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2007年1月31日 (水)

昨日、お隣さんで

承前:MuBlog お隣さん、さようなら:資料組織演習

Muが八年間も通った教室棟

Mu八年通った教室棟
 昨日昼に、葛野の科目成績を全部終了し、教務課にだした。あわせて、お隣さん大学のも提出することにした。ぽてぽてと歩いて15分、近場と言えば近場なのだが、夏の体調の悪い日などは、タクシーもつかまらず、泣きながら片道30分もかけて通った「お隣さん」大学だ。八年間もよくまあ勤まったと思っている。

正門入ってすぐ

正門入ってすぐ
 敷地は狭いのだが、学生数は葛野の数倍。お昼なんかラッシュで身動きできない大学だ。ある時期の英語学科だけでも、13クラスもあった。その中の「エース・クラス」の学生も、そしてどんじりクラスの学生も、仲良く余の科目をとってくれた。英語の検定で800点とか900点台の学生も毎年おった。なんとなく、日本語が変わっていたがね(笑)。

キャンパス時計

キャンパス時計
 そんなこんなで、昨日が最期のご奉公、成績提出。終わってさっと帰ろうとすると、教務の方が呼び止めて「先生、長い間ご苦労様でした」と、挨拶してくれた。目頭熱くなったね。なぜなら、余はこの大学に、学生以外の人とはメール以外、めったに口も聞かなかった。まさか、教務の人が覚えていてくれたとは。世間は狭い。

 そんなこんなで、出不精の余はおそらく二度と、四条葛野界隈には行かないだろう。懐かしい京都ファミリーのトンカツも、食堂街も、書店も、二度とは訪れないだろう。そして、このお隣さんにも。ものすご、悲しい性格じゃね(微笑)
 と、何年か後、今いる大学も屯所も、そうなるとおもうと、号泣するね。悲しみだけが人生さ。あまりに記憶の重層、その重さにうちひしがれて、なんとかこうとか今まで生きてきた。まったく、とんでもない性格だと、ひとしきり自らを省みた。
 さて。今が大切、春から心機一転、授業も倶楽部も、続投・判子屋も、そして教授会も委員会も、がんばりましょうぞ。

注記
 写真がいつもと違って奇妙な微妙なピント、色調ですが、これは携帯電話撮影なのです。余の携帯写真なんともいいようのない写りになる。

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2007年1月29日 (月)

小説葛野記:20070129(月)曇の信号機と愚直

 幼少時から現代にいたるまで、他人の言葉を比較的尊重してきた、つもりだ。場合によっては愚直なほどに守り通したこともある。余が日本の歴史に執着しているのは、高校生の頃のませた悪友の一言を愚直に守ってきたからである。「日本の歴史も知らずに、現代をあれこれ言うなよ」余は、そのころ科学少年だった。しかし、恥じて、現在講談社の「興亡の世界史」を毎月手にしている。日本史じゃなくて、世界史を今になってそろえようとしているのは、これは単なるアマノジャクにすぎない。

 西大路九条を午前七時に通過したとき、西側陸橋の真ん中に取り付けてあった信号機がゆさゆさと揺れていた。右折を待っている間、地震か取り付け不手際か、落下かと思うほどに、おそらく上下に20センチ近く大揺れしていた。
 理由はすぐにわかった。陸橋の上を南から北にむけて人が犬と一緒に走っていたのだ。

 信号機は大抵守る。おそらく95%守る。もちろん、京都でも指折りのばかでかい、交通量の激しい五条堀川とか、この西大路九条で信号を守らないドライバーは、自殺志願者と考えて良い。しかも正しい自殺志願(笑)ではなくて、無知故の、洞察力の弱い、愚かさ故の事故自殺につながる。

 余も時に、まれに守らないのは四条小橋を東西に渡る数メートルの通路を徒歩の時。ここは全員信号なんかないかのように渡る。まれに一方通行、木屋町北からタクシーが来て、運転手が信号無視の人たち(余も含まれる)を睨み付けている。この木屋町一方通行は、タクシードライバーの為にのみ有効だと日頃考えておる。一般ドライバーはこんな人混みの中を走るべきじゃない。

 さて、余は日頃、愚直なまでに取り決めに従うことが、多い。
 破るときは、はっきり確信犯として、「いやだ。だから従わない」と、オーラをだして反抗(したことが多い)。もちろん現在は、角が取れて丸くなって(いやいや、すり切れた、というのが妥当か)、大抵人の言うことやルールに従っているのだが。

 さて。日頃、若い人たちに囲まれている。採点内容でも授業、日常でも、病的にルール無視のもの達に出くわす。一般的感慨だが、やはり若い人たちにルール無視をする人が多い。お店の従業員もそうだな。(もちろん、身の回りの年配者達は、殆ど居ない。大抵、余の世界では抹消したからだろう。だから、無)以前は、これは「反抗」と思っていたが、そうでもないことに気付きだした。なぜ、愚直なまでに取り決めやルールや約束を守らないのか。おそらく、自己中心の結果なんだろう。それは自己の快・不快が強い動機になっているのだろう。

 それは危険だと思う。実力無き者がルール無視すると、大抵後日、滅びる。事故が多く、長生きもできない。それでよしと明確な決意があるなら、まだしも、洞察力の欠如、近未来予測力のなさ、無知であることが多い。一般に、社会に出ると、現実に直面し尻餅ついてしまう。大抵、再起は難しい。滅びていく。
 
 方法論は一つ。才無き者は、愚直であれ。
 天才はほとんどいない。天才は、ルール、規範を破る。しかたない。
 非力な、凡人は、
 ただ、愚直に生きることが、豊かな天命をもたらす。
 
 難しいのは、愚直であることも、これは才能の一つという、現実だな(笑)。 

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2007年1月28日 (日)

NHK風林火山(04)ミツの死と仕官

承前:NHK風林火山(03)城とヤマセミ

 緊迫感がそろそろ出てきた。
 タイトルに含まれるコントラストの強い騎馬武者の動きにもそれは現れていた。信玄の父信虎は、暴虐の「王」として狂躁が画面を覆うようになってきた。村娘を矢で射、その上生きていることを確認し妊婦の腹を裂いたようだ。古来暴君の悪行の一つとして定番化している。

 逆に、後で廃される、あるいは誅された君主レベルには、大抵この行為が刻印される。信虎がどうであったかは知らないが、子たる信玄(晴信)が父を追放するにはそれだけの理由も必要なんだろう。
 男は狂うと妊婦をいたぶるのだろうか、不知。現代猟奇犯罪でも、あまり聞かない。ない方がよいに決まっている。しかし記紀にも出てくるし、中国の昔の王にも居る。

 仲代達也演じる信虎には、この狂気が宿っている。不気味なほどの名演だ。乾いた笑いといい、目を開けたままの寝姿といい、狂える王が今夜もいた。

 今夜主役の山本勘助は、内縁の妻ミツが武田のお屋形さまに惨殺された、この縁で息子の信玄に出会うことになった。はたして、数分語っただけで信玄が山本を認めたのかどうか。

 晴信(信玄)の守役(もりやく)板垣(千葉)は、最初の仕事として勘助に、駿河の状況を探る間者としての任を与えた。その今川家は、福島(くしま)の謀略によって当主兄弟が殺され、てんやわんや。勘助の兄は福島の家臣である。大叔父は今川の重臣である。複雑怪奇。

今夜の感想のまとめ。
 NHK大河ドラマ、やはり昨年が明るかったので、今年の暗さはなかなかよろしうになってきた。なんというか、謀略がそろそろ動き出した。とはいうものの、山本勘助の真骨頂はまだ少しも出ていない。なぜ、武田の軍師として後世に名をとどめるまでになったのか。なぜ素浪人が、信玄の信任を得ていったのか。謎がまだまだ残る。それを解き明かしていくのが今年一年なんだろう。

 なお、今夜は男達の裸がなくてよかった。どうにも、気色悪い。NHKも悪趣味な所がときどきあって困る。できれば今年は、徹頭徹尾暗くて重くてあざとい謀略戦で通して欲しい。
 常識人である私もそういう風に、心して見るから(笑)。
 もしかしたら、なにかしら、変わった一年になるのかもしれない、と期待感がでてきた。

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小説木幡記:20070128(日)晴れだからのんびり読書風呂

 のんびり起きてきて、午前七時。よく眠った、爽快な朝だった。
 昨日の夜半に強烈な大仕事をかたづけて心身ぐんにゃりしてしまった。帰路新装なったRSのハンドルがきびきびして、自動車だけはロボットみたいに裏切らないとおもいつつ、夜半木幡に向けて走った。本当に長期間にわたるキツイ仕事だったなぁ。それにしてもRS、ちっこいエンジンなのによく回る。タイヤのグリップもよい。直角、タイトなカーブもそのまま50キロで回り込んで、楽々。後をつけてくるヤラシイ若者車、そのて改造車も、カーブになると遠くに消えてしまう。RSは別にアクセルふみこむのでもない。ただちょっとシフトをS(スポーツとか言うている)に落とすだけ。そう、ブレーキングなし、魔法のように回り込む。日本車RS、素晴らしい~。

 仕事の緊張や疲労が帰路ハッと消えるのだから、余は実に車が好きなんだ。わけてもRSへの愛着は強い。一週間手元になかっただけで、日々喪失感に襲われていた。完全無欠のRS依存症であるとの自覚深し。いや、双璧の一つは今この時も触っている現代パソコンもそうだろう。日々マウスとキーボードを触らないとおそらく陸(おか)に上がったカッパ、空気を断たれた宇宙船ナビゲーター、悲惨なことになろう。

 認知症のことだが、本人の来歴を知るのが介護する人にも大切なことと。剣玉が好きで得意だった高齢者の話を木幡研で耳にした。
 余ならさしずめ、RSとかマシンを持ってきたら、しゃっきりして目が輝くのだろう。緊急療法としては、1テラバイトほどのバルク(すっぴん)・ハードディスクを余の頬にあてたら、きりっとするかもしれない。便利なものだ。(旧知の人達も、余の性癖、この事実、しかと覚えておいていただきたいものだ。子孫達にはちゃんと伝えている)

 さて。あとしばらく採点(ああ、葛野研でのことは木幡研では言及してはいけないな)も続くが、木幡研は平和になってきた。今日などは、理想的な日曜日。のらりと起きてきて、町にもでず化粧もせず(これが、男に生まれた快感だ。学生達をみていると、念入りに衣裳合わせして調えて通学する者もおるが、これは大変神経も使うし、金もかかるな)、ただぼんやりと珈琲飲んで、M1君と談笑して、さて朝から読書。

 そろそろ昼なので、キッチンをみたらなんとなくオジヤのようだ。いや、油断ならない。メニュは最後の最後まで、すき焼きがうどんになったり、お造りがパスタになったり、今日こそ海老天ぷらと想像していると、ウナギ蒲焼きに変わる。日々食卓に座るまでは油断ならない、この緊張感。
 まあよい。
 お昼を頂いて、そして昼寝して、また読書して、夕風呂に入って、夕食いただいて、そして「風林火山」。なんというか、平和な日曜日だなぁ。瞬間就寝、約30秒。いや、目をつむったら朝だから、これは数秒かもしれない。神は、余に贅沢も資産も脳もあまり与えてくださらなかったが、やはり、この世にはお金で買えないものもあるのだなぁ、平和な日曜・瞬間睡眠(笑)

 では、また夜間10時ころ、風林火山鑑賞blogをお楽しみに。

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2007年1月27日 (土)

小説葛野記:20070127(土)晴なのに

 さして記すこともないのだが、今朝起床4時。勤行のあと、トースト。一瞬卵を目玉焼きにしようと思ったが、も少し長生きしたくてやめておいた。
 葛野着が7:10だから、木幡では相当にゆっくりしたことになる。

 今日は終日採点、そして帳簿付け、原簿付け。
 なんというか、空は晴れているというのに、苦しい人生だね、とおもいつつもサディスティックに採点するというのも、なにかしらあはれなり。

 ということで、本日の葛野記は少しもすかっとしない内容になったが、なに、物事聞くと見るとは大違い~。人は表層も深層も多重なので、どれが本当なのか本人にもわからないし、また「本当」という言葉が指し示すことも、定義できず浮動、浮き沈みするものだ。

 ところで。
 数日前にNHKのなにかの番組で、宇治の黄檗あたりの病院かな? 認知症のことで話しておらすた。認知症は、病気らしい。どういう病気かまでは聞きそびれた。ただ、認知症を抱えている人を相手にするのは、分かりやすいとその医師は申しておった。認知症は、記憶の回路の不都合もあるのだが、なによりも仮面をかぶることができなくなる病気らしい。喜怒哀楽がそのまま表情や行動に表れる。だから、笑っているときは本当に楽しく快適なのだ、嘘笑いではない。怒っているときは本当に怒っているのだ、芝居じゃない。だから、非常に分かりやすいと言うておらした。
 ふむふむ。

 だから~、という結論は聞き漏らした。
 やりようによっては、認知症の人が、怯えず、快適に過ごす環境を作ることは可能らしい。認知症は、昔のことば「ぼけ老人は、なにも分からないのだから、気楽だ」というのは、根本的に、絶対的に誤りらしい。認知症は、自らの行動のもたらして結果を、最初から知っている。そのことへの自責、他人からの叱責、それらがますます症状を悪化させていく病気らしい。本人は、非常に苦しみ、それはストレートに怒りになる。なにも分からないのじゃない、わかっていて自ら対処できないから、ますます悪化する。

 人間は。難しい。
 というところで、さてまた、採点帳簿付け、しこしこと励もう。

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2007年1月26日 (金)

小説葛野記:20070126(金)曇雨シリアル人生

 四条大橋に立ったのが午前七時、鴨川と書かれた石碑の影で川をしばらくみていたが、なかなか風情がある。さすがに京都、往年の都だけある。今年の倶楽部の◎番隊長はたしか関東の鴨川市だなと、想念がよぎったが、全市あげて鴨でも泳いでいるのだろうか。以前の新選組!で芹澤鴨が小料理屋を営んでいて、そこで魚をさばいて刺身を作って、たしか近藤さんに出していた。冬期限定鴨なんばはこの一週間自慢のRSが入院したので行っていない。あの店へ徒歩やタクシででかけるのは無謀だ。なのに客がいて、TVクルーがくる、変わった店が嵯峨野にもある。嵯峨野というてもひろくて徒歩だと半日かかってしまう。昼食とるのにはどれほど鴨なんば好きと行っても、半日かけて昼飯は無謀だ。

 今日あたりから採点の終盤にはいる。昨日も含めて大体七割完了した。科目によるがどうしても、というか自然に10%は落とすことになる。無理してそうするのじゃなくて、実に自然だ。科目によっては全員そつなく及第もあるのだから、自然なんだろう。学生もわざわざ五回も六回も欠席して、その上、文意さだかならぬ、課題にまったく適合しないレポートを出してくる。なにか修学態度美点を探そうとしても、たとえば途中レポで良い点だとか、相談メルを出してきたとか、せめて出席した日くらいは遅れない~とか。無い。つまり意図的に落ちようとしている風情だ。本人の意をくんで、10%落としてあげた。再見(は、無いだろう)

 そうこうするうちに、まだ委員会宿題は目白押しなのだが、なんとか態勢を整えて日頃できなかった、等閑視したわけじゃなくて、パラレル(並行)してできなかったことを、いくつも仕上げる季節になってきた。夏期論文(万葉集の精神)の掲載や、大部なUML2.1仕様書読破や、人工知能の奥義書や、古典文学DB作業や、復興華南再生計画や、一杯ある。
 大体、四季おりおりなにかしら記憶に残る人生なのだが、どうもこの二月~三月は仕事の上では記憶にない。つまりセリアル人生(serialだからシリアルが正しいカタカナだろうが、どうしてもセリアルになる)だから、並行処理ができなくて、直列処理なので、前のJOBが終わらないと、次にうつれなくて、そのもろもろをこの季節にまとめてするから、あまりに一杯あってどれも記憶に残って居ないのだろう。

 たとえば、春なら桜狩り(笑:まあこれも京都歴史DB作成という余の仕事よな)、入学式前後の騒然とした日々、新学期の態勢。夏ならば、前期試験採点、オープンキャンパス、二ヶ月論文作成無人環境。秋なら後期授業と絶好調期における研究読書(笑:たまに小説類も入るが、これは公共図書館を理解するには避けられない仕事なんだな)。そして冬には後期試験採点。これは毎年地獄だね。後は、三月に卒業生を送り出す倶楽部最大公式行事「新誠会」、若干卒業式。

 この程度が余の年間スケジュル。そして、二月三月の記憶は新誠会と卒業式以外ほとんど無い。一体これまで十数年間何をしていた。が、上述のセリアル人生後始末時期。大掃除も含めて。

 ここまで、記していて、判で押したような年間、毎月、毎日。人間はこうやって生きて、リタイアして、おさらばするのだろう。リタイアしておさらばする時間が21世紀は、想像するに10年~20年間ある。そを如何に過ごすかは、また別の話題。

今日の結論
 パラレル(並行して)に仕事や人生をこなす人は、優秀な人が多いと思う。余はどうみても、セリアル(直列、順番)人生、前のJOBが終わらないと次に手を付けられない。時々、焦る。焦りが一番よくないと思っても、焦る。以前、ナガラ人間という若者がはやった、これは要するに並行処理なわけだ。今、そういう若者だった人達はどうしているのだろう。

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2007年1月25日 (木)

小説葛野記:20070125(木)曇の靴下

Kutusita 起床が五時、昨夜はめずらしく物思いにふけっていたので、朝が遅くなった。四時には起床しないとリズムが壊れる。四条大橋で6:45、外気温が四度cだった。それほど寒くは感じなかった。暗い中の橋のたもとの交番前にパトカーと救急車が一台づつ止まっていた。赤色光が回転していたので派手だった。ところが、余が気になったのは事件とか怪我人のことじゃなくて、これだけランプ類を派手に点灯するこの手の自動車のバッテリー容量はどうなんだろう、といういささかオタクな心配だった。きっと寒冷地仕様の大容量蓄電池を普通の二倍とか三倍、並列に付けているのだろう。わからない。

 西京極におりたとき、お弁当やもろもろをどの店にするかで迷った。コンビニも大変だなぁ。過当競争。それで結局電車通勤の友、葛野のファミマに寄った。おろし竜田あげ、それと、写真の靴下。
 電車に乗っている間、足と靴との間の感覚が超微妙だった。阪急電車は、一車両に余しか居なかったので、そっと靴を脱いでみてみたら、案の定、かかと部分が直径3センチほど破れていた。まあ、よいか、と思ったのだが、男子たるもの外に出ると七難あるというから、買うことにした。今日は実は、またまた公務で入試監督! もし、なにか緊急事があって、付き添って靴をぬいだら、あじゃー、となることをみるみるイメージした。公務だから、「ぼく、しりません。破れた靴下履いていても、ぼくの勝手」とは、言えない。なぜ言えないかをつらつら考えたのだが、それが人間の作る文化、つまりは文明なのだろう。(おおげさだね)

 で、お弁当を買った後、ファミマ店内で探したが見あたらない。もちろん女性用のはいっぱいある。しかし、そう言う応急処置は事態をますます悪化させる、後ろ指さされる(笑)。それで思いあまって、ちょっといつも見かけない制服の女性(多分、なにか、正社員かな)に尋ねたら、さっそく「無印良品コーナー」に案内された。ところが、そこにあるカタカナは、気恥ずかしくて書かないが、すべて女性用のカタカナばかり。

「あの、すみません、私が使う、男性用の、靴下、ソックスなんですがぁ~」
「はいはい、ちゃんとありますよ」

と、探してくれたのが、写真の半透明箱。まいった。町に日頃出ないから、こういうことがとんと分からない。要するに、現代の靴下や、そして他の男女肌着類は、こういうスケルトンというか、容器に入っているわけだ。まさに、余も歩けば世間に当たる、という言葉そのもの、感心した。

 いささか常軌を逸した感動とおもわないで欲しい。余は、この靴下の容器やディスプレイに実に目が点になったのだ。
 そう言えば、昨日は寺町のドスパラでパソコンパーツを探していたら、アニメに出てくるようなおもちゃのミサイルランチャーがあった。「ああドスパラも、おもちゃを売るようになったんか」と、思ってみたら、なんと「USBハブ」だった。どう考えても、おもちゃのミサイルランチャーと、USB装置とが結びつかず、昨日も目が点になった。

 ちょっと町にでると、こうして刻々と現代の様変わりに出くわす。ついて行けない。

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2007年1月24日 (水)

小説葛野記:20070124(水)曇

 今日は会議が三つあった。やっと終わった。宿題が大きく二つあった。しこしことやらざるを得ない、脳。

 さっきは、直前の「漏刻 近江神宮」に動画を一本つけた。やはり折角、漏刻の水と音を撮影したのだから、記録しないとな。だいぶ、なれてきた。ただ、人によってはこのmpeg4形式でみられない場合もあるようだ。アップルのQuickTime無料をダウンロードすればよいのだが、そこまでしてみるほどの内容でもない(笑)。

 朝は四条大橋で五度cだった。寒さはそれほどでもなかった。
 尾張屋の天ぷら蕎麦、天ぷら二つがやけに鮮明に脳を横切った。
 午前中は、懸案の買い物をした。

 フラッシュメモリー1GB、1780円。
 なかなか安価になった。以前なら、この価格で32MB程度だったから、隔世の感あり。そういえば今度のWIndowsVista新OSは、外部メモリとしてこの手の上等なフラッシュメモリを使えるようになるようだ。しかしさすがに、内部メモリと同等のスピードが必要だから、1GBで8000円程する。内部メモリがそれより少し高価なくらいだから、もっと正確に調査して、USBのスピードと勘案して、春からはフラッシュメモリを新規に考えてみる。新しい物好きだが、あわてると、大抵ヘコム。
 
 USBの4ポートハブ、980円。
 なんとなく、USBが便利だから、いわゆるIEEE1394インターフェースを使わなくなってきた。事実、先年秋に手にした30GBハードディスク対応ビデオは、IEEE1394を廃絶していた。これはこれで、SONYも乱暴だな。せっかく長年iLINKの名称で使い込んできたのになぁ。というわけで、USBがごちゃごちゃするので、一括してハブを買った。これも、お安いね。

 外付けIDE用のケース、2580円。
 これ謎だね。この蛇の道に詳しい人なら周知かもしれないが、うむ。製造国、製造者一切不明。ただし一応箱があるから、バルク(裸)じゃない。しかも拙い英語力からは、高性能だ。
 Work with both PC and Mac:マックもwinも動くぜ(この保証を記すパーツは少ない)
 IDE to USB2.0, and IDE to IEEE-1394A Interfaces are available:(この表記にだまされたような。つまり中をみたら、やはりUSBコネクタしかない。おそらく同系列別の機種はIEEEだよという、嘘っぽい宣伝だな。つまり、USBとIEEEとでは別売りしているのが多い。だが、余は騙されたのか、理解不足なのか、この英語を両方行けると理解した! 確かに複数形のinterfaces だからな。うむ)

 というわけで買い物は、まあ、そんなところだろう、5340円。高いような安いような。
 なんとなく、会議の宿題がうろうろ頭を走る。ま、よいか。採点の方が大切だ。
 授業+採点>公務>研究
 これがある種の教員の優先順位だな。もちろんフルタイムで研究している方も、大学によっては多い。若い人にな。若い教員が研究できない状況がもしあれば、それは悲惨すぎる。余などは、研究は、余技だがね(うけけけ)。

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2007年1月23日 (火)

漏刻のある近江神宮 (ろうこく)

近江神宮(滋賀県大津市神宮町)地図
HPアドレス
近江神宮・時計博物館

 漏刻の模型(動画)Rokoku.mp4 (1541.1K)

近江神宮

近江神宮
 昨年の夏に近江神宮によってきた。この神社は、なんとなく若い頃から琵琶湖と京都を結ぶ経路にあると認識していたし、一度訪ねたこともあった。気になることは、そのころから二つあって、一つは「時計」だった。その象徴たる漏刻模型は昔は無かったはずなのだが、最近あると知って気になり参詣した次第。
 漏刻模型があるのをはっきり知ったのは、NHKの「壬申の乱」を見てのことだった。
 参考MuBlog:「壬申の乱」の関係地図

漏刻

漏刻
 漏刻と言えば、飛鳥の水落遺跡があった。これも数年前に訪ねたはずだが、記録が残っていない。探せばビデオが出てくるはずだが。それよりも、過日手にしたパンフレットで紹介したので、その記事を挙げておく。
 参考MuBlog:遺跡関連図版(飛鳥関係図版)飛鳥の考古学図録1

漏刻の説明文

漏刻の説明文
漏刻の羽
漏刻の羽

 水落ちに惹かれたわけでもないが、落ちは「近江大津京」である。近江神宮の近くに大津京遺跡があって、これは未踏地だが、現代の神宮にそのイメージを求めた。
 時計博物館があって、多量の懐中時計が目についた。中学生のころ父親から鉄道時計をもらって大切にしていたが、いつの間にか消えてしまった。人間の行動原理は意外に単純で、なんとなく懐中時計に惹かれ、そして懐中時計をいくつも手にしたいと、博物館で思ったのは、そんな少年期の残照なのかもしれない。
 時計。
 そういえば最近、砂時計を手にした。懐中時計も砂時計も、無趣味なMuのコレクションにこれから加えていこうかと、いまふと思った次第。先年の師走に嵐山のオルゴール博物館二階でスイス製の時計をいくつか見たが、高価だ。懐中時計でも数十万円、もっとする。なかなかに、欲しいと思う物は、高くて手に入らない。だから、欲しくなるのも人の心性なのだろう。砂時計がお気に入りのせいか、懐中時計もスケルトンタイプが好みだ。どっかに落ちていないかなぁ。
 と、天智天皇さんも思って、えいやっと、ご自身で漏刻を作られたのだろう、きっと、そうに決まっている。歴史の心底は、まあ、そうなんだろう。そこに「人」が居る限り。時計造りは、国家として時間を管理する強烈な意思、これは聞こえはよいが後智慧なんだろうな(笑)。

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どうなんだろう、ぼんやり度

 こう、なまけているわけじゃないのだが、若年時からぼんやりすることが多かった。というよりも、そのぼんやりがないと、心身が圧迫されて身体まで不調になるような、なくてはならない空気のような食事のようなものだった。

 いま、こうしてMuBlogを記しているのだから、今この瞬間はぼんやりではないだろう。剣聖のようにねむるがごとくキーボードを触っている訳じゃない。意識はしっかりしている(そのはずだ)。

 前にもしるしたが、そういうときは、時々考えることもある。しかしその内容は大抵いつも決まっている。「なんか、おもろいことないかなぁ」である。で、頭の中にはいろいろ浮かんでくる。

「あのDVD見ようかな」いや、おもしろくない。
「あの本、読んでみようかな」うん、つまらなそう。
「なにか、食べてみるか」さっき、食べて、おなかがもたれるなぁ。
「ドライブしようかな」混んでるな。(今週は、月曜日からRSは入院している。傷治し)
「散歩がてらに、葛野でも行ってみるか」遠いなぁ。
と、言いながら葛野に着くと。
「しかたない、倶楽部でも覗いてみるか」部屋は、大抵真っ暗。
「委員会仕事しようかな」ああ、難しくて解けそうにない。
「採点でも、今のうちにするかぁ」いやいや、休日にして目が痛くなったら、どもならん。
「パソコン、システム作ろうかな」また、肩が痛くなる。
……
 と、ひとわたり要件をあげて、全部否定すると、またいう「なんか、おもろいことないかなぁ」。
 これが、休日だと1日に3回程度ある。午前、午後、夜。夜は大抵、そのまま眠ってしまう。大体、一サイクル30分程度で、しかたなく責務に励む。休日の責務とは、あはは。大抵宿題だな。

 これが仕事日だと、授業や会議や事務処理で、忘れていられる。「おもろいこと」どころか、その逆のことに専念し、いわゆる忙殺されて、奇妙な倦怠感からは免れている。

 さて。世間の人はどうなんだろう。まさか京阪電車の運転手さんが、仕事中に「なんか、おもろいことないかなぁ」と、ぼんやりするはずがない。しかし、電車を降りて、家に居る時はどうなんだろう。と、勝手に人のプライバシーを想像する。刑事なんかどうなんだろう。自宅でも、事件のことを考えているのだろうか(笑:なぜ、笑えるのだろう)。大学のセンセ達はどうなんだろう~。会社の社長や、家にいるお母さん方はどうなんだろう。学生達は、……。

 人のことは、分からない。
 ときどきぼんやりしたまま眠ってしまうのは、多分Muだけだと思ったよ。

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2007年1月22日 (月)

鎧鰈(よろいかれい)

鎧カレイの詳細

鎧カレイの詳細
 先週末、お昼のお握りのそばに、おもちゃのような魚がいた。よくみると、カレイの形をしている。名前は、鎧鰈、つまりヨロイカレイと呼ぶらしい。なぜ鎧なのかは、よく分からないのだが、多分、鎧に見える人もいるのだろう。

鎧カレイ達

鎧カレイ達
 どういういきさつで木幡研の昼食に乗ったのかはわからないが、出身は京都の錦の市場だと聞いた。フライパンを熱くして、そこで炒めたような焼いたような、そんな調理方法は初めて観たが、網焼きよりも気楽に見えた。

 まだまだ、初見の物がこの世に多い。ずっと長く好きなものにだけ気持を注いできたから、ふっと我に返ってこの世をながめれば、おもしろい物が転がっているなぁ、と思ったわけさ。よく知らないのだが、なんとなく京都独特のお魚のように思える。

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2007年1月21日 (日)

NHK風林火山(03)城とヤマセミ

承前:NHK風林火山(02)故郷は

 甲斐に帰った山本勘助は、お腹の大きくなったミツのもとに戻るが、最初は「わしの子やない」と言い張る。そのミツを、村の青年は好いている。後の武田信玄も興味を寄せる。予告編では、信玄の父親信虎も矢を射かけるほどにミツに執心する(なぜ矢を向けたかは不明、鹿を逃がしたとおもったのか、信虎が人でなしなのか)。どんな気持であれ、正反こぞってミツに気持を向ける。

 さて。風林火山が始まる前の番組で、可愛らしい小鳥、ヤマセミがちっこい身体で大きな魚を捕って、別の鳥の所へいそいそと出向く。そして、魚を振り回してパフォーマンスする。どうやら、その別の鳥は雌らしい。もちろん魚を運んだのは雄だ。

 場面変わって、勘助はいろり端で、粘土か土の城の模型を作っている。そしてミツにいう。守るべき城がミツだと。こういうセリフが出ると、大抵悲劇的なことがおこる。来週が怖ろしいね。
 で、最初はあくたれ口をたたいていた山本勘助が、その魚をふりまわすヤマセミ雄にみえてきた。マリシテンのペンダントが魚なのかもしれない。
 ミツは、いろんな男性から正反もろもろの感情を注ぎ込まれて、困った訳じゃない。ひたすら勘助命、という風情。

 やりたいことがあっても、条件がかなわないと無理なことが多い。軍師なんて職業は、なりたいと思ってなれるわけじゃない。城を自在に造れる立場を得るのは、とても難しい。勘助以外は、今のミツの心をとるにはそれぞれ苦労する(だろう)。軍師も城も、今の勘助には難しい。ミツのことだけは、お腹の子供を育てる難しさが勘助に残る。

 行きがかり上、勘助はミツという女の心を盗んだ。なにか工夫をしたわけじゃない。しかし、軍師になったり城を造るにはまだ道が遠い。それをどんな風にしていくのかが見どころなんだろう。だが、ミツの心を軽く描きすぎている。

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遅い夕風呂と水柿先生異聞

 ふっと、今から日曜の風呂に入る。その前に一筆啓上。年賀状、ひとつも返礼せずにどうして毎日MuBlog書くのだ、という風聞もあるが、それはそれ、手書き文字を書けなくなった哀歌。なんならお一人づつ、blogでお返事してもよいのだが、それは失礼の二乗。

 というわけで。
 今日は午後、センター試験の監督をしていた。これは、実はずっと前から、昨年から決まっていて、この間胸を痛めてきた。事情は、ものすごく緊張するお仕事だということだ。将来、リタイアして葛野を辞めてほっとする事の第一は、この責務を免れるその一事。どんな会議よりも、拷問度は高いし、失敗も許されない。もしミスるとたちまち朝刊に「某大学、某教授は、~、なんということだ。受験生の繊細な神経を逆撫でするような非常識!」~、おお怖ろしい。

 居眠り御法度。携帯なんか振動するだけで×。笑ったりしたら、永久凍土に生き埋めの刑。
 午後二駒責務だったが、実は、体力的にもしんどくなった。一緒にいた若い先生方は、それほどでも無いようだが、ああ、やはりもうこういう重労働は無理なのかも知れない。足腰がしびれてきた。

 初期の「水柿先生」シリーズを読んだとき、真っ先にセンター試験のところで劇笑した。作者の描くところ、女装して娘の代わりに受験する父親、パンダのぬいぐるみを着て受験する男、……。まさしく現実に抱腹絶倒の受験戦争が繰り広げられる。おもしろいよ~。で、今日は、そこまでの珍事は無かった。なにもなかった。うん、本当だ。受験場は、ただしんと静まりかえっていた、ぞ。ほんとうなんだ。
 来年もそうあってほしいな。もしも、髪振り乱した巫女姿の受験生とか、能装束の受験生、あるいは、猛烈な質問癖受験生なんかが来たら、どうしよう。前者は? なに、そういう人がおってもよいなぁという、希望的観測趣味の世界。

 さて、遅い夕風呂に入って、風林火山でも見てみましょう。

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2007年1月20日 (土)

ηなのに夢のよう/森博嗣

承前[MuBlog:λに歯がない(Gシリーズ5)]
  森博嗣『φは壊れたね』(G1)

η(イータ)なのに夢のよう(G6)

ηなのに夢のよう
 森博嗣のGシリーズが今回のη(イータ)G6、でひとまず完了したようだ。曖昧な書き方をしたのは、常々言うところだが、作者とは騙(かた)るものだから真に受けてはならない。いつ何時どうなるかは予断を許さない。とつぜんG7番外編がでたり、あるいはシリーズ名が変わるかも知れないし、パスカルやトーマが手を繋いで盆踊りをしだすかもしれない。
 今回は、作品中で他のシリーズやGシリーズに少し言及したところがあったが、森博嗣は博覧強記故にか決して作品の自己開示(難しい心理学用語を使用したが、簡単に言えば、自らのネタバレ)はしなかった。おおっ、と思ったところでセリフが曖昧(あいまい)にされた。これは、思うにこのGシリーズの最大読者が森ファンのうちでも比較的若い、初心者が多いからかも知れない。

 Muのように古い読者は、思い出すためにも、「センセ、もう一言」とつぶやくところだが、それはルール違反。こういう多重世界を描く作家は、森博嗣のように博覧強記でないと作品を上手に描き尽くせないと、思った。そこらの日曜作家だと、ついちょっと前作の結論に至る経過を自明のものとして、使ってしまう。そんなことしたら、多くの読者は、前作を読む気力が半減する。一般読者は、順番とかシリーズとかは気にしない物だ。眼前にあったものを図書館で借り、友人が薦めてくれた物を読む。気に入ったら、自分で買って、知らぬ間にディープなフアンになってしまう。そこで初めて、作品というよりも、作者の世界の順序性や構造が気になってくる。
 で、一番言及が目立っていたのは、反町愛(ラブ)チャンが活躍したθだった。

 さて、例によって、トリックがどうの、犯人がどうのなどという与太話は止めておく。森博嗣は、どう考えてもそういう世界との縁切りでGシリーズを描いてきた、と今となっては確信できる。ただし、将来どうなるかは知らない。作家は生身の人間だから、どんな天才でもシステムに瑕疵(かし:傷のこと)があるし、瑕疵を生かし切るのが才能なんだろう。だから、次作は古典的ディープなコアフアン待望の本格きらきらしい物になるかもしれない。由来、文藝作家とは、製造責任とか内容(ジャンル)責任を免れた存在だから、ファミリーカーと偽って高級スポーツカーを売りつけるなんて、稀にある。一般には、スポーツカーと偽って、ふわふわの車を売りつける物だが。逆に森博嗣はなにをするか分からない。そういう危機感をいつも抱かせる。

 とはいいながら、なにか一言、二言いわないと、MuBlog好評(笑)の読書感想文も書けなくなる。作者や出版社の言い分もそりゃあるだろうが、Muにも言い分はある。Muは人様の作品を食べては、「ああ美味しかった」「でね、なんで美味しかったか、考えてみたんだよ」「君も、食べてみないか」と、いうスタンスなんだな。だってな、Muは別の世界では、本に関係する先生をしてるんだ。つまり、読書感想文を書くのが仕事なんだよねぇ。

 真賀田四季、この人がキーになる。この人が本当はどんな人なのか、それは『四季』という森博嗣の大長編を読まないと分かりにくい。女性だ。いま幾つかわからない。天才科学者だ。その人がずっとGシリーズで見え隠れする。そしてキーワードは、死(自殺)とネットワーク世界。この二つがGシリーズ最終巻でも重要な要素になっていた。つまりは、Gシリーズとは、死とネット、この二つが織りなす夢のような世界。夢に思えるのは読者や作中人物の大半が普通の人だから、夢としかいいようがない。しかし、そういう象徴とか真賀田四季の意図を察知できる犀川先生とか、西之園萌絵さんとかは、なんらかの心の決着を付けていたり、付けようとしたりする。この二人の気持ちの処理の仕方が、世間一般では風変わりだから、その点が難しくもあり、気持が宙ぶらりんになるところだ。
 つまり、Gシリーズで出した結論は、真賀田四季と犀川と萌絵にしか納得できない可能性もある。萌絵はまだ納得仕切っていない。犀川は、そういう難しい解釈をつぶやくだけで、突き放す。

 昔、Muは、犀川を中心にして、真賀田四季と萌絵の△関係と論じたことがある。もちろん、四季は女王だし、才能においても犀川を凌駕(りょうが)している。だが、天才四季という理知的な側面にごまかされてはならない。どんな天才も恋はする。ロボットだって高級ロボットは恋して、狂う。ただ、いかにも天才らしく普通の振る舞いをしないだけなのだ。

 そろそろ結論を記す。
 ますます森博嗣の文体というか、文章が冴えわたってきた。巻頭の、数学者が事件に遭遇するまでの、風景描写とか、彼の心象風景など、言語がそのままMuの脳にイメージとして入ってきた。むしろ読者というMuの目でみているような描写だった。すごい、と思った。
 萌絵がまた旅立つ季節になった。十代のトラウマを十年経過した現在、彼女が自分自身をどのように処理するのか。そこに、たった十年で人はこれほど成長するのか、人間の成長とか「大人」になるという感触がずきずきと胸に染み込んできた。一つの事実を前にして、どれほど才能のある女であっても、十代と二十代とではまるで解釈が異なってくる。わずかなページでそういう萌絵の姿を描写仕切る森博嗣は、もう言い飽きたが、天才なんだろう。芸術家なんだろう。(そう思わないと、凡百の日曜作家は立つ瀬がなくなる)

 トーマと、萌絵の別れは迫真だった。つまり、肺腑をついた。

追伸
 肝心の「死」と「ネット世界」については、言及しないでおくことにした。それは読者が自身で考えるのがよいのだろう。あるいは、Muの謎(笑)

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近況分析

 限られた時間をうまく使おうと、十代からずっと思ってきたのだが、うまくいった達成感は少ない。決めた通りにロボット的にできるのは、最長数日間で、それが続くと疲れて飽きて他のことを妄想したり、よしなしごとに手を付けてしまう。だから、「完成」という言葉が心からわき上がるのは少ない。大抵は未完成、保留、そのうち忘れてしまう。もちろん忘れるというのは現代コンピュータとは違って、人間の上等なところだと感じてはいるが。なんでもかんでも覚えていたら、日々秒単位で約束や決めたことを履行することに、全人生が費やされてしまう。忘れもしないのに、次々と約束を破りなにもしない人も多いが、余のように常に「義務感」「責務感」に追われる仁士(笑)には、忘れるほど良きことはない。覚えている限り、ネズミやゴキブリのように走り回ることになる。

 さて、自己点検。

1.夏期の論文作成
 これはこの15年なんとかこなしてきたのだから良しとしよう。この季節年齢になると、もはや内容がどうの、ああのという子供じみた葛藤は少なくなる。気力、体調ととのって、夏に論文を書けるかどうかが問題なのだ。これは、よし。

2.日曜作家
 遅い。年間一作は長編小説を作ろうと2000年ころから頑張ってきたが。予定では今頃七作は書いているはずなのに、公開出来ているのは犬王蛇神のたった二作。現在、完成・未公開稿は「化石」一作。これは夏期には連載予定。現在書き出しているのが「湖底宮」、この速度だと公開は2008年。その次は、タイトル未定の妖しい嵯峨野物。そうだな「嵯峨野妖怪婆」かねぇ。この五作で探偵司書小泉佐保の冒険シリーズ完了。
 次のシリーズは、あはは、ナイショ。今度はまともな青年を中心に、冒険と妖怪と、……なんとなく、底が割れていますね。
 日々連載中のは! これがなかなか、プレッシャーが強い。上記シリーズとは内容も構想も全く異なるから、読者も書き手も毎日、汗を流している。しかし、始めたのだから、終わりまで連載しないとね。これを、「忘れた」と言えるほどにはまだ、達観した人生じゃない。けど、毎回「ああ、しんど」の心なり。送信し終わると、ぐったりする。

3.教育
 適切に。うまずたゆまず、めげずに。~

*.その他
 MuBlogを大体毎日掲載しようとしているが、これも波があって、常に倦怠感を味わうのは、掲載記事を見直して、余の世界観の狭さと浅さに気付くことだね。いや、これを自覚するための「行」と思うこともある。だいたい、人間というのは限られた世界の中で生きている。世間と言うても、毎日数人~数十人内外の人とだけ顔を合わせて生きていく。何十年間も。余なんか、それだけ長い間、人の間に生きてきても、識別できる人格は日々数人にすぎない。だから、狭くって浅い井戸の中に住んでいるカエルか小魚か、昆虫ほどの世界観しかないわけ。
 ところが、ネットに記事を出すと、この二年半で、すでにサイト全体では47万アクセスに近づき、MuBlogだけでも30万アクセスに近い。これは、ゆゆしいことである。だれかかれかに、余の世界観を見られている。恥ずかしいことだが、存在の検証のためには仕方なかろう。それ以外、無いという方法を身につけてしまったのだからな。
 そういうことの自覚を持つために、日々書いていこう。
 ただし、これは時々「忘れた」振りをしても良かろう。

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2007年1月19日 (金)

小説木幡記20070119(金)なにか暗号

 昨夜は、なにか突拍子もなく黒PCでTVを付けたら、デンゼル・ワシントンの、クリムゾン・タイドとか、なんとかという原子力潜水艦映画だった。クリムゾンといえばリバーとかいう映画が昔あって、とてもおもしろかったなぁ。あの続編があるようだが、ミステリチックで暗くってイケル。映画で犯人あてするのは好きだけど、クリムゾン・リバーは直前まで分からなかった。まさか、あいつが! こういう意外性を人類は見付けたんだ。

 意外性と言えば、昨夜の潜水艦物語は、潜水艦の中だけであれだけ時間を持たせることができるのだから、よい出来映えなんだが、すぐにレッドオクトーバーなんかを思い出してしまう。それはそれとして、手続きの理屈っぽさがたまらぬ。これが男達の胸を熱くするのだろう。

 艦長と副長が対立したとき、命令系統はどうなる。当然、艦長に権限あり、即「副長を逮捕、監禁せよ」となるところだが、ここがそうはならない。副長に力があるというよりも、原子力潜水艦での核兵器使用にあっては、艦長に対して副長が同意しなければ、核のボタンは押すことが出来ない。というのが、映画の状況設定だった。だから、核兵器使用規定に反した艦長を、副長が解任し、逮捕監禁した。

 と、そこで終われば世話ないが。この後が続く。それは冒険映画の常套手段で、まずまず。

 昔から、船舶(ないし宇宙船)での反乱劇は映画や小説によくなった。ここで、副長の力が状況によっては艦長と同格という設定が実に興味深かった。
 それ以外に、次々と下される海軍からの命令書が、それを正しい物と判断するに際して、金庫に入った暗号ブックとの照合や、それぞれ担当者が中身に同意するプロセスもおもしろかった。
 また、核兵器使用のキーは、艦長とも副長とも異なる、兵器担当大尉が握っているのも分かった(当時の状況設定)。

 今はどうなっているか知らないが、キーや暗号ブックが金庫に入っていて、いちいち担当者が開けなければ使えない。もし、艦長や副長や兵器担当先任仕官が同時に負傷ないし死亡したとき、艦の行動にはものすごい制限が加わってしまう。核兵器を搭載しているからだろうか。明確に人間、士官をキーに割り振っている。人間鍵だな。

 昔から、戦争とか軍組織は、いろいろ奇妙なルールを生み出してきた。娑婆では使えそうもないルール(即逮捕監禁、解任、……)が多い。戒厳令なんか最たる物だろう。今夜も、核兵器の守役が世界中の首都で、海底で、空で、塹壕で、そのルールを諳んじているのかも知れない。なかなか、震え出すと、止まらない怖い世界だ。活断層の上に住んでいる場合は、10年とか、100年とか、1000年先という余裕があるが、大統領とか首相とか首領は、よく安眠できるものだ。政治家、最高権力者は人ではつとまらない。

 余の自宅近所に、実は活断層があるような。最近そういう本を流し読みして、怖くなったんだが、昨夜の映画の方がさらに怖ろしい内容だった。

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2007年1月18日 (木)

小説葛野記:20070118木(曇)会議が終わった

 さっき午後の会議がすべて終わった。今日はハードな会議が午後二つあった。
 さっきのは、十分ほど発言する責務があった。
 なかなかに、辛い仕事だった(笑)。
 まあ、よのためひとのためにつくすことも功徳。
 反面教師。
 愚かしきわが身をさらすのも、功徳。
 生きて行くには、辛いこともまま多い。

 ところで。
 いろいろなことを考えているのだが、余は久しぶりに読書ノートをつけようかと思い出した。これまでは付箋とマーカーだったが、なんかこう、本全部各頁に付箋がついて、元の本の厚さが二倍になって、結局どの付箋に特徴があるのかが分からなくなって、あってもなくてもよい、ていたらく。

 これはn次元分析というか、多視点で分析しすぎると、特徴「無」になるのと等しい。どういう場合も重み付けは必要だ。なにに重みを付けるかには客観的指標をだしにくい。
 それで、ついては、ノートに汚い字で読書抜き書きしてはどうかと思い出した。
 これだと、労力の点から、よほどに必要な箇所しか抜き書きしないだろう。
 若年時は、コピー機も普及していないし高額だし、パソコンもなかったから、そうしていた。機器類が自由に使えるようになった今よりも、そのころの方が確実に「知識情報」に対する自らの「見解」を正確に精密に考え、付けたように記憶する。

 当然だが。
 便利とか、効率がよいとか、システマティックとか、そういう言葉の裏には、確実に失われる物が多い。
 授業も、教育もそうだと、思った。
 心、これ大切だね。
 これが、「生け贄」会議後の余の感慨なり。(謎の大笑)

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2007年1月17日 (水)

小説葛野記:20070117(水)雨のMuBlog(ココログ)

 会議が終わって、MuBlog を覗いてみたら、ココログがだいぶ改善された。
 いろいろな新趣向があるようだが、これからじっくり試していきたい。
 1.トップ固定記事
 2.過去記事編集の一括調整(カテゴリー調整がしやすくなる)
 3.スパム(馬鹿)コメントやトラックバックに対する防備

 どう利用するかはまだ考えていないが、MuBlogは比較的というか、とても、執心して掲載しているので、安定した高機能サービスが使えるようになると気持ちが浮き立つ。

 さて、また、明日も会議(悲)。いろいろ忙しいセンセ稼業である。

楽しみ
 じわじわと成績判定が片づいていく。まだ中盤だが、授業に等しい責務なので、いずれ完了となる日が待ち遠しい。
 正月に読めなかった難解な読書をそろそろ並行して始められる。何度も読みかけて頓挫した図書の、再読書挑戦。難しいわけじゃない。噛みしめながら読むので、頓挫する。大抵大きな横やり雑用が入って、脳がそちらに向くと、戻ってきても続きを読めなくなる。意外にも、文学でも歴史でもなく、科学! そう、人工知能の奥義(笑)
 その他、いろいろ今年の晩冬~初春にかけて考えている。どこまで出来るかも、お楽しみ。

 今日は、このくらい。

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2007年1月15日 (月)

カニ風味:サラダだより(伏見蒲鉾:新潟市)

サラダだより/伏見蒲鉾(新潟市)

サラダだより
 記事ネタが枯渇して、コンビニの商品を列挙し始めたわけじゃない。最近、どうにもこのカニ風味が忘れられなくなったので、ついに意を決して写真にとって、思いのたけを記載せんとするなりの心。

 常々カニは好きだった。海老も。どちらが好きかと問われれば、それはまあ、おまんじゅうを二つに分けて、どっちが美味しいかと、聞くような、野暮な質問。ここはカニ話だから、カニにしておきましょう。
 もともとは、福井市で生まれたから、祖母、父の食性もあって越前ガニは常食だった(らしい)。だから、余はいまだにカニが入ると、一人台所に立って、上手にさばく。これは祖母、母が調理していたのを幼児期から見ていたからだ。ここ数年は調理ばさみでさばいておるが、以前は出刃一本だった。

 さて、サラダだより、カニ風味。
 つまり、それだけカニに慣れ親しんでいても、カニは高級食材。毎日、毎週食卓をにぎわすわけではない。ならどうする。以前はカニ缶をこっそり買っておやつにしていた。しかし、このカニ缶も高級食材店へ出向いて、最高級のを仕入れなければ、おやつにもなりゃしない、普通のカニ缶だと、余にとっては、犬の餌。

 そこでカニ風味。
 急に話が落ちたと思ってはならない。たしかに初期のカニ風味蒲鉾は、余も嘘ガニと蔑称していた。あんなもの、人が食べるもんやない。これが余の本音だった。
 しかし時が、時代が移った。常連の西京極セブンイレブンは、いつも、常に良い食材を安く提供してくれる。ある日、たまたま手にした「サラダ風味」、おお。
 色が鮮やかすぎる点を除いては、食感、舌触り、身がぼろりとこぼれるが如くほどけるそのあざとさ(笑)、実にカニカニしておる。これを皿に広げて、醤油をたらりと垂らすだけで、おお、カニそのもの、美味い!

 我が国は、実に良き国、うまし国。カニが198円でたべられるなんて~。
 写真は四本セットのうち、写真とりながら、たまらず、三本を食べてしまった不調法。最後の一本をカメラに納める理性だけは、残った次第。

追伸
 なお、余はこの記事につき、なんらセブンイレブン、伏見蒲鉾とは提携を結んではいない。これは大切なことだ。決してヤラセ記事ではない。Mu 識。

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2007年1月14日 (日)

NHK風林火山(02)故郷は

承前:NHK風林火山(01)三河から甲斐

 暗い中にだんだん手応えを味わってきた。
 故郷は遠きにありて偲ぶものだな。
 養子先で、実子が生まれるのは辛い。ましてそんな時、家を長期間空けていて、帰郷するとな。
 実家を兄が継いだら、もう、次男坊カラス、自由な分だけ、もてあまし者、居候でしかない。

 さらに、将来山本勘助が仕える武田家自体が今、兄弟で家督争いというか、父親が次男を可愛がる。まるで、徳川家光が将軍になるまでの話。そう言えば、伊達政宗も、実母が弟を可愛がりすぎて悲劇が生じた。当時は長子相続でもなかった。親が気に入った者に家督が譲られたのか。
 たわけ(田分)を避けるために、オールオアナッシング。後を継がない者は、居候。モンゴルでは末子相続。
 オスマントルコ時代だと、継承者以外の兄弟は、すべて殺されるか、永久幽閉。すさまじい。

 武士になりたい山本勘助のハンディも強く描かれていた。隻眼(せきがん)、跋扈(ばっこう)では仕官できない。戦えないと見なされて、よってたかって出家を奨められる。それは、おそらく特例を除いて現代の自衛官や警察官もそうだろう。軍扇を持つ。参謀、軍師しか武士として生きていけない。そう言えば、秀吉時代の黒田如水も一年間の捕虜生活がたたって、足が完全に麻痺していたようだが、軍師として生き延びた。

 今夜のどのエピソードも、同情せざるをえない逆境だった。その勘助がどのように武田信玄と巡り会い、どのように軍師として認められていくのか、そこが今年の見どころなのだろう。また、来週も観てみよう。

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2007年1月13日 (土)

小説木幡記:20070113(土)曇かな

 夕刻になった。外は暗いが、外を見ていない。終日書斎にこもっていろんなことをしていた。
 そういえば。
 昼食の後に寝てしまったようで、午後遅く、仙太郎のでっちようかんを食べた。熱い茶と一緒に頂くと、酒類とはちがった佳さがあった。ああ、昨晩の夕食にはまたナマコがでた。おかずにはならないが、かりぽりと実によい味わいだった。それで、今日の昼食はおにぎりが載っていた。

 午後二時頃だったかメルの音が遠くで鳴って、目が覚めた。純生のニンジンジュースを飲んで身体をきりっとさせて、メルの指示にしたがった。この仕事だけで夕刻までかかったが、仕上がりは上出来だったので、すぐに送り返した。
 先程、ようやく今日の夜麻登志宇流波斯の連載分を掲載した。これで、ほっとした。あとは夕食を頂いて、おそらく多分眠ってしまうのだろう。何も事件は無かったが、よい土曜日だった。

追伸
 1.近頃読書をしていない。今は書く時期のようだ、そういうことだ。
 2.午前中は、早朝五時ころから、校正ができたが、これも昼までかかった割には、うむとか、ああ、おおとか、うなり声の方が多かった。けれど、進んだ。こういうわけだ。

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2007年1月12日 (金)

小説葛野記:20070112(金)晴

 すこしのんびりしている。来週から三科目分のレポートが回収されるので、地獄の黙示録的な状態になる。つまり大声あげて騒ぐわけじゃなくて、ひたすらレポートの暗号解読に励むわけ。ルールのない暗号じみた一見日本語風文字列、それも400字原稿で平均して5枚、全部で1000枚程度のマニアックで、常軌を逸した、横紙破りのレポートを読む。その数日前の凪のような金曜日。

 昼食は久しぶりの花屋敷通り細川ラーメン。こってり脂ののったチャーシューをいとおしみながら口に入れていく。シナチクがよろしいな。しかし、店の人には悪いがスープは、レンゲでたったの3口。これは家訓じゃからしかたない。「ラーメンの汁は三口にとどめぬと、死ぬ」
 RSの一年点検にも行った。昼におさめて夕方に取りに行く。最近はなんかしらぬが点検料も購入時に、無料となっている。わからない。どうなっているのやら。フロントのお兄さんと、自傷を板金修理する相談もした。100円駐車場で慌てて出て、ポールでドアをこすったんだなぁ。見積もりをつくってくれるようだ。お兄さんが、余の自動車保険の未開封封筒を丁寧にはさみであけて、「よろしおます。この契約内容だと初回は免責もゼロ円で、保険がおりますよ。保険のランクが二つほど下がりますが、直したほうがよいですね」

 ……。

 午後は。
 余の古いノートパソコンを倶楽部屯所に置くために、整理しだした。IPアドレスは一つ旧マックの旧初期OSX用に設定し放置したままのを流用した。イーサネットケーブルは十年ほど昔のが道具箱にあったので使ってみたら、100MBPSでつながった。
 ついでに歴代三番隊長が作っているHPの一部を強制的に直した。ホームページビルダーでちょこっと手を加えるだけだった。これは、学生達が長年悩んできた。

 要するに学生達は、余をアナログ人間、極めつけの古典旧時代人と誤認するようだが、実は、余は以前この世界で飯をくっていた(笑)。だから、つまりなんだな、多くの「できない、わからない、直らない」は、すべて手をかざすだけで直る。なぜ直るかは秘伝でもあるし、すでに40年近くの実績の集積だから説明しがたい、邪魔くさい。
 結局、そういうことは孤立無援、だれの助けもなく専念しないと、そういう経験を最低10年積まないと無理な世界なのだ。このオタク的ネットというかマシン世界、OS世界、ソフト世界は。
 だから、じっと長年我慢してきた。
 いつか、学生達が直すだろうと。

 しかし。
 やはり、無理な話でもある。工学系のぎんぎんの変態的というほどのオタク若者ならいざ知らず、わが葛野の学生達は上品なんだ。お嬢さまなんだ。そういうどろどろした世界に手足をつけるほど、すれてもいない。マシン版、ソフト版のノダメ・カンタービレ世界は、求める方が間違っている、な(笑)。
 しかたない。
 というわけで、直した。あっけない。

 教育とは待つことでもある。学生達自ら、目から鱗が落ちる日を。霞んだような目つきが光る日を。自ら、解き得ないことを、延々と解ける日まで。余の言うとおりして、動いても、直っても、本当は全く無意味なんだ~。
 だが。
 待つ必要のないことも多い。マシン、ソフト扱いは、圏外と思い定める必要もあるのかもしれない。
 十分みんなは、特別共同演習で、悩んでいるのだから、な。
 余だって、RSの板金修理塗装は、そういう専門家に任せる時世だものな。いやいや、若年時は、サンドペーパーで何層もの塗装を落として、パテを練って埋め込んで、乾いたらまた水出しみたいなペーパーで磨いて、塗装して(結果は、なんとなく、色違い!)。時代は変わった。

 というわけで、屯所利用の一般学生用ターミナルは完成した。あとは、別枠予算の大型ディスプレイ入荷を待ち、部屋が改装されたなら、セッティングしよう。春からの利用かな。
 なかなかに、忙しい。

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2007年1月11日 (木)

今日のいろいろ・科学者と学生と喜び

 今日はいろいろあった。
 朝一時間目は演習の講評を兼ねて、情報サービスという科目の判定スリップを全員に手渡した。入選した各班長にはスピーチを頼んだ。さすがに三年生も後半になると、話す内容がしっかりしていた。
 二時間目も同じようにした。第一席班のチーフが発熱疲労で休んだので、急遽別の代表者に挨拶を頼んだ。この人は料理専門の情報組織家だったが、この度、優勝班の三役を務めながら卒業論文を出した。余は感無量だった。発熱学生は気になったが、情報では、凍えるほど寒い部屋に寝ているようだ。
 広報誌の写真撮影に同席した。殆どの対応は局長がやってくれた。写真を撮った人は、一つの過去作品を念入りに観ていた。
 幾人かの課題相談に付き合った。一人は、先日から予約があったので綿密に30分、話した。
 卒業論文を今朝提出し終えたご隠居さんがきてくれて、はやばやと卒業記念品を贈呈してくれた。
 仕事した。
 倶楽部上級生が下級生に、余の課題内容に関してアドバイスしていた。よいことだ。
 依頼していた仕事を今夕受け取った。
 年度末の機関誌「Truth」の内容で、二三、副長と話を交わした。
 帰路、東寺の直前で交通遮断に出くわした。十台以上のパトカーや消防車が目に入った。事件か火事か、わからない。

 今夕のNHKクローズアップ現代は、日韓の戦地巡礼協力だった。最近公開された外交文書によると、日本の韓国への賠償金は国家間賠償だったようだ。つまり、個々人への賠償は、その賠償金による原資を韓国政府が自国民に還元する予定だったとのこと。国家間協定から漏れたこまやかな戦後処理について、日韓があらためて協力する態勢が整ってきたらしい。

 昨夕は東京大学工学部(東大大学院工学系研究科)の論文捏造疑惑事件、すなわち懲戒解雇をうけた教授と助手に関する内容だった。ああいう老舗大學の研究室における教授の立場は難しいと思った。一種の巨大複雑・競争科学世界だから、教授はプロデューサー兼ディレクター兼、寄付集め資金集め、人事管理に奔走せざるを得ない。ただし。知る限り、優れた教授は自らビーカーやコンピュータや試薬に手を触れない分、実験経過や結果に対して、より鋭く厳しくなるのがまともなんだが、やはり、どこかで狂ってきたのかも知れない。
 風聞だが、東京大学は伝統的に、博士号授与についても、博士論文内容に関して担当教授の許諾が一番の価値をもち、他に審査論文の数が無くてもよいという美風、権威性があるらしい。すなわち東京大学教授はその分野にあっての最高権威なのだから、研究者を審査するにあたって他の権威性を必要としないという、構造があるようだ。
 他の大學では当該博士論文以外に客観的な審査論文を幾つか持たないと授与されない。東大は、トップのOKで済む。そういう誇りが、甘さにつながったのかも知れない。極めて黒い疑惑レベルでの懲戒解雇。東京大学の誇りを保つには、それ以外なかったことだろう。当事者二名がどうなるのか、想像した。裁判になるのだろうか。いずれにしても、優秀な人達だから、別の人生でなんとかなることだろう。
 余には無縁の世界だ。
 しかしながら、科学世界の、トンデモ、疑似科学を含めて、あれこれ疑惑は昔から渦巻いていた。おもしろい本もある。それは、後で考えると科学史の微苦笑ハイライトになる。オリンピックの薬物利用に似た根深さもある。人の性からみてしかたなかろう。激烈な競争世界なのだから。

 ということで、いささか疲労が深い。目に隈できた(笑)

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2007年1月10日 (水)

小説葛野記20070110(水)曇→ユートピア

 7:25葛野入室、室温13度c、湿度35%、CPU37度c(2556ファン回転)、SYSTEM25度c(2280ファン回転)
 心身調、よろし。

本日定食
 生涯学習概論相談日、これは他の余の科目と異なり、個人レポートだけの採点なので落とす人が多い。簡単な課題なのだが、課題指示は昨年9月、それを年明けにどうたらしても無理だ。仕方なかろう。軽いストレスが学生にもあってよい。
 某所で判子ぽんぽん、会議打合せ。
 昼食後会議、その後は書類の整理、やがて夕睡か、そのあとは部屋の掃除。一見、暇そう(笑)。ところが、どっこい。

サウジアラビアにユートピアの未来を見た
 昨夕、声だけだが、NHKクローズアップ現代で、公開されたサウジアラビアの実情が報告された。結論を先に申すなら、税金もない、医療・教育、完全無料のまるでユートピアで、現在、解き得ない課題に直面しているとのこと。

1.若者が働かない。
  働く意味を知らない。30%が無職。大体親から月額30万円ほどの小遣いをもらっている。
2.宗教教育で困惑。
  ジハードを勝手にテロ組織などが解釈して困る。以後は、国王の命に従って戦うことをジハードと定義するよし。

 サウジアラビアには地球石油資源の40%が埋蔵されているらしい(?)。だから、ずっと無税、王が石油によって得た資金の配分を国民は受けている。働く者はほどんと公務員。他の労働人口は外国の低賃金労働者。働かなくて喰っていけるのだから、極楽というか、究極の共産主義社会がユートピアに転じた世界か。それが、リアルにある。働かざる者は喰うべからず、なんていうお題目は雲散霧消。まさに夢のような世界~。
 そこに生まれた子供達は、親から「無理して働かなくてもよいよ、小遣いたんまりやるから遊んで暮らせ」と教えられる。国はさすがに展望をもっているから、危機感を持ちだした。石油がいつまで保つかは分からない。国が滅びるという苛立ちが中枢部にはある。

 民間会社に、サウジアラビアの国民を10%なり20%なり採用しないとダメだ、という法律を適用する。民間は、嘘のリストを国に提出する。民間会社は言う「働きもしない者に、外国人の5倍の賃金を払うなんて、馬鹿げている、やっていけない」。そして言外に「ちょっとキツイ仕事だと、あっけなく辞めたり、将来組織を支えようなんて志のまったくない国民を養うことはできない」

 国は若者達に、働く意義を教えたり、職業訓練を施すために無料の施設を作る。しかし卒業しても半分以下しか定職につかない。しかも、生徒が集まらないから、月間5万円を生徒に支払っている~
 
 仕事につけないのじゃなくて、仕事をしたくない若者は、真っ昼間から砂漠に行って、愛車の改造に専念し、ドライビングテクニックを競い合っている。さすがに画面には一切でなかったが、余の想像では、公序良俗に反する行為を、厳格なイスラムの教えをかいくぐってやっているに違いない。アルコール、麻薬、官能世界。想像だが、あの青年たちの弛緩したものいい、雰囲気からはそう想像した。
 一方、なんとなく生真面目な青年はあっけなくテロ組織にはいり、世界を渡り歩く。

 無税。医療、教育無料。裕福。縛りなしの人生。ただ、イスラムの掟はある。
 
 余は20代のころ、しきりにユートピアについて、考えた。社会主義、共産主義、五族協和の満洲国、イスラエルのキブツ……。現代日本がユートピアなのかもしれないと、TVを見終わって思った。その事情は長くなるので、記さない。

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2007年1月 9日 (火)

喧噪前の静かさ

 今日は血相変えて鴨なんばを食べ、余る気力で葛野に駆けつけ、さあ、どんな雑務も雑用も、どんとこい、と雄叫びあげて椅子に座ったら。
 なにかしら~。
 かっくんと気力がなえて、学生時代の倦怠を思い出してしまった。「なんか、おもろいことないかなぁ」とつぶやいて、本をなげすて天井をながめ、じっと家にこもっていたなぁ。ときどき思い出したようにバイクで走り回り、そしてまた「どうなるんかなぁ、卒業したら」とつぶやいていたっけ。さらに時々、「もうそろそろ、あの授業、顔をださなくちゃ」とか、「クラブにも顔をだしていないな」とか、かとか。

 バルコニーが葛野にはある。そこで時々遠景を見る。目を下にすると、授業を終えた学生集団が三々五々、正門に向かって行く。「連中、授業が終わったらさっさと帰るのやな。なんか、授業料がもったいなぁ(笑)」「講義だけが学費でもないのに。そうか、自腹を切ってないからハングリーやないのんやね」
 そこから、「一体、連中毎日、何をしとるんやろ、若い奴らって」と、想が及ぶ。分からない。分からないから、そのわからなさが自らの過去データベースを呼び出すトリガーになって、学生時代を思い出してしまった。

 一般には、女性の方が日常を楽しむ術をしっているようだ。よく分からないが、想像すると、そうだ。男性は、自らを振り返ると、なにかしら、点から点へ一直線。たとえば、ウィンドウショッピングとかいう物は、余にはない。旺盛な男性もまれに居るようだが、大体、ない。女性はそういう、余からみると訳の分からんことに楽しみを見いだす。ファッション、装うこと、化粧、化けること。……。

 で、結論。
 余は、いさんで葛野に出てきたが、大方の仕込みは休暇中にやり終えていたことに気がついた。まるでロボットのようにな。とはいうものの、一週間先、二週間先を考えるとやり残しは多い。さらに、一年、五年、十年先を考えると山のような仕込みが残っている。
 最後に。
 一般に、学生時代は自らの近未来は一年先までがしっかり把握出来るようだ。かつかつ十年先(つまり30すぎ)までがぼんやり見えるようだ。その先は、暗黒かないし白濁状態で、まったく見えぬらしい。余は、20年先までリアルに見える。辞世を詠んでいるすがたまでもな。

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2007年1月 8日 (月)

石宝殿(石乃宝殿:いしのほうでん)と生石神社(おうしこ)

承前:益田の岩船
石宝殿:石乃宝殿(高砂市阿弥陀町生石)地図
生石神社HP

動画:生石神社の表参道 (Mpeg4 11112.6K)
  車で行くと南側に駐車場があるので、そこから入るのが通常だろうが、表参道が別にあった。参道の様式が京都鞍馬の由岐神社(ゆき)を思い起こさせた。ただし由岐神社は拝殿の下に参道があるが、生石(おいしこ)神社では、参道の上は絵馬などがかかった休憩所のような造りだった。
動画:石宝殿 (Mpeg4 20280.0K)
  巨石の回りにはぐるりと一周する小道があるが、東は社殿、西南北は岩壁がせまっているので、撮影距離をとりにくかった。広角レンズが必要のようだ。

社殿裏から南東方角

社殿裏から南東方角
 以前から気にかかっていた石宝殿(生石神社では石乃宝殿と表記している)に、2006年末ようやくたどり着いた。ともかく播但平野をながめていると、その広さの中に、飛鳥と近江と播磨の距離を味わった。飛鳥には益田岩船(実際は橿原市)、近江には石塔寺(後日掲載)、そしてここ播磨・高砂市には石宝殿があった。時代も石工達も、製作目的もそれぞれまだわかりにくいのだが、「石」にだけ共通項があった。そして、もしかしたら当時の渡来人たちがこれらを作ったのかもしれない。石塔寺の巨大な石塔は仏塔であり、聖徳太子との関連がささやかれている。この地の石宝殿は物部守屋との関連、および聖徳太子にかかわる伝承がある。と、通観してみると、なんとも飛鳥の益田岩船がわかりにくい。

竜山と生石神社(おうしこ)

竜山と生石神社(おうしこ)
 話を石宝殿のある生石神社にもどす。私がなぜこの神社や石宝殿に興味を持ったかというと、発端は松本清張『火の路』だった。清張は、この地を石工・工房と見、未完成の石宝殿は、実は飛鳥に運んで、益田岩船と並べてペルシャ風拝火神殿になる予定だったと、推測していた。時間や空間に距離がある物を結びつけるところに清張ミステリーの面白さがあった。するとそれは虚構なのかと、今になると思いもするが、作家松本清張の詳細な論考、筋立てには当時も現代も定評がある。おそらく、松本清張には見えたのだろう。この石宝殿が益田岩船の横に並んだ姿が。そして、斉明天皇の怯えと鬱と信仰心とが。

浮き石

浮き石
 『火の路』には学術論文が多々引用されている。そして主人公高須通子をとおして、清張の論考が明確に現れてくる。この水中に浮いたように見える石宝殿の下部は、どのような工法かはわからないが、あといくらかえぐりとって、突起のある後方の下部に梃子を差し入れれば、石宝殿全体が社殿に向かって立つのが想像できる。清張は、後方にある突起部分が上になると推測していた。

左右・縦の溝

左右・縦の溝
縦溝の詳細
縦溝の詳細

 石宝殿が、社殿のある東南方向に立ち上がると、今は縦にある幅1.6mの溝は横帯のようになる。推測では、現在樹木で生い茂っている上面にも溝があるとされているので、現在の下部にあとで溝を彫れば、丁度四角柱の回りに帯をしたような形になる。それが、装飾なのか、構造的目的を持ったものなのかは、私には分からない。
 ところで、この1.6mの幅というのは、実は益田岩船の上面にある四角い穴が、1.6m四方なのである。なにかしら、類縁を感じてしまう。

突起

突起
 この突起は、起こすと屋根のように見えるので、家型石棺の屋根とみる考えもあるようだ。ただ、現地で見てみると、どうにも屋根には見えなかった。丸みがなく構造的な造りだったので、他のなんらかの物と接合させる部分に見えた。益田岩船は上面に凹部があったので、石宝殿の凸部とはペアになるのかもしれない(やや、トンデモか)。

真上から見た石宝殿(石之宝殿)

真上から見た石宝殿(石之宝殿)
 生石神社では、石宝殿をご神体扱いをしているようには見受けられなかった。神さんは、二柱おられて(おおあなもち、すくなひこな)出雲系である。しかし神石として大切にしているのはよくわかる。上面の樹木は、一種の禁足地扱いなのだろう。おそらく、だれもここに足を降ろしてはいないはずだ。

史蹟石乃宝殿・生石神社:日本三奇/生石神社(おうしこ・じんじゃ)

史蹟石乃宝殿・生石神社:日本三奇/生石神社(おうしこ・じんじゃ)
 綺麗なパンフレットである。石乃宝殿の由来が一ページ目。次ページは生石神社創建の由来、分霊、いささか仏教に縁の深い梵鐘。そして史料からみた石乃宝殿由来もあった。三ページ目は行事。なかなか活気のある御神輿姿があった。四ページ目には地図とアクセス、付近の情報もあった。参拝された折には手にされるとよいと思った。

霊岩

霊岩

大正天皇行幸之跡
大正天皇行幸之跡

 神社の右側に霊岩があった。そしてその右側に、岩から彫り上げた階段があって、石宝殿を上部から見ることが出来るようになっていた。さらにその上、裏山に登ると大正天皇由来の石柱碑があった。なぜ、大正天皇がここに来られたのかは、知らない。高砂市からの国見だったのか。

追補
 本文は説明に終始せざるをえなかったが、この晦日にわざわざ高砂市まででむいたことで、長年懸案の三つの巨石を2006年中にすべて実見したことになる。一つは昨年8月、滋賀県の蒲生郡にある石塔寺の石塔、これは20代のころに一度訪ねたことがあるが、あらためて迫力に感じ入った。一つは益田岩船、これも記憶の隅には20代に一度行ったことがある。
 そして、今回の石宝殿は初めてだった。
 回りの山肌も荒々しく削られていて、工場もあったので、松本清張が言ったように、ここはアトリエだったのかもしれない。それにしても、山をくり抜いてこういう物を造るという考えは、なかなかにワイルド、そして気持が大きいことだと思った。これが、神社関連構造物として現代まで残ったのは、作られた当初も、巨大さや、製作工法の面から、特別な物だったのかも知れない。
 やはり、特殊な石物だ、と現地でもそう感じた。

参考文献
  火の路/松本清張(文春文庫、上下、ま・1・29-30)

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2007年1月 7日 (日)

NHK風林火山(01)三河から甲斐

 まだわからない。
 山本勘助、ただの浪人。弓矢は上手だったが、刀はいまひとつ冴えなかった。しかしたしか、塚原卜伝から秘伝を授かったはずなのに。今夜は、リアルな風貌だが、エピソードの一つ一つがやはり暗い(笑)。予告では来週、武田武将の首を持って故郷の三河に帰るようだ。

 仲代達也(武田信虎:信玄の父)の顔が最初分からないほどうまく変装していた。そして声の抑揚が気味悪かった。突然、消えた武将(上記の首)の部下を陣中で切り捨てる。「内応したか」「主人の罪は部下の罪」これは、たまらん。なにか、粗暴な感じがした。将来の親子喧嘩、伏線のひとつかもしれない。軽い狂気。

 というわけで、勘助の冴え冴えとした知謀が、うまく機能していなかった。ミツなる女との絡みがたくさんあった。

 まてまて、まだ序盤。来週も観ようとおもったのだから、よしとしよう。

 山本勘助は存在していなかったのではないか、という様な話を昔耳にした。江戸時代ころはさかんにフィクションが作られたから、そういうこともありうる。しかし、後世の信玄の戦ぶりはやはり、信玄一人の智慧ではなかったと、考えるのが妥当か。すると、軍師。

 ……。

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小雪降る木幡の早朝、突然

 早い帰りとなった。途中、ヤマダデンキという店に寄る予定だったが、広い駐車場なのに待ち車で一杯だったし、それに目当ての「IDEハードディスク外付けケース」2000円台のが、あるかどうかも覚束なくて、諦めた。余の考えでは、たとえばパソコンパーツの専門店ならば、1GBのフラッシュメモリーが千円台なのに、ちょっと普通のお店だと3千円を超す。それに外付けケースなんて代物はまだ、パーツ屋さんの専売かもしれない。
 などと言い訳風だが、待つのは極端に神経にこたえる。

 と、と、と。どこから帰参したかともうすと、それは葛野に決まっている。
 昨夜は20:30には就寝したようだ。今朝は三時半だから、およそ7時間熟睡し体調心調最高度で、年末の研究調査旅行の写真を整理していた。で、なにかの拍子にパスワードが必要になったので、ノートを捜したら、ない。ついでに読書用眼鏡も、ない。さらに、財布もない。ああ、キャッシュカードもない。
 というわけで、とるものとりあえず、葛野着、午前8時半。無人。
 あった。99円の透明貴重品ケースは、ちゃんとマシンの傍にあった。よかった。

 どうせというわけで、昼は安い「焼きそばインスタント」を食べながら、気がかりな雑用を3件かたずけた。普通ならば3件で1.5日かかると予測される大物雑用だったが、怒っていたのか、憤怒に満ちて集中してかたづけたら午後には済んだ。しかし、憤怒の心は持たないでおこうと思った新年なのに、どなりちらしながら雑用に励むなんて、ああ、今年もあまり変化はなさそうだ、ええ? 聖人君子君。

 どなった内容。
 「なんで、昨日、貴重品一式を葛野にむざむざ置いて帰った!」
 「なんで、こんなに雑務ばっかりあるんだ。余は雑務をしにこの世にうまれてきたのかぁ!」
 「なんで、日曜、読書三昧の日に、財布をわすれるんだぁ~」
 この三つの怒声で、大型雑用が手早く済むのだから、まあ、最後は納得した。

 さて。
 今夜はNHK風鈴火山、じゃなかった、風林火山。期待とか想像はまったくしていなかった。原作が井上靖先生だからなぁ。いいような、わるいようなぁ。蒼き狼とか、利休のことでしたっけ、なんとか坊異聞とか、好きなんだけど、総体にくら~い。だから、ガクトがでるのが気になったくらいで、主役がだれかも知らなかった。さっき、NHKのHPを見たらいろいろ書いてあった。~どうなんだろう。

 で。やはり、定番でしばらく見てみよう。あんまり暗かったら、三月で止める。第一、軍師ものでしょう。軍師って、なんとなく権謀術策の鑑というか、根暗世界じゃなかろうか。諸葛孔明は好みだが、あれは「出師表」があるから、気に入っている。さて。どうなんだろう。近頃にない、この気持の沈みよう。わからない。映画演劇は役者によるところ大きいから、見てみないとわからない。昨年は、「千代~」、「旦那さま~」「はっ」で毎回笑ったがなぁ。義経は、やはり華のある天才だからなぁ。近藤さんと土方さんは、これはもう永遠の青春残映物語。さて。軍師山本勘助、どうなんでしょう。見てのお楽しみ。

 早い夕風呂にはいって、ひと眠りして、楽しもう。よい日曜の午後だ。

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2007年1月 6日 (土)

雨の一月

 午前中に京都駅へエドルンを送っていった。早朝4時に朝食をとったが、おなかがすいたので地下街のイノダで二度目の朝食をとった。なかなかよろしい。1050円で、イノダの珈琲、オレンジジュース、プレートには約2ミリのハム(軽く炙ったていど)二枚、スクランブルエッグ、サラダ、クロワッサン。「うま、うま」と言いながら、食べた。
 横にクマザワとかいう、書店があったので、合計三冊かった。余は京都の歴史地図帖、大内裏にはちゃんと図書寮も載っていた。あと、ある時代の専門用語集?
 エドルンからは江戸到着のメルが昼過ぎにあったが、雨が激しいらしい。

 そのあと午前中に、屯所へ行くと副長、経理局長、書記局長が居た。倶楽部の機関誌「Truth」を制作していた。たった3人とはいかにも寂しいが、……。そういうことなのだろう、と思った。三名がなかなかに、頑張っているので、うれしく思った。

 余は全力で採点事務というか、準備に入った。昨日の続きである。二科目はほぼ90%できた。これは来週に各受講生に、採点根拠スリップを手渡し、一刻、相談にのる。59とか69とか79とかの、いわゆる、可・良・優の境目は、従来はプラスしていたが、なんとなく今回はそのままにすることにした。つまり、驚くほど正確に(笑)、優良可否がでてくるのだから、それ以上に手を加えるのは天に唾するようなものだと、さっき思った。
 結果を見てみると、まさに59は59であって、絶対に60点、すなわち可ではない。こういう理(ことわり)をディスプレイに見ていて、余は背筋が寒くなった。ただし、余は甘いというか、ゆるめで、大抵は80以上、つまり優が4割を占める。

 そんなことで、今日も終わりになった。
 木幡に帰ったら、今夜は少し求道的読書でもしよう。はて、なんでしょう。(難しい、ミステリだったりして~)

 まあ、がんばった、今日も。明日は寝ていよう。

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2007年1月 5日 (金)

教師稼業

 今朝はお正月の顔合わせ行事があった。教員というよりも、学園全体の幹部や事務の人たちが中心だった。各科部門には卒業生や葛野図書倶楽部2001のご隠居さん達もおって、数名が振り袖だったので、写真をとりあいした。まるで、卒業式だね、と耳にした。

 その後、期末なのでさっきまでずっと、すべての成績評価態勢に入った。
 我ながら、なかなかに複雑な評価方式を、葛野に来て十数年前から行っているので、最終結果を出す1月半ばまでに、名前の確認や、演習班や順位や、個人レポ点やら、ものすごい量のチェックがある。だから、早々と年末からやってきた。今日からは、後半に入る。
 なぜそれほど複雑怪奇になるかは、今日は説明をしないでおく。簡単にいうと、個人の力量と、集団での力量とを並行して評価するからだ。
 ~
 で、過去十数年のデータはエクセルやアクセスに入っている(計算方法が魔術的だからシステムなしではできない(笑))。そして大抵、先年度、先々年度の結果ファイルを再利用する(いろいろな点で)。
 そこで。
 一年前や、二年前のリストを見ると、急激に過去に飛び、胸が苦しくなる。今日は、興味がわいて、最初の年までみてしまったから、よけいにきつい状態になった。

 たとえば、昨年の班別リストを見る、タイトルを見る、メンバーを見る~。班長のぼやき、副班長の胸はった発表、~まざまざと当時を思い起こす。ここ五年は、それに倶楽部の情景まで重なる。
 共同演習の喧噪、争乱、惑乱、様々なシーンが次々と脳を走っていく。助勤(TA)達の応対、学生の質問、音がする、話し声がする、作品を手にしたときの感触を味わう。むくれていた、怒っていた、すねていた、呵々大笑していた。一触即発の班もあった。上位に入った学生達の歓声が聞こえてきた。
 ~
 毎年毎年過ぎていく。そしてそのイメージが鮮明に残っていく。これは、きつい。記憶から消しようがない。
 そして、いまは過ぎたこと。もうない。
 たしかに。
 教師稼業は、いわくいいがたい経験をする。タイムマシンに乗っているような気分になる。
 うまく語れないので、今日はこのくらいで。

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2007年1月 4日 (木)

紅鮎(べにあゆ)の鴨すき鍋と露天風呂

承前:紅鮎と秋の竹生島
紅鮎(HP)
紅鮎(滋賀県東浅井郡湖北町尾上)地図

湖北・紅鮎の鴨すき鍋

湖北・紅鮎の鴨すき鍋
 琵琶湖・湖北の紅鮎(料理と温泉)は、何度も行っているので紹介するのも憚れるが、記録としては残しておきたい。というよりも、単純に、お気に入りの保養地と申せばわかりやすかろう(笑)。平成19年の正月四日は、日帰りで鴨をいただき、温泉に入った。気持よい。写真は私の好物の鴨を、すき焼き風にいただく趣向だった。味わいは鴨であり、決して牛肉でも鶏でも豚でもない。これが琵琶湖の一つの真骨頂と、私は味わった。

露天風呂と竹生島(ちくぶしま)

露天風呂と竹生島(ちくぶしま)
 真っ昼間に、誰もいない露天風呂に浸かって、しばし湖北の情景、なかんずく竹生島(ちくぶじま)を眺めるのは、料理もよいが、まさに至福であった。琵琶湖も湖北に至ると、情景がなんとなくひんやりとして清潔に感じられる。風も吹き気温は低い。なのに湯船に肩まで浸かると、心身の奥までぬくもりが伝わってくる。そして疲労や憂さがじわりじわりと流れでていく。

紅鮎の図書室

紅鮎の図書室
 紅鮎が好きな理由のひとつは、この写真のそれぞれに現れている。なんとなく、図書があって、飾りがあって、椅子と机があって。目を上げれば自然がある。わかりやすいと言えば、これほどわかりやすい趣味もなかろう。だが、なかなかぴったりしたところは、この紅鮎以外に見つからない。だから、お気に入り。また、しげしげと通うことになるだろう。

追伸
 気になる人のために、ちょっと詳しく。
 私は自動車で、宇治あたりから名神高速に入り、米原ジャンクションで北陸道を選んで、木之元ICで外に出る。要するに京都から100キロ程度、90分。電車なら、京都駅から新快速で長浜まで行って、普通に乗り換えて、「高月」下車。電話しておけばお迎えがくるし。タクシでも10分。地図でみればわかるが、実にわかりやすい位置にある。
 紅鮎の評判は? それは知らない。私が気に入っているのだから、それでよかろう。ただ、料理が売りという噂を耳にする。
 お値段だが、宿泊は私の場合、経費の都合上避けている。もちろん木幡研の一部の人達は泊まることが多い。今回は、日帰りの昼食・温泉という、なかなかに気分のよい方法をとった。一人あたり、あれこれいれて8千円だった。もちろん、お酒を飲まないからだろう。
 午前9時にでて、10時半に到着。高速料金は2950円だった。11時から風呂に入り、上がって食事して、また風呂に入って、二時過ぎまでごろごろしていた。帰宅は4時前。気楽な旅だった。
 途中寄ったSAは、行きも帰りも「多賀」だった。私は250円もだして、全自動「ミル挽き珈琲」キリマンジャロを飲んだ。最近のこういう世界は進んでいるな。TVで一々、珈琲が出来るまでを観られるようになっていた。まったく。目が点になったぞ。(つまり、ほんまもんの珈琲ですよ、嘘珈琲じゃないよ、というパフォーマンスかな)

再伸
 これで、私のお正月はすべて終了。なお、昨夜三日は、DVDで「相棒」の第三作目、大学助教授がどうした、とかいうのを観て満足した。これで「相棒」も終了、なんか寂しいものだ。(いや、毎週連ドラとしてはあるだろうが、私はTVは、特別な日以外は観ないのでなぁ)

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2007年1月 3日 (水)

犬坊里美の冒険/島田荘司

犬坊里美の冒険

犬坊里美の冒険/島田荘司
 まったく想像を絶した結末だった。それにしても、こういう作品が女性週刊誌(女性自身)に連載されていたことに驚きを味わった。どう考えても、こういう構造、結末を持った作品はマニア臭ふんぷんたる専門雑誌にこそ連載、掲載されて良いはずなのに。
 と思った矢先に気がついた。「女性自身」というのは、新しい本格ぱりぱりのミステリ専門誌なのだろうか。

 意図したトリックなんかどこにもない。
 だれもがみんな、不思議だ、幻想だ、あり得ないと、騒ぐだけで、本当は当事者にそんな気持は殆どなかった、と言ってよいだろう。
 実は、二歩手前までは私にもなんとなく想像できた。衆人環視の前での死体消失事件。
 しかし、司法修習生犬坊里美の法廷証言が出たときは、あれ? おや~、私の考えとは違う! と、私は全速で里美の推理を理解しようとし出した。そして、終盤前で「そうか。あり得るな~」と胸をなで下ろした。それで、終わりなら、それでも良かった。
 ところが。
 まだあった。
 最終の里美のセリフに、わたしはがくりと前につんのめった。ああ~、と天を仰いで叫んだ。
 たしかに。
 伏線はしっかりあった。しかし、伏線らしい臭さはこそりともなかった。

 私は読了して思ったね。たしかに、このミステリ世界の中にも、詩の泉脈の断たれない人がおられるという事実を。いったい、どうして、こんなにあっさりした構成で、これほどの奈落に、衝撃的に突き落とす事ができるのだろうか? ふと、中島敦の名人伝を思い出した。作者本人は、もうすでにトリックのなんのと考えずに書いているのじゃ無かろうか。島田荘司は、デビューして何年になるのか、数えてみた。『占星術殺人事件』が1981年となっていたので、25年間。うーむ。

 それはもうよい。凄まじい、ショック。それでよい。
 別件で二つ記す。一つはプラス、一つは私にとっての「マイナス」評価(珍しい)

1.誠意がある
 小説が、ミステリが、人生の教科書とは思っていない。そんなのは大抵欠伸がでる。しかし、自然にそういう内容がメッセージとして滲み出てきたような作品は、読んでいて、胸をうつ。150頁のセリフに深くうなずいた。

石岡「解答もない、方法もない。でもね、今自分のことを思い出してみると、こういうふうに思う。人間、そんなふうに悲しまなくちゃいけない時期って、長さが決まっているんだ。きっと神様が決めてて、だからね、もう待つしかないんだよ、じっと。その期間が抜けるの」

石岡「悲しみは涙に変わる。それは待ってれば起こる。誰にでもすぐできる」
里美「はい」
石岡「でもね、それで終えちゃ駄目なんだ、先に進みたければ。その涙を、今度は力に変えるんだよ」
里美「力に?」

 里美が事態に対処しきれなくなり、なすすべもなく横浜の石岡先生に電話したときの内容である。だれでもわかる平易な会話の中に、人生を切り開いていく際の秘伝があった。単純なのだ。しかしその単純な処方を、追いつめられたとき、とくに人生経験の少ない人は、思いつかない。それを、石岡は穏やかに伝える。

2.泣くな、里美。27にもなって!
 とにもかくにも、身近にこんな女がおったらどつきまわして、怒鳴りつけたくなる。全編、泣いてばかり。すぐに怯える。相当な美形で艶姿なのに、根本的にそれに気がつかず男の前でミスる。単にカマトトぶっているのじゃなくて、本当に世間知らずというか、自分を幼女としか考えていないふしがある。27にもなって、男の性情もわからずおたおたするな、煩い、黙れ、泣くな騒ぐな、と罵詈雑言をまき散らしながら、読み終えた(笑)。
 表層的には、私の好ましく思う女性とは対極に位置する。古い話だが、私は初期「エイリアン」数編にでてきたような、弾倉をたすきにかけて、怯える男を叱咤激励し、機関銃を連射するような女性の方が好きだ。そばで、ひっきりなしに失神されたり、自信喪失に陥ったり、泣きわめく女なんて~

結論
 そういう犬坊里美が、怠惰(たいだ)と怯懦(きょうだ)のなかで怯えきった男達を尻目に、獅子奮迅(ししふんじん)、千万人と言えども我行かん、のノリで突っ走るのだから、もう、なんというか、私は島田荘司に脳と心とを引っかき回されてしまった。
 ああ~。おもしろかった!

 新シリーズになるようだ。今後、犬坊里美がどんな風になっていくのか。トリックも楽しみだが、里美をがなり立てながら読む私自身も、楽しみだ。

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正月の三日目

 今日であっというまに三日目に入った。これでお雑煮とかお正月料理はなくなるはずだ。
 今日は早くて午前10時ころに朝食をいただいた。イタリア産の赤ワインもグラス一杯。なかなかに渋みもあってのどごしがよい。お雑煮の黒砂糖を調理ハサミで切ったが岩のように固かった。

 昨日二日の夕食はカニ鍋と、あとで雑炊だった。今夜はなにかわからない。三日間も御馳走たべたのだから、夕食は、お茶漬けかもしれない。

 昨日二日は、「相棒」のDVD、第二編を見た。切り裂きジャックの日本版だった。犯人の俳優をどこかでみたな、と思ったら、たしか功名が辻にでてはりました。誰とは言えない、ミステリー。
 ただ、相棒に狎れたのか、昨日二編目は巻頭でほぼ犯人の予測がついた。付いたからと言って、欠伸をしたのじゃなくて、どういう風に犯人なのかと考えてみた。で、予想通りだった。いつもmoriミステリに騙され続けてきた、その訓練期間がだんだん終わりなのかも知れない。ぴたりと昨日はあてた。それも理由まで。だが、このようにすぱっと構造が割り切れるのも、作者・脚本のサービスかもしれない。
 まったく、訳がわからないものだったら、視聴者は離れるだろう。で、小気味よい展開で、満足した。今日の三日目は、夜半に第三編を見ることになる。

 ミステリのネタバレ話でちょっと。挿話。
 31日にエドルンが帰ってきたとき祇園の農園でお茶をとった。余は珈琲、エドルンは紅茶。メニューもゆたかで、ふたりとも味に満足した。そこでの談話。

「とうちゃん、こん夏なぁ、M先生と10分ばかり雑談した」
「ほう、ほう」
「で、ほら、むかし君と見た映画で、とうちゃんが最初の10分くらいで、『わかった、エドルン!』というたら、君は映画終わるまで、終わった後も、怒っていたな」
「うん、腹たった」
「あれな、M先生にタイトルも言わずに、エドルンという者を『わかった』の一言でおこらせてしもた、と言うたんや」
「とうちゃん、わすれたわけやな、タイトルも」
「そうそう。そしたら、M先生、間髪入れずに、『それは、あれでしょう、◎▲■センス』といわはったんやでぇ。エドルン、どう思う? M先生って、もしかしたら占い師かなぁ、エスパーかなぁ」
「とうちゃん、なんも、分かるようなこと言わんかったんやね」
「タイトルなんか、まるっきり覚えてなかった。情景もいわんかった。ただ、エドルンに『わかった!』と言うた、それだけや」
「わかった、それ事情、わかったよ。M先生いうても、魔術師やない。それはな~」
「おお、なんやな」
「多分、M先生も奥さんか娘さんと映画行ってな、こっぴどく怒られはったんや」
「ああ! そうなんか、単純」
「M先生も、もしかしたら、身内にはネタバレ、ばんばんしてはるんかも」
「ええ、推理やなぁ」

 で、今晩は三話をみて、これで「相棒」とはしばしのお別れ。TVのスペシャルも含めて、余は正月そうそうミステリ漬けというか、スペシャル版の相棒を4話も見ることになる。えらいこっちゃ。

 で、追伸。
 このあと、余はせっせと久しぶりの読書余香を記す。さっき読了した。なかなかに、よい新シリーズだった。夜までには、掲載しよう。さて、そのスジが勧める超絶のミステリ(笑)。

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2007年1月 2日 (火)

正月の二日目

 二日目と言うよりも昨日の元旦のことを記しておこう。
 お正月の三が日は、二食制になっていて、お雑煮は午前11時前だった。いつものように、昆布だし餅三個、黒砂糖を載せて美味しくいただた。珍味美味なり。おせち料理というよりは、ポン酢にしばらくつけてあったナマコがよかった、サビをぴりっと効かせて、日本酒にあいますな。熊本から送られてきたというでっかいお多福豆もよい。一番の好物は大海老だったが、感動的に味がよかった。一匹で堪能するくらいに大きかった。口直しは生湯葉のお造り、醤油をちらっとたらして喉を越えていった。棒鱈、その他いろいろあって、夕食まで保った。

 夕食はあっさりだった。笹カレイの焼いたの、みそ汁、白米。日本だねぇ~。大根のおつけものも絶品。どうしてこんなに美味しくいただけるのだろうか、やおろずの神々に感謝した。食は命。

 大晦日の夜だったか、DVDが届いた。エドルンが発注していたようだ。水谷豊「相棒」の初期数編だった。人質になった刑事。ひねりがきいていてよかった。
 そして元日のその夜半は、TVでスペシャル「相棒」を見た。感動したなぁ。もちろん十数年前の役者が殆ど出ているわけだが、男達のしわの数や、右京警部の元の奥さんや、新聞記者だった女や、みんな歳を経た。しかしそれがとてもよかったのだ。加齢の味わいをこころゆくまで楽しんだ。

 で、「相棒」の脚本にはほとほと完全に参った。もちろん、いささか過剰なひねりに「む」っとなりはしたが、ひねりもここまで来ると芸だなぁ。そして、思い返すとつじつまは合っている。昨夜TVで一番おどろいたのは、最初の数分で女性がピストル自殺を図って、倒れた姿をみてしまったことだ。……。いやまて、また後日にDVDを買って御覧になる方もおろうから、口にチャック。

 ちかごろ、そこここでこの「相棒」の話を耳にする。エドルンの話では、友人たちの中にも、これまでのDVD全巻二万数千円もだして買った人がいるらしい。どっこい、灯台もと暗し、葛野のご隠居にも、餓死するほどの空腹感のはずなのに、買ったマニアがおってなぁ(邪笑)。いやはや、食を止めても道を究めるお宅世界は健在。

 で、「相棒」。これ、よいです。男ふたりのペアに味があり、それぞれ恋人のような奥さんのような元妻のような、いろいろ人間の相があって、深い。さらに警視庁、警察庁のお偉方達も、それなりに味がある。

 なんとなく、午後にぱらぱらきた年賀状をじっとながめて、「返事、かかないとなぁ~」とつぶやき、1日が終わった。年賀状、返事は永遠に出さないだろう。余は文字を書けなくなった。

 今日の予定は。もちろん、読書。

追伸
 昨夜眠る前に、300GBのIDEディスクを調整するために、マシンの蓋をあけてさわりまくった。その結果、DVDは単に結線が外れていただけで、あっけなく復帰した。が、二台のS-ATAタイプハードディスクに、内蔵IDEを増設するのは諦めた。いろいろマザーボードにも事情があるのだろう。だから、正月あけにUSBの外付けケース(二千円程度)をかって、二台目(すでに300GB付けてある)の外付け300GBハードディスクにするつもり。実は、葛野のマックG5は、先月に500GBを外付けして無事終了した。葛野のはS-ATAを操る外付けケースがあったので、これでよし。
 これからは、最低でも1テラバイトの外部記憶をもたないと、まともなマシンとは言えないなぁ~。

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2007年1月 1日 (月)

新年ご挨拶 平成十九(2007)年

 気持や行動の表層では、盆暮れ正月、そのた慶事弔事、なにがあっても変化はないのですが、しかし深層にあっては、この大晦日や新年をとても大切にしているわけです。
 と、気がつきだして数年たちました。
 これは厳粛な神事であって、おろそかには過ごせないわけです。で、どんな風にしているかというと、気持を静かにして、行く年来る年を味わう、これが神事につながるわけです。

 と、年頭から神事とか厳粛とか禊ぎとか記しましても、なかなか人さま達には真意も伝わらず、それはそれ、これはこれで、それなりにMuBlog読者のみなさまにご挨拶を申し上げます。

 今年のことをいろいろかんがえてみました。で、気持を込めていきたいことを列挙することで、後日に道をはずれかけたなら、この2007年元旦の記事にもどって方向を調えることにいたします。

気持の置き所では。
1.おだやかに過ごす。
2.苛立たない、焦らない。
3.人それぞれ個々の人柄に身をそわせる。
4.自らの、本然(個性というとわかりやすいですね)はMuBlogとか日曜作家世界に止める。
5.普通の人として余生をすごす。
6.身の回りの人達に親切に接する。
7.競争心をもたない。ねたみそねみ嫉妬心など負性の心を殺す。
8.仏陀の気持ちを想像する。
9.キリストの気持ちを想像する。
10.その時、その時を楽しみ味わう。

 以上十箇条もたてましたが、こういう風にすごせば今年も波風たたず、おだやかに読書、思索、創作、研究、教育に充実した一年を過ごせそうです。

具体的には。
1.MuBlog記事は可能な限り日々創作するが、世の中や人々を「否定」の目でみるのは避ける。
2.日曜作家も続けるが、一部をのぞいて、可能なかぎり楽しい物語を作る。
3.研究は、右顧左眄せずに、道を究める。
4.教育は、ひたすら仏陀かキリストの気持ちになって、怒声ださず瞋恚(しんい)持たず、学生達のありのままの姿をめでる。
5.卒業生達はわけへだてなく大切に待遇する。
6.数少ない友人達には、丁寧に接し、邂逅のありがたさを常に思い出し、狎れを押さえる。
7.睡眠、食事、仕事などの日常に、誠意をもって接する。
8.家族を大切にする。
9.自動車の運転は充分に気をつける。車は凶器。
10.日常生活での白昼夢、夢想、激しさ、怨念などは持たないように、心を空にする訓練をする。

 と、これだけ実行すれば聖人君子になれそうだが、気持の方向性ですね。生まれてよかった。今の今でよかった。という、肯定の思想をきっちりもって、余命を尽くそうと思いました。

以上 Mu識

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