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2007年2月10日 (土)

小説木幡記:20070210(土)土曜だから読書回想

 土曜だから、仕事や研究読書や物を考えるのをやめて、ぼんやりしようと思っている。ぼんやりすると、今は読んだ本のことばかり頭の中を走る。昔は映画や芝居や仕事や付き合いのことで頭も心も一杯になっていたが、よくしたもので、今は本のことだけで、他に悩まされなくなってきている。
 しかし。
 未だにいろんなことで、悲哀感、喪失感はあるにはあるが、それは質(たち)だからゆったりとその感情の中にたゆたればよい。怒りはあまりない。諦念、諦観からくるのは物事との関係に対する緩解だろう。
 では悲哀感とか喪失感とは何なのかというと、これも分かっている。つまり、時間を取り戻せない、後戻りできない、90歳くらいまで(笑)、ひたすら死に向かってまっしぐら、そういう見えない世界への突入と相対して、過去を取り戻せない絶望感、そこからくる悲哀感と喪失感だ。細かく言うと、悲哀感は「余の生も尽きんとす」との心象の先取り。喪失感とは「輝かしい過去を二度と手には出来ない、取り戻せない」すなわち指の間からこぼれおちた、時間への喪失感だ。
 こうやって書いてしまうと、よく分かるのだが、書かないと雰囲気だけで独特の気持に襲われて、涙一滴二滴、こぼれ落ちる。なんとも、難儀な性格、質の男として今に至ったものだ。
 葛飾北斎は、90歳ころまで絵を描いていたようだ。ならば、余も当時より医療はすすんだろうから、百まで日曜作家、肩書き取れた日曜研究者として、いざ活きめやも。生きめやもよりも、活動的だから活きめやもとしたのだが、漢字変換で最初は逝きめやも、とでてきた。おろかな。

 そうだ、ぼんやりする土曜日だった。
 年末から、いろいろ読書していた。しかし感想文は書けなかった、書かなかった。なぜなのかはそれぞれに微妙に異なる。

1. Pluto04/浦沢直樹(小学館)
 もう一度読み直して、記すかもしれない。ただ、物語は後で変化はあるはずなのだが、ショックな死に直面して筆を執れなくなってしまった。意外に余はショックを受けると立ち直れなくなる弱いところがあって。どうしよう、どうしよう、と思っている間に、次の別の読書に入ってしまった。

2. 古代からの伝言/八木荘司(角川文庫、角川のハードカバー)
 2.1 ・・・未読・・・(日本建国)
 2.2 『民族の雄飛』 好太王碑文、応神天皇、仁徳天皇時代 4C頃でしょうか。
 2.3 『悠久の大和』 継体天皇、任那滅亡、5C頃でしょうか。
 2.4 『日出づる国』 聖徳太子、6C頃でしょうか。
 2.5 『水漬くかばね』 大化改新、白村江の敗北、7C頃でしょうか。
 2.6 『壬申の乱篇』 壬申の乱、我が国家成る、7C~8C頃でしょうか。

 以上のうち、2.6がハードカバーで、後は文庫版である。どれもこれもおもしろくて、あっという間に読んでしまって、感想文をまとめようとすると、次の図書に手が伸びてしまっていた。なにがおもしろかったかというと、原則として正史、日本書紀にしたがって歴史を解釈し、物語ったという点だ。日本書紀は潤色おびただしいと悪口ばかり言われてきたが、それをそのまま受け取って解釈を施すと、おどろくほどダイナミックで「真実」にあふれた歴史が甦る。どれもよかったが、2.5 『水漬くかばね』が、今も胸を打つ。日本と朝鮮との関係がこれまでよりもよく分かった。なぜ朝鮮半島に任那があったのか。任那は倭国占領政府だったのか。いや実情は全く異なる。実は、任那とは半島内部での、三韓倭の調停機関だった。そして。倭国は厖大な半島難民を受け入れていた。随は100万、唐は10万の軍を間断なく半島に出兵する。新羅、百済、高句麗の小競り合い、戦争は止まることがない。国が滅び、民は行き場を失って疲弊する。という、物語だった。

3. 蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)/浅田次郎(講談社文庫、全4冊)
 これ。うむ。と、言葉をなくしてしまった。
 まあ、よかろう。これほどおもしろい作品とは思わなかった。もともと満州族とか、清国とかには興味があったのだが、夢のような気分で全四冊を読み込んでしまった。途中、息がとまるかと思った。どうも、余は燃費がよすぎるというのか、物語に未だにのめり込んでしまう。呆然として、読み続けた。

4. マヂック・オペラ/山田正紀(早川書房)
 これ。うむむ。昭和初期物。226事件が背景にある。黙忌一郎(もだし・きいちろう)、検閲図書館、と申さば気持はすっと過去に飛ぶ。そう、『ミステリ・オペラ:宿命城殺人事件』。宿命城が第一作なら、マヂック226は昭和三部作のうち、第二になる。第三がいつ出るのかは知らない。
 と、内容は? それは言えない。ミステリだから。
 実は、なんとも言いようのない作品構成、雰囲気なので、感想が書きにくいのも事実である。二作目だというのに、余はいまだに「検閲図書館」というものが、組織なのか、機能なのか、黙(もだし)という謎の人物そのものを指すのか、何のためにあるのか、何をしているのか、~分からない。だから、書きようがない。
 じゃ、なぜ読んだのか。それは簡単。
 宿命城以来、山田正紀あやつる昭和史というパラレルワールドに首まで浸かってしまったから、読み続けるしかない。後戻りできない、瀬戸際。

 と言うわけで、年末年始、あれこれと読んでおった。さて、今日の土曜はなにして過ごそう。
 結局。つまるところ。
 少し頭を冷やして、ぼんやりしよう、が結論。
 激情にかられてビデオを掴みRSにうちのり、遠出するのはやめよう。
 暇にあかせて土曜の葛野へ、のこのこでかけて、居眠りするのはやめよう。
 暇にあかせてミステリ手にとって、読むのは止めよう。
 日曜作家も、今日は土曜なんだから、止めましょう。
 映画を見に行くのも、DVD見るのもやめましょう。
 Blog触るのも止めましょう。
 ましてDelphi三昧、マシンに触るなんて、止め。
 じっと、ぼんやり、ひながうたた寝する。
 息だけはするつもり。

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コメント

 お疲れのご様子でんな?

 疲れたら好きなことするのが、私の対処法です。夜の私の生活はめまぐるしい、飛行機作っていたかと思えば、ブログ記事、そhして、風呂に入り、ビールを飲み、飛行機の製作続きをやる。

 色々やるのは、認知症対策としてよろしいようですよ?ぼ~~としてるのは、何時もやけど、めまぐるしくアレコレやるのもいいのでは?

 

投稿: jo | 2007年2月10日 (土) 15時28分

Joさん、こんにちわ。
京都も昨日までとちがって、ほんの少し寒くなりました。

疲れてはいませんよ。なんもしたくない、アパシー。
要するに、一週間、毎日仕事件模索し、ついでに(笑)研究読書していると、土曜や日曜くらに、ほけらぁ~としたくなるんです。
計画立てたり約束果たしたりするのが、苦痛ですなぁ。

MuBlogも見たくはなかったけど、ちょっと気になってみたら、Joさんコメント在ったしね(笑)

さて。ついでにJoBlogも見ましたよ。なかなか、コメントしにくいです。Joさんがじゃなくて、ベトナムが複雑だからですよ。ホー爺さんも。むつかし。

投稿: Mu→Jo | 2007年2月10日 (土) 16時29分

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