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2006年10月26日 (木)

高校の授業

 数日来、全国の高校で歴史科目を文部科学省指導に違反して、一科目で済ませていたところが多く、これから年内にかけて50分授業を70回分することで、なんとか卒業にこぎ着けるつもりのようだ。これまで卒業した生徒はどうするのだろう。
 世界史が必修で、あと{日本史|地理}のどちらかを受講しないと単位が足りないらしい。「東大を受けるのに、やってられない」と高校三年生の声がうつろに耳にひびいた。受験直前の緊張からくる言葉と、思いはしたが。
 識者も「現代の受験とかゆとり教育から考えて、他の受験必須科目の時間確保のため、こういう風になるのはしかたない」とかも聞こえてきた。

 二つある。
 一つは、歴史教育に人類のすべてがかかっていると思う。人がどこからきて、なぜここにいて、どこへいくのかを理解するには上質な歴史教育があってはじめて達成される。主義主張政治闘争の具に用いるのは論外である。大文明の興亡から現代史まで、人類が何をやってきたかを知れば、刹那的に現代を生きる愚を少しは知る。そして少なくとも自らの残余生存期間だけでも、アメーバーや猿とは異なる人としての生き方を考える気持ちにもなれる。
 歴史は繰り返しはしない。だが、そこにすべてあると考えた方がよい。未来の萌芽すら数千年前の文明に隠されている。
 歴史にはおよそ人類が人として関わってきたこと全てが含まれる。自然科学から文学、芸術、宗教、戦争まで。
 こういう歴史を等閑視して、なんの受験の東大の。莫迦かと、痛切に思う。ましてやいわんや、日本史を学ばずして、日本国籍を有するなどと、笑止千万。

 さらに一つ。
 思い返せば、中学・高校で学んだことに私の基盤の殆どがある。文学から自然科学まで。佳い教師に恵まれたと思い出している。教師との個人付き合いなどは、一人二人、クラブなんかで世話になっただけだが、豊かな授業が一杯あった。
 奇をてらった斬新な授業などなかった。
 歴史も生物も物理も化学も数学も、英語も国語もよい思い出がいっぱいある。黒板の前にたった先生方のすがたを今でも思い浮かべることができる。
 (成績がよかったわけじゃない。大抵真ん中だった。ときどき上位に入り、ときどき下位になる。ごく普通の変人だった)
 大学へ行くための授業。これは現実的にやむを得ない部分もあろう。しかし、高校の授業全体として一つの完結した完成度をもっていた。いまでも、視点さえ変えれば完成度が高いはずだ。もっと、眼前のシステムを大切にすべきだと思う。

 大学は。
 これは、一人で学ぶ世界だと考えている。そうじゃないのも知っている。しかし、そうであると学生に知らせるのが、大学の役目だと考えている。 

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小説葛野記」カテゴリの記事

コメント

日本史必須!

 これ、勉強せんと国籍与えん話は賛成やね。古文と漢文もついでに、必須にしてくれんかな~~?

 大學の入試試験にも問題があるんと違いますか?学校も生徒がお客さんやと考えてるから、客のいう事を聴いているんやろね。

ともかく、本当の勉強は社会人になってからやね、会社で幾らでも勉強できましたね。しかし、最近は終身雇用は壊れたし、社員の教育も昔ほどでは無いし、即戦力を求めるし、社会全体が昔とは異なる”妙な世界”になりつつあるね?

 高校、大學では学び方の基礎を教えればいいのと違うかな~~~?しかし、最近の日本の大学もアメリカ風になり専門バカを製造する工場みたいになりましたね?

昔の、ドイツのハイデルベルグのような教養主義が懐かしいだす。

投稿: jo | 2006年10月26日 (木) 09時14分

Joさん、こんにちは
 ベトナムのスッポンってどんなんでしょうね。
 スッポンと亀とは違うもんでしょうかね?

 ところで国籍条項に日本史ってのは、そこまで言うておりませんで(笑)。もしそんなんになったら、歴史の先生だけが国選歴史教師とかいうて、はばをきかせて、けったいなことになる。
 ただ、英語や数学以上に、歴史を真剣に考えた方がよいという気持です。その前に国語だね。文章をきっちり読み書きできないと、はじまらない。みぶりてぶりパフォーマンスだけじゃ、伝わらない。

 しかし、大学の話になると、Muも息が止まる。難しいね。

 専門莫迦でも、なんにもないよりはましだけど、広い教養、ものを見つめる目なくして専門家になると、その狭隘な視点だけで、権威だけついて、他を世間を世界を断じるから困るわけですな。
 多視点をもてるようになったら良いわけです。それには、歴史を全部味わわないと、ね。

 というわけで。
 ベトナムの歴史を、Joさんのことなら、しっかり身につけ出されたことでしょう。ベトナムの密林に遺跡もとめてさまよって、消えないように。

投稿: Mu→Jo | 2006年10月26日 (木) 12時35分

お元気そうですね?

 ベトナムに赴任する前におめにかかれるか?無理かも知れんね。ベトナムの歴史の勉強は現地に赴任してから、腰を据えてやります。

日本の考古学の発掘隊もフエとかハノイの近くの遺跡でも頑張ってるようですよ!

 ところで、スッポンですが、亀は甲羅が堅いけど、スッポンは柔らかいのと違いますか?古来、神聖な生き物として崇められていたそうやね。

食べ方は日本と同じですが、現地では高価な食材だそうですよ。何せ外貨を稼ぐ輸出品やからね。

 今の所、赴任前に京都に帰る計画は無いので、このまま生き別れになるかもしれまへんな?お達者でお暮らしやす。くれぐれも無理せんようにね。

投稿: jo | 2006年10月26日 (木) 12時58分

衣食住をもっと教えて欲しいですね

 Muさんの嘆き、JOさんの怒り、よく分かります。
60年も生きてくると(教育)に何が必要なのか少しは分かってきますね。
江戸時代くらいまでは(読み書きそろばん)言うてたらしいですな。
まあ鎖国時代でもないし、近代工業も進んだので、世界や技術もちょっとはね。

 少なくとも義務教育の時代に、衣食住という人間が生きていく上で必須なことについて、その成り立ちと現状ということを教えてほしいなあと当方は思います。
その中で、日本や世界の歴史は必須となるでしょうし、自然や工業のことも学べます。
それと、こういう視点でカリキュラムを組めば、必要のない授業も減らせます。

 最近嫁さんと話したのですが、義務教育時代の(知識)はある程度共通認識としてみんなにあるのですね。
それは歳をとっても誰と話しても共通の話題たり得るわけです。
それが広くて深ければ、会話のない夫婦、熟年離婚なんてのも少しは減るのでは・・・。
そんな話になりましたなあ。

 一方が(日本史)しか習わず、一方が(世界史)しか習わなかったら・・・ちょっとヤバイ。

投稿: ふうてん | 2006年10月26日 (木) 13時26分

JOさん
 現代版、阿倍仲麻呂みたいになるかもな。
 駿河なるふじの高嶺に出でる月かも~なんてね。

 けど、馬力ありますね。
 Muなんか、言葉の本当の意味で、都の辰巳しかぞ住む、世を憂(宇治山)と~の心。
 おそらく木幡を半歩もでないでしょうね。
 でたら、おそらく確実に、水あたり、食あたり、人あたり。前二者は秘薬・正露丸でなんとかなるけど、後者はむつかしい。

投稿: Mu→Jo | 2006年10月26日 (木) 13時54分

ふうてんさん、こんにちは
 ふうてんさんの高校は、宗教教育(エスさま)と、朝から晩まで英語漬けやったような想像をしています。

 私は、「嵯峨野ぼけ」といわれるほど、おっとりしとりました。
 化学は赤点ぎりぎりやったし(つまり、モル計算とかいうの、トラウマね)、大学浪人はするはで、けっして満足な状態じゃなかったけど、つまりこの年になるまで学校から「おまえが、一番!」と言われた経験がゼロだけど。
 それでも、日本史も世界史も生物も化学も物理もおもろかったなぁ。実験が好きでした。

 新品の生物学の教師(女性でした)に「センセ、鮫は魚ですかぁ~?」ときいたら、「えっと?!」と絶句してはりました。
 新品の古文の教師(女性でした)なんかの授業だと、廊下に他クラスの男子学生があふれていました(授業見物)あははは。

 まあね。
 高校の教育システムは、ええとこ一杯あったのに、なんでこてこてにもめるんでしょうね。知らぬ魔に、生徒も先生も校長も親も識者も文◎△◎省も莫迦になっていたのかもしれません。知りません。

投稿: Mu→ふうてん | 2006年10月26日 (木) 14時06分

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