと味ちがったお姿でしたなぁ。見頃の一歩手前と申せばよろしいのでしょうか。まだ、ういういしく恥ずかしげに花咲き始め。桜専門家ではないので、正確には言えないのですが、おそらく今週の日曜くらいが、絶景かな、と想像しています。

注:このレビューのうち、地蔵禅寺と佐野藤右衛門邸桜は、後日もうすこし写真や動画を掲載します。
注:パノラマ写真に堪能な奇特な方の計らいで、「飛鳥石舞台たより」を毎日見ていますので、今年は四月に入って、石舞台桜を掲載予定です。
  (風人さん)http://asuka3.michikusa.jp/panorama/pa/panorama6.html
  (石舞台の開花状況)http://asukakyo.jp/sakura06/isibutai.html

 MuBlogの平成16、17年の桜記事は、「目次:桜狩り」にまとめてあります。ご笑覧ください。

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2007年3月29日 (木)

小説木幡記:20070329(木)曇日に、昨夜のパーティーを思う

 先夜は、京都駅東のセンチュリーホテルで、日頃おせわになってきた図書館のM課長さんの定年記念パーティーがあった。余も参加し、乾杯の音頭をとった。学長の挨拶や大学局長や、そうそうたるメンバーの顔もあって、気後れした。
 今日になって、わざわざ記録したのは、Mさんにむけてのとても心に残った祝辞がいくつもあったからだ。余はこの二年間、気ままに気楽にM課長さんと仕事をしてきた。そのMさんが、私と同年代とはおもってもいなかった。二年前には、「若い女性が大学図書館を切り盛りするのは大変だろうな」、と考えていたくらいだった。穏やかな人としてずっと印象に残っていた。なんと、同年代だったとは。

 図書館は、いろんな悪条件の中で、いろんなことが少しずつ改良されてきた。たいていは、「先生、こうしたほうが良いとおもうのですが」と、Mさんが先に話された。余は、そうですねぇ、そうしましょう、と相づちを打ってきただけだった。ところが、数日後には、そうなっていた。年に数回行われる教授連を交えた会議も、大抵は波乱もなく、ほぼMさんに伺った通りの内容で通っていった。

 おや? と、気がつくべきだった。余は、そういうもんなんだろうな、とのんきに考えていたふしもあった。なかなか当局も教授連も図書館のことをよく考えてくれているね、などと脳天気なことを口にしたことも多々あった。もちろん、そういう点もあったかもしれないが(笑)

 いや、余はアホかもしれない。沢山の祝辞、お別れの言葉を聞いていて、なにか、穴があったら入りたくなった。最初のうちは、
 「40年近く前、Mさんが図書館に来てしばらくは、四季折々に、花やお菓子を図書館に持ってくる男性職員の姿が絶えなかった」
 そうだろう、そうだろう。背も余より高いし、色白だし、さぞお若い頃は男性を悩ませたのだろうな、今もその面影がはっきり残っている。ふむふむ。そう、思って聞いていた。

 ところが、だんだん。
 「Mさんのことでは、歴代の経理部長が蒼くなっていた」
 ほお?
 「絶対に、Mさんの話をそのまま通すわけにはいかないと思っていても、結局予算をかすめ取られてしまう」
 はぁ?

 ここで手短に結論を記す。

 要するに、この二年間、余にとっては気だてのやさしい、よく気がつき、万端遺漏のないベテラン課長が、実は。
 実は「課長は魔女だったのかもしれない」。
 わが学園内で、最強の辣腕。言い出した予算、人事は、なにがなんでも、いとも簡単に(と、みえただけ)通してしまう、ものすごい人だった。

 そういうこと。

 余は昨夜、そういう優秀な人と仕事をできたうれしさを味わい、同時に冷や汗をどっとかいた。
 そういえば、Mさんは、比較的小規模なわが図書館にあって、非常に早期のコンピュータ化を主導的に達成した課長さんだった。日本の中でも早いケースだった。随分以前に図書カード内容は、数年かけてすべてデータベース化を達成していた。それだけの人事・予算を、彼女はなにがなんでも、学園から搾り取ったのだ。そういう事実を、余は二年前に「そうだっけぇ」と、ぼけた顔して自分で確認したはずじゃなかったのかぁ~。

 ああ、万事につき、余は脳天気にすぎた。
 Mさん、あなたは葛野の魔女だったんですね。何も知らずに、二年間お世話になってしまった。
 心から、ありがとう。

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2007年3月28日 (水)

小説葛野記:20070328(水)春うらら

この記事、MuBlog996番目。

 さして記すこともないのだが、日記小説は毎回書かないと、気持ちが悪い。
 今日は三条と四条、寺町、新京極を歩いてきた。鴨川に桜はなかった。駅について勤め先まで歩く間に近所の女子高校の庭に一本咲いていた。
 今更だが、世の中「開花」とニュースにあっても、爛漫には遠い。ぽつぽつと言うところだと、実感した。
 先頃、きとくな方のはからいで、飛鳥の石舞台開花情報サイトをコメントにいただいた。
         http://asukakyo.jp/sakura06/isibutai.html
 それによると今年(2007)は3月26日に開花したようだ。行かねばならぬ! (満開頃の極早朝に)

 桜話はおいておいて。
 ……。
 と、記すこともないので、このくらいで終わる。
 春うらら、脳も心もうららとしている。

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2007年3月27日 (火)

ふる里:一条通山越え

この記事、MuBlog995番目。

茶房・ふる里(京都市右京区太秦三尾町 電話075-464-8181)地図←ポイント点のやや右(東)です

ふる里の店内

ふる里の店内
 先年末か、今年なのか思い出せないのですが、広沢池あたりをRSで走っていたら、新しいお店が目に入ったのです。Muは建築物が好みのようです。他人様の家を訪ねて中に入ることは滅多に、皆目ないのですが、それがお店なら、時々勇気を出して入ることがあるのです。で、過日、一大決心をして、入りました。Mu好みの、伏見夢百衆に似た快適さでした。

中から、ふる里の門を見る

中から、ふる里の門を見る
ふる里
ふる里
 建築が好きだからと言って、工学部建築を卒業したわけでもないし、一級建築士の資格もないし、日本建築史の造詣があるわけでもありません。ただの好事家、物好きです。ただ、この「ふる里」が真新しく(笑)、オーナーがそれなりに気持を込めてデザイナーに頼んだのだろうな、とは思いました。特に店内がすっきりしていたし、大きな硝子窓に向かってカウンターがあるところなんか、良かったですね。これで広沢池や山々が遠望できれば申すこと無しですが、そこまでは無い物ねだり。Muは大層気に入りました。全体に、広々としているのです。

水時計と「ふる里」の地図

水時計と「ふる里」の地図
 メニューは紅茶がメインと思いました。他にも、隣席の赤ちゃんをだいた若い女性と、その母親らしき人が、美味しそうなオムライスを食べておりまして、……。ひとつ、「インドネシア・チャーハン」とかいうのもあって、なにかオーナーの趣味を覗いた気分になりました。

 場所は、丁度佐野藤右衛門邸桜森の近くだから、とぼとぼと歩いていると、たどり着くことでしょう。このあたりにはお店が少ないので、重宝します。Muは恐らく、夏などは必ず入ってアイス珈琲をいただく予感がします。夏冬、どちらのタイプかというと、空間が庭も建物もすべてにわたって豊かですから、夏でしょうか。冬は、かえってせせこましい所の暖炉をイメージします。そうです、ここはMuの夏離宮にしましょう、決めました。

追伸
 駐車場は3台ほど、門の横にありました。

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2007年3月26日 (月)

小説木幡記:20070326(月)たまに息が詰まるな

 いまタイトルを書いていて気付いた。「息詰まる」と「息が詰まる」とでは意味がだいぶ違ってくる。前者は「行き詰まる」の意味に聞こえてくる。同じなのだと思った。

 振り返ればたいしたことでもないのに、相変わらず今日も息が出来なくなるんじゃなかろうかと、夕方葛野で目を閉じた。午前中は市内出張で、緊張が続いた。未知のひとと話し合ったりすると大抵おかしくなる。お昼に豪勢なお弁当を頂いて、皆と食べていると落ち着いてきた。

 研究棟が密集したキャンパスをRSで出ようとすると、人が一杯で四方を取り囲まれてしまった。別に、余をめざしてのことじゃなくて、たまたま卒業式だったようだ。着飾った若い男女が雲霞のように時計台・記念塔の前に集まってきた。全体に黒いのは、男性も半分以上いて、スーツの色が濃紺に近いからだろう。女性は、葛野と同じく袴や振り袖できらやかだった。這々の体で抜け出した。そう言えば出席者のお一人が「いえ、なに、懇親会が~」と、会議終了間際に退席したから「昼間から、変なことおっしゃる先生だな」と一瞬思ったが、ゼミなんかで昼食会があったのだろうか。

 葛野に着くまで市内の桜を目で追ったが、どこも咲いては居なかった。当然、鴨川も御所も。葛野研に入って珈琲淹れて一息ついたら、ほっとした。徹底的に、圧倒的に、研究室がシェルター、それも心的バリアになってしまっている。いやそうしてしまった。だから、どれほど不規則な行動(出張会議なんて、余の世界では異例)をして、冷や汗・胃痛を起こしても、研究室に入るとす~っと緊張が融けていく。

 ところが。

 そのあと、夕方7時まで、またしても息が出来なくなった。突然、臨時SEになってしまったのだ。騙ればながいことになるので手短に。
 「Apache とWinSockのことでどうにもならなくなり、マシンを変えた」

 つまり、ある種のデータを、量としては数メガにすぎないが、そっくり別のマシンに移して、ある種のシステムソフトをインストールしなおして、あれこれ、これかれパラメタを変えて、ああでもないこうでもない、と独り言いいながら、時間を湯水のように使って、夕方6:30にやっと、使えるようになった、と言う話。

 なんのこっちゃ(笑)。

 そんなことに半日もかけて、うろうろしているから、人様とうまくおつきあいも出来なくなるし、まともな読書もできないし、新学期授業準備も遅れに遅れるし、だんだん息遣いが荒くなり、ぜえぜえ。しまいに「ああ、息がつまるぅ~」と、なってしまった。

 くどくは言いたくないのだが、たった一本のソフト(Apache) を設定し、数メガのデータを別マシンのhtdocsに移し替えて、動かすだけで、なぜ高給取り(劇笑)が半日も時間を取られて、息を上げるのか。ここに、マシンシステム、ネットワーク時代の陥穽がある。そんなもん、マニュアル通り絶対にいかない。最後は、黄金の手かざしで切り抜けた。ああ、辛い。

 と、言いながら。結局、うまくディレクトリが隠れて、日本語がすぐに出て、画像がすっきり最後まで表示されたのは午後7時、ニンマリ、完爾と笑ったね。
 解答:バージョンが、ある時代のβ版だった。手をぬいて、古い時代のCDで最初は済ませようとした。古い時代のには、v1.3とv2.0βが入っていて、余は後者でひねくり回していた。最後はネットから最新仕様を引っ張り出して、……。

 ああ。書いているだけで、しんどくなった。
 やはり、こういうことは若者の世界だな。

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2007年3月25日 (日)

NHK風林火山(12)晴信、板垣、勘助の心・桜

承前:NHK風林火山(11)晴信謀反、信虎追放

1.大膳という浪人
 この人は、以前から分からなかった。分からないままに今夜まで来た。先回は、富士の見える高原(見えたかどうかは、確かでないが、イメージとしてはそう記憶された)で、駿府に案内される信虎を大膳は斬ろうとした。今夜も、勘助を斬るつもりで、勘助の勧めに応じて武田の板垣信方を斬ろうとして、勘助に斬られた。(むつかしい)
 この三者の関係をみていると、たしかに勘助は家督を継いだ武田晴信(信玄)に仕官しようとしたから、そのために板垣に恩を売ったとなっているが、いささか気持にすとんと落ちない。
 要するに、駿河の今川方に縁の深い山本勘助(親戚は、今川の重役)が、なぜ武田の軍師になったかの、その史的事情の分かりにくさを、大膳という狂言回しをつかって、なんとか納得させようとしたのか、と思った。

2.板垣の気持
 板垣は、最初ミツが信虎に虐殺されたことを恥じて、その内縁の夫・勘助を採用した。勘助は晴信にも出会うが、まだ板垣や晴信に臣従する気持はなかった。板垣はその後、勘助を駿河への間諜として送り出したが、勘助はいつのまにか今川義元に就職願いを出して、醜いと言われ断られた。
 そこでまた、勘助は真田と出会い、信虎に攻められている城へ行き、軍師として振る舞った、……。
 結局勘助は破れ晴信や板垣の前に引き出される。板垣は武田軍を悩ませた軍師が、自分の部下の勘助だったことに激怒、斬ろうとしたが晴信に止められた。
 こと、山本勘助に関しては、これまで板垣はふんだりけったりというか、まるっきり人間らしい関係を形成できなかった。客観的に考えると、すべて勘助の就職のネタに使われただけともいえる。
 勘助のこれまでの真意は、ミツの腹を裂いた信虎憎し、武田憎しにつきるから、途中に出会う板垣や、もろもろは、勘助の心の中で人間像を結ばない。利用できるかどうかだけだった。
 板垣の立場に立てば、今夜勘助の真意を見抜き、斬らなかったのは腑に落ちなかった。

 たしかに、今夜はるると、晴信から勘助機略の絵解きを聞かされたが、難しい内容だった。

3.晴信の気持
 どうなんだろう。優れた武将だったから、勘助の特殊な能力を見抜いたのだろうか。
 妖しい新参者勘助が、100貫どころか200貫で召し抱えられ、足利家ゆかりの「春」の一字まで下げ渡される。これには家中騒然。ついには、勘助真剣で剣の技量を明かさざる得ぬ死地に追い詰められた。しかも、真剣を許し、不気味な笑みを見せたのは、晴信だった。さて。
 二つある。一つは、勘助は42歳まで浪人者だったのだから、道場剣法ではなく、死地に立たねば勝てない。もう一つは、ここで家中の前でなんらかの面目を立てないと、勘助の先はないと晴信が決意した。

4.勘助の気持
 就職したかったのだろう。喰うために、とは描かれていなかった。志を実現させるために、就職し場を得たかった。北条でも今川でも武田でも、どこでもよかった、のだろうか?
 以前、ミツに築城のジオラマを見せていた。そういう城を造り、ハンディのある、武将として戦のしにくい身体の代わりに、軍師としての智慧を縦横無尽に使いたかった。
 もう、年齢は42だ。就職するためには、卑怯にもなる、信義も破る、まさしく自己中心の鬼だった、と描かれている。それがとてもリアルだ。知らない間に勘助の右往左往裏切りに感情移入してしまっている。
 兵とは奇略なり。騙りもの以外ではない。
 そして、晴信自身が、家中に勘助の解説をするとき、それは「騙り」だった。

*.軍師といえば
 いつも、蜀の諸葛孔明を思い出す。彼は、就職活動をせずに、三顧の礼をもって、劉備らに迎え入れられた。
 ちかごろ、もう一つの諸葛孔明像が図書になった。著者も書名も思い出さないが、「あの人、後宮小説」とは知っているので、一度読んでみる。そしてまた思うに、この風林火山の原作者井上靖さんは、十年も前に孔子さんの長編小説を書いている。よい作品だった。そこでの孔子は、それまでの孔子像とは異なった強調があった。就職活動に奔走する、着の身着のまま、諸国を行脚する人として描かれていた。勘助と同じく、志を果たすためだった。

附録
 今日昼に、桜・前衛を目にした。一つは嵐山、一つは広沢池近くの佐野籐右衛門邸だった。記念に掲載しておくが、風林火山とは無関係なような、あるいは、「少し咲いたころに勘助が仕官したなぁ」、と来年思いだそう。
 それにしても、この頃毎回、次回が待ち遠しくなった。
 桜と違って、年内一杯楽しみが続く。

嵐山の初桜

嵐山の初桜

佐野家の初桜木
佐野家の初桜木

佐野家の初桜姫
佐野家の初桜姫

 初桜に、言葉はいらないと思いました。今年も、咲き誇ることでしょう。

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小説葛野記:20070325(日)葛野も雨だね、昨年は

 なんだか今年の三月は、ミンスキー『心の社会』を読んでしまったら、脱力してしまい、しっかりしたMuBlog記事も書けないままに年度末にたどり着いてしまった。この二週間ほどは3月末まで、葛野関係の諸行事、会議、寄り合い、送別会が一杯あって、じっくり読書できないから、そんな気分なのかもしれない。

 人にもよろうが、毎日走り回って充実する人もおれば、日長机上で読書したり瞑想(妄想か)に沈み「生きている」と充実感にあふれる人、二葉があるようだ。

 そんなわけで、隠遁しているつもりなのだが、名刺には肩書きがあるし、芳醇なお給金もいただく身であれば、なにかと世間様のなかで笑顔みせて、それなりに。とすると、どうしても机上が空になり、脳も心も虚無の海にただようことになる。

 昨年の今頃の記事をみると、小野不由美さんの作品を読んでいた。長岡京市をしっかり見て回っていた。市内撮影に歩き回っていた。継体天皇の新書を熱心に読んでいた。(2006年3月記事→)http://asajihara.air-nifty.com/mu/2006/03/index.html
 なのに、4月に入って体調をこわし、桜狩りは絶無だった。

 今年は、3月におとなしくしているから、四月に入ると走り回る予感もするが、さて。
 そうそう、この二週間は新学期の準備にも熱心だった。授業が激変するわけではないが、なんとなく今年から余の授業を受ける新二年生とか、新入生は、これまで余がみたこともない若者らしいという、噂だ(笑)。一体、これまでとどのくらい変化するのかはわからないが、「ゆとり教育」とかを経た若者らしい。どうなんだろう、ゆとりある初等・中等教育だったなら、みんなMuみたいなのかも知れないぞ。余は、いま、それなりにゆとりの境地にあるのだから。

 と、いいながら期末になると、毎度のMuBlogが、「教師として自信がなくなった」「毎日が地獄だ」「登校拒否になった」とか、泣き言を書き連ねるかも知れない。どうであれ、若者の方が心身強壮だから、勝てるわけはない。これからの大学関係者は、命がけで教室に行かねばならない、そんな予感がした。だからこそ、授業準備に頭を痛めておるわけだ。

 授業が始まるまでが「桜勝負」だ。一旦開始したら、もう「桜」どころではない授業風景になるかも知れない。これは、倶楽部員たちにも十分相談しておこう。

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2007年3月23日 (金)

小説木幡記:20070323(金)葛野山桜と祇園のトイレかな

この記事、MuBlog992番目。

Musa270005 今日の葛野の午後だった。きっちり詰まった教授会を終えてキャンパスに出た。空に向かって伸びをすると、山桜が目に入った。気がつかなかった。ソメイヨシノよりも山桜が早いのだろうか。「山桜」という語感から、山奥に遅れて咲く桜と思っていた。まさか葛野が深山幽谷であるはずもない。

Musa270002 木幡に帰って携帯電話からパソコンに写真を移そうとしたら、以前祇園 t.v.bのレストルームで撮った写真が残っていた。ついでだから葛野山桜に添えた。山桜を撮った午後は、会議の疲れで部屋までカメラを取りに行く気力がなくて、そのまま携帯電話を使った。そうだ。祇園でも、トイレが綺麗だからといって、わざわざテーブルまで戻ってカメラを持ってくるほど酔狂でもなかった。こんな時、ケータイ・カメラは便利だと思った。

 さあ、その色合い。いかにもこの携帯特有のものだ。直しようがない。だが、なにかしらこの変な色調をときどき思い出して携帯電話で写すことがある。山桜もぼんやりしている。洗面所は少しましか。このケータイ・カメラは「ますます下手に写る」それが気に入っている。安心なところがあって。肩がこらない。

 今年の桜一号は、葛野の山桜だった。葉がよい。山桜なのがなおよい。一昨年旧友にもらった初版署名入り『本居宣長/小林秀雄』を開けた。七頁にあった。宣長の遺言状にある、宣長自身の設計による墓所図だ。

  本居宣長之奥津紀

 と墓石に記してあり、その上に木があって、「山桜ノ木」と書いてあった。
 大昔自分で買った時から覚えていた。やはり、あった。記憶間違いではなかった。

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2007年3月22日 (木)

小説木幡記20070322(木)たまに繁忙

この記事、MuBlog991番目。

 今日の葛野は終日忙しかった。と、そんなこともある。
 午前中は長時間緊張したせいか、それと寒さとで体調変化し、少し横臥してもとに戻った。鍛え方が足りない脳(自笑)。
 午後は半分打ち合わせに終始し、残り半分は夕方まで会議の締切原稿に追われた。
 夕方は、倶楽部関係者二名と、年度当初の日程や、助勤の事について、比較的ディープな打ち合わせをした。
 帰り際に、いろいろ「メル返」をしたが、さすがに最後は頭がぼーとした。
 そういうこともある。

 充実した一日だったが、研究については打ち合わせ段階であり、成果はまだまだ。
 倶楽部に関しては、だんだんと今春のイメージが定着してきた。
 ともかく、責務を果たし、締切をはたし、それとなくほっとした。
 あすもまた、会議がある。
 うう。

 木幡に帰還しても神経がひりひりし、さすがに夕食はいつもの2/3程度で抑えた。
 こういうこともある。
 なれど、煎茶の一杯がことのほか、気持を楽にした。
 いま、午後九時を過ぎた。
 もう、ねむるしかないな。

 こんな一日だった。合掌。黙祷。

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2007年3月21日 (水)

小説木幡記20070321(水)桜カレンダー

この記事、MuBlog990番目。

参考記事:桜狩り(目次)

 朝刊を読んでいたらソメイヨシノの関西開花時期が載っていた。以下、△は開花予想日、★は満開予想日。満開とは3日間程度持続するようだ。そしてこれは多分平地のことだろう。山間地だと、それぞれ一週間程度おくれるのだろうか、調べてみないと。

 大阪 △3/25(日) → ★3/31(土)~
 奈良 △3/26(月) → ★4/1(日)~
 京都 △3/27(火) → ★4/2(月)~
 彦根 △3/29(木) → ★4/4(水)~

 葛野の大学は4月4(水)が入学式だから、新入生は校門の桜を眺めつつ、華やかな式に臨めるだろう。
 今年は元気よく、奈良、京都、滋賀の三県を桜狩に走りたいが諸々考えると月末から4月当初に奈良、京都。4月上旬に滋賀とすればよかろうか。

 本当は出不精で憑かれやすいから(笑)、大覚寺や嵯峨野や広澤池+佐野藤右衛門桜や、円山公園や天神川の桜で、終わってしまいそうだが。いや、少しは趣向を変えて、あれこれ計画だけは立てておこう。

1.遠隔地で、往復の車が混みそうなところは早朝五時頃に出発しよう。
 たとえば、滋賀県の海津大崎地図)。湖西に住む旧友の話ではものすご綺麗らしいが、車が動けなくなるようだ。
 たとえば、飛鳥の石舞台。ここの桜は、大昔の記憶の断片と、数年前のTVでしか見ていない。
 さらに、吉野。ここはいつ行っても花はなかった。大昔、調べもしないで三月末に宿泊したこともあったが、それじゃ桜は眠っている。風雪梅安一家で行ったときも、蕾もなかったような~。

2.近辺の天神川や広澤・大澤・嵯峨野あたりは、日々朝夕昼食時、足繁く通おうぞ。

3.今年こそ、京都市内の有名処をきちんと見て回ろう。実は、余は意外に無知なんだ。たとえば、入江さんという人の京都イケズ話本では、平野(神社)さんなんか、良さそうだ。他に、一杯あるようなので、楽しみ楽しみ。京都といえば知っているところでも、写真には撮っていない。御室桜に、銀閣寺疎水界隈。

4.今年は、滋賀県の探索も、海津大崎が無理としても、湖南はなんとしてでも通う。保田與重郎先生の歌で忘れがたい一首がある。近江神宮に歌碑あって、 さゝなみのしがの山路の春にまよい、ひとり眺めし花ざかりかな。この歌は勝手に頭の中で、「さざなみの志賀の山路に迷い来て、ひとりながめし山桜かな」と詠んでいるのだが、さて、少し調べないと。おそらく保田先生は後年、二十代の歌に自ら手を入れられたのかも知れない。そう。山桜。ここに桜花の原始があるのだろう。

*.さて、どのくらい回れるか。三月下旬から四月上旬は、休暇をとって走り回らないと。しかしながら、四月最初の週は、これまた入学式もろもろの祝典、オリエンテーションも続々。困ったものだねぇ。花をとるか責務を取るか。「桜狩写心に狂奔、Mu先生懲戒」なんてならないように、それとなく朝夕、こっそり駆けめぐろうぞ。おお、夕桜も佳きかな。

追加
 鴨川上流、賀茂川、植物園あたりを忘れていた。ここの桜も凄まじい。

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2007年3月20日 (火)

小説木幡記:20070320(火)人の心配ばかりしないで

 我が身の心配をすればよいのにと、帰りがけため息をついてしまった。

 今日は塞いでいたわけではないが、なにか人の心配ばかりしていた。ずっと気になっていたのだが、旧高麗国の人達は、今どうしているのだろう。寒い国らしいが、食料とか燃料が豊かでないと凍える。そういう政治体制に生まれた不運なのか、あるいは政治というのは人がするのだから、変えようがあるのかどうか。あの国は、日本の古代史を見ていると、なにかしらしんどいことが多かったように思えてしまう。

 中東では、スンニ派とシーア派の宗教対立を煽って、武装勢力が猛威を振るい、最近は毒ガス相当の塩素ガス攻撃なんかもでてきたようだ。隣国のイランとかシリアとか、周辺諸国もそれとなく内戦にてこ入れしたりして、大変なことになっているようだ。宗教は、人の幸を願って生まれたと思っていたのに、世界を見回すとそこら中で対立が生まれている。よく聞く笑い話だが、中国と日本とは仲がよいと見えるらしい。なぜなら、神戸も横浜も中華街は大賑わい。そういえばコリア系焼肉店も、それなりに繁盛している。もしもインドないしパキスタンに、互いに相手国風の店でも出そうものなら、翌朝には廃墟になっている、とか。それほどに宗教対立は激しいらしい。

 止まない中東戦争、ユダヤ、イスラエル、嘆きの壁。

 まあ、よかろう。余もそれなりに穏やかな宗教教育を基本とする組織に属し、余の実家の宗派とはほんの少し異なるが、常普段、なんの痛痒もない。よかったよかった。

 それにしても。
 正社員と派遣社員等の給与格差は、年収にして3:1も開いているらしい。全国労働者の1/3が非正社員とか。これも心配の種だ。見知り多くの卒業生で格別に司書が気に入っている人達は、同じような格差の狭間にいる人が多い。それでも何割かが笑顔なのは、好きな仕事だからだし、まだ若いこともあるし、女性故に心理的軋轢が、人にもよるが、同年齢男性に比較してやや軽減されているからだろう。しかしそんなことは慰めにはならない。男であれ女であれ、働いた分の賃金を手にするのは当然のことだろうに。

 これからの企業は、理想論じゃなくて、同じ船にのっているものとして組織や利潤を考えていかねばならないのだろう。
 と、きれい事を並べたが、本当に悩み出した一日だった。
 人の多様性を受け入れるだけの組織を造るのが難しいと言うことに悩み出したのだ。

 いろんな人をみてきた。組織貢献、組織忠誠、すべてゼロに等しい人もみてきた。そして高給だった。家庭を持っていて、家族を養っていたのも事実だが。どこかで人間は、目的からはぐれた者が出てくる。それを排除するのが正しいのか。人として同じく待遇するのが正しいのか。
 余の遠縁にも、まるで居候、遊び人がいた。博打するか酒のむか、◎に手を出すか。それしか生きる目的が無いように見えた。きちんと毎日働くことが出来なかった人だ。そういう人を見ていると、この世の難しさが身にしみる。

 いかん、いかん、堂々巡り。この歳になっても、人間という者、みなみなが幸を味わうことの、幸を保証される人生を送ることの難しさに、今日は頭痛吐き気がするほど、悩んでしまった。そしてまた、ほぼ同じ境遇であるにも関わらず、Aは始終不機嫌攻撃的不平不満たらたら、Bは終始笑顔未来を語り、現状を楽しんでいる。そういうあれこれも見てきた。

 難しいなぁ。お釈迦さんやキリストさんや、孔子さんはどう考えていたのだろう、プラトンはソクラテスは。ことのついでにマルクスやレーニンや、もう一息がんばって毛沢東さん、一体どんな風に考えていたのだろう。あれこれが走馬燈のようにめぐり走っていた。

 ところが一方。
 余は、四季折々に美味い物を食べれて、桜見物できて、授業できて、日曜作家して、日曜SEしていたら、まあ、満足なんだから、どうにも人からは嘘嘘しく見られて思われて、辛い。いつも上機嫌だと、人からひどい仕打ちをまま受ける。もともと楽しい性格なんだから、しかたない。ただし、一人で居るときに限るが(笑)。

 というわけで、今夜の木幡記は収拾がつかなくなってしまった。なぜ、この世には不幸の種が山のようにあるのだろう。また、幸の種さえ、一瞬にして不幸の種に変えてしまう、そんな特技を持つ人が比較的多いのは、何故なんだろう。

 もう。これ以上考えても、どうにもならないので、せめて生きている間は、幸せになろうと決意した。
 それには、なにかに執心することだ。それがお釈迦様に背くこととはわかっているが、MuBlog調整したり、ご飯熱心に食べていたり、好きな読書をしていたら、憂さが消える。これもまた執心なのだが、不思議だ。お釈迦様は、執着をいさめられた。

 ああ、色即是空空即是色。

 そして、痛切に、今の日本の平和に感謝する。

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2007年3月19日 (月)

三十二万アクセス:MuBlog

承前:三十一万アクセス:MuBlog
承前:50万アクセス(サイト全体)

 今日は終日繁忙だった(卒業式)。で、夕方気がついたら、MuBlogだけのアクセス数が三十二万になっていた。おそらく、午後一時半ころと推定できるが、未確認。現在夜の九時前のデータを記録しておく。

  MuBlog 累計アクセス数: 320280 1日当たりの平均: 291.96
  全体  
累計アクセス数: 508104  1日当たりの平均: 463.18

 前回三十一万アクセスは2月26日だったから、今日で22日目になる。先年に比べると速い。これは、最近NHK風林火山が波に乗っているからなのだろう。Muがおもしろく楽しいと思って記事を書くくらいだから、世間の人も、風林火山がおもしろいからネサフに励む、と考えると分かりやすい。記事対象と記事とが結ばれるのがネサフ・リンクであり、アクセス数に反映する。やや斜に構えた考え方かもしれないが、そういう事実に気がついた。つまり、世間の人が楽しいと思わない記事は、アクセスされない。
 おびただしい、うち捨てられたMuの気むずかしい記事がその証左なり(笑)。

(0)試しに、今日一日のMuBlog上位・ページ別集計をあげておく。
  これは「一日」という瞬間観測になる。

 解析対象期間: 2007年3月19日(月) 20:40頃観測

アクセス数: 507
訪問者数: 347
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 24 70 6.9% 13.8%
2 NHK風林火山(11)晴信謀反、信虎追放 42 69 12.1% 13.6%
3 ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 11 23 3.2% 4.5%
4 じょうしょうこうじ:常照皇寺 9 15 2.6% 3.0%
5 地図の風景 11 13 3.2% 2.6%
6 NHK風林火山(10)晴信謀反準備 9 12 2.6% 2.4%
6 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 5 12 1.4% 2.4%
8 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 9 11 2.6% 2.2%
8 葛野図書倶楽部2001 4 11 1.2% 2.2%
10 長尾真博士のノート 7 8 2.0% 1.6%
10 美味しいところ 6 8 1.7% 1.6%
12 室町和久傳(むろまち・わくでん) 6 7 1.7% 1.4%
13 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 5 6 1.4% 1.2%
13 小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕 6 6 1.7% 1.2%
13 0503210・ふしみみなと:伏見港界隈 1 6 0.3% 1.2%
16 京都の書店 5 5 1.4% 1.0%
16 ηなのに夢のよう/森博嗣 4 5 1.2% 1.0%
16 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 5 5 1.4% 1.0%
16 禁断の惑星:Forbidden Planet (映画) 2 5 0.6% 1.0%
16 JO記事『クエ料理 九絵家(大阪)』のこと 5 5 1.4% 1.0%
16 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 5 5 1.4% 1.0%
16 読書の素 5 5 1.4% 1.0%
23 NHK風林火山(07)真田幸隆 3 4 0.9% 0.8%
23 CPU空冷装置・掃除のお勧め 4 4 1.2% 0.8%

感想
 トップ記事はこの場合、2位の風林火山(11)と同一なので、あわせて139アクセスになります。3位のイタリアン(tvb)は、これほどにグルメ人気があるのかと驚きます。4位の常照皇寺は、おそらく桜関係とは思いますが、大昔の記事なので、うれしいです。読者というのは、好みが明確ですね。

附録 今日一日のワード・フレーズ検索

集計対象アクセス数:302
割合
1 佐野藤右衛門  G Y M 9 3.0%
1 じょうしょうこうじ  G Y M 9 3.0%
3 リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ  G Y M 7 2.3%
4 長尾真  G Y M 6 2.0%
4 伏見港界隈  G Y M 6 2.0%
6 禁断の惑星 ロビー  G Y M 5 1.7%
6 じぶり  G Y M 5 1.7%
6 邪馬台国 千葉説  G Y M 5 1.7%
9 風林火山  G Y M 4 1.3%
9 常照皇寺  G Y M 4 1.3%
9 甘樫丘  G Y M 4 1.3%
9 九絵家  G Y M 4 1.3%
13 ”オーパーツ”  G Y M 3 1.0%
13 清水寺 地図 アテルイ  G Y M 3 1.0%
13 ヨルムンガンド 高橋  G Y M 3 1.0%
13 大盛そばの  G Y M 3 1.0%
13 あらしやま  G Y M 3 1.0%
13 祇園 tvb  G Y M 3 1.0%
13 ココログ アフェリエイト  G Y M 3 1.0%
13 ティ・ボリオ・ベーネ  G Y M 3 1.0%
13 二条城 桜  G Y M 3 1.0%
13 信虎追放  G Y M 3 1.0%
13 vaio pcg-FX  G Y M 3 1.0%


感想

 1位の佐野さんですが、不思議でならない、いやそうでもないか、桜と言えば世上、佐野藤右衛門を指すのかも知れません。Muが知らなかっただけのこと。一人笑いしていたのは、邪馬台国千葉県説です。これは、なんとなく昔からあったんじゃないでしょうか。魏志倭人伝をそのままそれなりに解釈すると、日本中どこでも当てはまるという不思議な方位距離方式なのです。房総半島は潮の関係で、和歌山あたりから行きやすいところなのでしょう。9位の久絵家は、ほんとうに「Joさんの呪い」かもしれません。つまり、Muのオリジナルじゃないのですよ。

(1)ページ別アクセス数:一ヶ月分:MuBloのみ

解析対象期間: 2007年2月17日(土) ~ 2007年3月18日(日)

アクセス数: 14,125
訪問者数: 10,105
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 695 1,771 6.9% 12.5%
2 NHK風林火山(07)真田幸隆 1,093 1,349 10.8% 9.6%
3 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 189 363 1.9% 2.6%
4 地図の風景 277 331 2.7% 2.3%
5 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 179 228 1.8% 1.6%
6 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 181 212 1.8% 1.5%
7 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 148 189 1.5% 1.3%
8 美味しいところ 117 178 1.2% 1.3%
9 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 120 171 1.2% 1.2%
10 ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 84 169 0.8% 1.2%
11 室町和久傳(むろまち・わくでん) 119 166 1.2% 1.2%
11 NHK風林火山(08)智将晴信と軍師勘助 120 166 1.2% 1.2%
13 京都の書店 137 160 1.4% 1.1%
14 じょうしょうこうじ:常照皇寺 95 152 0.9% 1.1%
15 CPU空冷装置・掃除のお勧め 78 146 0.8% 1.0%
16 CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 66 142 0.7% 1.0%
17 NHK風林火山(10)晴信謀反準備 116 137 1.1% 1.0%
18 ηなのに夢のよう/森博嗣 110 136 1.1% 1.0%
19 HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 109 133 1.1% 0.9%
20 ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 90 132 0.9% 0.9%
21 さくらだ:桜田 73 120 0.7% 0.8%
22 Santa Monica Beach : サンタモニカ・ビーチ 111 119 1.1% 0.8%
23 長尾真博士のノート 73 109 0.7% 0.8%
24 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 69 106 0.7% 0.8%
25 JO記事『クエ料理 九絵家(大阪)』のこと 79 103 0.8% 0.7%
26 読書余香 96 100 1.0% 0.7%
27 NHK風林火山(06)仕官の難しさ 68 98 0.7% 0.7%
28 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 58 95 0.6% 0.7%
29 読書の素 81 93 0.8% 0.7%
29 小説木幡記 86 93 0.9% 0.7%
31 さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年 50 84 0.5% 0.6%
32 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 67 82 0.7% 0.6%
33 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 63 80 0.6% 0.6%
33 NHK風林火山(04)ミツの死と仕官 66 80 0.7% 0.6%
33 ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎) 62 80 0.6% 0.6%
33 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 64 80 0.6% 0.6%
37 栞屋蕉庵+メリーアイランド、がんこ+はやしや 49 74 0.5% 0.5%
37 オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産/クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック共著 60 74 0.6% 0.5%
39 NHK風林火山(09)晴信と機略 55 70 0.5% 0.5%
39 NHK功名が辻(03)竹中半兵衛のこと 64 70 0.6% 0.5%
41 MuBlog 目次 :記事 逆掲載順 35 69 0.3% 0.5%
41 【少しずつ進める癖/森博嗣】への共鳴感 63 69 0.6% 0.5%
43 小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕 46 66 0.5% 0.5%
44 オーパーツ大全(感想文) 49 65 0.5% 0.5%
45 ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼 43 63 0.4% 0.4%
45 スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 42 63 0.4% 0.4%
47 辨慶うどん 49 62 0.5% 0.4%
48 地図の蠱惑:未踏地 45 61 0.4% 0.4%
49 NHK風林火山(05)今川・北条・武田 44 60 0.4% 0.4%
50 よどがわ・せわりつつみ:淀川河川公園背割堤の桜爛漫 30 59 0.3% 0.4%
51 石塔寺(せきどうじ) 阿育王山(あしょかおうざん) 41 57 0.4% 0.4%
52 0504020・目次:桜狩り 32 56 0.3% 0.4%
53 要塞飛鳥と蘇我入鹿:甘樫丘東麓遺跡 41 53 0.4% 0.4%
54 黄桜かっぱカントリー:kizakura kappa country 36 47 0.4% 0.3%
54 2006年05月 40 47 0.4% 0.3%
54 Blogメモ 33 47 0.3% 0.3%
57 北方謙三『水滸伝』十九「旌旗の章」 最終巻 38 46 0.4% 0.3%
58 小説葛野記:20070213(火)図書館司書になりたい 42 45 0.4% 0.3%
59 小川珈琲本店 33 44 0.3% 0.3%
60 目次:新撰組(新選組!) 24 43 0.2% 0.3%
61 謎の大王継体天皇/水谷千秋 36 41 0.4% 0.3%
61 北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」 36 41 0.4% 0.3%
63 北方謙三『水滸伝』一「曙光の章」 31 40 0.3% 0.3%
63 『豊饒の海/三島由紀夫』の課題 25 40 0.2% 0.3%
65 2006年01月 36 39 0.4% 0.3%
66 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 25 38 0.2% 0.3%
67 ふしみももやまじょう:伏見桃山城 31 37 0.3% 0.3%
68 巻き寿司:明治屋と京都・百万遍「門」 32 36 0.3% 0.3%
69 甘樫丘展望台から見た多武峯:あまかしのおか・とうのみね 22 35 0.2% 0.2%
70 新装のジュンク堂BAL店:私の京都・河原町通{四条→三条} 27 33 0.3% 0.2%
71 長岡京市埋蔵文化財センター 13 32 0.1% 0.2%
71 だいちゅう・ラーメン:大中ラーメン 19 32 0.2% 0.2%
73 2006年02月 27 30 0.3% 0.2%
74 雨の飛鳥紀行 {益田岩船、高取城、酒船石遺跡} 21 29 0.2% 0.2%
74 三十一万アクセス:MuBlog 21 29 0.2% 0.2%
74 目次:MuBlogの主な記事 12 29 0.1% 0.2%
77 詩仙堂と猫町:私の京都 25 28 0.2% 0.2%
77 北方謙三『水滸伝』六「風塵の章」 21 28 0.2% 0.2%
77 小説葛野記:20070312(月)目眩とラインハルト、美麗葛野研(笑) 20 28 0.2% 0.2%
77 2004年11月 22 28 0.2% 0.2%
77 NHK風林火山 23 28 0.2% 0.2%
82 ヴァンパイア・レスタト/アン・ライス 23 27 0.2% 0.2%
82 小説木幡記:20070224(土)晴れて司書の景色が良い 20 27 0.2% 0.2%
82 小説葛野記:20070316(金)暇でもないが、なんとなく 17 27 0.2% 0.2%
82 もりしょう:そうめん処・森正 16 27 0.2% 0.2%
82 プルートウ:Pluto(2)/浦沢直樹(漫画) 20 27 0.2% 0.2%
87 古民カフェ:私の京都・河原町通{四条→三条} 20 26 0.2% 0.2%
87 私の京都:薮そば(伏見桃山大手筋) 20 26 0.2% 0.2%
87 北方謙三『水滸伝』五「玄武の章」 17 26 0.2% 0.2%
87 小説葛野記:20070216(金)司書とか情報図書館学とか人工知能とか 20 26 0.2% 0.2%
87 NHK風林火山(11)晴信謀反、信虎追放 17 26 0.2% 0.2%
87 木曾殿最期 18 26 0.2% 0.2%
87 森博嗣『φは壊れたね』 20 26 0.2% 0.2%
87 だざいふせいちょうあと:太宰府政庁跡 20 26 0.2% 0.2%
87 2006年03月 25 26 0.2% 0.2%
87 2006年10月 25 26 0.2% 0.2%
87 私の京都 19 26 0.2% 0.2%
98 2006年04月 23 25 0.2% 0.2%
99 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差 17 24 0.2% 0.2%
99 へいじょうきゅうせき:平城宮跡、そして佐紀盾列古墳群 18 24 0.2% 0.2%
99 2006年07月 21 24 0.2% 0.2%


自己分析

 1位がトップページなのは、どなたのblogも同じだと思います。2位の風林火山(07)は、あくまでココログさんにたった一日だけリストされたせいです。内容として自信作ではありません。そう考えると、blogのサービス元とか、Google などのエンジン元は、これまでのマスメディア以上に潜在的顕在的パワーを持ってきますね。もしかしたら、いわゆる世論なんかも、……。怖いですねぇ。

 MuBlogといえば、相変わらずハードディスク・フェッチ記事とか、グルメ記事のアクセスが目立ちます。文学は、森博嗣先生と京極堂さんと、北方謙三さんの、お三人くらいしか目立ちません。文学MuBlogの看板を下ろさないとならなくなりそうです。うむむ。

 {NHK、桜、グルメ、パソコン・フェッチ、古代史、京都、邪馬台国、オーパーツ、蕎麦}こうして集合をとってみると、やっぱりネット世間は、正鵠を射ているのでしょう(大笑)。Muはまことに世間的な、普通の物好き「先生」だったようです。 

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2007年3月18日 (日)

NHK風林火山(11)晴信謀反、信虎追放

承前:NHK風林火山(10)晴信謀反準備

甲府の「躑躅ヶ碕館」・地図(人は城という考えからか、大きな築城はなかったようだ)
駿河の今川館(多分、家康築城の駿府城跡)地図
万沢口(JR十島付近)地図 (晴信が信虎を阻止した所。国道52号線、身延線十島近く)

甲府(甲斐)と静岡(駿河)

甲府(甲斐)と静岡(駿河)
 甲府市の躑躅ヶ碕館から静岡市の今川館まで、どんな道をどれくらいかけて信虎は出掛けたのか、それを現代の地図で見てみた。国道52号線、JR身延線沿いに南下したのだろう。たしかに静岡県境付近に、万沢口があった。現代だと山梨県になる。

 甲斐・甲府と駿河・静岡とは直線距離で80キロ程度ある。里数で20里。三日間ほどの旅程になるだろう。ここを、はるばる娘婿の招きに応じてわずかな伴連れで甲府から静岡に出掛けたのだから、信虎も戦国武将にしては優雅なところもあったのだろうか。駿府(今川館)では、京都の歌人飛鳥井氏や、信虎が滅ぼした大井氏(僧籍)、そして今川義元らと、曰くありそうな歌を詠んでいる。塵も積もらぬ老の身とか、戻る甲斐なし、とか意味が二重にとれて、当時の教養人の殺気だった言葉のやりとりが偲ばれた。

 三島由紀夫さんの小説で、歌にならないことは意味がない、ということが記されていたが(奔馬だったか、京風の老婆のセリフ)、殺気だったことや、血なまぐさいことも、歌にしてしまう術が当時はあったのかもしれない。

 さて、晴信が信虎への謀反を明かしたとき、部下達も、弟もそれに従った。なぜ従ったのかは史実としては知らない。ドラマでは、弟が兄晴信の器量を以前から熟知しており、父信虎の前で良い子ぶるのに疲れ果てたと述懐した。そのことで、晴信の心が解け、部下達も聡明な兄弟愛をもって甲斐一国がまとまると安堵した、と描かれていた。

 無理はなかったし、見ていても感動した(笑)。本当に聡明ならば、こんな時代に国主になることの負担や不安は、人を鬱にするだけの圧力がある。それをやすやすと引き受けたり、物欲しげに横取りするのは、才なきものの強欲といえる。だから、弟の真実のこもった兄への服従は自然に見えた。あれだけの暴君信虎、その子飼いの部下を引き受けると、考えただけで汗がでる。多分、当時は人の心もいまよりずっと荒っぽいところもあったろう。晴信にしても、本当に頼りにできるのは板垣一人だから、身内の、よくできた弟が付いてくれるのは、心強かったろう、とドラマの自然にしたがった。

 さて、もう一つの感動は、北条氏康の父「氏綱(うじつな)」の死にざまだった。もともと、氏康が以前、勘助の前でぼやいたように、氏康の祖父、創始者北条早雲は歴史に名をとどめる名士だし、その子氏綱も、氏康に情理こめた置き文を残すほどの名君だった。要するに、この「後(のち)の北条氏」は名君ぞろいだったようだ。

 置き文の内容をドラマでは、画面に重ね合わせて朗読していたが、しっかりした名文だと思う。多分漢籍などの名場面をいろいろコラージュして、そこに子に託すことばとして、氏綱の思想をまとめ上げたのだろう。病に伏す氏綱が語る言葉を聞いているだけで、気持がしゃきんとしてきた。ドラマでは「義を尊ぶ」ことの意味を充分に語っていた。下克上まだ治まらぬ時代だからこそ、信義を重んじたのだろう。今風に申せば、生きる、闘う、その実質的な美学を息子に残したといえる。

 美学だけでは生きていけない。確かにそうだ。しかし思うに、世間はままならぬ事が多い。狡く立ち回っても、マジに行動しても、うまく行くとき行かぬ時、いろいろある。どうせ五分五分なら、後味のよい「義」を打ち立てて行けばよい。私は実践的戦国武将、つまりリアリストのそういう仁義に関しては、うなずくところが多い。勝っても負けてもやがて死ぬ。ならば、気持よいやり方が理にかなっている。もちろん、この世には小狡く立ち回ることに快感を持つ人も多いことを知っての上の話(笑)。ただし、華々しく討ち死にするような、そういう置き文ではない。

 このMuBlog恒例大河ドラマ感想では、これまで主役の山本勘助にあまり言及していないが、結構、ものすごく気に入っている。別の番組、BS2で時々顔を見かけるが、風林火山での役造りは役者として相当に気合いが入っていると感じた。三ヶ月で、勘助の鬱屈、汗臭さ、泥臭さ、変わり身、歩行困難による苛立ち、それら人物像がひしひしと私の心に詰め寄ってきている。これからさらに軍師として、どう立っていくのか、楽しみが尽きない。

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小説木幡記:20070318(日)桃山の雪

三月半ば雪の桃山

三月半ば雪の桃山
 桃山に雪があった、そのように見えた。寒いから事実だろう。明治天皇陵も雪化粧されているのだろうか。桜間近の三月半ばに、雪見はこれまでの記憶にない。いや、3月18日といえば、もしかしたら彼岸の入りか? 春分の日が21(水)だからそうなる。暑さ寒さも彼岸まで、そして、彼岸の入りは荒れる、と思い出した。大昔、年に一度しかなかった大学受験の合格発表日だった。ほろ苦い。
 ああ、琵琶湖の比良八荒(ひらはっこう)、寒の戻りというのかもしれない。日本の季節の言葉は殆ど忘れてしまっている。しかし、今朝は桃山の雪が思い出させてくれた。それにしても、年に一度の合格発表日、切ない。そんな時代が二度とないことに、ほっとした。そういえば、明日は葛野で、大学の卒業式だった。

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2007年3月17日 (土)

禁断の惑星:Forbidden Planet (映画)

承前:映画の原点:禁断の惑星

禁断の惑星

禁断の惑星(映画)
 以前、幼児期に観た「禁断の惑星」にふれたのは、2004年の4月だった。ようやく3年目の今頃にDVDを入手したので、土曜の午前中に堪能した。DVDは結局Amazonで購入した。古品なので、Amazonのマーケットプレイスという方式を使ったわけだ。佐賀県鳥栖市の方から送られてきた。画面はシミ一つない上物だった。拡大写真にも記したが、映画はMGM社の1956年製作、つまり50年前のものがオリジナルだ。DVDは2000年に製作されている。あらゆる面で、優れた作品だと思った。

カバー裏

禁断の惑星(映画)DVDカバー裏
 映画の内容は、末尾にあらすじを引用しておいたので、読者の方もネットや近所で探して、ぜひ御覧になったらどうでしょう、と見終わった今もお勧めできる。一緒に見た木幡の漫画博士M1君も、私と同じくらいに感動していた。しかしそこは、世代が離れていても私にヨルムンガンドやジョジョを勧めるM1君だから、遺伝子構成が似ているのかも知れないが。いや、世の中にはSFとジャンル分けされた作品を嫌う人も多い。私はそれを悲しむ。どんなものでも、時代を超えた原点というものはある。

 いろいろ記したいことが、多方面にわたってあった。映画、SF、心、文明、表現など。この「禁断の惑星」は、私が幼児期に感動し、映画の原点と思い、そして今にいたるも変わらなかったのだから、含んでいることが一杯ある。で、その中から、人間の「イド」をどのように表現したのかという点で、記してみる。

 由来、日本の遠い氏族である物部氏は、朝廷で武器を管理し、また一方「古き神々」を祀る氏族だった。それは今でも奈良県天理市布留(ふる)に、石上神宮(いそのかみじんぐう)として伝えられている。ふるふると魂を振るわし、励起させる集団だった。つまり、物部氏の「物」とは武器のような具体的な形をさすだけでなく、目に見えない魂(たま)の世界をも指している。この件、詳細は避けるが、映画の中での「イド」は魂が形をとった鮮烈な表現であると、私は思った。

イドの襲撃

禁断の惑星(映画)イドの襲撃
 この「イドの襲撃」と名付けた場面は、20万年前のクレル文明が滅びた証であった。「イドの怪物」は、どのように文明・文化が進んでも、押さえきれない物のようだ。具体的に、映画は64センチもの分厚さを持つ、地球にはない超分子密度の高い金属性防御扉をイドはやすやすと破っていく。この恐怖は、幼児期以来今に至るも、私の「恐怖」の原点となっている。鉄壁の防御が次々と破られるイメージは、いつもここにあった。

 オーストリアの精神分析学者ジグムント・フロイト(1856~1939)は、昔、イドという言葉を使った。これはラテン語で、英語で表すとitに相当する。英語では、なにか分からない物を「it」と表現するようだ。スティーブン・キングの『IT』は優れた作品だった。あの小説は、最初から最後まで、なにかわけのわからない物が恐怖を振りまく。

 このフロイト博士が使ったラテン語をそのまま、映画の中では潜在意識と翻訳していた。いわゆる理知・理性が人に備わる前の、ケダモノ的な衝動、本能的な心理を指すのだろう。つまり、人間の脳の中には爬虫類も虎も獅子も住んでいると考えると分かりやすい。人間のその部分を、イドと呼んでいる。私はかねがねこれを深い井戸の底にたとえていた。底は見えないが、なにかが居るというイメージだった。

 フロイトは、{イド、自我、超自我}という言葉を使っていた。が、私は精神分析学に詳しくないので、勝手にその言葉を組み合わせて、次のようなフレーム(考えの枠組み)を造り、日頃使っている。

 イドは、攻撃性、性衝動、破壊性、利己性、わがままなどと理解している。各人は、それを持っていることをうっすらと知っているが、あまり人前や自分自身に認めたくない気持である。これには、性別にかかわらず、近親相姦や殺人衝動や、社会秩序破壊などを事例に挙げれば、万人が心の片隅で認めることだろう。認めないと人は心の病気になり、当然、心と身体は一体だから、身体も病気になりやすくなる。
 (注:当然だが、内認することと、行動とは別である。殺人衝動をそのまま野放しにするのは犯罪である)

 人類はそういう衝動を抑える検閲機能を育て上げた。それを超自我と呼ぶ。超自我は、両親や、学校での指導、禁止や、理想、善心の勧め、つまり人として正しく生きる道徳、倫理などで構成されている。この超自我が、おりおりにイドを制御する。制御された結果が目に見える「自我」として、人前や社会の中で普通に生きる。

 だから、人前や社会で暴力的だったり、破廉恥だったり、犯罪をたやすく犯す人は、事情もあろうが、結果としてこの検閲機能(超自我)が成長していないか、イドが異常に肥大しているのだろう。正しい大人とは、イドを認めそれを適切に制御することをさす。イドを内認しないのは偽善者と言えるし、イドを開放する者は異常者と言ってよいだろう。

まとめ
 未来の人類が惑星アルテア4で、20万年前のクレル文明に遭遇した。映画は、超文明を築きあげた神に等しい知性を持った生命体であっても、心を克服することは難しいという観点を柱にしている。
 それを表すのに、場面の積み重ねがあった。ロボット・ロビーが困った事に直面すると脳に火花が散る場面。娘と船長が愛をかわしていると、それまで猫のようだった虎が突然襲いかかってくる場面。20万年間も巨大なシステムを自己増殖・補修してきた巨大エネルギーが、人が夢をみるだけで無尽蔵に費やされていく場面。超金属のドアや防御扉が爪で引き裂かれ、高エネルギーで熔解し破られていく場面。

 映画は、全編にわたって、細かく意味のある伏線を張り巡らし、当時小学校だった私に深い刻印を押し、そして現代、ため息がでるほど完成した映画として眼前にあった。なにかしら、憎っくき米国(失笑)の当時の映画にかける熱意や才能の深さに、今回も脱帽した。セットひとつとってみても、50年前の米国ハリウッドSFの水準は、現代TVを越えているように思えた。

引用:カバー裏からのあらすじ

 西暦2200年、人類は他の惑星への移住を開始した。折しも惑星アルテア4に接近した宇宙船が危険を告げる怪電波を受信した。警告を無視し着陸したクルーたちを迎えたのは、20年前に生息を断ったモービアス博士(言語学者)と娘のアルタ、そしてロボットのロビーであった。
 博士はこの星には怪物がおり、謎の死を運んでくるという。だがクルーたちは博士の言葉を信じず開発にかかる。やがてクルーたちは次々に殺されていった……。
 ウォルト・ディズニー・プロの協力を得て作られた見事な特撮合成。スター・ウォーズのR2D2にも影響を与えた「ロビー」の活躍にも目が離せない。
 

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2007年3月16日 (金)

小説葛野記:20070316(金)暇でもないが、なんとなく

 昼食を「ザめしや」、でいただいたら、珈琲を飲んでもぼんやりしたまま。暇でもないのだが、午前中から、年度末ギリギリで来年度非常勤の先生が来校不可となって、教務担当の先生とあれこれ、縦皺を刻んで話し合っていた。なかなか、先生方も生身だから、先年の秋に決まったことでも急変はある。う、むむむの世界である。
 ……

1) 暇そうな小物入れ
Muimg_2197 先週、なにかのついでに99円ショップへ行って、帰って品物を眺めたら、変なものが入っていた。認知していなかった。ほとんど無意識に買い物籠にいれたようだ。物知りに聞いたところ、薬入れだろう、となった。余は多様な薬は飲まない方だし、飲まざるを得ぬ時は木幡で横臥しているから、不要品になる。
 しかし説明を好く読んでみたら、いろいろ小物を納めなさい、という趣旨の詞書きがあったので、ひとしきり考え込んで、無用を有用にしようと、さっき工夫した。
 工夫の結果はやはり無用だなぁ~の感が強いが、ふと思い出した。昔の卒業生で、徹底的に変わったグッズ、不要なグッズを買い込んでは、家族や友達に後ろ指さされていた秀才がおったことを。その者は、それがどうやら趣味だったようで、結構上機嫌で、「よいでしょう~」と、学友や余にも見せびらかしていたのを思い出した。
 それが感染したわけではないが、余も公器blogを、一時的に私器blogにモードを変えて、見せびらかすことにした。

 「どうだ、よいだろう、99円の小物入れ!」

小物入れ:開いた写真
Muimg_2196 左上は、てんこもりの飾り付き携帯電話。まったく電話がかかってこないので、近々にTVの映るものに変えようと思っている。少しは無聊もなぐさめられるじゃろう。
 大左下の左上は、アメリカのコイン。まだ使えるはずだが、行くこともないし。棄てるに棄てられない。
  左下は、ブラック・ラグーンやヨルムンガンド世界の名残。何か分かる人は、まあいないだろう!
  右上は、消しゴムのスライス。そのままでは入らない。工夫じゃ。
  右下は、空いたので、ちっこいプラスティックの紙ばさみ。
 大右上の上部は、幅広のポストイット。下部は、フラッシュメモリ、125MB。
 大右下の左側二つ分は、紙ばさみ。右端は、クリップ。

2) 昨日のMuBlog急変
 いつもは全体アクセスが一日あたり700前後なのに、昨日は1000を超えてしまった。プロバイダーのアドレスには、議院関係や政府関係も入っていて、ゾワとした。すわ、内閣○○室のガサ入れか~! 
 それでアクセスワードを調べてみたら、なんと、トップに恩師の名前が入っていた。どうにも分からなくて、そこら中、ネットを探してみた。やっと分かった。勿論最近のニュースは数日後に誤報騒ぎになることもあるので、確定できないが、N先生がどこかの、日本国にひとつしかない機関のトップ候補に立っておられるらしい。
 おや? と思った。そこのポストは、従来議院の長がなる慣例があったようだ。N先生は、現在、ある独立行政法人の長をなさっているはず。う~む。
 いずれにしても、昔、フランスではアンドレ・マルローが文部大臣になったくらいだから、国のある種情報機関(笑)の長に、N先生がなられても、おかしな人事じゃなくて、喜ばしい限りだと思った。
 N先生の専門には、電子図書館も含まれている。最適任者だろう。数年前には、フランスからも勲章を授与されたはず。

3) 本日定食
 月末に、市内で会議があるのでその準備。
 そろそろ、来年度の授業細目をblogに掲載し、周知宣伝。助勤たちとの打合せ資料も作成。
 なかなかに、忙しい脳。

 そうそう、ミンスキー『心の社会』を読了した今、N先生にそれを上回る著作をお勧めしようと思っていた矢先だが、またまた、繁忙は想像を超えることになった。しかたない。いや、もしかしたら、なにかお書きになっていらしゃるかも知れない。鳳凰の心は、燕雀ではつかめない。

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2007年3月15日 (木)

邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択

 吉野ヶ里(佐賀県)地図
 纒向(まきむく)(奈良県)地図

参考MuBlog:黒塚古墳・公園の現況写真

 邪馬台国が日本のどこにあったのかという論争を、「歴史の選択(NHK)」で放映された。視聴者が携帯電話などで投票をする方式だった。結果は、九州説が約3万5千人、大和説が約2万1千人の回答で、九州説有利と日本人が考えている様子がわかった。おもしろいことに、九州地域の回答者は95%九州説なのに、近畿地域の人は、70%が大和説だった。九州住人は熱があるように思えた。それに投票は、まるで選挙みたいだ。もちろん番組では、沖縄説、四国説も紹介され、各地説も図上に出た。出雲、長野、なんと房総の千葉説まで含まれていた。
  しかし、MuBlogご紹介・鯨統一郎さんの、トンデモなくまっとうな、正論は紹介されなかった(笑)。邪馬台国はどこですか? を紹介しないなんてねぇ。

 さらにMuBlogご紹介・大和は邪馬台国である/高城修三、こういう図書も紹介されなかった。さらに、まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介、も。

 沖縄説は、琉球大学名誉教授木村政昭という人が画面にでてきて、沖縄県北谷(ちゃたん)町沖の海底に、邪馬台国遺跡があると紹介されていて、興味を引いた。巨大な亀形石を王墓と推測し、また長い石段や宮殿跡らしい映像もみることが出来た。

 番組進行の上で比較された所は、次の諸点だった。

 卑弥呼が住んだ所: 吉野ヶ里(九州)か、纒向(まきむく)遺跡(大和)
 卑弥呼の統治象徴: 鉄製武器(九州)か、銅鏡(大和)
 卑弥呼の統治方法: 武力(九州)か、権威(大和)か
 卑弥呼の墓: 平原(ひらばる)遺跡(九州福岡前原市)か、箸墓古墳(奈良県桜井市)

 あとは、邪馬台国の南にあったと魏志倭人伝に記された狗奴国との関係。

 松平定知さんが大和説の身代わりで、上田早苗さんが九州出身らしく邪馬台国九州説の身代わりをした。感想だが、上田さんは熱っぽかったが、松平さんは「ぼくには、関係ないよ」という態度がありありと出ていた。いつもの熱気がないのが、最初から結論が分かっているようで、笑けた。その通りの結果となった。
 私は、教員なので、以前から九州の人を何人も見てきたが、たしかに熱心というか血が沸騰するような雰囲気の人が多くて、だから、上田さんの九州説には勝てないなぁ、と瞬間思った。九州で幼少期を過ごすと、邪馬台国が九州以外のどこにあるぅ! という雰囲気なのだ。つまり九州で初等教育を受けると、お日さまが東から上がるのと同じくらいに、邪馬台国九州説は当然の、天動説のようなものだ。

 では、Mu説。

0.Mu前提
 昔々の大昔、大和纒向に、出雲から素戔嗚尊(すさのおのみこと)眷属一党が移ってきた。そこに居住し、三輪山をあがめ、一大神帝国を営んでいた。
 そこへ、九州からも神武一党が乗り込んできて、両派は婚姻関係を結び、神武は畝傍橿原で新建国し、ヤマトと呼ばれた。諸国が乱れたのは、神武一党の東征によるものが大きい。しかし畝傍・三輪の初期ヤマト領国は三輪山と畝傍山を結んだ局地的なもので、諸国での騒乱は続いた。
 約100年の間に、畝傍橿原からは男系で歴代大王が立ち、三輪からは女系が立ち巫女として神を祀った。
 後世崇神天皇と呼ばれた時代には、疫病も猛威を振るい、全国的に収拾がつかなくなり、ついに日巫女(ヒミコ)として、ヤマト・トトビ・モモソヒメが諸国に共立され、祭政一致、戦乱をおさめた。後世、魏志倭人伝の記述により、卑弥呼として人々に知られるようになった。

1.吉野ヶ里(九州)か、纒向(まきむく)遺跡(大和)か

 女系・巫女の神聖憑依、よりつきで国がおさまったのだから、武力国家というよりも、権威国家、つまり平安京のようなものだな。吉野ヶ里は武張っている。他方、纒向は運河もあって文明が開けていた。女王の居住地としては、纒向からみた三輪山のイメージが神聖さをいやます。

2.卑弥呼の統治象徴: 鉄製武器(九州)か、銅鏡(大和)か &
  卑弥呼の統治方法: 武力(九州)か、権威(大和)か

 銅鏡を古墳に納めた様式からみて、前方後円墳もまた、墓の機能よりも、神聖な御山だったのだろう。相互に剣で攻めることに失敗したから、日巫女が立った。日巫女(ヒミコ)は外交によって魏から銅鏡をプレゼントされ、親魏倭王として、ヤマト代表と認められた。つまり、日巫女のシンボルは、剣ではなくて銅鏡だったのだから、銅鏡の多い大和説が妥当だろう。

3.平原(ひらばる)遺跡(九州福岡前原市)か、箸墓古墳(奈良県桜井市)

 九州説だと居住地が吉野ヶ里で、御山・墓が前原市になるが、はて。
 大和説だと居住地が三輪山近くの纒向(まきむく)で、その聖山三輪山の麓に日巫女の御山・箸墓があり、すべて一カ所にまとまっている。
 九州説だと現・佐賀県の神埼市近郊に住み、40キロほど遠隔の現・福岡県前原市に墓を作るのが、分かりにくい。

 狗奴国(くなこく)については、魏志倭人伝によると南にあったそうだから、九州なら熊本県、大和なら和歌山県あたりなのだろうか。ところが、魏志倭人伝の方位は、これは真に受けるのが間違いで、作者は伝聞らしいので、あてにはならない。一体、邪馬台国(ヤマト国)に叛旗をひるがえす強国狗奴国はどこなのだろう。邪馬台国大和説では、尾張とも以前耳にした。

 以上、つらつら考えるに、昨夜のNHK「邪馬台国はどこですか」視聴者の多くは、Muとは違った考えをお持ちの九州人が、大挙して携帯電話で番組を乗っ取ったのじゃなかろうかと、いささか危惧の念、これあり。公器であるTV放送を、恣意に扱う悪い風潮には、困り果てる濃。九州の住人は、本当に濃い人が多い(笑)。

 邪馬台国は、ヤマト国の中国風僻地訛り、これは卑弥呼も日巫女の中国風僻地訛り。いずれも、邪とか馬とか、卑とか、ふてぶてしいまでの悪字を他国に使う悪いクセ。
 さすれば、答えは最初からでている。
 ヤマト→大和、と。

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2007年3月14日 (水)

小説木幡記:20070314(水)水鳥を思い出して

建国記念日の水鳥

建国記念日の水鳥
 珍しく深夜午前二時に起きだして、気がかりだった写真をさがした。木幡の水鳥なのだが、見ていると、時々鳥に見えるのだが、そのうち何かの模様に見えてくる。そういうなにかしら心理的な目の動きに興味はないが、ずっと気がかりだった。こうしてMuBlog記録に加えたなら、それで安心して、よく眠れるような気分になった。もやのような風景を自らの眼前に突きつけて、それで安心することもあるようだ。

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2007年3月13日 (火)

絵葉書:皇居東御苑の石垣修復

承前:絵葉書:冬の合掌造(白川郷)

 数日前に、一昨年(2005)MuBlogでおなじみのDeepGから、今度は江戸便りが入りました。いつものように、ただ写真が数葉送られてきただけで、詞書きは一言「昨年の皇居」それだけ。そこでMuもそれなりに背景を想像し、録しておくことにしました。

 ただ、以前は携帯カメラのようでしたが、今回からは、一枚500KBもあるデジカメ仕様の写真でした。当然普通のメルで重々しくまとめて4メガ近く送られてくるのですから、以前のように、華々しく連続で着メルを聞く楽しみはなくなりました。

 参考記事によれば、皇居(昔の江戸城)の石垣が昨年2006年の夏七月ころ、修復されたようです。現地人ではないのでよく分かりませんが、相当な工事だったようです。いくつかの記事によれば、普通では入れないところも出入りできたようです。

 もとの江戸城は、太田道灌が15世紀中頃に築城し、後に北条氏が出城のような形で使ったようです。そして徳川家康の時代。相当な大改築、拡大をおこなって幕末まで徳川将軍家の城としてあったわけです。1868年、つまり明治元年に天皇が遷都し、しばらくは東京城だったのですが、翌年には「皇居」とされて、「宮城」という名に変わりました。
 さて昨年夏の修理がどうだったのか。その結論はしりません。

参考記事
  皇居東御苑
  江戸城の石垣石
 
皇居東御苑地図

皇居東御苑地図

皇居・東御苑の近く
皇居・東御苑の近く?

 想像するに、DeepGは昨年、江戸に仕事を見付けたようです。そう言えば今年の年賀メルらしきものに、「江戸のおもちゃ屋さん」と書いてあった。どうにも、解せない話だ。しかし、若いからなのだろう。Muなどが葛野を飛び出して、江戸に行っても、食いっぱぐれるのがオチ。

皇居・天主台石垣跡

皇居・天主台石垣跡

皇居・天主台石碑
皇居・天主台石碑

 日本の城跡は西洋の、総石造りと違って、石垣だけが残ります。もし、なんの知識も情報も持たない宇宙人がこの石組みを見たなら、なんと想像するでしょう。そう言えば、エジプトもマヤもアステカも、ピラミッド、ジグラットの跡はそのまま残っています。日本の城のように、木と瓦と土壁だけでできた建造物は破城されやすいし、炎上しやすいし、跡が残りません。しかし、もしも太古のピラミッドに、木製の屋根や屋上屋があったならぁ~。わかりませんよぉ。

皇居・古い石材

皇居・古い石材

大名(松平吉明)の工事請負記録
大名(松平吉明)の工事請負記録

 石材は再利用が効くわけです。周知の、高取城は大和中の石を集めたそうです。もちろん、あの神聖な酒船石まで組み込まれているという噂。それにしても、拡大写真メモにも記しましたが、いくら再利用が現代に適用されても、徳川時代になっての江戸城の場合には、その規模からみて、関係者が各国大名だったことも合わせると、最初の最初はそこここから切り出してきたわけでしょう。大変な労力、資金が必要だったと想像します。

 久しぶりのDeepG便りでほっとしました。それにしても、「皇居」、なんとも言いようがないです。そこは、真空地帯というか、聖地というか、昔なにかの本で読みました。必ず現代の翻刻写真を添付するところが、DeepGらしいところです。

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2007年3月12日 (月)

小説葛野記:20070312(月)目眩とラインハルト、美麗葛野研(笑)

1.目眩
 昨日というか、一昨日土曜日の夜からなにかしら身体がふわついて、日曜の朝起床しようとすると目眩がした。すわ、脳梗塞か~と悩んだが、生への欲望と死への欲望がバランスとれだした昨今、すぐに気持ちはすっとした。「どっちも楽しい」と。がしかし目眩は立ったり横臥したり、反転するたびに目の前が前後左右にゆれて、まるでジェットコースター。ままよとおもって、マシン前に着座してマウスをさわったら、その時だけ元に戻った。まるで、父の絶命寸前麻雀のようで、遺伝だなぁ~と長嘆息。それでも心配性だから昨日は終日木幡にこもっておった(いつものことだが)。

 今朝はよほど葛野研日参は止めようとしたが、何かしら天の声「行くのじゃ、行って横になっていたら、治る」と。信じやすい質だから、そのまま葛野研へ到着して、珈琲飲んだら気持ちがとても良くなった。

 で、本日定食。
 体調を十分見きわめて横臥。ないし熟睡。しかるのちに、十分な準備体操をしてから、書類の片付けや、小説葛野記を記す。しかる後に、おもむろに、研究読書。
 おそらく、悪い風邪なんだろう。先週は、送別会なんかで、悪い風邪を一杯もった秘書さんや先生達にかこまれていたから、感染したのだろう。余はうつす事は無くても、うつされることはよくあった。

2.オスカー・ラインハルト コレクション
 NHK・TVから声だけが耳に入ってきて、スイスのコレクターの話が聞こえてきた。初めて聞いたことなので、くわしいことは、参考blogにお任せして、肺腑をついたいくつかを記録しておこう。

 富豪の家に生まれたオスカーは、20世紀に、印象派の作品を多数集め、自宅全体をキャンバスにして、80歳ころにスイス(国家)に寄贈したようだ。ただし、持ち出し禁止、追加禁止の条件で。

 絵を時代別やジャンル別に並べるのではなくて、いろんな画家の絵と絵とをどういう風に組み合わせて展示するかに意を注いだらしい。39歳ころに気に入りの館を購入し、すべての仕事を止め、収集と展示に全生涯をかけた男。三週間に一度は展示構成を変えるのが趣味だった。

 独身で、ただ一週間に一度、館を公開し、ときどき「番人」に変装して「本日は、主人が不在ですが、どうぞゆっくりご覧下さい」と茶目っ気もたっぷりある方だったらしい。そして、絵の感想をもらす来客者たちのうわさ話を、こっそり聞いていたとのこと。
 富豪の生まれだったから、とは全く思わなかった。10歳ころに美術絵画に目覚め、生涯を絵とともに暮らすことを決意したようだが、やはり20前後に父親から、仕事を継ぐことを強制され、ヨーロッパ各地に出向せざるをえなかった。しかしロンドンでは、大英博物館に日参し、フランスではルーブル美術館に入り浸りの生活だった。
 ついに、26歳ころ、父親に決意を述べて、父親も一時は息子の趣味を取り上げることに奔走したが、折れた。

 聞いていて涙ぐんだ。
 世の中には、絵画とか芸術なしでは生きていけない人が、確かにいるという事実を味わってのことだ。おそらく、普通の意味での組織務めは、オスカーにとって、そう、日々が生ける屍状態だったのだろう。多分強鬱、空が壁が自然が、暗い一色の鉛色だったのだろう。
 父の死とともに、一切の仕事を投げ捨て、館に一人籠もったとき、「これほどの安らぎを得た日々」と、書き残しているようだ。

 余は絵画も知らず、印象派も知らず、その作品群、配置の妙味もしらないが、なにか異国スイスで、静かに燃え上がるような人生を送った、オスカー・ラインハルト、そのコレクション。見てみたいと思った。

参考
  アム・レーマーホルツの全景(4nobu)
  2001年スイスの旅(19)ヴィンタートゥア(4nobu)
  江戸絵画(「スイス音楽留学記バーゼルの風」)

(3)葛野研を掃除した
 二月末から二週間ほどかけてかけて葛野研を掃除したら、気持ちがすっきりした。
 十年前と、なにも変わるところはない。図書もマシンもほとんど同じ。
 住人も同じ。
 変わらぬ事が、安定をもたらす。変化を、なにか新しいことを求め、狂奔する人たちのことが不思議に思える。
 ああ、変わったこともある。
 犬小屋が、すこしだけ、小綺麗になった(つもり)。記念に記録しておこう。

葛野研のiMac

葛野研のiMac

葛野研のPowerMacG3とTowns
葛野研のPowerMacG3とTowns

葛野研のPowerMacG5と自作マシン
葛野研のPowerMacG5と自作マシン

 山のような授業資料、研究資料、会議資料が、実はまだ整理されていない。紺屋の白袴、いつも適当に手に触れる書類を持って授業や会議にでむく(嘘ですよ)。ともかく、三月中になんとかしなくては。情報資料を適切に組織化し、適切に利用できるような世界を考えているわりには、身辺は常に犬も逃げ出す状態になってしまう。つまり、わんこの宝物が多すぎて棄てられない。そのうち、大切に仕舞ったはずのものが、でてこない。

 今回の成果としては、30年前に書いた500枚ほどの長編SFミステリ小説が見つかった! おお、神仏よ! ありがとう。
 (10年ほど前に、大切に保管したつもりの掲載雑誌が、束になって隠れていた)

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2007年3月11日 (日)

NHK風林火山(10)晴信謀反準備

承前:NHK風林火山(09)晴信と機略

1.来週のお楽しみ
 意外だったのは、武田信虎が駿府今川義元に招かれ、その信虎を国境で迎える役の者が、山本勘助になったことだ。それが今夜の結末だった。
 来週どうなるのかは楽しみだが、信虎は今夜のところはまだ息子晴信の謀反に気がついていない。娘婿の今川義元に招かれて甲府を出たところだ。
 来週、国境で信虎が気付く理由はまだ不明。
 晴信腹心の板垣らは、信虎に付き従う者らの人質はとった、と話していたから、国境で彼等は主人信虎を、駿河の国へ放りなげでもするのだろうか(笑)。

2.新選組か風林火山か
 考えてみれば、今川はやっかいな信虎を、ある時点で押し込め同様の扱いをせざるを得ぬ。猛々しい信虎は、娘婿と実子に欺かれたことを知り、暴れ狂うだろう。それを押さえる役が勘助というわけなのか。今川にとって、勘助の実力はうすうす分かっていても、捨てて惜しい男とまでは、才子義元、考えてはいない。またしても、一昨昨年(さきおととし)の新選組・伊藤甲子太郎参謀を思い出してしまった。場合によっては、勘助、信虎に斬り殺される可能性もある。おそらく、武田信虎、歴戦の戦国武将だったのだから、そうやすやすと押し込められはしないだろう。
 と、こう、来週の予告では、信虎は一旦甲斐に戻った様子。~わからなくなった。
 かくのごとく、結論から感想を記すのは、まるでミステリの解説部分を先に読むような、無体なことよのう。

3.謀略と心痛、無情か非情か
 Muは山本勘助が主人公と考えているから、今川と武田信虎と武田晴信との三者の謀略じみた手紙のやりとりは、実におもしろかった。つまり、それを推測する勘助の表情。それにしても今川の坊主軍師雪斎が怖いねぇ。

 ところで。
 武田家臣、板垣(千葉真一)とか、甘利(竜雷太)とかよいですね。やはり、晴信に味方して、主君信虎を隠居追放することには、相当なな心痛があったようです。下克上の余燼ある時代ですが、大方は秩序がかたまり、主君への忠誠を裏切るのは、簡単には乗り越えられなかったのでしょうか。それでも、父を討つことなく、隠居の形式を取ったのですから、武田晴信、考えの果てにそうしたことがよく分かります。

4.京風の今川家
 よくまあ、権謀術策の雪斎や、義元君、晴信の書簡に同意しましたね。その直前に義父信虎からは「実子晴信を預かって欲しい」と手紙を読んだところでしょう。
 義父の信虎をとるか、はたまた義弟の晴信をとるか。この時点では、晴信が「うつけ」でないことまでは判断しても、よもや後日に戦国一の名将、天下をとる寸前まで行った「信玄」になったとは、想像もしなかったのでしょう。後世からみると、義父に甲斐一国の治世、内政を乱れるにまかせ、ひょいと横取りしたほうが、今川義元にとっては得策だったかも知れませんなぁ。

5.来週のみどころ
 さて来週のみどころは。
 信虎が旅行中に、晴信は家臣団、弟を集め、ついには謀反を打ち明けることになるようですが、家臣団のうち、数名はどうなるのでしょう。特に、晴信の弟が気がかりですよね(笑)。伊達政宗とか、徳川初期にあっては、弟といってもバッサリ切られる時代ですからね。
 歴史には、武田信玄の弟として、なかなかに~。

 今夜、ますます良くなってきた。それにしても、ガクト、なかなか顔を出しませんなぁ。四月ころからでしょうね。全体のスケジュールを考えると。そして勘助が活躍する最後の川中島の戦いが秋でしょうか、年末でしょうか。楽しみです。ああ、来年の大河ドラマな何だったのだろう、もう決まったかな。

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50万アクセス(サイト全体)

承前:48万アクセス(サイト全体)
承前:三十一万アクセス:MuBlog

 いま全体で、50万アクセスを達成した。3年間かかった。
 MuBlogや、その写真や、若干の小説サイトなどの総計である。

しばらくこの記事は加筆訂正していきます。

(0)観測

 開設: 2004年3月7日~
 日時: 2007年3月11日 16:53
 数値: 累計アクセス数: 500000   (参考・MuBlog単独数 315578) 
   1日平均: 459.14  (参考・MuBlog単独平均 289.79)
 (参考:MuBlogの、記事数: 977  | コメント数: 3426  | トラックバック数: 674

(補足)アカウント情報の概要

  現在利用中のプラン: プロ
  可能なディスク総容量: 10,000 メガバイト
  利用中のディスク容量: 464.801 メガバイト (4.65%)
  ココログの利用開始月: 2004年3月(7日)

以下、この1ヶ月のサイト全体利用統計です。

(1)ページ別アクセス数

解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

アクセス数: 21,030
訪問者数: 14,903
解析ページ 訪問者 アクセス
1 MuBlog: トップページ 658 1,805 4.4% 8.6%
2 MuBlog: NHK風林火山(07)真田幸隆 969 1,181 6.5% 5.6%
3 MuBlog: 地図の風景 283 336 1.9% 1.6%
4 MuBlog: 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 153 282 1.0% 1.3%
5 MuBlog: みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 200 252 1.3% 1.2%
6 MuBlog: Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 182 222 1.2% 1.1%
7 日々4: 木幡花105 207 213 1.4% 1.0%
8 日々8: ぬかるみ回避:恐怖の下山 197 203 1.3% 1.0%
9 MuBlog: 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 114 191 0.8% 0.9%
10 MuBlog: ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 141 189 0.9% 0.9%
11 MuBlog: 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 128 177 0.9% 0.8%
12 MuBlog: NHK風林火山(06)仕官の難しさ 121 159 0.8% 0.8%
13 MuBlog: ηなのに夢のよう/森博嗣 127 157 0.9% 0.7%
14 日々6: 赤金・でっかい金魚 139 151 0.9% 0.7%
15 MuBlog: 京都の書店 125 143 0.8% 0.7%
16 MuBlog: 室町和久傳(むろまち・わくでん) 97 142 0.7% 0.7%
17 MuBlog: じょうしょうこうじ:常照皇寺 79 133 0.5% 0.6%
18 MuBlog: HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 104 130 0.7% 0.6%
19 MuBlog: ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 90 128 0.6% 0.6%
20 プロフィールページ 110 123 0.7% 0.6%
21 MuBlog: NHK風林火山(08)智将晴信と軍師勘助 81 119 0.5% 0.6%
22 MuBlog: 要塞飛鳥と蘇我入鹿:甘樫丘東麓遺跡 75 108 0.5% 0.5%
22 MuBlog: CPU空冷装置・掃除のお勧め 53 108 0.4% 0.5%
24 MuBlog: Santa Monica Beach : サンタモニカ・ビーチ 89 100 0.6% 0.5%
24 MuBlog: 美味しいところ 81 100 0.5% 0.5%
26 MuBlog: NHK風林火山(05)今川・北条・武田 78 99 0.5% 0.5%
26 MuBlog: 小説木幡記 92 99 0.6% 0.5%
26 北九州紀行2: 男たちの大和(DVD箱表紙) 88 99 0.6% 0.5%
29 北九州紀行2: 男たちの大和(DVDケース) 84 94 0.6% 0.4%
30 MuBlog: さくらだ:桜田 61 92 0.4% 0.4%
31 MuBlog: JO記事『クエ料理 九絵家(大阪)』のこと 65 91 0.4% 0.4%
32 MuBlog: 読書余香 83 88 0.6% 0.4%
33 MuBlog: 読書の素 73 83 0.5% 0.4%
34 MuBlog: さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年 44 81 0.3% 0.4%
35 MuBlog: NHK功名が辻(03)竹中半兵衛のこと 71 79 0.5% 0.4%
36 MuBlog: 【少しずつ進める癖/森博嗣】への共鳴感 68 78 0.5% 0.4%
37 MuBlog: 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 59 76 0.4% 0.4%
38 MuBlog: NHK風林火山(04)ミツの死と仕官 62 74 0.4% 0.4%
39 MuBlog: MuBlog 目次 :記事 逆掲載順 39 72 0.3% 0.3%
39 MuBlog: スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 43 72 0.3% 0.3%
41 MuBlog: オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産/クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック共著 63 70 0.4% 0.3%
41 MuBlog: 小説葛野記:20070213(火)図書館司書になりたい 57 70 0.4% 0.3%
41 MuBlog: 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 55 70 0.4% 0.3%
44 MuBlog: 地図の蠱惑:未踏地 50 67 0.3% 0.3%
45 MuBlog: 栞屋蕉庵+メリーアイランド、がんこ+はやしや 45 66 0.3% 0.3%
46 MuBlog: 辨慶うどん 51 64 0.3% 0.3%
46 MuBlog: ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎) 48 64 0.3% 0.3%
48 MuBlog: オーパーツ大全(感想文) 46 63 0.3% 0.3%
49 MuBlog: ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼 40 62 0.3% 0.3%
50 MuBlog: Blogメモ 43 60 0.3% 0.3%
51 日々13: 王仁公園案内板 36 59 0.2% 0.3%
51 日々2: 桟橋:Santa Monica Pier 59 59 0.4% 0.3%
53 MuBlog: 黄桜かっぱカントリー:kizakura kappa country 40 55 0.3% 0.3%
54 MuBlog: 小説葛野記:20070215(木)食べられないチョコの遺跡 26 54 0.2% 0.3%
55 MuBlog: ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 27 53 0.2% 0.3%
56 MuBlog: 小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕 33 51 0.2% 0.2%
57 MuBlog: 北方謙三『水滸伝』十九「旌旗の章」 最終巻 41 50 0.3% 0.2%
57 MuBlog: ふしみももやまじょう:伏見桃山城 34 50 0.2% 0.2%
59 MuBlog: 謎の大王継体天皇/水谷千秋 37 48 0.2% 0.2%
59 MuBlog: 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 37 48 0.2% 0.2%
61 MuBlog: 0504020・目次:桜狩り 23 47 0.2% 0.2%
61 日々16: 長建寺前の柳桜 41 47 0.3% 0.2%
63 MuBlog: 北方謙三『水滸伝』一「曙光の章」 34 46 0.2% 0.2%
63 MuBlog: 石塔寺(せきどうじ) 阿育王山(あしょかおうざん) 35 46 0.2% 0.2%
63 MuBlog: NHK風林火山(09)晴信と機略 36 46 0.2% 0.2%
63 MuBlog: 目次:新撰組(新選組!) 25 46 0.2% 0.2%
67 MuBlog: 小川珈琲本店 38 45 0.3% 0.2%
68 MuBlog: 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 25 44 0.2% 0.2%
68 MuBlog: 2006年05月 36 44 0.2% 0.2%
68 日々: 伏見桃山御陵の大階段 23 44 0.2% 0.2%
71 日々3: 内海に浮かぶアルカトラズ刑務所 31 43 0.2% 0.2%
72 MuBlog: 甘樫丘展望台から見た多武峯:あまかしのおか・とうのみね 28 42 0.2% 0.2%
73 MuBlog: 「生む機械」と天皇機関説 39 41 0.3% 0.2%
73 MuBlog: CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 26 41 0.2% 0.2%
73 MuBlog: 巻き寿司:明治屋と京都・百万遍「門」 36 41 0.2% 0.2%
73 MuBlog: 2006年01月 40 41 0.3% 0.2%
73 日々10: ジャングル 35 41 0.2% 0.2%
78 MuBlog: 甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差 26 40 0.2% 0.2%
79 MuBlog: 小説葛野記:20070216(金)司書とか情報図書館学とか人工知能とか 31 39 0.2% 0.2%
79 MuBlog: だいちゅう・ラーメン:大中ラーメン 25 39 0.2% 0.2%
79 日々16: 伏見港の枝垂れ柳 27 39 0.2% 0.2%
79 日々17: 大巫女 16 39 0.1% 0.2%
83 MuBlog: 北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」 31 38 0.2% 0.2%
83 日々10: 長迫公園:旧海軍墓地 25 38 0.2% 0.2%
83 日々3: ロボット兵(天空の城ラピュタ) 33 38 0.2% 0.2%
86 MuBlog: 新装のジュンク堂BAL店:私の京都・河原町通{四条→三条} 28 36 0.2% 0.2%
86 MuBlog: 『豊饒の海/三島由紀夫』の課題 24 36 0.2% 0.2%
86 MuBlog: 長尾真博士のノート 21 36 0.1% 0.2%
86 日々13: 王仁墓案内板(枚方ローズライオンズクラブ) 22 36 0.1% 0.2%
86 日々16: 柳と酒蔵と雪柳 27 36 0.2% 0.2%
86 北九州紀行: 小倉城の鯱(しゃちほこ) 27 36 0.2% 0.2%
92 日々13: (4)菜の花の胡麻和え 32 35 0.2% 0.2%
93 MuBlog: 2006年03月 32 34 0.2% 0.2%
93 日々10: 戦艦大和戦死者之碑 21 34 0.1% 0.2%
93 日々23: 甘樫丘東麓と飛鳥板葺宮の標高差 27 34 0.2% 0.2%
93 日々: 太宰府政庁跡石碑 20 34 0.1% 0.2%
97 日々13: 王仁墓石 12 33 0.1% 0.2%
98 MuBlog: もりしょう:そうめん処・森正 20 32 0.1% 0.2%
98 北九州紀行2: しおり(映画 男たちの大和 YAMATO) 28 32 0.2% 0.2%
100 MuBlog: よどがわ・せわりつつみ:淀川河川公園背割堤の桜爛漫 19 31 0.1% 0.1%
100 日々3: 巫女さんA 19 31 0.1% 0.1%

 以下略~

↑ノート↓

 ランキングの最初の方は毎回変化が少ない。2 MuBlog: NHK風林火山(07)真田幸隆については、公開した日にココログの上位ランキングに入ったから、異様なアクセスを見せた。翌日月曜日には消えたので、火曜からは通常アクセスにもどった。事情はそれ以上わからない。内容は読み返したが、いつものMuBlog と変わりはない。

 4 MuBlog: 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜、この記事は随分昔のものだ。2004.04.02になっている。過去記事へのアクセスほどうれしいものはない。

 あとはパソコン関係でHD:ハードディスク・フェッチ記事(笑)が、軒並み上位になっている。これも今となってはニンマリだ。確かに素人だが、幼時以来機械物を壊したり分解したり組み立てたりするのはものすごく好きだったし、相当な総時間を掛けてきたし、手前味噌だが、そういう手技能力は、普通の人よりも熟達していると密かに(もう、言っちゃったよね)うのぼれている。事実なんじゃろう! だから、記事に真心熱意が込められる、と本人談。要するに、ただ、好きで好きでしかたのない世界なんだろう。

 甘樫丘(アマカシ)とか、蘇我入鹿関係記事は変わらず沢山アクセスがある。これはMu古代史物。

 以上の概略に加えて、13 MuBlog: ηなのに夢のよう/森博嗣、これはMuBlogの特色になるだろう。日曜作家を任じているのだから、ひとつくらいは文学的な記事が上位にあがっても悪くはない。それが、作家森博嗣だから、よろこばしい。

 16 MuBlog: 室町和久傳(むろまち・わくでん)と、55 MuBlog: ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ)とは、まだ掲載して日も浅いのに上位に入った。グルメ物はこの世で人気が高いのだろうか。

 26 北九州紀行2: 男たちの大和(DVD箱表紙)、これが北九州紀行の写真集に入っているのは、昨夏、北九州へ旅行したとき、歓待して下さった「お父さん」が戦艦大和の乗船者を、若い頃の師匠にお持ちだったからだ。

 46 MuBlog: ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎)、これが短期間に上位に入ったことに驚いている。エドルンなる者もこの記事掲載には、快哉をさけんだとかいう噂も耳にしておる。たしかに、おもしろい。ただ、ブラック・ラグーンは、ロベルタ人気があるから、スジなんかどうでもよいが(笑)、ヨルムンガンドは、一体少年がどうなっていくのか怖いような、楽しいような。一種の、期待する「先行投資」だな。

41 MuBlog: オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産、さらに、48 MuBlog: オーパーツ大全(感想文)、とそろって上位はうれしいです。趣味無きMuにも、このオーパーツ物というか、なんとなく超古代史ものは、実に幼時期からあこがれの世界でしたなぁ。

 そのほか新旧の、司書物、ラーメン、太宰府、桜、……。顔ぶれは変わりませぬ。MuBlogは分けの分からないテーマだらけに見えても、MuBlogに変わりはないということが、三年掛けて分かってきた。

(2)検索ワード

解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)
集計対象アクセス数:8,539

(▼クリックしても、リンクはありません:管理者用)

検索ワード 割合
1 京都 553 6.5%
2 風林火山 225 2.6%
3 じぶり 216 2.5%
4 佐野藤右衛門 198 2.3%
5 しる幸 158 1.9%
6 地図 154 1.8%
7 ハードディスク 129 1.5%
8 甘樫丘 128 1.5%
9 121 1.4%
10 森博嗣 120 1.4%
11 真田幸隆 112 1.3%
12 ノートパソコン 84 1.0%
13 桜田 80 0.9%
14 常照皇寺 74 0.9%
15 九絵家 70 0.8%
16 交換 69 0.8%
17 登喜和 67 0.8%
18 竹中半兵衛 64 0.7%
18 ηなのに夢のよう 64 0.7%
18 大型書店 64 0.7%
21 日立 63 0.7%
21 分解 63 0.7%
23 ノート 62 0.7%
24 ハードディスク交換 61 0.7%
25 退職 56 0.7%
25 うぶめのなつ 56 0.7%
27 メビウス 55 0.6%
28 伏見 53 0.6%
28 和久傳 53 0.6%
30 増設 52 0.6%
31 水滸伝 49 0.6%
32 写真 48 0.6%
33 ホットケーキ 47 0.6%
34 感想 46 0.5%
34 オーパーツ 46 0.5%
36 シャープ 45 0.5%
37 今川 43 0.5%
37 ぎろぎろ 43 0.5%
39 蘇我入鹿 42 0.5%
39 巫女 42 0.5%
41 山本勘助 41 0.5%
42 じょうしょうこうじ 39 0.5%
43 小説 37 0.4%
43 ミツ 37 0.4%
45 伏見桃山城 36 0.4%
46 金魚 35 0.4%
46 奈良 35 0.4%
48 アルカトラズ刑務所 34 0.4%
48 掃除 34 0.4%
48 新撰組 34 0.4%
51 大阪 32 0.4%
51 魚三郎 32 0.4%
53 司書 31 0.4%
53 ラーメン 31 0.4%
53 佐野 31 0.4%
53 楊令 31 0.4%
57 京都市 30 0.4%
57 パソコン 30 0.4%
59 リストランテ 29 0.3%
59 書店 29 0.3%
59 甘樫丘東麓遺跡 29 0.3%
62 大河ドラマ 28 0.3%
63 HDD 27 0.3%
63 わくでん 27 0.3%
63 室町和久傳 27 0.3%
63 森正 27 0.3%
67 祇園 26 0.3%
67 うどん 26 0.3%
67 皇国の守護者 26 0.3%
67 北条 26 0.3%
71 月の蔵人 25 0.3%
71 25 0.3%
73 真田 24 0.3%
73 長尾真 24 0.3%
73 桜守 24 0.3%
73 vaio 24 0.3%
73 メリーアイランド 24 0.3%
73 恐怖 24 0.3%
79 航空写真 23 0.3%
79 王仁公園 23 0.3%
79 ネタバレ 23 0.3%
79 弁慶 23 0.3%
83 胡麻和え 22 0.3%
83 prius 22 0.3%
83 京都の書店 22 0.3%
86 北方謙三 21 0.2%
86 ローレライ 21 0.2%
86 佐野藤右衛門邸 21 0.2%
86 北方 21 0.2%
90 勘助 20 0.2%
90 周山 20 0.2%
90 Mublog 20 0.2%
90 桃山御陵 20 0.2%
90 栞屋 20 0.2%
90 CPU 20 0.2%
96 飛鳥 19 0.2%
96 太宰府政庁跡 19 0.2%
96 夢百衆 19 0.2%
96 木曾の最期 19 0.2%
96 義経 19 0.2%

 以下略~

↑ノート↓

 検索ワードは、記事ランキング傾向とそれほど大きな違いはなかった。殆どの用語が、上位アクセス記事を指している。ただ、この一ヶ月の総アクセスが2万程度あり、そのうち検索ワードでヒットしたのは、およそ8500だから、総アクセスとの間にズレはある。逆に検索をしないで直接訪れる人が、不特定多数の未知の人でもあり、その中に常連さんが沢山いるのだろう。

 ざっと見たところ、ここにも古い記事対象用語がいくつもあった。たとえば、18の竹中半兵衛、これは昨年初頭の「功名が辻」。31の水滸伝は一昨年のものだ。48のアルカトラズ刑務所記事は、黎明期のものだ。blogは結構古いものも甦る。

 

(3)アクセス地域
解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)
集計対象アクセス数:3,967

都道府県 割合
1 東京 978 24.7%
2 大阪 448 11.3%
3 京都 398 10.0%
4 神奈川 241 6.1%
5 愛知 196 4.9%
6 兵庫 179 4.5%
7 埼玉 125 3.2%
8 福岡 115 2.9%
9 静岡 110 2.8%
10 千葉 109 2.7%
11 北海道 102 2.6%
12 茨城 72 1.8%
13 長野 54 1.4%
14 広島 52 1.3%
15 三重 50 1.3%
16 滋賀 49 1.2%
17 宮城 46 1.2%
18 奈良 45 1.1%
19 岡山 40 1.0%
19 新潟 40 1.0%
19 石川 40 1.0%
22 岐阜 37 0.9%
23 栃木 32 0.8%
24 群馬 31 0.8%
25 大分 29 0.7%
26 福井 26 0.7%
26 岩手 26 0.7%
26 山口 26 0.7%
29 福島 23 0.6%
30 沖縄 22 0.6%
31 富山 20 0.5%
31 徳島 20 0.5%
33 愛媛 19 0.5%
33 熊本 19 0.5%
35 鹿児島 18 0.5%
36 島根 14 0.4%
36 鳥取 14 0.4%
36 長崎 14 0.4%
39 青森 13 0.3%
39 山形 13 0.3%
41 秋田 11 0.3%
41 山梨 11 0.3%
41 和歌山 11 0.3%
44 宮崎 9 0.2%
44 香川 9 0.2%
46 高知 7 0.2%
47 佐賀 4 0.1%

(4)滞在時間ランキング

訪問者がどのページを長く見ているかがわかります。
解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

1人当たりの平均滞在時間
(▼クリックしても、リンクはありません:管理者用)
ページ 割合
1 MuBlog: 紅鮎と秋の竹生島 43分30秒 4.0%
2 MuBlog: 葛野2004P黒の製作(3)メモリー 38分36秒 3.5%
3 日々3: 白川辰巳橋のテンテン 23分18秒 2.1%
4 MuBlog: 図南の翼:十二国記/小野不由美 19分31秒 1.8%
5 MuBlog: 呪われし者の女王/アン・ライス 18分32秒 1.7%
6 MuBlog: 【映像展開/森博嗣】が不思議だった 15分42秒 1.4%
7 MuBlog: トップページ 15分18秒 1.4%
8 蛇神祭祀/浅茅原竹毘古: 第六章 穴師の神人たち (4)穴師の陰謀 14分17秒 1.3%
9 MuBlog: おおまんどころおたびしょ:八坂神社の大政所御旅所 14分10秒 1.3%
10 日々21: 高山彦九郎、皇居望拝之像 (案内) 13分21秒 1.2%
11 MuBlog: とんとん来:私の京都・河原町通{四条→三条} 11分42秒 1.1%
12 日々5: 865GM3-FIS(MSI MicroATXマザーボード) 10分06秒 0.9%
13 MuBlog: Hollywood & Highland:ハリウッド・ハイランド 8分12秒 0.8%
14 MuBlog: 石塔寺(せきどうじ) 阿育王山(あしょかおうざん) 7分31秒 0.7%
15 MuBlog: 辛味大根・おろしそば(京都伏見大手筋・薮そば) 7分15秒 0.7%
16 MuBlog: 地図の蠱惑:未踏地 6分55秒 0.6%
17 MuBlog: 水無瀬殿(みなせ)→水無瀬神宮 6分28秒 0.6%
18 MuBlog: 小川珈琲本店 6分27秒 0.6%
18 MuBlog: 遺跡 6分27秒 0.6%
20 MuBlog: 小説葛野記:20070213(火)図書館司書になりたい 6分23秒 0.6%
20 日々: ホテル・デュランの部屋 6分23秒 0.6%
22 日々24: 京都大学時計台:2005/11/15 6分22秒 0.6%
23 MuBlog: 小説木幡記:20070224(土)晴れて司書の景色が良い 6分21秒 0.6%
24 MuBlog: CPU空冷装置・掃除のお勧め 6分00秒 0.6%
25 MuBlog: 情報図書館学・プログラミング言語:情報処理++/原田勝、谷口敏夫 5分58秒 0.5%
26 MuBlog: τになるまで待って/森博嗣 5分46秒 0.5%
27 MuBlog: 日本・歴史・随筆:生きている出雲王朝/司馬遼太郎 5分38秒 0.5%
28 MuBlog: 北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」 5分37秒 0.5%
29 MuBlog: 黒塚古墳・公園の現況写真 5分33秒 0.5%
30 MuBlog: 出雲研究会2004と「月の蔵人」 5分31秒 0.5%
31 MuBlog: 0412280・SDI:情報科学 5分15秒 0.5%
32 MuBlog: 小説葛野記:20070216(金)司書とか情報図書館学とか人工知能とか 5分12秒 0.5%
33 MuBlog: 48万アクセス(サイト全体) 5分01秒 0.5%
33 MuBlog: あーとすぺーす:アートスペース上三条 5分01秒 0.5%
35 MuBlog: だざいふせいちょうあと:太宰府政庁跡 5分00秒 0.5%
36 MuBlog: 室町和久傳(むろまち・わくでん) 4分57秒 0.5%
37 日々: 登喜和の店内 4分54秒 0.4%
38 MuBlog: 小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕 4分51秒 0.4%
38 MuBlog: グーグル『巨大電子図書館』 4分51秒 0.4%
40 MuBlog: 『四季/森博嗣』愛蔵版を読む 4分44秒 0.4%
41 日々14: SAMURAI-Z Rev.B (底面上部) 4分42秒 0.4%
42 MuBlog: 小説葛野記:20070215(木)食べられないチョコの遺跡 4分40秒 0.4%
43 MuBlog: NHK風林火山(07)真田幸隆 4分27秒 0.4%
44 日々19: 主要人物相関図(映画・うぶめのなつ) 4分10秒 0.4%
45 MuBlog: 2006年01月 4分09秒 0.4%
46 MuBlog: 千年の帝国・ビザンチン/NHK(TV) 4分05秒 0.4%
47 MuBlog: しんきょうごくさんじょう:私の京都・紀ノ国屋とドトール 4分03秒 0.4%
48 MuBlog: 益田岩船(ますだのいわふね) 4分02秒 0.4%
49 MuBlog: 風の万里 黎明の空:十二国記/小野不由美 4分00秒 0.4%
49 日々26: 木津川と椿井大塚山古墳の高低差 4分00秒 0.4%

 以下略~

総滞在時間
解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

(▼クリックしても、リンクはありません:管理者用)

ページ 割合
1 MuBlog: トップページ 6日17時間57分45秒 53.8%
2 MuBlog: NHK風林火山(07)真田幸隆 12時間23分07秒 4.1%
3 MuBlog: 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 5時間30分10秒 1.8%
4 MuBlog: CPU空冷装置・掃除のお勧め 4時間47分50秒 1.6%
5 MuBlog: 室町和久傳(むろまち・わくでん) 2時間48分14秒 0.9%
6 日々3: 白川辰巳橋のテンテン 2時間43分03秒 0.9%
7 MuBlog: みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 2時間20分39秒 0.8%
8 MuBlog: 小説葛野記:20070213(火)図書館司書になりたい 2時間01分26秒 0.7%
8 MuBlog: 小説葛野記:20070215(木)食べられないチョコの遺跡 2時間01分26秒 0.7%
10 MuBlog: 小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕 2時間01分24秒 0.7%
11 MuBlog: 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 1時間57分33秒 0.7%
12 MuBlog: ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 1時間56分59秒 0.6%
13 MuBlog: NHK風林火山(08)智将晴信と軍師勘助 1時間54分11秒 0.6%
14 MuBlog: 石塔寺(せきどうじ) 阿育王山(あしょかおうざん) 1時間52分42秒 0.6%
15 MuBlog: じょうしょうこうじ:常照皇寺 1時間47分42秒 0.6%
16 MuBlog: 地図の風景 1時間45分33秒 0.6%
17 MuBlog: NHK風林火山(06)仕官の難しさ 1時間42分40秒 0.6%
18 MuBlog: Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 1時間33分53秒 0.5%
19 MuBlog: ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 1時間30分50秒 0.5%
20 MuBlog: さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年 1時間22分03秒 0.5%
21 MuBlog: 目次:新撰組(新選組!) 1時間20分14秒 0.4%
22 MuBlog: 地図の蠱惑:未踏地 1時間16分06秒 0.4%
23 MuBlog: ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 1時間14分19秒 0.4%
24 MuBlog: 北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」 1時間12分57秒 0.4%
25 プロフィールページ 1時間11分27秒 0.4%
26 MuBlog: ηなのに夢のよう/森博嗣 1時間11分12秒 0.4%
27 MuBlog: JO記事『クエ料理 九絵家(大阪)』のこと 1時間09分51秒 0.4%
28 MuBlog: HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 1時間07分43秒 0.4%
29 MuBlog: 要塞飛鳥と蘇我入鹿:甘樫丘東麓遺跡 1時間04分49秒 0.4%
30 MuBlog: さくらだ:桜田 1時間04分40秒 0.4%
31 MuBlog: 小説木幡記:20070224(土)晴れて司書の景色が良い 1時間03分30秒 0.4%
32 MuBlog: 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 1時間03分03秒 0.3%
33 日々15: トップページ 1時間01分07秒 0.3%
34 日々5: 865GM3-FIS(MSI MicroATXマザーボード) 1時間00分37秒 0.3%
35 MuBlog: τになるまで待って/森博嗣 57分35秒 0.3%
36 MuBlog: 呪われし者の女王/アン・ライス 55分36秒 0.3%
37 MuBlog: 京都の書店 53分06秒 0.3%
38 犬王舞う/浅茅原竹毘古: トップページ 52分52秒 0.3%
39 MuBlog: 小説葛野記:20070216(金)司書とか情報図書館学とか人工知能とか 52分00秒 0.3%
40 MuBlog: NHK風林火山(05)今川・北条・武田 50分11秒 0.3%
41 MuBlog: 美味しいところ 48分06秒 0.3%
42 MuBlog: NHK風林火山(04)ミツの死と仕官 47分47秒 0.3%
43 近江20060802: 百済面(くだらのめん) 47分37秒 0.3%
44 MuBlog: 【映像展開/森博嗣】が不思議だった 47分05秒 0.3%
45 MuBlog: 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 46分45秒 0.3%
46 MuBlog: 小川珈琲本店 45分09秒 0.3%
47 日々6: 赤金・でっかい金魚 44分46秒 0.2%
48 MuBlog: 黒塚古墳・公園の現況写真 44分27秒 0.2%
49 MuBlog: 辛味大根・おろしそば(京都伏見大手筋・薮そば) 43分30秒 0.2%
49 MuBlog: 紅鮎と秋の竹生島 43分30秒 0.2%

 以下略~

(5) 曜日別統計

曜日別のアクセス傾向がわかります。

曜日 訪問者 アクセス
259 501 13.1% 12.7%
344 675 17.5% 17.2%
296 595 15.0% 15.1%
273 540 13.9% 13.7%
272 552 13.8% 14.0%
269 554 13.6% 14.1%
258 515 13.1% 13.1%

※過去4ヶ月分のデータから、1日あたりの平均アクセス数を出しています。


(6) 時間帯別統計

どの時間帯にアクセスが多いのかがわかります。

24
15

16
9

10
6

7
4

6
3

6
2

9
3

8
4

17
7

21
10

26
13

32
15

35
16

31
16

34
15

31
16

36
17

34
18

32
15

25
12

31
15

33
18

30
17

31
17

0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23

※過去4ヶ月分のデータから、1日あたりの平均アクセス数を出しています。


(7)訪問周期

1人の訪問者が何日に一回の割合で訪れているかがわかります。

集計対象訪問者数:1,490
訪問周期 割合
毎日 8 0.5%
2日 12 0.8%
3日 18 1.2%
4日 21 1.4%
5日 17 1.1%
6日 15 1.0%
7日 24 1.6%
8日 15 1.0%
9日 21 1.4%
10日 23 1.5%
2週間 159 10.7%
3週間 124 8.3%
1ヶ月 108 7.2%
5週間 120 8.1%
6週間 111 7.4%
7週間 104 7.0%
2ヶ月 108 7.2%
9週間 103 6.9%
10週間 74 5.0%
11週間 63 4.2%
3ヶ月 75 5.0%
13週間 67 4.5%
14週間 33 2.2%
15週間 21 1.4%
4ヶ月 14 0.9%
4ヶ月以上 32 2.1%

(8)リモートホスト(プロバイダ)

訪問者が接続しているプロバイダがわかります。

解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

集計対象訪問者数:10,209

ホスト名 割合
1 ocn.ne.jp 1,280 12.5%
2 infoweb.ne.jp 992 9.7%
3 bbtec.net 895 8.8%
4 dion.ne.jp 531 5.2%
5 plala.or.jp 490 4.8%
6 eonet.ne.jp 356 3.5%
7 hinet.net 334 3.3%
8 mesh.ad.jp 296 2.9%
9 so-net.ne.jp 235 2.3%
10 ucom.ne.jp 206 2.0%
11 zaq.ne.jp 148 1.4%
12 nifty.com 126 1.2%
13 home.ne.jp 125 1.2%
14 asahi-net.or.jp 118 1.2%
15 nttpc.ne.jp 99 1.0%
16 koka.ac.jp 80 0.8%
17 vectant.ne.jp 79 0.8%
18 odn.ne.jp 74 0.7%
19 wakwak.ne.jp 65 0.6%
20 dti.ne.jp 63 0.6%
 以下略~

(9)OS(端末)

訪問者が利用しているOS(端末)がわかります。

解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

集計対象訪問者数:10,209
OS 割合
1 Windows XP 8,109 79.4%
2 Windows 2000 789 7.7%
3 MacPowerPC 413 4.0%
4 Windows Me 268 2.6%
5 Windows 98 235 2.3%
6 MacOS-X 107 1.0%
7 Windows NT 45 0.4%
8 Windows Vista 36 0.4%
9 au 24 0.2%
10 DoCoMo 22 0.2%
11 Linux i686 19 0.2%
12 Windows Server 2003 10 0.1%
13 Vodafone 7 0.1%
14 Windows 95 3 0.0%
15 Windows CE 2 0.0%
15 Win32 2 0.0%
17 WILLCOM 1 0.0%
判別不能 117 1.1%


(X) 国・言語

訪問者が利用しているブラウザの言語設定がわかります。

解析対象期間: 2007年2月9日(金) ~ 2007年3月10日(土)

集計対象訪問者数:9,016

言語 割合
1 [ja] Japanese 8,622 95.6%
2 [en] English 179 2.0%
3 [zh] Chinese 157 1.7%
4 [ko] Korean 27 0.3%
5 [de] German 11 0.1%
6 [fr] French 5 0.1%
7 [it] Italian 3 0.0%
7 [es] Spanish 3 0.0%
9 [sv] Swedish 2 0.0%
9 [hu] Hungarian 2 0.0%
9 [fi] Finnish 2 0.0%
12 [tr] Turkish 1 0.0%
12 [pl] Polish 1 0.0%
12 [sk] Slovak 1 0.0%

※[ ]内は生ログに記録されているデータです。


まとめ

 blog全体から見ると実にマイナーなサイトである。特定領域としては、3年間でそこそこの常連利用者ができたとわかる。100万アクセスまで、この遷移だとあと3年と予測できるが、未来予知はあたらない。



 



 

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2007年3月10日 (土)

小説木幡記:20070310(土)遊びが違うから

 幼少児からのことを朝から考えていた。人との関わりがうまくこなせなかったようだ。だからどうしても一人遊びが多かった。一人芝居というのか。
 人との関わりがうまくなかった理由は、大抵興味の向うところが違っていたので、いろんな仲間が近場にあっても、場違いというか、自ら進んで参加したいことが、少なかった。

 今日は早朝から久しぶりの日曜作家だったが。
 木幡記を記したら、葛野に出向いて、半日研究家になるつもりだ。春になると平日教員になってしまって、半日研究家はなくなる。
 と、あれこれ考えるのが常で、それが一人芝居、一人遊びだったのだ。

 日頃若い女子学生達の間にいるので、ますます一人遊びが激しくなる。
 遊び世界からははじき出されてしまっている。
 余がオジキだからではなく、たとえ同年代でも、おそらく同性であっても、まるっきり違った世界に紛れ込んだ客人か、居候みたいな気持で毎日過ごしているだろう。

 酒でも飲めれば良いのだが。
 飲めないから、男達を呼んだり、出向いたりして、飲み遊ぶこともない。まして、ショッピングとか芝居見物とか、ファッションとか、食べ歩きとか、ぶらぶらとか、ライブとか、追っかけとか、まるで無縁な人生だった。野球やプロレスは小学校の時に近所の金持ちの家に行ってTVで熱中したのは覚えている、それだけだ。パチンコとか競馬とか賭博で遊べばよかろうに、前者は二十代にたった一度、それも30分ほどですぐに玉をうち尽くしたし、競馬にいたっては行ったこともない。

 まるで庶民の楽しみ、遊びからはかけ離れている(笑)。
 庶民の楽しみが、理解できないまま、現在にいたっている。
 音楽もほとんど聴かない。スポーツもまったく。
 ただ、じっとしている。
 ならば、高尚な、貴族の楽しみを知っているかと言えば、まるっきり。
 美術骨董を愛でたり、お茶を点てたり、能を舞ったり、ないな。
 もともと福井の文化果つる地から流れ来た者の末裔だから、土台は百姓の、暗~い日々(笑)

 だから、長年かけて、日曜作家や日曜SEや、半日研究家や、日頃平日教員をあみ出してきた。今にいたっては、日曜の付くのが遊びで、半日の付くのが隠居趣味仕事で、平日の付くのが食い扶持になっている。

 ところが、遊びこそ命がけというのが、この世の習わい。

 もちろん食い扶持仕事が一番しんどいことが多い。つまり、生きていくというのは関わりのるつぼに住まいすることでもあるからなのだろう。平日教員にいたっては、人間同士のやりとりや駆け引きの渦にいつも巻き込まれてしまっている。その中で、余はまるで無能の人。

 ある日
  X 「先生は、AはBとお考えですね」
  余 「いや、そんな風には~」
  X 「そうでしょうか、きっとAはBなんでしょう」
  余 「う~ん」
 一週間後
  Y 「先生は、AはBとおっしゃったんですね、なかなかですね。先生も人が悪い」
  余 「えっ!? そんなはずはない」
  Y 「みんな、そう思っていますよ。Zなんか、柳眉をさかだてていました」
  余 「それって、もしかしたら、X君かな」
  Y 「さあ。ともかく、AはBだなんて、お考えにならないほうがよいと思いますよ」
 さらに一週間後
  Z 「先生。ちょっと耳にしたのですが、AはCと、おっしゃったと噂になっていますが。本当ですか?」
  余 「そ、そんなはずはない。AがBだと、言ったかどうとかで、以前噂を聞いたけど」
  Z 「じゃ、AはCじゃなくて、やっぱり噂の通り、AはBだったんですかぁ」
    と、Zは急に席を立ち、ドアを力一杯たたきつけて出て行った。
 さらに一週間後
  X 「先生、ご本心は、やっぱりAはBなんですね。私、ほっとしました。この前、Zとかみんなとも、そんなふうに、話していたところです」

 このAとかBとかCに、この世のあらゆることが含まれている。
 世間の仕事というのはキツイことが多い。みんな、遊べる間に思い切り遊ぶがよい。「関わり」というものを、遊びを遊ぶように使いこなせないと、世間も組織もうまく生きてはいけないようだ。
 それを避けたり、それがへたくそな人間は、余のように、永遠に引き籠もり一人遊びの暗い世界に留まってしまう。
 ただ。一人遊びは、これからが楽しくなる。

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2007年3月 9日 (金)

小説葛野記:20070309(金)晴そして掃除に備忘録

1)心の社会
 一昨日に無事読了した。図書を読み切る事が節目になるのだから、なかなかおもしろい人生だと思っている。ミンスキー先生は「感情の社会」とかいう図書を最近米国で出されたそうだが、まだ翻訳は出来ていないことと思う。春になったら、丸善に発注しておこう。相変わらず、異国の本は高額だ。
 人工知能については、「心の社会」の目次をまとめたら、あとは情報処理学会などを探して、「フレーム」の現代風実装記事をみつけて、少し勉強するにとどめる。図書が米国で刊行されてから、もう20年近くたつのだから、どうなっているかは、お楽しみ。
 なぜ、ここで止めるかは、素人の気楽さとも言えるし、また別の考えもある。人間は、気ままなものだ。
 読書録は後日のこととして、とりあえず一言で言うと、これまでいろんなところで学んできたことが、目から鱗がおちるように、全体視界、視野が鮮明になったということだろうな。

 多くの研究者の努力で、いずれ「日本人脳」ができることだろう。

2)現代畸人傳
 今夏の論文テーマは、保田與重郎『現代畸人傳』にした。年末から手を尽くして、年明けには準備も整ってきた。
 『心の社会』を読むだけで一ヶ月かかったから、その経験も含めて、今夏に至るまでに『現代畸人傳』を再読するつもりだ。実は、この図書は十代末から二十代末にかけて、10回ほど読んでいる。だが、今回は別の視点で読み解く。それが難渋しそうだから今春から再読に入るつもりだ。心の社会も、UMLも、その両方の考え方を用いて、新しい読み方を試してみたい。

3)昨夜送別会
 仏教学とか香道とか心理学とかマルチな先生を昨夕お送りした。北の国に旅立って行かれる。名物教授を一人失うのは、葛野にとってもったいないことだ。同じく秘書さん二人もお送りした。お一人は教え子でもあった。もう一人の方はここ二年ほどのことだった。日頃、そして催し物があるたびに、重い仕事がバックグランドで密かに動いていた、そういうことが身にしみて分かる。
 今春、多くのことががらりと変わる。人事もその大きな要素だ。
 組織にいる限り、送り迎えの春が胸にこたえる。葛野図書倶楽部2001も、新たな授業で部屋を見渡しても、屯所のドアを開いても、卒業した人たちは、誰一人として目に入らない。毎年毎年繰り返す事なのだが、慣れることはない。心の社会に生じる痛みだな。

4)できていない記事や仕事
 あれこれあって、たくさん記録したいことがあるのだが、まとめるということはキツイもので、一気呵成に手を付けないと、「やらないと、まとめないと、書かないと」と毎日繰り返しながら、毎日「小説葛野記」や「小説木幡記」でお茶を濁してしまう。まあよかろう、備忘録。

 ☆倶楽部の屯所は先月完成している、ちゃんと写真にとって記録しなくちゃ。
 ☆『萬葉集の精神』の可視化も、すでに先年完成している、整理解説して記録しなくては。
 ☆先月二月末に、久しぶりの芝居「大正海賊浪漫」(紅Redシリーズ)を枚方公園近くで観劇したのだが、随分気に入った。しかしまだまとめていない。
 ☆Pluto4、早くまとめないと。
 ☆蒼穹の昴/浅田、こんなにおもしろい図書なのに、まとめきれない。
 ☆チンギス汗/森村、モンゴルと金と宋、そして末尾に日本。こういうことは早くまとめないと。

それで、……
 結局の所、日々うたた寝して、深夜早朝Delphi 三昧に浸りきると、日常が壊れていき、ただ脳内とマシン内だけが豊かになっていく。その分、MuBlog痩せていく。
 ああ、桜の季節だなぁ。
 そう、桜。これで、また今春狂乱の道に走り、なさねばならぬ、やっておかないと、と思うことが次々と忘却の彼方~(笑)。
 そしてまた、授業。やはり、夏休みまで待たないと。

 今から、午後の掃除。

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2007年3月 8日 (木)

ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ)

t.v.b (京都市東山区祇園町南側570-155 電話075-525-7070)地図
  (京都祇園ホテルの西側道を真南に150m下り、右折しての二軒目北側)

町屋風のティ・ボリオ・ベーネ

町屋風のティ・ボリオ・ベーネ

表札:玄関横の壁
表札:玄関横の壁

インテリア (左は個室風)
インテリア (左は個室風)

 過日、京都の町中で久しぶりの昼食をいただいた。しかもめったに足を入れないイタリアン。お店は今年開店し、そして昼食は2月から始まったらしい。せっかく京都に勤めているのだから、たまには祇園なんぞへ出向くのも、バチはあたらないだろう。京都に居ても、葛野と木幡の往還の日々だから、祇園に来るのは年に一回もあるかなきか。記憶を探れば五年にもなろうか、祇園夜桜のあと卒業生達と来たかな、数年前にお隣さん卒業生達と来たなぁ、そうそう関東者の梅安さんにも居酒屋を案内してもらった。
 そのくらいしか、祇園町を訪れた覚えがない。
 足は自前のRSを使って、京都祇園ホテル西側の駐車場にあずけた。
 (帰りに清算すると900円だった)
 町屋風の店に一歩はいると、現代的なインテリアだった。どういう風に記せばよいのか迷うのだが、すっきりして清潔だった。傘と見苦しい布袋を持った私は場違いに思えて、呆然とした。要するに、田舎暮らしの不慣れな祇園町なのだ。しかし、給仕青年が親切で、椅子に座ると安堵した。リストランテは、もちろん食事内容は大切だが、関係する人との相性もあるのだろう。例によって最初のうちは無口にしていたが、そのうち、いろいろ料理の中身を聞き出して、うまうまと箸を進めた、豪華な昼食だった。
 私は12時に入って、丁度一時間滞在した。
 お店は12時半ころから、一杯だった。

(0)パンとオリーブオイル

(0)パンとオリーブオイル

(1)ホワイトアスパラガスと稚鮎の温かいサラダ
(1)ホワイトアスパラガスと稚鮎の温かいサラダ

(2)うすいえんどう豆のスープ、えぞほら貝のソテー
(2)うすいえんどう豆のスープ、えぞほら貝のソテー

 フランス料理の源流はイタリア料理と、これは有名な話。しかし、パンとオリーブオイルにはびっくりした。それほどに私は、西欧も和風も、出歩かなくて未経験だった。イタリアンが好きな方には当然のことかも知れないが、オイルをつけてパンを食する、これはパンに醤油とは言わないが、毎朝トーストに黒豆煮物を載せていただく私と変わらない。
 オリーブオイル、いや実に佳かった。
 稚鮎も初めてだった。以前に桜田で、小ぶりの鮎を焙ったのがとても気に入ったが、それよりずっと小さな鮎だった。
 スープに添えられた「えぞほら貝」はアワビの食感。上に載ったトリ貝で上手に隠してあるのが奥ゆかしい。つまり、露西亜人形マトルーシカの優雅さですなぁ(笑)。

メニュー

メニュー (店頭)

(3)本マグロのづけ、冷製カッペリーニで
(3)本マグロのづけ、冷製カッペリーニで

(4)ホタルイカと蕗の薹のカルボナーラ
(4)ホタルイカと蕗の薹のカルボナーラ

 お昼のメニューをクリックして御覧あれ。PRANZOってメニューのことだろうな。いや、価格表か。5500円。しかしなんですなぁ、イタリアンでワインぬきって言うのも、随分変な客と思われたことだろう。ただ、料理の味わい方はいろいろあって、白ご飯にお茶づけだけ、塩気も漬け物も一切なし、というのもあり得て妙味。
 こぶりのパスタが冷製、温製、二種類順次にでた。
 その味はもちろん、マグロも、ホタルイカもイタリアンに合うなと、思いながら食べ終わり、ある事実に気がついた。つまり、日本という国は、海外の文化(食は文化)を取り入れて、自前のものにするのが実に上手だということに。
 お店の外装も、マグロやホタルイカ、フキノトウも、日本そのもの。さらに、パスタの量。これだと、私のような小食男にも、まるで和風懐石料理の如く味わえる。パスタにスプーンとフォークがついて山盛りだと、私は逃げ出してしまう。むしろ、これだとお箸で頂くのも味なもの、そんなおもむきだった。

中庭の風景

中庭の風景

(5)白金(プラチナ)豚ロース肉の低温ロースト
(5)白金(プラチナ)豚ロース肉の低温ロースト

(6)デザート
(6)デザート

 冷製も温製もパスタは私の口にあう量でよかった。メインの前で、腹六分目、よい塩梅だった。ちょっと間ができて、中庭を観たら、ありました、飛鳥の酒船石断片が。「おっ」と、軽く悲鳴を上げてしまった。MuBlogの読者なら、ここで私が大いに深い感興にひたり、頭の中で何を考え出したか、おわかりになるはず? そう、この石は何故に、どうやって、飛鳥の地からここに運ばれたのか~。
 よく見ると、普通の石だった(その裏があったら大変なことになる)。
 とこうするうちに、やってきました、プラチナ豚。
 岩手県産とのこと。給仕青年が説明してくれました。それよりも、野菜にくるまれていた。ルッコラとかいうものらしい(笑)。さらに私でもわかる焼きネギに焼きタマネギ。写真メモにも記したが、このタマネギのとろりとした甘さには驚いた。青年はこともなげに「いえいえ、そこらで仕入れた普通のタマネギを丁寧にオーブンで焼くのです」と。岩手県産のプラチナ豚だから、どんなタマネギかと思ったが、意外に、料理というものは、調理法だけでも大きく変化するようだ。
 さりながら、白金豚の佳さを充分味わった。
 デザートは、チョコ・ティラミスがgood。これ保証、お試しあれ。それに器。こういう雰囲気総ては、オーナーとか、シェフの人が相談して決めるのだろう。リストランテ全体が総合芸術だと思った。柑橘類のゼリーにイタリアン氷菓(シャーベット)風のジェラート。

(7)エスプレッソ・珈琲

(7)エスプレッソ

厨房の窓
厨房の窓

入り口ドア(内側から)
入り口ドア(内側から)

 お茶は、珈琲、紅茶、エスプレッソから選べた。ちっこい器にお濃い茶珈琲が入っていて、口の中が引き締まった。
 さて、お勘定となって、ドアに向かったら、入ったときに気にならなかった厨房の窓が見えた。若いシェフが見送ってくれた。他の記事で読むと、この30代の青年が調理場をまとめているのだろう。すごいな、と思った。
 外からの光に硝子ドアが輝いて見えた。イタリアン、インテリア、光、シェフ。そして一歩外に出ると祇園のど真ん中。

ロゴ: ti voglio bene (t.v.b)

ロゴ: ti voglio bene  (t.v.b)
 最後になって気がついた、ドアの外。こういう風な文字、店名が惹きつけるロゴになっていた。多分日本に住んでいると、異国風の文字やデザインになにとはなく気持がゆれるのだろう。昔風に言うならば、南蛮仕立てのお店、となろうか。気持のよい昼食だった。

参考
  関谷江里の京都暮らし 2007年1月
  京おんないけず姫in京都弁 おすすめ情報満載どす

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2007年3月 7日 (水)

小説葛野記:20070307(水)晴れた日のタケノコご飯と深夜のDelphi

☆たけのこ御飯
 お昼をセブンイレブンのタケノコご飯にした、300円。今夜はすき焼きらしいので無駄かと思ったが、動物性タンパク質としてハムも食べた、200円。買い置きの珈琲も淹れて満足。ついでに紫色のジュースも夕方飲むから、100円。合計600円ほどの昼食が、贅沢なのかケチなのか、どちらとも言いかねるが、そう言うところで昼が終わった。
 で、さっそく風雪葛野記、これを書かないと近頃、お尻がもぞもぞする。読者も、これを読まないと~、となればよいのだが、一向にアクセスが上がらない。
 それで思い出した、近頃のトラックバック。

☆トラックバック
 たとえば、トラックバックをいただく。すると、変なものに思えない限り、相手さんの記事を見に行く。半分ほどは、余の記事と似たような内容で、しかもおもしろい。すると、余のトラックバックを開示して、相手さんにもトラックバックを送る。これが普通なのだろう。勿論送らないこともあるが、これは余のその日の気分。
 ときどき、商売の方が送ってくる。記事内容に合致して、その商品やサービスが余の琴線に触れれば(役にたつだろうなと感じれば)、そのトラックバックを公開する。余からトラックバックを送ることはない。

 問題のトラックバックとは。
 個人なのか、商売なのか、よく分からない方から来る場合だ。しかも、どう考えても余の当該記事とは無縁。これはおそらく、トラックバックの練習か、あるいはGoogleなどのランキングを高めるための、めったやたらのトラックバック送付と判断する。しかし、生真面目な初心者だったら、いつもの教師癖がでてきて、無視するのは良くない、とも思うし。(想像以上に、余は人の好いところも、まれにある)。
 商売なら商売と、銘記せよ。
 練習なら練習と、銘記せよ。
 余は暇そうに見えても、限られた時間を細心の注意をはらって、生きておるのだ、と絶叫したくなる。
 最後の手段は、トラックバックを受け付けません、にすればよいのだが、それも寂しい(笑)。ああ。

☆木幡食とイタリアン
 ああ、話がそれた。
 タケノコ御飯。近頃木幡研でも、昔懐かしい食材がよくでてくる。近頃気に入ったのは、蕗(ふき)と油揚げのたいたの、これはおいしい。御飯にちりめんじゃこ載せるの。それから、おから。それから~大根とあぶらげのみそ汁。それから、梅酒作った後の梅をデザートにするの。昨夜は、明太子内臓のイワシ、焼いたの。これは美味しい。一般に、日本食は醤油を含めて多少塩分が多いそうだが、たまにはヘシコでお茶漬けもよかろう。
 だからこそ、ごくたまに外でいただくイタリアンとかが美味しく味わえる。そうそう、これは後日に記事にする。京都はものすご可愛らしいリストランテが、そこここにあるのだ。

★Delphi三昧
 やっとDelphi 話。実は昨夜も、深夜までDelphiを触って恍惚としていた。
 こういうことなんだ。
 最近のマシンは、外部ハードディスクが1テラバイトなんて当たり前。内部メモリーだって余のまずしい木幡マシンでも1GBもある。葛野のMacなんて、4GBに近い。10年、20年前と比較すると、能力的には数万倍になっている。
 しかるに、ソフトウェア的には、場合によっては、それを生かし切れないことになる。CPUが速くなっても、それだけプログラミングが楽になっても、成人病じみてくるし、ほっておけば想像絶するファットなものになってしまう。最近のは、いろんな手助け(関数とかルーチン)の中身が見えなくて、脳の一部に近づくほどの複雑怪奇な機能を、命令一つで処理をする。そこに問題があるのだろう。中が見えない。そして、複雑過ぎる。

 こうなんだ。
 たった7MBのテキスト。これは1GBメモリーからすると米粒だ。しかし、MuBlogからダウンロードした原データは、それだけある。日本語文字数に換算すると、新書本がだいたい0.5MBほどだから、14冊分ほどのわずかなテキスト量だ。
 この米粒7MBを扱うのに、余はここ二年ほど、全部メモリーに吸い上げて、あれこれ細かな処理をして、一挙に(Saveという超高速出力機能)ハードディスクに書き出し、MuDBなる検索システムを作ってきた。最初のうちは、たった1MB(新書本二冊程度)だったからか、すばやく変換処理をこなし、うふうふと思うほどの快調さだった。

 Delphi には、大量のテキストデータを内部に読み込んで、小綺麗にする機能がある。仮にタイプRichEDITとしておく。豊かな、贅沢な編集装置、かな? しかるに、テキストが増加してくると、段々それとなく徐々にマシンが黙り込んでくる時間が長くなってきた。そしてついに昨年、反応しなくなった。あれこれ考えてみたが、余の手技のまずさもあろうが、実は余はテキストばかりを20年扱ってきたので、内心自信もあって、それが上手に行かなくなったので、鬱になった(弱い男じゃ!)。

 ところがここ数日、一挙にそれを解決する策を得た。
 手短にいうと、AssignFile、ReadLn、WriteLn世界にもどったわけだ(これは、日常語じゃないなぁ~)。

 原点、初心に戻ったのだ。その豊かな機能を使わずに、大昔、30数年も前にIBMでPL/1を学んだとき(有料の利用者研修に、勤務先から行かせてもらった。いまでいうと、そうだな、10日間で30万円くらいかな、高い)の方法。大量メモリーを使わずに、記録一件づつを、しこしこと読んで処理して書き出す。当時は磁気テープが主だったから、気が遠くなるような時間がかかったが、それでもメモリーがたかだか300KB(ギガでもない、メガでもない、正確にキロバイト世界)程度だったから、それしか有効な方法がなかった。
 ファイルハンドリング(処理)とかいって、慣れないと結構めったやたらにややこしい方法論(今と比べると)だったが、慣れるよりしかたなかった。

 結論
 そういう原始的アルゴリズムを使用したら、おお、ああ、7MBの米粒データを、一瞬にして読み込み、一瞬にして処理してハードディスクに書き込みよった。すばらしい~(大笑)。Delphi万歳なんだが、それよりも、原始的な方法論が、助けになると言う、現代のおもしろさに、昨夜余は感動したのだ。

★心の社会/ミンスキー先生
 本日は、昨日おもいあまって二章分よんだので、実は最終第30章「心の中のモデル」である。あと付録が50頁もあるが、なんだか最後を読むのがもったいない。
 ああ、どんなことも、時がすぎてやがて、終わりが来る。
 読み終わったなら、目次を整理して、感想文を数行かいて、MuBlogに掲載するつもりだが、それでも淋しいものだ。うむ。始まりがあって終わりがある。それが始まりに続く。そういうことを、繰り返すのだろう。なんとなく、ニーチェさんかな、永劫回帰。

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2007年3月 6日 (火)

小説葛野記:20070306(火)スパイウェアと昼下がりの紅茶

今期最後の鴨なんば蕎麦
 今日で鴨は終わりと告げられた。おなじみの冬期限定鴨なんば、年末まで無い。
 先週歯をすべて治したせいか、今日は染み入る痛みもなく、歯ごたえもよく、最後の厚い鴨肉をいただいた。1300円。一週間に一度の贅沢だが、来週からは鳥なんば950円とか、ニシン蕎麦1000円もある。天ぷら蕎麦だけは2000円なので、よほどの慶事がなければ手を出さない。それなりにバランス感覚を持っているわけだ。しかし、それはさらに美味しい。

 鳥なんば950円のことだが、これがまた美味。びっしり脂ののった鳥肉が熱々。
 要するに、お店の態度が、出し惜しみしない、一番上等なのを秘伝のダシで、具をたっぷり。これが延々と通わせる秘訣なのだろう。
 天ぷら蕎麦が2000円、天ザル2300というのは確かに高価にすぎて、贅沢だ。だが、町の真ん中では、老舗といっても1000円を切る天ぷら蕎麦は、かりぽりと歯ごたえはよいが、味はすかすか。やはり、1100円前後の尾張屋でないと、よくない。

 で、いつも行く嵯峨野にひっそりと隠れたこの店では、さすがに2000円は出せずに、天蕎麦は年に一回と決めている。人生、バランスだよね。そのかわりに、鳥なんば蕎麦がある。よくしたものだ(笑)。さらに伏見大手筋まで下れば、薮そばで極上天ぷら二つ入りがなんと960円。ああ、京都はよろし。
 毎週、昼食にこれほど美味しい蕎麦をいただいているのだから、それなりに仕事、研究、頑張らないと。
 と、心に誓った今日の午後だった。

スパイウェア
 とにもかくにも、情報図書館学の中には、今後ネット犯罪対策なんかにも、一定の見識を育てていく必要がある。かくなる上は、自ら生け贄になって、範を示そうよと、おもったわけでもないが、ネットのウィルスだけじゃなくて、スパイウェアというのが猖獗を極めているので、これには一家言もてるようにならないと~。なかなか、MS社の世界戦略、WIndows世界も大変だ。要するにIE(インターネットエクスプローラ)を使わなければ被害もだいぶ抑えられ気もするが。依然として、メルでバイ菌がたくさん送り込まれてくるのだろう。
 その点、Mac世界は、少しだけ気分が楽だ。ただしあれは基盤がUNIX風だから、そのうち危なくなるのだろう。

 で、スパイウェア。
 スパイのように潜り込んで、大切な情報を世界中にばらまきかねない、あるいはだれかがこっそりとメルの中身やパスワードをのぞき込んでいるかも知れない、危ない。
 あんまり心配性が高じたら、あっさりネットラインを引き抜くよりしかたないのだが(笑:ときどきそうする)

 分かりやすい記事を見つけたので、ここにメモしておく。
    スパイウェア対策をしよう
 そして、完全に無料のスパイウェア対策ソフトも見つけたので、記しておく。日本語だ。
    Spybotのインストール方法
 以上は、一応余も試して、不都合はないのだが、ネット世界の産物だから、なにも信じることはできない(笑)。

 勿論、ネットのコンテンツ真贋は、余のようにド素人では判別できず、信じたサイトやソフトが実はスパイの親玉だなんて、あとで分かったら恥ずかしいが、なにそれも経験。今のところ、不都合はない。

 実は、ここ一年くらいはやけに神経質になって、肝心な情報の詰まったハードディスク二台は、常時電源を外している。必要な時は、ネットラインを外して、おもむろにHDの電源を接続し、部屋の中だけで使っている。
 結論は、大切なデータは、ネット接続するな! なんだ。
 だが、うむむ。
 世の中のクラッカー達は、何をするかわからない。
 最後の手段は、余が最強のクラッカーとしての修行を積むことなんだが、そうすると、今のご時世、あっけなく手が後ろに回る。怖い怖い。触らぬクラッカーにたたりなし。

ようやく、昼下がりの紅茶
 倶楽部のご隠居さんがイギリスへ行ったとのこと、おみやげにEarl Greyをいただいた。さっき、濃いめに淹れて、めずらしく砂糖やミルクまで追加して、たっぷり飲んだ。うむ。イギリスか印度かしらないが、異国の味がした。よいものだね、ティー。
 ずっと20代から、紅茶はストレートだったが、ときどき甘くしてミルクたっぷり入れると、また別の味わいだ。
 珈琲とは違った良さをはっきり知った、昼下がり。

 さて、本日は『心の社会』第28章「心と世界」に入る。全30章なのだが、その後に、pp507~565と、約50頁も付録や後書きや解説がある。この部分はすでに読了したのだが(気が早いね)、もう一度読まないと、完読感が薄くなる。やはり、3月末までかかりそうだ。しかし、うまく行きそうで安堵。

 掃除だが、今日もしよう。昨日は帰るぎりぎりになって、机上だけをぴかぴかにした。書類の大半をすて、図書の大半を床に置き(置き場所がないのだ)、綺麗に拭いたら、なかなかの机になった。今日は、床に置いた図書を、どうしましょうね。

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2007年3月 5日 (月)

小説葛野記:20070306(月)雨なのにMuBlog

 なにかしらお尻がもぞもぞする。
 理由は本日MuBlogを書いていなかったからだとわかっている。
 それと、葛野研を掃除しないとこのまま犬小屋状態で春になる恐怖。
 繰り返し、余の慚愧となる。
 つまり、気持ちのなかでの、約束違反、もう一人の余に対して、もう一人の余が約束を履行していないという、辛さ。

 それでも。
 本日は、『心の社会』第27章「検閲エージェントと冗談」に入る予定。全30章だから、ようやく完読に近づいた。遅読者の余にとって、一冊の図書を読み切るのは艱難辛苦である。そうだな、若年時から思い起こせば、ユリシーズ、有と時(存在と時間)、萬葉集の精神、そして、心の社会、となるのだろうか。ドストエフスキーなんかの長編小説は一般的なおもしろさがあるから、それほどきつくなかったが、今あげた図書数冊はいずれも、艱難辛苦のあげくだった。おもしろいことにかわりはないが、やはり、難しい。理解がついていかない。ニーチェとかキルケゴールは楽しみ一杯だったと言うと、研究者なんかは苦虫潰すだろう。このお二人は、哲学者というよりも、作家だったと、余は確信している。作家は、大抵分かりやすい(笑)。

 そう。余にとって読書は最良最大の事業だった。
 それを読み切ることで世界が開けたという想いが、いまだにする。
 そういう作品をこの世に生んだ人間は素晴らしい。
 読者余は、一冊読み切ると、数ヶ月、数年間、ぼんやりする。だから、事がならなかった。

 ともあれ。
 最近の気がかりは、深夜木幡研でDelphiをいじっているのだが、ココログのダウンロードデータを適切に管理することの困難さを味わっている。固定アドレスの自動作成は一昨年にあきらめた。ココログが順番に作ることを止めたからである。そのあと昨年なかごろまでは、RSSからデータをとってなんとか処理してきた。
 今は、考え込んでいる。
 ただ、本文とコメントと、トラックバックを切り分けテーブルに格納し、三者を作成日でリンクすることまでは上手に行った。さて、その先が~。うむむ。ずっと前二者をリンクして使っていたのだから、三番目ができてもおかしくも驚きもないが、そうは問屋が卸さなかったね。トラックバックの外部アドレスはよいとしても、内部参照は、他のMuBlog記事を参照していて、しかもこれが固定アドレスなんだなぁ。ああ、困った、困った、あはは。

 というわけで、今日も頑張ろう。
 掃除だな。
 掃除。
 う。

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2007年3月 4日 (日)

NHK風林火山(09)晴信と機略

承前:NHK風林火山(08)智将晴信と軍師勘助

 孫子を少し調べようとしたのですが、難しいですね。
 信虎(父)は、海ノ口城をせっかくおとしたのに、なぜ捨てて帰ってきたのかと、晴信を詰問します。
 一旦引いた援軍が戻ってくるのを恐れて開城したまま逃げたのだろうと詰問する。
 兵は機略、奇計だから、要るを要らずと見せ、要らずを要ると見せる。
 落とした城は大事だが、拘ってはならないという、晴信の反抗でしょうか。

 と、書いていたら、ねむくなった次第。
 迫力のある一夜でした。

追伸
 晴信と諏訪との縁は今後深くなる。今夜は妹が諏訪家に嫁いだことと、父信虎が娘婿の先妻との間の娘に目をぎらつかせた。
 晴信(信玄)は、この諏訪に二つの伝説じみた話を生む。
 一つは諏訪大社に関わる、旗を作ること。それにちなんで、諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)をつけること。
 もう一つは、信玄死して喪を秘し、遺言で、大瓶に亡骸(なきがら)を入れ諏訪湖に沈めたこと。

 地図で見ると諏訪湖と甲府とは、60KMほどの距離だ。
 現代の感覚だと、長野県と山梨県の違いがあって、たった60KMでも距離感として両者は全く別の国という感じがする。現代の長野県は長野と松本では随分気風も異なるようだが、当時はかえって諏訪と甲斐とが近かったのだろうか。こういう感覚は地元の人でないと分からない。たとえば、島根県では、出雲と石見とは相当に気質が異なるそうだが、他府県のものには事情がわからない。

 諏訪大社の祭神「タケミナカタノカミ」は、天津神(あまつかみ)に反抗し、出雲から諏訪に逃亡した神さんらしい。この話の底は深い。その神さんを諏訪家が守ってきたことになる。そこに信玄の妹が嫁ぎ、信玄の父親信虎は諏訪家の美しい娘に牙をとがらせる。私には神話と征服欲と信心が重なった武田家と諏訪家の奇妙な関係が、今後どんな風に展開していくかに興味がわいた。 

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新誠会2007/03/03(伏見港の「月の蔵人」)

承前[MuBlog:新誠会2006/03/04(伏見港の黄桜)]

  京都伏見「月の蔵人」地図

新誠会:月の蔵人:宴(うたげ)

新誠会:月の蔵人:宴(うたげ)
 今年も、倶楽部年間最大の公式行事「新誠会」が執り行われた。祝着至極の盛会だった。幹事達(経理局長、三番隊長)の手際、性格によるところ大きく、式次第、適度な緊張感、温かい懇親、実に理想的な宴をもてた。夕刻六時から始まり、八時前にプレゼント贈呈、八時過ぎから九時過ぎまで二次会「サンマルコ」、顧問だけは慣例により九時前に帰宅した(いつも記すが、夜間九時とは、顧問には深夜相当)。

 ただの送別会にすぎない倶楽部「新誠会」に、幹部や顧問は気持を込めている。分かりやすくいうと、そこに不易流行をずっと味わってきたのだ。年々歳々、歳々年々、この変化に、年並ともいえる送別会がある。それが、ただの送別会であっても、毎年執り行われてきた事実に、感動を新たにした。
 側のご隠居さんにも、その気持をほんの少し披瀝した。一期一会、瞬間瞬間に過去は取り戻せなくなる。だからその瞬間に気持をこめて生きる生き方もある。新誠会という普通の送別会を、みなみながどのように捉えるかとは、別のこととして、そういう考えもあり得る、と。一応(笑)、小さなうなずきがあった。

新誠会の記念写真:「月の蔵人」前

新誠会の記念写真:「月の蔵人」前
 なにかしら記念写真が入り乱れているのは、昨年「黄桜」でのように撮影場所が定まっていないせいでもあるし、各年次毎の個性というか、心の風景もあるようだ。顧問としては一糸乱れず、たった一枚の記念写真を内心求めていたが、昨年ご隠居さん達と過ごしたおりおりに、いわく言い難い当人達の心情も耳にした。つまり昨今は、枠に当てはめることを好まない、自由な、一種芸術家に似た倶楽部世代なのだろう。それはそれで良かった。実に快適な一夜だったのだから。笑顔だけは、みなみな絶えることがなかった、そして珍事一つ無い、まれな宴だった。

新誠会の二次会:サンマルコ

新誠会の二次会:サンマルク
 伏見大手筋のサンマルコは、セイント・マルコさんの名に由来するのだろうか。マルクかマルコかも判然としないのだが、場所は明確に覚えている。葛野図書倶楽部2001では、ここか、もう少し駅よりのミスドかに例年決まっている。決めておけば迷わずにすむ。以前、2004年の3月にもここへ行こうとしたが、私は酔っぱらって宴半ばで帰ってしまった。顧問不在のまま2003年度卒業生達は遺訓をまもり、ここへ来たとのことだった(笑)。

歴史
 さて、まとめてみると。
 当夜、平成19年3月3日桃の節句の佳き宴は、絵に描いたように幹事達が取りはからってくれた。過去には、なにかしら抱腹絶倒悲喜劇が必ずあってドキドキしていたが、笑顔と談笑と、そして今年も無事に新誠会が執り行われたという事実に安堵した。年歳おりおり人も組織も変わる。しかし変わらないものがあってもよい。それが新誠会なのだろう。

 初代達の2002年度新誠会は「鳥せい」だった。お客様を招き過ぎて、その上に、筆舌に尽くせぬ鯨飲馬食(げいいんばしょく)の卒業生達だったので、下級生幹事が予算超過に蒼くなっていたのが、懐かしい。
 二代目達の2003年度は、「黄桜」だったが、この時は顧問が前に座った「ザル酒ご隠居」の甘言にのって濁り酒を「うま、うま」と飲んだあげく、ぶっ倒れて、あえなく宴半ばで退席。
 2004年度は鳥せいだった。卒業局長が遠隔地だったことや、諸般事情(笑)により、お客様は旧局長ぬきの「ご隠居」二名、現役たちが元気にすぎた、不思議な宴だった。この年次は、申し訳なくて再度やり直したいとも、ときどき思うことがある(笑)。
 2005年度(2006年3月)昨年は、黄桜。これも盛会だった。ものすごく沢山の新旧隊員で、黄桜がぶったまげるほどだった。総てが派手で華やかだった。その上に伝説のセイント・二次会神話もうまれ、ただただ顧問も微苦笑。それは、それでよかったんだ。今となっては、すべてが懐かしい。

贈り物
 現役達は、毎年贈り物をする。今年はご隠居さんたちの若い頃の写真を多数集め、各ご隠居さん毎にアルバムにし、贈る言葉をそえてプレゼントした。これが、そばで見ていても驚くほどの好評だった。写真はなんとなく想像がつくのだが、おそらく若い隊員たちのウィットに富んだメッセージが、卒業生達の気持をくすぐったのだろう。顧問も読みたかったが、私信に相当する故か、見ることができなかった。残念。

参考
  「月の蔵人」のお食事:出雲研究会2004と「月の蔵人」
  現役だけの忘年会:七人の葛野侍:忘年会20061222

附録動画
  鳥せい前を通過する隊員達の麗姿 (Mpeg4 1MB)

備忘
 今春新四回、新三回生たちはいずれも遠隔地だ。滋賀県の果て、四国山中、越の新潟、京都府の田舎、波濤高き房総、越前大野山中、東海道は掛川。京都市はゼロ。来年の新誠会日取りは再考の要あり。2月末で宿所を引き払う卒業生も多い。来年の佳き日には、順番からみると、黄桜か鳥せいになる。速く予約するように、新幹事を選定し、注意喚起。さらに、来年の四回生(今春の新三回生)が採用する新一回生隊員達こそ、遠い日の倶楽部最終新誠会を、送られる者達だけで司る稀な年次になる。あっというまだ。

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2007年3月 3日 (土)

CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z

承前:CPU空冷装置・掃除のお勧め → 写真比較記事
承前:小説葛野記:2007027(火)曇りのSE準備 → 空冷装置買い物記事

 以前にCPUの空冷装置を掃除して、グリスなしで再セットしたが、埃をとっただけでは治まらずCPU温度は49度とか、少し目を離すと63度あたりで留まる始末だった。だから、部屋の暖房を落として厳寒状態で仕事をしていたら、なんとか40度代になって、続けられた。しかし、それでもときどき63度になった。64度Cで、私のマザーボードはシステムをシャットダウン(停止)するようになっていたので、心臓に悪かった。
 (各写真の説明は、写真をクリックしてください)

SAMURAI-Z Rev.B (底面上部)

SAMURAI-Z Rev.B (底面上部)

同、ファン部
SAMURAI-Z Rev.B のファン部

 京都寺町のDOSパラ(部品店)に行ったら、なにかしら幻惑するような空冷セットがあったので、グリスそっちのけで、買ってしまった、3280円。特に背面からのお姿がよかった。このまま、小汚いマシンにセットしないで、机上に飾っておきたかった。銀色のヒートシンク、羽根、金色のヒートパイプ。なにかしら、こういう製品を設計する人は、男心のかゆいところをご存じのようだ。すでに冷える冷えぬの問題じゃなくて、このスタイルだけで満足した(笑)。

CPU空冷装置の箱と、グリス類

CPU空冷装置の箱と、グリス類

ヒートシンク接着面とセラミックグリス
ヒートシンク接着面とセラミックグリス

 空冷装置にグリスが入っているのは分かっていたが、あえて別途、セラミックグリスと、熱伝導シートも買っておいた。今夏、もし部屋に冷房を入れてもCPUが冷えなくなったときには、再度手を入れるので、その時の用心、というかともかく心配性だから、二重、三重に手をうつ性格にすぎない。で、そういう慎重熱意に疲れて、よくポカをする。
 ところで。これまで何台もの自作PCは、CPUをすべて箱入り(retail)にしてきたので、CPU、ファン、リテンション(取り付け周り)、ヒートシンク、熱伝導シート、などはインテル社の一式そのまま使ってきた。だから、グリスを付けるのは初めてだった。大昔は、セレロンA時代だったか、CPUの発熱なんて気にもしなかったのだ。
 で今回、いろいろネットや、マニュアルを見たのだが、結局、グリスは薄く塗れ、山盛り塗れ、CPUにちょっとだけ、とか情報が入り乱れたので、私は混乱し、かくのごとく中途半端な塗りをヒートシンク側に施した。まあ、よかろう(笑)。

CPU背面のセラミックグリス

CPU背面のセラミックグリス

セットしたSMAURAI-Z(CPU空冷装置)
セットしたSMAURAI-Z(CPU空冷装置)

 CPUの方には、セラミックグリス添付説明書にしたがって、「米粒」ほどに、うんちみたいににゅると置いただけだ。ただ、ふと、「はて、どこの米粒かな。新潟米か、東南アジアの米粒か、……」と神経質に考え出したので、思い切ってそのままにした。

結果
 その日のCPU温度計測は、実は49度もあったので、がっくりした。ところが。説明を良く読むと、セラミックグリスは効果を出すのが20時間以降らしい。翌日、暖房を28度cにした状態で、再度計ってみると、うむうむ、38度c~42度cあたりに落ち着いていた。試験的にCPUをがんがん走らせても、40度代だったので、一応成功したと考えよう。一度も50度cを超えなかった。

 ところが、木幡研のマシンは2.8Ghzと、上記葛野研(2.5Ghz)よりも速いのにもかかわらず、グリスなんか塗りもしないのに、常時36度c~38度cを保っている。
 やはり、葛野研のは、この記事内容は、完全な成功ではなかったのか?
 理由をいくつか推測しておいた。いつか、わかるだろう。

1.木幡の少し新しいペンティアム4は(いまや、旧式だけど。数年前の)、葛野研のCPUよりも、熱が落ち着いているのだろうか。
2.この記事、グリスの塗り方が、間違っていたのか。なにかしら、小汚い塗りようだ。
3.機具取り付けがあまりに難しかったので、リテンション金具の反りをラジオペンチで1ミリゆるめた。このことで、ヒートシンクとCPUの圧着がゆるまり、冷却を完全に果たさなかったのだろうか?

 いろいろ考えられるが、いまのところ、冬期常温、室温にしても、しっかり悲鳴も出さずに動いているのだから、良しとしましょう。

参考記事
  シリコングリスの塗り方
  シリコングリスの上手な塗り方

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2007年3月 2日 (金)

小説葛野記:20070302(金)言葉と歯医者

 早朝から、葛野近所、桂川の東側にある小さな歯科医院の診療椅子に横たわっていた。ギリギリ、ツーン、しゃかしゃか。終わった。毎週一回で、合計4回通っただけで、すべての歯の治療、その上に隙間を詰めるなど美容整形までしていただいた。自己負担金は4回合計で、1万1千円ほど。
 まさに名医だった。H歯科医院については、後日記録しておきたい。

 医者嫌いの余でも、まれに感動が深い。
 余は元来技術者性向があって、どのような資格や経験を持った人でも、下手は下手。余が直したほうが、ずっとマシということが、良くあった。自動車、家電、自宅、自身病気、なんでもかんでも手かざしで直してしまう(笑)。

 しかしなぁ、歯。
 二年前に図書館の主任さんに教えてもらったのだが、半分邪魔くさくって、すておいた。今年に入ってからは、ときどき綿棒にキンカンを浸して、歯にあてて独自の麻酔療法をしていたが、乱暴というか、生兵法がたたって、唇がアンモニアでただれてきた~。それでも虫さされキンカン麻酔で歯の痛みは約一週間緩解するのだが、もう、ダメと思って二月に通い出した。
 ~ああ、この続きはまた、今度。

 それでじゃ。
 横たわっている間、例のミンスキー先生を考えていた。昨日、第23章「比較」を読み終えて、またまた感動し、実はこれからの午後は、24「フレーム」、25「フレームアレイ」、26「言語フレーム」の合計三章分を、約4時間半かけて、読み解こうと考えている。途中で邪魔が入ったり、邪念がはいったら、26「言語フレーム」は明日にしようかとも思っている。

 フレームについては、いろいろ経緯があって、もっとも大切に読み解きたいところなのだ。翻訳すると、枠、枠構造、UML風にいうと、クラス関連表現。……。要するに、事前に定まった構造を持った枠を用意して、そこに要点を押し入れたり、引き出したりする入れ物、入れ物間の関連、その原形の考え方があるようだ。
 もちろん、そういうフレームは、人の場合、おそらく経験によって構造が強くなり、複雑になるのだろう。最初は、箱がいくつかある程度か。いや、小箱すらないかもしれない。

 で、考えていたのは、ギリギリ、ツーン、しかしか、という歯科治療の音のなかで、昨日、なぜ大人になると外国語の発音がネイティブに近づけないのか、その理由の仮説がおもしろかったわけだ。

 ミンスキー先生が申されるには、大人と幼児との会話にあって、大人が幼児の言語を真似しすぎると、大人も幼児も、上等な大人言語世界を学ぶ必要性をなくし、いわゆる退化するから、進化の過程で、少年少女期にスイッチが入って、母国語の基本発音を把握したなら、後は不用意に他の言語を真似できないようにするためだ、とのことだった。

 もちろん心理学者や、言語学者は、このモデルを否定するかもしれない。
 だが、ここに人工知能における「心の社会」モデルをつくることの重要性や、難しさがある。

 極端に余が解説するならば、(つまりミンスキー先生や人工知能世界のお墨付きはない)、人工知能は、生物としての人の脳内構造をそっくり真似しなくてもよいわけである。たまたま人間は言語を獲得した。その獲得の方法は実験や探求で、遠い将来には明確になるかもしれないが、まったく人間と同じ方法論で人工知能をつくる必要はないとも言える。

 すなわち、ミンスキー先生の脳に、知識のモデルが表現できたなら、それはそれで新しい脳モデルと考えればよいわけなのだ。進化の道筋は、一つではない。もしかしたら、ミンスキー先生流の脳を持った生物の進化もありえる。

 と、考えていたら、治療が終わった。
 歯科名医については、また後日。
 さて、鍵かけて、研究読書しましょう。電話も外して。息もとめて~。 

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2007年3月 1日 (木)

小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕

1)学生語
 今にして、胸痛むことが以前二度あった。学生に、言葉つかいを注意したことだ。年長者として注意するのは、間違っては居なかったはず、と思いながらも胸痛む。理由は、余の言葉自体が、人には聞かせられない日常語というか、ほとんどヤクザ言葉だからだ。人のことを言えたものじゃない。

事例1
「君、いまいち、という言葉は、面接とか、まともな相手には使っちゃ駄目だ」
「はあ、そうなんですか?」
「うん。いまひとつ、と言った方がよい」
(実は、余とは直前までため口で和気藹々話していた)

事例2
「君、ぶっちゃけ、という言葉は、見苦しいから、使わない方がよいね」
「ええ、すみません。で、どういたしましょう」
「そうだな。単刀直入にもうしますと~。変だな、そうだ、所信を披瀝(ひれき)いたしますと、かな(笑)」
(もともと、言葉が丁寧な学生なのだ)

 二つの事例とも、日頃よく笑い話をする学生なので、余があるタイミングで突然注意したものだから、非常に傷ついただろうと、今になって想像する。そりゃそうだ、たとえば余が畏友Joさんと酒飲みながら馬鹿話している最中に、とつぜんJoさんがあらたまって、「先生、そういう言葉つかいは下品ですね」なんて言われると、如何に温厚な余であっても、むっとする。

2)敬語:丁寧語、尊敬語、謙譲語、+α
 NHKのクローズアップ現代で、現代のマニュアル語や、ぼかし敬語、若者達や町中の乱れた敬語が話題になっていた。

 「ご注文の品は、これで、よろしかったでしょうか」
 「1000円から、お預かりしました」

 いろいろ話題が一杯だったが、上記二例がことのほか、やり玉に挙がっていた。
 うむ。
 余は、敬語を使えない。これはそこそこの年齢とか、立場からして、恥ずかしい。日常会話は、たとえば、「おまえ、なにぬかしてんねぇ、死ねや~」、「このクソがき、なにしてけっかんね。どたまかちわって、ストロで吸うたろかぁ~」と、いやいや、そこまでひどくはないが、まあこんなものだろう、と、それに近いと、若い研究者に以前いわれたことがある。ただ、その者の言葉も、相当にひどかったがな(笑)、いつもは、完璧な大阪弁でまくしたてよる!

 要するに敬語以前の問題なのだ。
 しかも、余の場合は、普通とはサカサマのようだ。

 木幡研では、もっぱら、死とか卒じゃなくて、崩御レベルの日常会話で日々過ごしている。
 これはおかしい。まるで公私逆転言葉になっている。
 木幡研で、年少者に向かっての自称は、決して「俺」でもないし「わし」でもないし、まして「余」ではない。正確に「わたくし」少々くだけて「わたし」ないし「ぼく」。たまに「やつがれ」。相手にむかっては、やはり「◎◎さん」とか「君は」とかで、決して「てめぇ!」でもないし、「われ!」でもないし、「お前!」でもない。

 葛野での日常語は、意識してはいないが、おそらく「俺」であり、「わし」なのだろう。恥ずかしい。
 薩摩では、大の男が「わたいは」と、自称すると聞いたが、空耳か。
 ともかく、これから教授会や、学生との会話は、できるだけ敬語を正確に交え、その上で自称は「わたくし」、呼びかける時は「あなた」にしようと、敬語番組を聞きながら、思った。

 つまり問題は敬語だけではなくて、なにが上品で何が品下るかという、美質に関わってくる。美しく話し、書くならば、古来日本語が培ってきた敬語も自然になると思ったのだ。番組では、さかんに身分の上下関係を「申されていた」が、言葉はその前に、相手を敬う、相手を大切に扱う、すなわち美しく思い接し、自らも清くあらんとする、そういう原始の世界に所以があるのじゃなかろうか。

 それにしても、木幡研は異様に言葉つかいが丁寧だ。たまに真顔で「父上」と呼びかけられることもある。おそらく、これはまことに信じられないのだが、研究所員全員が寡黙なのだ。たまに言葉を発すると、書き言葉に近い言葉が飛び交う。それが日常なのだ。

 言葉は難しい。まして敬語となると、絶望を味わう。

3)敬語対策
 つらつら思うに、敬語が使いにくいのなら、余はこれから古典文章語をそのまま覚えて、そのフレームで自己を表現してはどうだろうか、とふと思った。古事記とか日本書紀レベルなら、潤色はあっても、言葉は非常に丁寧な使い方がしてある。もちろん、崩ずるとか、雲かくりなむとか、朕とか、陛下、殿下、猊下(げいか)、とかは畏れ多くて用語には含めないが、その他は古語風に話せば、大抵の人は「この方は、丁寧な話し方をなさるお人だ」と、思ってくださるだろう。

 「やつがれは、腹が空いた。なれは如何に。飯でも食そうではないか」と、多少現代風にアレンジしてもよい。いや、そうしないと全会話が漢語混じりだと、通じなくなる。

 若き頃にTVで見た三島由紀夫さんは、その話している内容、口調が、そのまま原稿で書くと、文章になるような話し方だった。三島氏が、他の作家の表した上流会話「言葉」を、ふふふ、と笑っていたのもうなずける。それほどに、三島氏の話し方は、日本的な文章そのものだった。

 だから、本当は敬語問題以前に、文脈全体とか、話す内容とか、速度とか、語彙とか、そういうことも大切なのかも知れない。たとえば、「氏」は一般に姓に用いるから、三島氏は正しくても、三島由紀夫氏は、あり得ない用法なのだが、日本中、そういう使い方、話し方は当たり前になっている。

4)言葉を正す
 これは難しい。昔読んだ本に、外国の人(近世、江戸文学専攻)が、マジメな顔して「そこな、お女中」と、女性に呼びかけた、という笑い話があった。女中と言う言葉は、現代では蔑称に近いらしいが、昔は「お女中」で、女性に語りかける丁寧な用法だったので御座いましょうか(と、日本語の先生ではないので、ぼかし言葉)。

 「御」についても、「おん」と読むのか「ご」と読むのかは、大変難しい。
 しかし、おんでも、ごでも、熱心に丁寧に接しようとして発せられたなら、違和感も不快感もないとも思った。

 現代の敬語が乱れている。ホテルやレストランで、不快感を味わう。と。
 それが、今夜の話題だった。余はこのような国語問題に出くわすと、いつも英文学者だった福田恒存さんを思い出す。人の代わりは実はナンボでもいる。しかし時々、代替不能な方もおられる。福田氏の評論を時に読み返すと、「ああ」と天をあおぐ。福田氏は本当に、もう、何十年も大昔に、日本語を憂えておられた。

 現代の日本語に黙祷。

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