小説木幡記:20070310(土)遊びが違うから
幼少児からのことを朝から考えていた。人との関わりがうまくこなせなかったようだ。だからどうしても一人遊びが多かった。一人芝居というのか。
人との関わりがうまくなかった理由は、大抵興味の向うところが違っていたので、いろんな仲間が近場にあっても、場違いというか、自ら進んで参加したいことが、少なかった。
今日は早朝から久しぶりの日曜作家だったが。
木幡記を記したら、葛野に出向いて、半日研究家になるつもりだ。春になると平日教員になってしまって、半日研究家はなくなる。
と、あれこれ考えるのが常で、それが一人芝居、一人遊びだったのだ。
日頃若い女子学生達の間にいるので、ますます一人遊びが激しくなる。
遊び世界からははじき出されてしまっている。
余がオジキだからではなく、たとえ同年代でも、おそらく同性であっても、まるっきり違った世界に紛れ込んだ客人か、居候みたいな気持で毎日過ごしているだろう。
酒でも飲めれば良いのだが。
飲めないから、男達を呼んだり、出向いたりして、飲み遊ぶこともない。まして、ショッピングとか芝居見物とか、ファッションとか、食べ歩きとか、ぶらぶらとか、ライブとか、追っかけとか、まるで無縁な人生だった。野球やプロレスは小学校の時に近所の金持ちの家に行ってTVで熱中したのは覚えている、それだけだ。パチンコとか競馬とか賭博で遊べばよかろうに、前者は二十代にたった一度、それも30分ほどですぐに玉をうち尽くしたし、競馬にいたっては行ったこともない。
まるで庶民の楽しみ、遊びからはかけ離れている(笑)。
庶民の楽しみが、理解できないまま、現在にいたっている。
音楽もほとんど聴かない。スポーツもまったく。
ただ、じっとしている。
ならば、高尚な、貴族の楽しみを知っているかと言えば、まるっきり。
美術骨董を愛でたり、お茶を点てたり、能を舞ったり、ないな。
もともと福井の文化果つる地から流れ来た者の末裔だから、土台は百姓の、暗~い日々(笑)
だから、長年かけて、日曜作家や日曜SEや、半日研究家や、日頃平日教員をあみ出してきた。今にいたっては、日曜の付くのが遊びで、半日の付くのが隠居趣味仕事で、平日の付くのが食い扶持になっている。
ところが、遊びこそ命がけというのが、この世の習わい。
もちろん食い扶持仕事が一番しんどいことが多い。つまり、生きていくというのは関わりのるつぼに住まいすることでもあるからなのだろう。平日教員にいたっては、人間同士のやりとりや駆け引きの渦にいつも巻き込まれてしまっている。その中で、余はまるで無能の人。
ある日
X 「先生は、AはBとお考えですね」
余 「いや、そんな風には~」
X 「そうでしょうか、きっとAはBなんでしょう」
余 「う~ん」
一週間後
Y 「先生は、AはBとおっしゃったんですね、なかなかですね。先生も人が悪い」
余 「えっ!? そんなはずはない」
Y 「みんな、そう思っていますよ。Zなんか、柳眉をさかだてていました」
余 「それって、もしかしたら、X君かな」
Y 「さあ。ともかく、AはBだなんて、お考えにならないほうがよいと思いますよ」
さらに一週間後
Z 「先生。ちょっと耳にしたのですが、AはCと、おっしゃったと噂になっていますが。本当ですか?」
余 「そ、そんなはずはない。AがBだと、言ったかどうとかで、以前噂を聞いたけど」
Z 「じゃ、AはCじゃなくて、やっぱり噂の通り、AはBだったんですかぁ」
と、Zは急に席を立ち、ドアを力一杯たたきつけて出て行った。
さらに一週間後
X 「先生、ご本心は、やっぱりAはBなんですね。私、ほっとしました。この前、Zとかみんなとも、そんなふうに、話していたところです」
このAとかBとかCに、この世のあらゆることが含まれている。
世間の仕事というのはキツイことが多い。みんな、遊べる間に思い切り遊ぶがよい。「関わり」というものを、遊びを遊ぶように使いこなせないと、世間も組織もうまく生きてはいけないようだ。
それを避けたり、それがへたくそな人間は、余のように、永遠に引き籠もり一人遊びの暗い世界に留まってしまう。
ただ。一人遊びは、これからが楽しくなる。
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