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2007年1月29日 (月)

小説葛野記:20070129(月)曇の信号機と愚直

 幼少時から現代にいたるまで、他人の言葉を比較的尊重してきた、つもりだ。場合によっては愚直なほどに守り通したこともある。余が日本の歴史に執着しているのは、高校生の頃のませた悪友の一言を愚直に守ってきたからである。「日本の歴史も知らずに、現代をあれこれ言うなよ」余は、そのころ科学少年だった。しかし、恥じて、現在講談社の「興亡の世界史」を毎月手にしている。日本史じゃなくて、世界史を今になってそろえようとしているのは、これは単なるアマノジャクにすぎない。

 西大路九条を午前七時に通過したとき、西側陸橋の真ん中に取り付けてあった信号機がゆさゆさと揺れていた。右折を待っている間、地震か取り付け不手際か、落下かと思うほどに、おそらく上下に20センチ近く大揺れしていた。
 理由はすぐにわかった。陸橋の上を南から北にむけて人が犬と一緒に走っていたのだ。

 信号機は大抵守る。おそらく95%守る。もちろん、京都でも指折りのばかでかい、交通量の激しい五条堀川とか、この西大路九条で信号を守らないドライバーは、自殺志願者と考えて良い。しかも正しい自殺志願(笑)ではなくて、無知故の、洞察力の弱い、愚かさ故の事故自殺につながる。

 余も時に、まれに守らないのは四条小橋を東西に渡る数メートルの通路を徒歩の時。ここは全員信号なんかないかのように渡る。まれに一方通行、木屋町北からタクシーが来て、運転手が信号無視の人たち(余も含まれる)を睨み付けている。この木屋町一方通行は、タクシードライバーの為にのみ有効だと日頃考えておる。一般ドライバーはこんな人混みの中を走るべきじゃない。

 さて、余は日頃、愚直なまでに取り決めに従うことが、多い。
 破るときは、はっきり確信犯として、「いやだ。だから従わない」と、オーラをだして反抗(したことが多い)。もちろん現在は、角が取れて丸くなって(いやいや、すり切れた、というのが妥当か)、大抵人の言うことやルールに従っているのだが。

 さて。日頃、若い人たちに囲まれている。採点内容でも授業、日常でも、病的にルール無視のもの達に出くわす。一般的感慨だが、やはり若い人たちにルール無視をする人が多い。お店の従業員もそうだな。(もちろん、身の回りの年配者達は、殆ど居ない。大抵、余の世界では抹消したからだろう。だから、無)以前は、これは「反抗」と思っていたが、そうでもないことに気付きだした。なぜ、愚直なまでに取り決めやルールや約束を守らないのか。おそらく、自己中心の結果なんだろう。それは自己の快・不快が強い動機になっているのだろう。

 それは危険だと思う。実力無き者がルール無視すると、大抵後日、滅びる。事故が多く、長生きもできない。それでよしと明確な決意があるなら、まだしも、洞察力の欠如、近未来予測力のなさ、無知であることが多い。一般に、社会に出ると、現実に直面し尻餅ついてしまう。大抵、再起は難しい。滅びていく。
 
 方法論は一つ。才無き者は、愚直であれ。
 天才はほとんどいない。天才は、ルール、規範を破る。しかたない。
 非力な、凡人は、
 ただ、愚直に生きることが、豊かな天命をもたらす。
 
 難しいのは、愚直であることも、これは才能の一つという、現実だな(笑)。 

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コメント

信号無視のお話

 何だか禅問答みたよな記事ですね。
信号を守れといっているのか無視しなさいといっているのか。
どちらにも(才能)がいるようですね。

 当方が35歳のころニューヨークで驚きました。
車道も歩道も広くて京都のように枡目にできている街です。
歩いていると信号が赤なのにみんな平然と赤信号を無視して歩き続けます。
あれ~っ?と始めは驚いたのですが、やがてそうか車が来てないのに信号のために待つなんてアホらしいことをコチラの人はやらないんだなあ、と感心しました。

 今でも毎日のように歩道の信号無視をします。
その度にこのニューヨークでの初体験を思い出します。
念の為、左右から車が来ていないことを確かめてから、信号無視で渡ります。
ついでに信号が青でも念の為左右を確かめて渡るようにしております。

投稿: ふうてん | 2007年1月29日 (月) 22時28分

ふうてんさんには、信号機というルール、規範、規(のり)が無いようですね。道を渡るという「ふうてん規」を作っておられるからでしょう。

Muは、このMuBlogであれ何であれ、いわゆるパスワードを毎回入力しています。パスワード記憶を使えば、無駄なことなのですが、Mu規ですね。パスワードは毎回入力しなければ意味が半減する。そして毎回入れれば、Muだけの身体がそれを覚えるという、徳用もあります。

法律も含めて、憲法でさえ、Muには単なる規です。この規を遵守すれば疲れないという徳用があるからです。

ルールは自らが作るのが性に合っています。しかしルールの中に身を置かざるを得ぬ時は、ルールに従うのが心身に楽であるという徳用を知っています。

愚直にルールを守り、愚直にルールを作っています。たとえば年賀状という社会的習慣というよりも規範は、Muにはありません。組織、人間社会にあっては「挨拶」は規範です。別の規範を作っています。

なかなかシンドイ人生でしたが、この10年ほどから、ようやく手応え良く、乗りこなすことが出来るようになってきました。愚直に破るものは破り、守るものは守り、愚直に規範を作り、それを愚直に遵守してきたからです。

やはり禅問答というか、眠気をさすような感慨となってしまいました。

投稿: Mu→ふうてん | 2007年1月29日 (月) 23時10分

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