« 風景と歴史 | トップページ | 配所の月とは望郷か »

2006年10月18日 (水)

月夜の美観と科学

 秋になると「月夜の美観」という、先師が昭和四十年代にしるされた章が思い出される。いまここでその内容をひもとくことはしないが、その語感を長年気に入っている。つまり私は月を見るたびに「月夜の美観」と呟いている。

 京都府の宇治にしろ、嵯峨野にしろ、月が映える場所だと思っている。
 そこには、幼い頃の科学心もある。月はときどきでっかく空にある。ちいさくなることもある。真っ赤に見えることもある。絵のように雲がたなびいていることもある。それらは何故なのだろうかと、美観の前に思ってしまう。同じ月がどうして大きく見えたり小さく見えるのだろうか。満ち欠けは理屈で覚えているが、大小のことはいまだに分からない。
 なぜ色が変わって見えるのだろうか。空気、気象の変化だろうとは予測がつくが、本当は分からない。まして兎の杵付きになると、大抵そう見えるのだから、これは心理学の問題とは思うが、文明観の違いかもしれない。

 素晴らしい月とか、変わった月を見ると友人知人達に電話やメルを送りたくなる。
 すぐに「止めておこう、そういう気持は伝わるわけもない」と、行動には移さない。
 その割には、伝えたいことは携帯やメルという即時通信技術が生まれた頃から、もう決まっている。
 「いま、木幡じゃ月がでっかいけど、そちらはどうだ。ウン?、小さい? 変だな」
 これだけである。
 まったく他意なく、科学心から発したものだ。

 九州なら太宰府に知人はいないが、電話したくなる(笑)。多分菅原道真を思ってだろう。
 門司とか下関なら、壇ノ浦の義経を思ってだろう。
 広島の呉なら、戦艦大和を作っていたころの人を思ってだろう。
 隠岐の島なら、後鳥羽院さんに電話したくなる。
 金沢なら、富士山なら、東京なら、会津なら、東北、なら。
 北海道なら五稜郭に電話したくなる。土方副長を思ってだろう。

 「今、葛野から赤い月が見える。そっちはどうだ、……。ウン? 黄色いって。そりゃ黄砂かな~」

 こうして、月夜の美観という言葉も、私の中では科学の心に変わってしまう。
 しかし、いつかこの『月夜の美観』という先師の言葉をじっくり味わってみたい。

|

« 風景と歴史 | トップページ | 配所の月とは望郷か »

小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

お月さまは友だちでした

 確かに不思議ですねえ。
どうして大きくなったり小さくなったりするのでしょうか。
満ちたり欠けたり隠れたりするのに、うさぎちゃんが餅をつく絵柄は変わらない。
やっぱりあれって日本向けにそうしてくれているのかしら?

 当方は四国の片田舎にいたハイティーンくらいまで、家の上には家がなく、ただ山があるばかりでした。
農村ですから店屋なんてものもありません。
テレビもなかったですね。

 それで中学生のころから晩飯を済ませた後、毎晩近くの山をウロウロするのが日課でした。
月のない真っ暗闇のときもあります。
それでも何となく薄明かりで山道は歩けるものなのですね。
月が出ている日はお月さまとの会話です。

 夏の月と冬の月とは全く違うのですね。
夏は真っ白ではなく何となく柔らかな、少しベージュっぽい色でした。
冬はクリーンに真っ白になります。
家族をはじめ、話し相手がいなかった少年は毎晩山を歩いて、お月さまやお星さまと会話することで、自身を慰め、励ましていたようです。
視力は左右2.0で、よく見えていたのでしょうか。

 先師は(美観)といい、Muさんは(科学)していたお月さま。
当方にとっては唯一の(おともだち)でした。

投稿: ふうてん | 2006年10月18日 (水) 22時50分

ふうてんさん、おはよう。
 さきごろは、サントリー・リザーブが12年ものになったとかどうとか、お話、遠い世界のことでしたが、「そうか、日本のウィスキーも、おいしいのか」と思い出しました。下戸には猫小判。
http://futen.cocolog-nifty.com/futen/2006/10/20061015_3491.html

 ただ、青年時に一番安いのを買って毎晩寝酒に飲んでいたら、ませた友達に「安酒、飲むな」といわれまして、反発してそのリザーブ(10年もの)を買ったら、大金がふっとんだ記憶もあります。いわゆる、口当たりがよくて、ノックアウト状態で眠れました。

 で「月の砂漠」という童謡もありましたな。金と銀の鞍でしたか。アラビアのロレンス、メルヘン版というおもむきです(?)。
 「おともだち月」という情景は、真っ暗な田舎なら容易に想像がつきました。月は歩くと付いてくるでしょう。月光はものすごく明るいですね。今の、この時代では、月を友とする人は少ないとも思いました。伏見に「月の蔵人」とかいう店がありますが、これも月を友とする意味があるのかも知れません。

 で、とどめ。
 ふうてんさんとか、風雪梅安一家ではこの十年、何回か大澤池とか嵐山の月をめでる機会を用意しましたが、すべて「めなみ」の会食で終わりでした。これはね、残念です。

投稿: Mu→ふうてん | 2006年10月19日 (木) 04時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/12326230

この記事へのトラックバック一覧です: 月夜の美観と科学:

« 風景と歴史 | トップページ | 配所の月とは望郷か »