小説木幡記:20070211(日)建国記念日にことよせて
今日は祝日、建国記念日、皇紀何年かは調べないと分からない。平成十七年二月十一日、西暦2007年の良き日曜日にして、建国記念日。
と、ここで建国の意義をるる述べるつもりもないし、そういう見識もない。神話ならば、今頃多分神武天皇さんが奈良県の橿原に宮を定められたのだろう。そう、信じている。
今朝は、日本文化の中の朝鮮、というテーマで読書していて、ものすごく熱中している。まだ途中だが、数日後に感想文を書くつもりだ。帰化人とか渡来人とかいう言葉が沢山出てきて、遠いわが国の歴史を偲んでいる。土着縄文人の住む日本列島に、何回も何回も、主に朝鮮半島から人々が移ってきて、いまや原縄文人よりも朝鮮人のDNAが半分以上は混じっている、わが日本。別の本では、諸説もあったが、中国や南方系よりも、圧倒的にツングース系、朝鮮との交わりが多いようだ。ツングースと言えば、満州、モンゴル、高句麗、みなさんものすごく近い親戚、兄弟以上の「血」の濃さらしい。
木幡研の者達が言うには、余は越前原住民なのだが、最近チャングムの現地語をTVで聞いていて、余のネイティブ福井弁とチャングム登場人物らの話す言葉の、イントネーションがそっくりだと言うておった。言葉はコリア語と日本語とは相当に異なるが、イントネーションがそっくりとは、……。
さて。話のスジがだいぶ思っていたことと違ってきた。もとにもどすと、朝から読書しながら、「一生」をずっと考え込んできた。だから今朝は「先生」の立場として話す。
就職や結婚やもろもろで、今の四回生、三回生は大いに悩んでいるようだが、悩むのはしかたない。最近も人生のなかで比較的シンドイ状況にたちいたった学生に言うたのだが、
「ああ、ええなぁ。と思うようなことは、三割もあればよいのであって、余などは一割でも気持が良くなると、それでよいと思っておる。君らは、ものすご贅沢すぎる。あれがいやや、これもいやや、ラーメン嫌い、にんにく嫌い~(笑:話がまたそれてきた))」
一応、うなずいておったが、さて。
そりゃ人によるだろうが、かつかつ食べられて、なんとかしのげて、かんとか生きていくことを基本にしないと、それこそ飽食のデカダンスに陥ってしまう。
それにつけても。
これだけ長く働いて、余が持っているものは、ちっこい家と、ちっこい大衆車と、わずかな友達と、わずかな家族。宝飾なんてひとかけらもない。銀行残高なんて、Macもう3セットきり。
欲はある。ああ~沖縄や北海道へ旅行したいな。海外旅行したいな。家が立つような輸入車ほしいな。財布に数十万円はいっていたらなぁ、……。
しかし、と、あれこれ欲は一杯あるが、好きな本よめて、好きなDelphi マシンに恍惚となって、好きな授業できて(哄笑)、好きなRSに乗って珈琲飲んで、日曜の昼下がりに風呂に入れれば、もうよろし。タルを知る。贅沢いうな。飽食者めらがぁ~。
ということを、ひとことぼやき漫才したかったのだが、聞く耳持たず、悩みに悩むおさなごらの(心理的)飢えをみたすことは至難のワザ、だな。この日頃月頃年頃、日々思い出して、今朝甦った「先生」の教書也。
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