酒船石遺跡(2)岡の酒船石
承前:MuBlog:雨の飛鳥紀行 {益田岩船、高取城、酒船石遺跡}
承前:MuBlog:酒船石遺跡(1)亀形石造物
地図(酒船石)
酒船石(1)丘の道、地盤、全景:Mpeg4動画 (9737.7K)
岡の酒船石は、丘陵にある。酒船石が最初からここにあったのかどうかは知らない(在ったと想定している)。地盤が気になる。岩が土から覗いている。すでに本居宣長は旅日記に酒船石の記録を残している。
酒船石(2)全景と欠損箇所:Mpeg4動画 (10923.8K)
表面の独特の模様は明確に残っているが、長辺の左右の欠損は激しい。この断石が高取城にあるかと思うと呆然とする。仮に、磐座(いわくら)を構成するもっと小さな付帯岩がいくつもあって、それはそのまま運ばれたのかも知れないと夢想した。
酒船石のやじろべえ模様
他には栄山寺(奈良県五條市)で戦前に似たような模様の石が在ったらしいが、発見されて後に工事のために爆破された。もったいない。詳細は「大和志」V6(1)1939年に、猪熊兼繁氏が記事をのせている。これはまた猪熊兼勝「酒船石」『明日香風』(4)1982年として報告がある。
史跡・酒船石(さかふねいし)昭和2年4月8日史跡指定
要するに、亀形石造物と岡の酒船石は時期も用途も異なるものだろうという、推理である。それはデザイン、雰囲気上の直感からだが、少なくとも人工物には作る関係者の意志があって、そういう意志の違いを人工物を見て考えるのは非科学的とは思わない。仏教寺院とキリスト教会と神社とでは、あきらかに造る関係者の意志が異なり、それが眼前の人工物(建築)の違いとなって現れている。
酒船石の用途説
ともかくざっとこれまでの酒船石に関する説をリストアップしておく。
1.江戸時代 『古跡略考』、本居宣長『菅笠日記』などに酒船石が現れている。当時の地元では、濁り酒を溝に流すことで清酒にするという伝説があった。酒船石という名称の淵源はそこにあったのだろうか?
2.昭和初期『飛鳥誌』では、大規模な燈油製造器説がある。これは岡の酒船石、出水の酒船石、車石などを組み合わせたものとして想定されている。
3.松本清張『火の路』と大麻酒造説(ハオマ精製)。これはゾロアスター教との関係で小説に描かれているのだが、内容の考証が明確なので、当時の世間で注目を集めた。
4.いろいろな説があった。
辰砂生成説(酒船石を水銀朱の採取の為の器とみる)
天文観測機器説(暦の機能か)
浄水装置付水道説
饗宴観賞用仕掛石
……
*Mu説
私は、この岡の丘にある酒船石の原形を亀形石造物とは切り離して考え、岡の酒船石は飛鳥時代以前の磐座と思う。
ただし模様の溝の彫り方が精緻なので、これは石工という概念、つまりノミなどの道具を必要とするから、主に三韓から渡来した技術者によって彫られたとする。これは石細工がいつごろから在るのかを調べる必要もある。たとえば古墳の石棺などの製造技術と比較して考える必要があろう。
模様は無意識に「やじろべえ」、と私は記しているので脳裏には「ヒト形」があったのだろう。呪術的に見える。少なくとも、谷にある亀形石造物とは異なる意識で造ったと考える。
そして、想像だが、この酒船石一つではなかったはずだ。酒船石の地盤は、調査報告がもしあればはっきりするだろうが、自然な岩盤が露出しているように見えた。つまり、磐座とイメージしたのは、自然石がいくつもあって、その中にひときわ大きな酒船石があったと、思うわけである。
庭というには、呪術的側面が強い。最初は磐座として祀られていて、それに斉明天皇の強い意志がはたらいたのだろうか。あるいはそれ以前、縄文時代のアニミズムの結果が、この特殊模様なのだろうか。不明。
酒船石・欠損断面
酒船石の模様は写真のように欠けている。しかしもともと左右対称なので、イメージとしては完全なものが浮かんでくる。実際はわからない。もしも、高取城の石垣にその部分があって、すべてを回収してジグソーパズルのように組み立てたならば、また新たな説も生まれるかも知れない。
ただ、長い歴史の中で高取城の石垣にも苔むした中に古の人たちの想いがこもっている。酒船石復元が大切なのか、高取城石垣保存が大切なのか、というような二者択一はしたくない。あるがままでよいだろう。
と、いいながらも(笑)。
もしも地震などで高取城石垣が一部決壊し、そこに岡の酒船石の断石が現れて出たならば、それこそ天佑。
……。
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コメント
雨乞いと噴水
皇極天皇の時代に蝦夷が雨乞いしたが、駄目で皇極天皇(斎明天皇)が雨乞いをすると雷雨が鳴り雨が降ったという記述が記紀にあります。
アタシャ、噴水施設を丘の上に作りあたかも雨を降らせたマジシャン施設ではなかったか?と、思いますよ。(トンデモ説かな?)
科学的に噴水のメカニズムとして、あの窪みを解読すれば真理が見えるのと違いますか?(笑)
投稿: jo | 2006年12月 2日 (土) 00時06分
Joさん
手塚治虫さんの三ツ目が通る、という漫画では、酒船石は製造薬ごとにいくつもあって、目的の薬を調合する鋳型のような解説があったね。
Muが今朝起き抜けにひらめいたのはですね、酒船石は同じパターンが二枚で1セット。二枚重ねて縦に立てて、上から溶かした銅とか鉄を流し込み、呪術的な武器なんかを作っていた。
あるいは。
二枚重ねて縦にして、下から水を高圧で注入すると、Joさん的なマジック雨、華麗な噴水ができますね。
今日の思考の進展(笑)は、ともかく「Muによる酒船石二枚重ね説」だね。
注:噴水とか水に関してはですね。高圧水を用意するのは、いくつかの世界遺産ビデオをみていて、各国各地、相当に大規模な付帯工事をしていますね。露西亜の宮殿とか、えっと、イスラム系の宮殿?とか。
水は高いところから低い所に流れるから、エンジン類がないかぎり、その原理から外れることは、それこそトンデモ暇な宇宙人が居ない限り、無理でしょうね。
各国とも相当に遠隔地の高地の池や河や湖から延々と導水管を設置して、高低差水圧を利用し噴水を設計しています。
酒船石だと多武峰(とおのみね)に池とか河があれば、可能かな?
投稿: Mu→Jo | 2006年12月 2日 (土) 03時45分