夜麻登志宇流波斯(やまとしうるはし)はミステリではないのです
この11月半ばから別のblogで突然、長編小説の連載を始めました。やまとしうるはし、と読むタイトルの由来はいろいろあるのですが、基本的には倭建命=日本武尊=やまとたけるのみこと、の歌の一部です。倉敷の大原美術館で、棟方志功さんの「大和し美し」柵という大型の版画作品を観たこともあります。棟方志功さんがどんなお気持ちで造られたのかは分かりませんが、そういうタイトルを付けるという点では、似通った心性なのかもしれません。
『夜麻登志宇流波斯』は、これまでの「犬王舞う」や、「蛇神祭祀」にくらべて読者数が増えています。実数は伏せますが日々四倍あるのです。で、なにかしらご期待があると申し訳ないので、著者弁明を最初にしるしておきます。
この作品は、いわゆる普通の小説です。事件も殺人もトリックもまったく御座いません。世間でいう、ミステリとか推理小説ではなく、また古代史、時代小説でもありません。もちろん私小説でもないし、お笑いでもないし、バイオレンスでもないのです。エンターテイメントとは対極に位置する、ただの退屈な小説です。
要するにわかりにくい小説です。
著者の手元にある草稿は500枚ほどありますが、これを定稿にするために日々眺めていても、「どうしてこういう表現を私は使うのか」というところが多々あって、初秋からずっと悩んできました。大体一回連載は原稿用紙で3枚分(これまでのミステリ小説二作は、4枚~5枚でした)ほどなのですが、推敲には相当に時間がかかります。文章の捻れとか、誤字脱字に気をつけるよりも、一体何を表現したいのかという、自らへの強い疑念が先立ってしまうのです。
ともあれ、読者が零になっても日々千人になっても、変わらず最後まで連載いたします。
まずは、ご挨拶まで。
著者近況
小説というジャンルはまことにおもしろく飽きません。人様の良い作品を読むのも楽しいですが、造る楽しみはその数倍のよさがあります。もちろん過程では身を削る命を削る幻想にもとらわれますが、元に戻ってみると、これほど迫力のある楽しみはないのじゃなかろうかと、感じています。
晩秋の朝、
浅茅原竹毘古(あさじはら・たけひこ:日曜作家) 識
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コメント
どうしてそんな自信なさげなご挨拶をなさるんでしょう・・。
ミステリーなら読もうという読者もいれば、ミステリーでないなら読もうという読者もいるんですが。
とにかく、自分で(注)を作ろうかと思うぐらいに、一言一句丁寧に読んでいます。
センチュリオン?AMX13?でつまづいてしまうんですからね(笑)。でも、Googleで検索すれば、写真付きで教えてくれるんですよね。
読者は、スローリーディングしているので、更新もスローライティングでお願い致します。
投稿: wd | 2006年11月22日 (水) 16時47分
WDさん、ありがとう御座います。
しかしそれほど詳しく読まれますと、いささか心配でもあります。というのは、作品はある種のノリに乗って書くことも多いので、厳密な解釈には耐えられない、脆弱なところも多いのです。
とりあえず、火木土に掲載しますので、隔日スローでよろしく。
ともあれ、読者あっての日曜作家! ありがたいことです。
なお、私はミステリ愛好家なので、逆にミステリ以外を書くのは、読者の方に、蕎麦屋と偽ってカレーライスを出すような気分になってしまって、件の挨拶になったわけです。
投稿: Mu→Wd | 2006年11月22日 (水) 20時28分