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2007年3月 1日 (木)

小説木幡記:20070301(木)敬語と学生語と朕

1)学生語
 今にして、胸痛むことが以前二度あった。学生に、言葉つかいを注意したことだ。年長者として注意するのは、間違っては居なかったはず、と思いながらも胸痛む。理由は、余の言葉自体が、人には聞かせられない日常語というか、ほとんどヤクザ言葉だからだ。人のことを言えたものじゃない。

事例1
「君、いまいち、という言葉は、面接とか、まともな相手には使っちゃ駄目だ」
「はあ、そうなんですか?」
「うん。いまひとつ、と言った方がよい」
(実は、余とは直前までため口で和気藹々話していた)

事例2
「君、ぶっちゃけ、という言葉は、見苦しいから、使わない方がよいね」
「ええ、すみません。で、どういたしましょう」
「そうだな。単刀直入にもうしますと~。変だな、そうだ、所信を披瀝(ひれき)いたしますと、かな(笑)」
(もともと、言葉が丁寧な学生なのだ)

 二つの事例とも、日頃よく笑い話をする学生なので、余があるタイミングで突然注意したものだから、非常に傷ついただろうと、今になって想像する。そりゃそうだ、たとえば余が畏友Joさんと酒飲みながら馬鹿話している最中に、とつぜんJoさんがあらたまって、「先生、そういう言葉つかいは下品ですね」なんて言われると、如何に温厚な余であっても、むっとする。

2)敬語:丁寧語、尊敬語、謙譲語、+α
 NHKのクローズアップ現代で、現代のマニュアル語や、ぼかし敬語、若者達や町中の乱れた敬語が話題になっていた。

 「ご注文の品は、これで、よろしかったでしょうか」
 「1000円から、お預かりしました」

 いろいろ話題が一杯だったが、上記二例がことのほか、やり玉に挙がっていた。
 うむ。
 余は、敬語を使えない。これはそこそこの年齢とか、立場からして、恥ずかしい。日常会話は、たとえば、「おまえ、なにぬかしてんねぇ、死ねや~」、「このクソがき、なにしてけっかんね。どたまかちわって、ストロで吸うたろかぁ~」と、いやいや、そこまでひどくはないが、まあこんなものだろう、と、それに近いと、若い研究者に以前いわれたことがある。ただ、その者の言葉も、相当にひどかったがな(笑)、いつもは、完璧な大阪弁でまくしたてよる!

 要するに敬語以前の問題なのだ。
 しかも、余の場合は、普通とはサカサマのようだ。

 木幡研では、もっぱら、死とか卒じゃなくて、崩御レベルの日常会話で日々過ごしている。
 これはおかしい。まるで公私逆転言葉になっている。
 木幡研で、年少者に向かっての自称は、決して「俺」でもないし「わし」でもないし、まして「余」ではない。正確に「わたくし」少々くだけて「わたし」ないし「ぼく」。たまに「やつがれ」。相手にむかっては、やはり「◎◎さん」とか「君は」とかで、決して「てめぇ!」でもないし、「われ!」でもないし、「お前!」でもない。

 葛野での日常語は、意識してはいないが、おそらく「俺」であり、「わし」なのだろう。恥ずかしい。
 薩摩では、大の男が「わたいは」と、自称すると聞いたが、空耳か。
 ともかく、これから教授会や、学生との会話は、できるだけ敬語を正確に交え、その上で自称は「わたくし」、呼びかける時は「あなた」にしようと、敬語番組を聞きながら、思った。

 つまり問題は敬語だけではなくて、なにが上品で何が品下るかという、美質に関わってくる。美しく話し、書くならば、古来日本語が培ってきた敬語も自然になると思ったのだ。番組では、さかんに身分の上下関係を「申されていた」が、言葉はその前に、相手を敬う、相手を大切に扱う、すなわち美しく思い接し、自らも清くあらんとする、そういう原始の世界に所以があるのじゃなかろうか。

 それにしても、木幡研は異様に言葉つかいが丁寧だ。たまに真顔で「父上」と呼びかけられることもある。おそらく、これはまことに信じられないのだが、研究所員全員が寡黙なのだ。たまに言葉を発すると、書き言葉に近い言葉が飛び交う。それが日常なのだ。

 言葉は難しい。まして敬語となると、絶望を味わう。

3)敬語対策
 つらつら思うに、敬語が使いにくいのなら、余はこれから古典文章語をそのまま覚えて、そのフレームで自己を表現してはどうだろうか、とふと思った。古事記とか日本書紀レベルなら、潤色はあっても、言葉は非常に丁寧な使い方がしてある。もちろん、崩ずるとか、雲かくりなむとか、朕とか、陛下、殿下、猊下(げいか)、とかは畏れ多くて用語には含めないが、その他は古語風に話せば、大抵の人は「この方は、丁寧な話し方をなさるお人だ」と、思ってくださるだろう。

 「やつがれは、腹が空いた。なれは如何に。飯でも食そうではないか」と、多少現代風にアレンジしてもよい。いや、そうしないと全会話が漢語混じりだと、通じなくなる。

 若き頃にTVで見た三島由紀夫さんは、その話している内容、口調が、そのまま原稿で書くと、文章になるような話し方だった。三島氏が、他の作家の表した上流会話「言葉」を、ふふふ、と笑っていたのもうなずける。それほどに、三島氏の話し方は、日本的な文章そのものだった。

 だから、本当は敬語問題以前に、文脈全体とか、話す内容とか、速度とか、語彙とか、そういうことも大切なのかも知れない。たとえば、「氏」は一般に姓に用いるから、三島氏は正しくても、三島由紀夫氏は、あり得ない用法なのだが、日本中、そういう使い方、話し方は当たり前になっている。

4)言葉を正す
 これは難しい。昔読んだ本に、外国の人(近世、江戸文学専攻)が、マジメな顔して「そこな、お女中」と、女性に呼びかけた、という笑い話があった。女中と言う言葉は、現代では蔑称に近いらしいが、昔は「お女中」で、女性に語りかける丁寧な用法だったので御座いましょうか(と、日本語の先生ではないので、ぼかし言葉)。

 「御」についても、「おん」と読むのか「ご」と読むのかは、大変難しい。
 しかし、おんでも、ごでも、熱心に丁寧に接しようとして発せられたなら、違和感も不快感もないとも思った。

 現代の敬語が乱れている。ホテルやレストランで、不快感を味わう。と。
 それが、今夜の話題だった。余はこのような国語問題に出くわすと、いつも英文学者だった福田恒存さんを思い出す。人の代わりは実はナンボでもいる。しかし時々、代替不能な方もおられる。福田氏の評論を時に読み返すと、「ああ」と天をあおぐ。福田氏は本当に、もう、何十年も大昔に、日本語を憂えておられた。

 現代の日本語に黙祷。

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コメント

ご無沙汰しております。

-たとえば、「氏」は一般に姓に用いるから、三島氏は正しくても、三島由紀夫氏は、あり得ない用法-

その通りと思いながら、特にカタカナ名前で混同して使っている事を思い出しました。

投稿: pfaelzerwein | 2007年3月 1日 (木) 23時50分

pfaelzerwein さん、
 ただいま貴blogを久しぶりに拝見し、いろいろな面から、汗を流しました。まだヨーロッパにお住まいのようですが、当方の好奇心とともに、内容の一々が多彩で深く、自らの筆先が、児戯におもえてなりませんでした。
 この世には、いろいろな方が生きてらっしゃる。

さて
 「氏」問題ですが、いまや「うじ」「かばね」の世界ではないようですから、私の発言は、嫌みか冗談程度にお考え下さい。
 言葉は動き回りますから、10年前の定番用法でも、いまや死語なのでしょう。
 手紙の宛先に殿をつけるのが普及していた事もありましたが、現代では一様に「様」に変わりました。

 書くときにエッセイ風ですと、~さん、~先生、と敬って使います。~氏、とは滅多に使いません。「氏」とは、それこそ現代若者と同じく、遠ざけた表現ですね、MuBlogでは。
 客観的意味合いを含む評論じみた感想文では、相手を「オブジェクト」ととらえますので、尊称、敬称は使いません。

事例0
 pfaelzerweinさんは、よいエッセイをお描きです。

事例1
 政治家小沢氏は、産むマシン問題で激怒した。

事例2
 京極はこういった。「この世に不思議などない」と。

 カタカナ異国風、洋風だと、お話のように困りそうですね(笑)。最近だと、イスラム系の濃い人を呼ぶには、かならずフルネームの末尾に「氏」を、新聞TVどこでも使って、あらしゃります。
 日本語では、外国の方にたいしては、幾分「さわらぬかみにたたりなし」の風儀がありそうです。

 なお。私がこの記事で表現したかったのは、敬語体系以前に、他者の存在や考えを認める表現とか、自らの、内奥の充実さが先にあると、思ったことなのです。
 私など、外を歩くときは滅多に発話いたしませんし(自動券売機とか、メニューや対象品の指さし言葉で、代用)、コンビニやレストランでどういう言葉を使われても、気にはなりません。

 ただし。
 面接で「いまいち」とか「クソおやじ」とか「わたしの自己PRでよろしかったでしょうか」と耳にしたなら、落とします。世俗にまみれた用法を安易に用いるは、品性狎れがあると判定してのことです。~(自笑)

投稿: Mu→pfaelzerwein | 2007年3月 2日 (金) 07時24分

 (日本語の問題)
>言葉はその前に、相手を敬う、相手を大切に扱う、すなわち美しく思い接し、自らも清くあらんとする、そういう原始の世界に所以がある
 こういうことって、大切だと思いますね。

 新聞のお悩み相談室などで、時々(すばらしい~♪)と感心するような回答に出会うことがあります。そういう文章が書ける人は、他の回答者とどう違うのか?と考えてみますと、(相手の立場に立って考える)ということをされているんですよね。自分の考えを一方的に押しつける回答者や、妙に難解な言葉を用いて、自分の知識をひけらかそうとする回答者の文章は、読んでいて、気分のいいものではありませんし、心も打ちません。言葉というのは、人に伝えるための手段ですから、(朕とか、陛下、殿下、猊下)を使えば、それでその人の人格が高められるというものでもなく、ただ(私)とか(僕)と言った方が、好感が持てる場合もあります。言葉の素直さも大切じゃないでしょうか。

(ブログデザインをすっきりされたんですね。(最近のコメント欄)は、コメント返しをいただいたのかどうか、チェックするのに大変便利でしたので、残しておいていただけないでしょうか?m(_ _)m。) 

投稿: wd | 2007年3月 2日 (金) 09時10分

wdさん
 コメント欄などのデザインはしばらく考え中です。利便性をとるか、私の感性をとるかです。
 ここしばらくは引きこもり傾向が強くて、来訪者の皆様に読んでいただきたいという気持ちよりも、書き続け作り続け我が脳内を探索できるようにしたいの思いが強いわけです。
 右側欄が空いているのはココログのソフト上の様態に自分の気分がすっきり乗ったので、放置している次第です。

さて。
 基本的に気分が悪くなる文章は読まないようにしております。読まなければゼロ、ヌルですね。

<自分の考えを一方的に押しつける回答者>
 善意に解釈するなら、教師癖の一種ですね。教師は押しつけないと成り立たない部分が多いです。相手の言い分を聞いてはいけない場合もあるのでしょう。
 悪意に考えるなら、その回答者は自家中毒している、馬鹿なんでしょうね。

<妙に難解な言葉を用いて、自分の知識をひけらかそうとする回答者の文章>
 善意に解釈するなら、その回答者の日常語なんでしょう。私が<余>を常用するのとかわりはないです。cpuをわざわざ、電子計算機中央制御処理装置、と分かりやすく語るのを、忘れただけなんでしょうね。
 悪意に考えるなら、話題の対象を熟知していない、理解が浅い故の、専門用語ないし業界用語の乱発でしょう。世間には、業界用語を乱発することで、その小世間で仲間と認められる風潮が確かにあります。私なんかでも、ある種の研究者と話すときは、もうすでに、専門用語も使わずに、文脈に依存して、ああ、あれのそこがねじれているから、あのシステムは、こういう結果になるんでしょうね~、と。

 と、コメント返しをしておきます。 

投稿: Mu→WD | 2007年3月 2日 (金) 11時22分

言葉あれこれ

 人間の集団は思うに閉鎖的やね。自分達だけで判る言葉を作りたがる。渋谷の若い女性達がよく報道されていましたが、考えてみると学生時代、私も山の仲間ではドイツ語を多用していました。

ワンダーフォーゲルそのものが、ドイツ語でしたからね。古来、組織は閉鎖的であり、特有の言葉を使っていたのではありませんかね。ヤクザさんもそうやね。

 従い、言葉使いで職業とか属する集団が判明したのではないだろうか。子供の頃、明治生まれの両親はしきりに,食事作法と言葉使いには厳しい躾でした。

 生まれ育ちが判り、両親が恥をかくというのです。私の娘も学生時代に一時,言葉が汚くなりかけた時がありましたが、厳しく躾た積もりです。

学校では親に代わり,先生が躾をせんとあきませんね。

 

投稿: jo | 2007年3月 6日 (火) 18時37分

マイフェアレディでしたかね、若い娘さんの言葉を徹底的に鍛える話は。
イギリスでは、言葉つかいで階級がわかるというのですから、凄い話です。Muは英語を理解できないから、同じですが。

郭(くるわ)言葉は、なんだったんだろう。各地田舎からの娘さんが多いから統一言語で統一文化をつくったのでしょうか。
そう言う意味では、舞妓さんの京言葉も、十代から徹底的に鍛えるのでしょうね。

Muは本心、言葉つかいのことはあまり他人さんに言えません。雅語と俗語とヤクザ言葉と、漢語、京都弁、大阪弁、各国の、ののしり語、和語古代語がチャンプールで、自分でも制御できないのです。その上に、福井弁のイントネーションですから、若年者だとMuの会話は殆ど分からないのだと思います。

時々、通じないことにいらだちを味わいます。
それに、ちょっと若者言葉が無意識に出てくると、ほとんど「死語」らしく、これまたガックリします。いまだに「ナウイなぁ」と、自然に言ってしまう。これは「今時だなぁ~」らしいですが、それすら数年前。ましていわんや「こまたがきれあがっておりますなぁ」おや、なんてぇ褒め言葉、あははは。

ところで。
Joさんも、ふうてんさんも、Muの話す時、どんな翻訳しているのかなと思うと、笑えてきます。Muは梅安一家の言葉、それなりに理解しておりますよ。ご心配なく。

投稿: Mu→JO | 2007年3月 6日 (火) 20時33分

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