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2006年12月22日 (金)

酒船石遺跡関連図版(飛鳥関係図版)

承前:MuBlog:雨の飛鳥紀行 {益田岩船、高取城、酒船石遺跡}

  明日香村役場地図
  明日香村公式HP

 雨の飛鳥紀行2006/11/19で益田岩船、高取城、酒船石遺跡に行った時、最後が酒船石遺跡だった。そこで亀形石造物を観覧するときにパンフレットを購入した。内容がわかりやすく、重宝するので記録しておく。写真は各表紙と、その右側に私が気になった頁を抜粋した。

飛鳥の考古学図録1
  発掘された飛鳥&水落遺跡(みずおちいせき)

発掘された飛鳥&水落遺跡(みずおちいせき)
 関義清(平成15年明日香村村長)氏の序文によれば、飛鳥の本格的発掘調査は昭和8年の石舞台古墳に始まるとのことだ。その後昭和31年からの、最古の寺院「飛鳥寺」発掘、そして昭和47年の高松塚古墳壁画と続き、20世紀末には亀形石が現れた。
 水落遺跡は、最初は時計という考えがなくて、発掘を始めてから10年後の1981年に始めて中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)が造った漏刻(ろうこく:水時計台)と解明されたようだ。これは大津の近江神宮にも模型があった。それにしても、水落という遺跡名と漏刻と分かった過程には興味がわく。水時計の相当に複雑な給排水システムが判明したようだ。

飛鳥の考古学図録2
  飛鳥の古墳&石舞台古墳

飛鳥の古墳&石舞台古墳
 飛鳥地域の古墳は、後・終末期古墳が中心になる。だから、古墳と言えばすぐに巨大な前方後円墳をイメージする私にとっては別種のものとなる。飛鳥古墳の形は前方後円墳もあるが、方墳、円墳、八角形墳が主流である。
 図録には20件の古墳概要があり、これらは各頁毎に分類されているので古墳の性格がわかりやすい。また各概要には、明治時代の『大和國古墳墓取調書』からの絵が添えられている。住所は明日香村を中心に、橿原市、高取町も含まれていた。被葬者は殆ど分かっていない。

飛鳥の考古学図録3
  飛鳥への邂逅&須弥山石(しゅみせん・せき)

飛鳥への邂逅&須弥山石(しゅみせん・せき)
 15件の石造物について写真を含めた概要がある。これらの研究が難しい理由を端的に記してあった。(1)制作年が飛鳥時代限定 (2)飛鳥地域のみの分布 (3)少数多様 (4)出土原位置不明。一般に他と比較して初めて、その物の素性が明らかになることが多いが、飛鳥の石造物は、明確な尺度となる比較対象物が殆どないので、その物だけで判定していくことになり、研究が困難のようだ。
 たとえば岡の酒船石の形を持った石造物が別の時代、別の場所で使途明確であったなら、それとの比較で素性が浮かび上がってくる。

飛鳥の考古学図録4
  飛鳥の宮殿&噴水施設復元図&出水酒船石

飛鳥の宮殿&噴水施設復元図&出水酒船石
 時代では592年「豊浦(とゆら)宮」から694-710年の「藤原宮」までが範囲になっている。場所としては、小墾田(おはりだ)、飛鳥正宮、嶋宮、その他、大和以外。この五カ所に分類整理されて、各宮の概要が記されている。狭い範囲で多重多層に宮が営まれていた。飛鳥正宮で例示すると、岡本宮、板蓋(いたぶき)宮、後岡本宮、浄御原(きよみはら)宮と重なっている。また、大和以外の地では、652-655に「難波長柄豊碕宮」に移り、宮は686年まで残った。また667-672には天智天皇「近江大津宮」への遷都があった。

酒船石・関係各種図版
新出土亀形石造物遺構

新出土亀形石造物遺構&酒船石実測図&酒船石遺跡導水施設模式図

酒船石遺跡案内図
酒船石遺跡案内図

「松本清張「火の路」誕生秘話」&「益田岩船」
「松本清張「火の路」誕生秘話」&「益田岩船」

明日香村わくわくマップ
明日香村わくわくマップ

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コメント

苑池と水時計

 東アジアが激動した時代、隋、唐、新羅、渤海、大和と沢山の文化面の交流もあったのではないでしょうか?

 苑池施設についても当時の時代の各国の施設を比較する研究がされているようです。飛鳥は水の都と言われ、苑池も中国の影響が大きいようです。

特に噴水施設は当時の人々は驚嘆したでしょうね?酒船石のある高台から水を一気に導管を通じて降下させ、須弥山石とか色んな彫刻された石から噴水を出せたのではないですか?

 酒船石もあれと同じものがもう一対あれば、噴水用の石造物と考える事も出来ませんかね?

水時計も中国の影響ですね、今でも中国では後の時代のものですが、鼓楼という大きな建物があり水時計があり時刻を太鼓で知らせたそうですね。

 これは、時を支配するのは皇帝の権限であるという思想がその後の、日本の天皇中心の国家体制に繋がったのではないでしょうか。だから、水落遺跡は天皇を中心とする国家ですよ~~と言う、デモ施設やろね。

参考 http://www.nabunken.go.jp/publication/news/nabunken-news18.pdf

投稿: jo | 2006年12月22日 (金) 11時41分

規模が、話が、大きすぎて一言ではいえないのですが、東アジア全体の中で、文化文明の伝搬とそれぞれの固有性、そして受容した各文明におけるそのごの成長、進捗、変成、いろいろ考えるとおもしろ事が多くありすぎて、一生かかりそうですね。

 日本なら日本でどんな風に定着し、とけ込み、あらたな国風の中に組み込まれていったのかに、興味があります。飛鳥は、どうかんがえても、国際都市だったと、痛感しております。

 私はこの正月、なにか読んだり、また現地に出かけたいですね。

投稿: Mu→Jo | 2006年12月22日 (金) 15時19分

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