新誠会2007/03/03(伏見港の「月の蔵人」)
承前[MuBlog:新誠会2006/03/04(伏見港の黄桜)]
京都伏見「月の蔵人」地図
新誠会:月の蔵人:宴(うたげ)
ただの送別会にすぎない倶楽部「新誠会」に、幹部や顧問は気持を込めている。分かりやすくいうと、そこに不易流行をずっと味わってきたのだ。年々歳々、歳々年々、この変化に、年並ともいえる送別会がある。それが、ただの送別会であっても、毎年執り行われてきた事実に、感動を新たにした。
側のご隠居さんにも、その気持をほんの少し披瀝した。一期一会、瞬間瞬間に過去は取り戻せなくなる。だからその瞬間に気持をこめて生きる生き方もある。新誠会という普通の送別会を、みなみながどのように捉えるかとは、別のこととして、そういう考えもあり得る、と。一応(笑)、小さなうなずきがあった。
新誠会の記念写真:「月の蔵人」前
新誠会の二次会:サンマルコ
歴史
さて、まとめてみると。
当夜、平成19年3月3日桃の節句の佳き宴は、絵に描いたように幹事達が取りはからってくれた。過去には、なにかしら抱腹絶倒悲喜劇が必ずあってドキドキしていたが、笑顔と談笑と、そして今年も無事に新誠会が執り行われたという事実に安堵した。年歳おりおり人も組織も変わる。しかし変わらないものがあってもよい。それが新誠会なのだろう。
初代達の2002年度新誠会は「鳥せい」だった。お客様を招き過ぎて、その上に、筆舌に尽くせぬ鯨飲馬食(げいいんばしょく)の卒業生達だったので、下級生幹事が予算超過に蒼くなっていたのが、懐かしい。
二代目達の2003年度は、「黄桜」だったが、この時は顧問が前に座った「ザル酒ご隠居」の甘言にのって濁り酒を「うま、うま」と飲んだあげく、ぶっ倒れて、あえなく宴半ばで退席。
2004年度は鳥せいだった。卒業局長が遠隔地だったことや、諸般事情(笑)により、お客様は旧局長ぬきの「ご隠居」二名、現役たちが元気にすぎた、不思議な宴だった。この年次は、申し訳なくて再度やり直したいとも、ときどき思うことがある(笑)。
2005年度(2006年3月)昨年は、黄桜。これも盛会だった。ものすごく沢山の新旧隊員で、黄桜がぶったまげるほどだった。総てが派手で華やかだった。その上に伝説のセイント・二次会神話もうまれ、ただただ顧問も微苦笑。それは、それでよかったんだ。今となっては、すべてが懐かしい。
贈り物
現役達は、毎年贈り物をする。今年はご隠居さんたちの若い頃の写真を多数集め、各ご隠居さん毎にアルバムにし、贈る言葉をそえてプレゼントした。これが、そばで見ていても驚くほどの好評だった。写真はなんとなく想像がつくのだが、おそらく若い隊員たちのウィットに富んだメッセージが、卒業生達の気持をくすぐったのだろう。顧問も読みたかったが、私信に相当する故か、見ることができなかった。残念。
参考
「月の蔵人」のお食事:出雲研究会2004と「月の蔵人」
現役だけの忘年会:七人の葛野侍:忘年会20061222
附録動画
鳥せい前を通過する隊員達の麗姿 (Mpeg4 1MB)
備忘
今春新四回、新三回生たちはいずれも遠隔地だ。滋賀県の果て、四国山中、越の新潟、京都府の田舎、波濤高き房総、越前大野山中、東海道は掛川。京都市はゼロ。来年の新誠会日取りは再考の要あり。2月末で宿所を引き払う卒業生も多い。来年の佳き日には、順番からみると、黄桜か鳥せいになる。速く予約するように、新幹事を選定し、注意喚起。さらに、来年の四回生(今春の新三回生)が採用する新一回生隊員達こそ、遠い日の倶楽部最終新誠会を、送られる者達だけで司る稀な年次になる。あっというまだ。
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