小説木幡記:20070221(水)みんないろいろ人生
人の世を並行にみてみると、感慨がますます深くなる。
1.Mu
昨日はぼんやりして、だるくてMuBlogも書けなかった。ミンスキー先生の『心の社会』は、一章分だけ読了した。言葉の曖昧さについての章だった。この前後は、余にとっても大切な章なのだが、少しだけ不運というか、心身がだるい時期にあたってしまった。ただ、内容については馴染み深いことなので、難渋しなかった。
全30章で、昨日は20か21章を読んだことになる(覚えていない)。
多義の単語達があつまって文を作り、そこで小さな文脈ができ、それだけでは文章全体の中で曖昧なママなのだが、人はなんとかかんとか文意を決定する。
そのメカニズム、そのモデルをミンスキー先生は書いておられた。
その文脈を次々と壊していくような文章をマシンが理解したと、いや、なんらかの判定を下せるときに、Muの好ましい人工知能ができた、と言える。
今書いていて甦ったのだが、人がなかなか考えを他人に伝えられないという、事実、現象についてよい言葉があった。つまりミンスキー先生が申されるには、人の考えとはもともと曖昧で定まっていないから、そうなのだと。
膝をうった。
2.知人研究者
メルがきていた。知人の様子が激しかった。50代の研究者。
?~英国~帰国発熱~国内学会予定~インド渡航~国内国際学会(幹事)~中国渡航~?
この予定のうち、空き時間はセッション毎にせいぜい1日程度。
だいたい、がんばっている研究者はこんなものだろうと思っていたが、本人は少し病弱なので気にはなる。
企業の人も研究者の人も、ここまでしないと目的や思いをまっとうできないのか、という、そういう現実に頭がたれる。
と、ひとごとみたいになぁ。
他の知人研究者たちも、人それぞれ異なるが、激務にさらされている。
余をかえりみて、向き不向きもあるのだろう、と自笑した。
3.卒業生
勤めながらも、思いをまっとうするために、日々精進している様子を最近みた。その思いが達成された後を余はぼんやり想像する。恐らく次の思いに身を突き動かされるのだろう。思いが数珠のようにつながっている。ただ、おりおりは、眼前の思いを達成するために精進する。
そういう態度は、生活習慣は、好ましく見えた。
4.社会にでる在学生
明るい顔がときおり、沈みこむ。
「勤めてみないとどうなるのか、どう対応するのか、分からない。」
しっかりものの先輩達も、家庭の都合や職場の都合で、転職事例はいろいろ耳にする。社会にでること、これまでのアルバイトとは異なる。そういう、見えない近未来に、ふと顔が曇る。いつも曇りがちな学生なら、気にもならないが、明るい学生が沈みこむ様子を遠望すると、うむ、と余も考える。
5.就職の準備を始めた在学生
「司書に、なりたいのです。だけど、大学受験の悪夢を見ます」
「そうだね。多数科目を必要とする、国公立大学を受験しなおす気持にならないと、公務員試験は通らない」
葛野で幾度となく、毎年繰り返してきた対話だった。
「しかし、君の体力、精神力、根性なら、民間も比較的よいところに入る可能性はあるな」
「ええ、その方向も考えています」と、また暗くなる。
*.そして、そろそろ朝シャワー
みんないろんな思いを抱いて日々過ごしていく。一様に、節目節目になると、それまで明るい、元気な人達でも、なにかしら憂いが漂う。本当は、思いを達成しても、また次の思いの山があることを、知っている賢い人達なのだが、やはり眼前の峠を登ることに目がいく。
道はいろいろ在るはずだ。関所やぶりだってある。ヘリコプターもある。
ただ、道を歩くことは、大体みんなに共通している。
余も、思いの数珠をたぐってきたが、さて。まだまだ、数珠は遠くに一杯連なって見える。きっと、円環だったことに、そのうちに気がつくはずだが、それに得心したときは、さようなら(笑)。
熱いシャワーでもあびて、インド渡航、じゃなかった葛野日参いたしましょう。
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