どうなんだろう、ぼんやり度
こう、なまけているわけじゃないのだが、若年時からぼんやりすることが多かった。というよりも、そのぼんやりがないと、心身が圧迫されて身体まで不調になるような、なくてはならない空気のような食事のようなものだった。
いま、こうしてMuBlogを記しているのだから、今この瞬間はぼんやりではないだろう。剣聖のようにねむるがごとくキーボードを触っている訳じゃない。意識はしっかりしている(そのはずだ)。
前にもしるしたが、そういうときは、時々考えることもある。しかしその内容は大抵いつも決まっている。「なんか、おもろいことないかなぁ」である。で、頭の中にはいろいろ浮かんでくる。
「あのDVD見ようかな」いや、おもしろくない。
「あの本、読んでみようかな」うん、つまらなそう。
「なにか、食べてみるか」さっき、食べて、おなかがもたれるなぁ。
「ドライブしようかな」混んでるな。(今週は、月曜日からRSは入院している。傷治し)
「散歩がてらに、葛野でも行ってみるか」遠いなぁ。
と、言いながら葛野に着くと。
「しかたない、倶楽部でも覗いてみるか」部屋は、大抵真っ暗。
「委員会仕事しようかな」ああ、難しくて解けそうにない。
「採点でも、今のうちにするかぁ」いやいや、休日にして目が痛くなったら、どもならん。
「パソコン、システム作ろうかな」また、肩が痛くなる。
……
と、ひとわたり要件をあげて、全部否定すると、またいう「なんか、おもろいことないかなぁ」。
これが、休日だと1日に3回程度ある。午前、午後、夜。夜は大抵、そのまま眠ってしまう。大体、一サイクル30分程度で、しかたなく責務に励む。休日の責務とは、あはは。大抵宿題だな。
これが仕事日だと、授業や会議や事務処理で、忘れていられる。「おもろいこと」どころか、その逆のことに専念し、いわゆる忙殺されて、奇妙な倦怠感からは免れている。
さて。世間の人はどうなんだろう。まさか京阪電車の運転手さんが、仕事中に「なんか、おもろいことないかなぁ」と、ぼんやりするはずがない。しかし、電車を降りて、家に居る時はどうなんだろう。と、勝手に人のプライバシーを想像する。刑事なんかどうなんだろう。自宅でも、事件のことを考えているのだろうか(笑:なぜ、笑えるのだろう)。大学のセンセ達はどうなんだろう~。会社の社長や、家にいるお母さん方はどうなんだろう。学生達は、……。
人のことは、分からない。
ときどきぼんやりしたまま眠ってしまうのは、多分Muだけだと思ったよ。
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