小説葛野記:20070312(月)目眩とラインハルト、美麗葛野研(笑)
1.目眩
昨日というか、一昨日土曜日の夜からなにかしら身体がふわついて、日曜の朝起床しようとすると目眩がした。すわ、脳梗塞か~と悩んだが、生への欲望と死への欲望がバランスとれだした昨今、すぐに気持ちはすっとした。「どっちも楽しい」と。がしかし目眩は立ったり横臥したり、反転するたびに目の前が前後左右にゆれて、まるでジェットコースター。ままよとおもって、マシン前に着座してマウスをさわったら、その時だけ元に戻った。まるで、父の絶命寸前麻雀のようで、遺伝だなぁ~と長嘆息。それでも心配性だから昨日は終日木幡にこもっておった(いつものことだが)。
今朝はよほど葛野研日参は止めようとしたが、何かしら天の声「行くのじゃ、行って横になっていたら、治る」と。信じやすい質だから、そのまま葛野研へ到着して、珈琲飲んだら気持ちがとても良くなった。
で、本日定食。
体調を十分見きわめて横臥。ないし熟睡。しかるのちに、十分な準備体操をしてから、書類の片付けや、小説葛野記を記す。しかる後に、おもむろに、研究読書。
おそらく、悪い風邪なんだろう。先週は、送別会なんかで、悪い風邪を一杯もった秘書さんや先生達にかこまれていたから、感染したのだろう。余はうつす事は無くても、うつされることはよくあった。
2.オスカー・ラインハルト コレクション
NHK・TVから声だけが耳に入ってきて、スイスのコレクターの話が聞こえてきた。初めて聞いたことなので、くわしいことは、参考blogにお任せして、肺腑をついたいくつかを記録しておこう。
富豪の家に生まれたオスカーは、20世紀に、印象派の作品を多数集め、自宅全体をキャンバスにして、80歳ころにスイス(国家)に寄贈したようだ。ただし、持ち出し禁止、追加禁止の条件で。
絵を時代別やジャンル別に並べるのではなくて、いろんな画家の絵と絵とをどういう風に組み合わせて展示するかに意を注いだらしい。39歳ころに気に入りの館を購入し、すべての仕事を止め、収集と展示に全生涯をかけた男。三週間に一度は展示構成を変えるのが趣味だった。
独身で、ただ一週間に一度、館を公開し、ときどき「番人」に変装して「本日は、主人が不在ですが、どうぞゆっくりご覧下さい」と茶目っ気もたっぷりある方だったらしい。そして、絵の感想をもらす来客者たちのうわさ話を、こっそり聞いていたとのこと。
富豪の生まれだったから、とは全く思わなかった。10歳ころに美術絵画に目覚め、生涯を絵とともに暮らすことを決意したようだが、やはり20前後に父親から、仕事を継ぐことを強制され、ヨーロッパ各地に出向せざるをえなかった。しかしロンドンでは、大英博物館に日参し、フランスではルーブル美術館に入り浸りの生活だった。
ついに、26歳ころ、父親に決意を述べて、父親も一時は息子の趣味を取り上げることに奔走したが、折れた。
聞いていて涙ぐんだ。
世の中には、絵画とか芸術なしでは生きていけない人が、確かにいるという事実を味わってのことだ。おそらく、普通の意味での組織務めは、オスカーにとって、そう、日々が生ける屍状態だったのだろう。多分強鬱、空が壁が自然が、暗い一色の鉛色だったのだろう。
父の死とともに、一切の仕事を投げ捨て、館に一人籠もったとき、「これほどの安らぎを得た日々」と、書き残しているようだ。
余は絵画も知らず、印象派も知らず、その作品群、配置の妙味もしらないが、なにか異国スイスで、静かに燃え上がるような人生を送った、オスカー・ラインハルト、そのコレクション。見てみたいと思った。
参考
アム・レーマーホルツの全景(4nobu)
2001年スイスの旅(19)ヴィンタートゥア(4nobu)
江戸絵画(「スイス音楽留学記バーゼルの風」)
(3)葛野研を掃除した
二月末から二週間ほどかけてかけて葛野研を掃除したら、気持ちがすっきりした。
十年前と、なにも変わるところはない。図書もマシンもほとんど同じ。
住人も同じ。
変わらぬ事が、安定をもたらす。変化を、なにか新しいことを求め、狂奔する人たちのことが不思議に思える。
ああ、変わったこともある。
犬小屋が、すこしだけ、小綺麗になった(つもり)。記念に記録しておこう。
葛野研のiMac
葛野研のPowerMacG3とTowns
葛野研のPowerMacG5と自作マシン
山のような授業資料、研究資料、会議資料が、実はまだ整理されていない。紺屋の白袴、いつも適当に手に触れる書類を持って授業や会議にでむく(嘘ですよ)。ともかく、三月中になんとかしなくては。情報資料を適切に組織化し、適切に利用できるような世界を考えているわりには、身辺は常に犬も逃げ出す状態になってしまう。つまり、わんこの宝物が多すぎて棄てられない。そのうち、大切に仕舞ったはずのものが、でてこない。
今回の成果としては、30年前に書いた500枚ほどの長編SFミステリ小説が見つかった! おお、神仏よ! ありがとう。
(10年ほど前に、大切に保管したつもりの掲載雑誌が、束になって隠れていた)
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コメント
ラインハルトと聴いて
この人の一生は(清澄)という言葉を思い出させますね。
Muさんの一日も片づけをしたりして落ち着いた一日だったようです。
部屋は何となくマシンが多くなったように感じます、以前より。
古い、20年ほど前の見慣れたマシンもありますね。
ところでラインハルトと聴いた時、あれは誰だったかなあ、似た名前のがいたなあ?とグーグルに聴きました。
阪神の外人選手やったかいなあ、と。(阪神のはラインバックでしたかね)
そしたら1ページ目に(ジャンゴ・ラインハルト)が出てきました。
1910~1953という短い生涯でしたが、ジプシー音楽とジャズを結びつけ、不自由だった左手の指2本の障害を克服したユニークなジャズ・ギタリストでした。
学生時代よく聴いていて、まだそのサウンドが耳に残っております。
ちょっと記事の主題からは外れましたが・・・。
投稿: ふうてん | 2007年3月12日 (月) 18時25分
ふうてんさん
クラッチ腰痛話、一度はコメントしかけたけど、ネットが其のとき途絶えて、やめました。また後刻に。
ラインハルトさんをグーグルしたら、銀河英雄伝説という、Muには周知懐かしい世界がどっと出てきました。普通の大人の知らない帝国伝説が十数年前に、あったんですよ。
で、オスカー ラインハルト コレクションの全貌は全くわかりませんでした。
なにか美術書でも見ればあるのでしょうね。
記事にも書きましたが、展覧する順序とか、組み合わせに心を砕いたという解説に、感心したのです。実は、そういう考え方をこれまでの美術館では、あまり気にしなかったのです。
ものすごく贅沢な、そして自然な考え方とわかって、記事にしたわけです。そういう、芸術世界では、あたりまえのことかどうか、知りませんが。
だから、作品の入出を、禁止したわけでしょうね。
そりゃ、ムとふうてん、ふうてんとジョ、ジョとム、並べ方展示の仕方で、味わいに、天地の差がでますよね。
投稿: Mu→ふうてん | 2007年3月12日 (月) 18時38分